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    小寒 彼は未だ戻ってきていない。大きな荷物を持ったまま告げられた言葉に、鉢屋は微笑みとも不満ともつかない表情を浮かべた。
     年末年始に伴い忍術学園の生徒の殆どは実家へ帰省を果たす。下級生は軒並み、長期間の休暇であれば帰らないことの増える上級生でも、半数以上は家へ戻るを選択する。学園に残る人間の中には様々な、例えば単に面倒くさいという理由も含めて、事情があったが、それを問わないことは暗黙の了解となっていた。忍の仕事を問わないこととは異なる。他人の家の都合にまで口を出すことはしない、一つの境界のようなものと言える。
     目の前に座る、正しくは庭に面した廊下に寝転がっている、少年もまた、帰らなかった一人だ。昨年は帰っていただろうか、と考え、すぐに無用な思考を止める。彼にとっては、少年に告げられた言葉の方が重要だった。
     少年が言う「彼」とは誰のことであるかは、考えるまでもなかった。少年は学園生活において「彼」と同じ部屋に暮らしている。反対に言えば、少年が不在を告げることのできる相手とは、同室の「彼」についてのことに他ならない。
    「何も尋ねていないが」鉢屋は表情を変えずに言った。
    「知りたいのかと思って」
    「別に。正門から入ったなら、ここは通り道だ」
    「そうだね。わざわざ中庭を回ればの話だけれど」
    「日中は外の方が、日に当たっていて暖かい。午後一番の陽光なら尚更だろう。勘右衛門もそれを知っているから、そこで寝転がっていたんじゃないか?」
    「そういうことにしておく?」尾浜が悪戯気に笑った。丸みを帯びた輪郭に合わせて、口の形が弧を描く。
    「それで」鉢屋は表情を変えずに嘆息を一つ落として見せる。「兵助が帰っていないことが私にどう関係する?」
    「俺は兵助のことだなんて一言も言ってないよ」
    「それなら誰のことだったのか教えてもらいたいな」
    「八左ヱ門は昨日戻ってきたらしい。雷蔵は、多分、まだ」尾浜が指を折りながら答える。「知りたいかと思って」
    「なぜ」
    「気にかけていただろう、兵助のこと。理由は知らないけれど……お前が兵助について何を知っているのか、それを俺は知らないし。兵助が今年は帰ることにした理由は知っているけれど」
    「それをお前に言ってどうする」
    「別に。ただの雑談……世間話だよ、俺にしてみれば」
    「それなら尚更、答える意味はないな」鉢屋が肩を竦めた。
    「兵助が去年帰らなかった理由、知ってる?」
    「知らないし、勘右衛門が知っていたところで私に勝手に話しはしないだろう」
    「まあね。因みに今年帰ることにした理由も俺は知ってる」尾浜がからからと笑い声を上げた。
    「そうか」頷きを一つ。笑みはない。「話はそれだけか? 部屋に戻って掃除をするつもりなんだ。今年は私も雷蔵も不在にしたから、部屋の空気を換えてやらないと」
    「そうかい。引き留めて悪かったな」
     寝転がった姿勢で片腕を上げ、尾浜は軽く手を振った。意味ありげな笑みを湛えたまま。尤も、意図があるにせよ、無いにせよ、何かを企んだような笑みは彼の得意だ。単に揶揄っているだけの可能性は十分にある。鉢屋は思考の一つでそう分析しながら、止めていた足を踏み出した。視界の正面から斜め後方へ少年の姿が角度を変える。
    「三郎、」
     背後から呼び止められ、鉢屋は首だけで後ろを振り返った。
    「兵助が戻って来るのは明日だよ」
    「……何故それを?」
    「知りたいかと思って」
    「違う。勘右衛門がどうして兵助の帰る日を知っているのか、と聞いたんだ」
    「それは、三郎。言葉が足りなすぎる」視界の端で、少年の顔に呆れが滲む。「帰る前に、兵助に聞いていたんだ。授業が始まる二日前くらいには帰るからって。ここ数日天気が荒れた様子もないし、道を進むにもそう大変なことも起こらない。兵助がそのあたりの計算をし損ねるとも思わないしね。だから、帰って来るなら明日になる」
    「帰る、と?」
    「何が?」
    「兵助は、帰る、と言ったのか」鉢屋は短く尋ねた。微動だにせず、面の奥に潜む黒目だけを一瞬宙へ向け、素早く少年を射抜く。それからゆっくりと目を眇めた。「戻る、ではなく」
    「俺の記憶が正しければ」
    「勘右衛門は記憶力が良い」
    「お褒めに預かり、光栄ですねぇ」尾浜が肩を揺らす。「そういえば三郎も、帰る、と言ったね。俺にしてみれば同じに思えるけれど」
    「認識の相違だ」
    「たった今記憶力が良いと言ったのは誰かな」
    「お前の記憶力の良さについてじゃない。帰る、という言葉の起点と終点についての認識が違うという意味」
    「起点も終点も、双方向に繋がっているのだから、区別する必要がある?」
    「しかし、無意識に使い分けているだろう? それを私は意識に出したというだけだ。兵助も、おそらくは」
    「確信を抱いていることに対して、おそらく、なんて言わない方がいい」
    「兵助の考えは兵助にしか分からない」
    「そう思っているのなら、他人の考えを口に出さないほうがいいな。尤も、人の考えを本当に理解できるかなんて、可能性を考えるまでも無い話だけれど」
     尾浜が床につけていた背を起こし、そのまま立ち上がった。建物の構造分、視線の位置がずれる。真っ直ぐに佇んだまま、尾浜は微かに、しかし確かに、鉢屋を見下ろした。
    「それに、帰る場所は一つじゃなくていいんだよ。三郎」
     鉢屋は一歩、足を地面から上げず、にじり寄るように距離をとった。空間の錯覚が、視線の差をより明確にする。首を縦とも横ともつかない角度に傾け、それから、彼の顔が宙を仰ぐ。視脈を三つ。息を深く吸い、言葉の代わりに吐き出した。
     宙へ向けていた視線の先を少年へ戻す。少年は笑ってはいなかった。



     土に残った霜の欠片が光を受けている。表面には雫が滲み、溶けてしまうまでもう数刻とないだろう。或いは、獣に踏まれて砕かれてしまうのが先か。運よく残り続けたその一片以外の霜が、深い色をした土に吸い込まれて消えたように、一片の氷もまた遠からず姿を消すだろう。明日の明け方にはまた霜が生まれるとしても、今を耐える霜とは同一ではない。
     真っ直ぐに伸びた線を密集させた氷の姿を眺め、鉢屋は息を止めた。人の呼吸によって溶けることがあるだろうかと考えたためだった。
     彼は学園の周縁を囲う森の中を歩いていた。街へ向かう道に続いている方角ではない。野原と池を越えた先にようやく小さな山道へ出る森だ。道として利用するものは少なく、専ら下級生が遊びのために訪れるような場所。しかし、今は長期休暇の最中であり、下級生の姿はない。森を往く者は彼と、日中に出歩く獣ばかりだった。
     野原は森の丁度半ばあたりをくり抜いたように広がっている。特別な噂はなかったが、森の中に突如として現れる空間は、明らかに人工的な気配を感じさせた。古く、何らかの争いによって焼け落ちたのではないか、と鉢屋は想像する。人家があったとして、草原が広がるほど徹底して木を切り倒すものはいないだろう。戦乱の世である今でなくとも、戦は常にどこかで起こっている。
     春であれば小花の入り乱れる野原は、枯草の萎びた茶色で埋め尽くされていた。鳥影の一つも見えない。ただ野放図に茂る枯れた植物の硬い表皮が擦れ合い、乾いた音を立てている。花畑だと喜んでいた子供たちが、この様を見たらどう思うだろうか。野原を横断しながら、徒に思考が巡る。悲しむだろうか。しかし冬になれば草花が枯れることは道理であり、謂わば当然の巡りである。学園の子供たちは、年端も行かない子供であっても、自然の衰勢を理解している。ただの景色として受け止められる可能性の方が高いだろう。事実、鉢屋自身にも、草花が枯れたところで嘆く気持ちはもたらされない。精々、期を誤ったことを惜しいと思う程度のこと。
     背の高い草叢の中から、兎が一匹、鉢屋の前に飛び出した。薄茶色の毛並みには艶もなく、身体の上に木の葉を数枚付着させている。学園の生物小屋に飼われている兎の姿と比較して、随分と小さい。野生であるためか、身体の小さな種類なのか。
     草の向こうを歩く獣に気が付かなかったのか、彼の姿を見ると一瞬にして踵を返し、別の方向へ走り抜けて行った。森に暮らす生き物からすれば人間も森を行き交う、それも大型で攻撃的な獣の一種だ。彼に攻撃するつもりが無いことを兎が知る由はない。草影に消えた兎の球形の尻尾を見送る。突然方向を変えたためか、兎の身体から落ちた木の葉が、遅れて鉢屋の足元に舞い落ちた。紅葉も過ぎ、木の枝にも似た茶色に染まった葉はひどく乾燥している。指の先で持ち上げれば、触れた場所から崩れ、細かな破片が宙に舞った。兎が消えた方向へ流れていく。
     どこか間の抜けた兎は無事に巣へと帰ることが出来ただろうか。頭の中で誰かが言った。指の腹に残った葉の屑を払い、浮かんだ声に対する答えを考える。
     巣に帰ることが無事なのか。
     巣の中であっても脅威はある。或いは、巣の中こそ脅威であるかもしれない。うさぎ穴には逃げ場がない。蛇に入り込まれてしまえば、ひとたまりもないだろう。例え外敵に襲われずとも、敵は存在する。同じ巣に生まれた群れに襲われている兎を保護した級友の姿を思い出す。その兎はひどく小さく、耳の一部が欠けていた。
     巣に帰りつくことが無事なのではない。誰かの声が言う。いつか変装した時に真似た老婆の声に似ていた。
     安全であると思えること。それが無事であることだ。行き着く先が巣であろうと、或いは見知らぬ人間の保護であろうと。
     それが帰るという意味だ。
     野原が終わりに近付き、木々の影が鉢屋の顔を照らした。夕刻が近づいているためか、太陽の姿は既に森に隠れて見えず、ただ朱い空だけが枝葉の隙間を鮮烈に染める。彼は森へ戻る寸前に野原を一度振り返り、再び正面を向いた。兎の駆けた痕は何一つ残されてはいなかった。彼自身の道筋も、また。
     頭上で烏が声を上げる。濁りない、澄んだ声だった。応えるように遠くで別の鳴き声が上がる。やがて羽ばたきが近づいた。近くの木に巣があるのか。烏ではない別の鳥、もっと鷹や隼に近い目つきの鳥が、彼らの姿を探すように気の上で首を持ち上げている。地面を歩く生き物には目もくれず、ただ宙を睨んでいるように見えた。
     その姿を一瞬視界の中央に捉え、彼は直ぐに目を逸らした。野生の獣に興味を示されないことは、むしろ、安全と言える。未だ陽が落ち切っていないであろう時刻であったが、夜が近づいていることには違いがない。
     陽が暮れる前に帰るべきか。
     つい数刻前に帰ったばかりであるにも関わらず、再び学園へ帰ることを考えていることに、鉢屋は小さく笑みを零した。部屋の窓を開けたままにしてきたことを思い出す。風が強くないことは幸いだった。部屋の中が自然に荒らされていることはないだろう。尤も、そのような天候であれば彼は窓を開け放したままにはしなかったであろうし、森へ出ようとも思わなかったはずだ。彼は笑みに自嘲を寄せながら、池までにしよう、と心の内で呟いた。
     野を越えた先、森を少し進んだ先にある大池。夏場であれば学園の生徒たちがこぞって涼みに、中には水練と称する者もいたが、水を求めに訪れる池がある。湧き水であるためか、夏の盛りでも恐ろしいまでに冷たく、澄んだ水を湛えていた。
     鳥の羽ばたきが森の中にこだましている。実際に複数の鳥が飛んでいるのかもしれない。昼に飛ぶ鳥が、当然夜目が利かないのだから、陽が沈み切る前に巣へ戻るために懸命に飛んでいるのだろうか。鳥の巣は常に一つだ。中には複数の巣を持つ鳥もいるのかもしれないが、鉢屋の知る中には含まれなかった。
     帰る場所は一つでなくても良い。投げかけられた言葉が、脳裏に蘇る。
     一つであるべき理由はない。一つであるべきだと考えたこともなかった。複数持つことは可能であるし、或いは全く持たずとも生きていけないことはない。少なくとも人間という動物にとっては。安全な場所があるという幸いは、生命を脅かす危険を遠ざける意味でしかなく、絶対の安全を保証はしない。それでも、安全だと思い込める。信じることで、安寧を得られる場所。落ち着き、安らぎ、精神を休めることが可能であること。そのために人は帰る場所を求める。
     多くの人間にとって家が帰るべき場所なのは、そのためだ。食を得て、安全に身体を休ませることは、実質心の内にも影響を及ぼす。その意味で、授業期間に生活の場となる学園は、彼らにとって家に近しい空間と言える。どちらにも「帰る」ことはできるだろう。それでも多くの生徒が学園と家との往復において帰る場所として置くのは学園ではなく家だ。家に帰り、学園へ戻る。たった六年しかいられないからか。仮住まいであるからか。或いは、学園とは修行の場であり、安らげる場所ではないからか。生徒の誰しもが大切に思っている学園は家のようであっても、事実、家ではない。
     家は常に単数だ。
     複数を並べたとしても、それらは真の家と仮の家に分けられる。
     唯一の「家」が帰る場所であるという思い込み。
     帰る場所が空間として存在していなければならないという思い込み。
     そんな思い込みのせいで、
     比較し、
     区別し、
     本物などという虚言に惑い、
     真実などという妄想に憂う。
     不意に現れた影が、視界を遮った。大きな鳥の翼が空気を打ち破り、目の前を低く飛び、薄青い氷の上に足を下ろす。鉢屋は鳥の細長い脚を眺め、それから、池の畔に来ていたことに気が付いた。鳥は凍りついた水面の上に平然と足を下ろし、膨らんだ毛を震わせている。すらと伸びた首は鉢屋の存在をきにすることなく、真っ直ぐに天へ向かっていた。
     鉢屋は鳥へ向けていた顔を俯け、それから宙を仰いだ。陽は落ち切ったのか、斜陽の名残が僅かな光を地へ注いでいる。宙を彩る輝きが星影の白銀に変わるまで、間もないだろう。宙の低い位置に現れた一番星は、枝葉の隙間から半分だけ輝いて見える。
     足音を立てて池に背を向ける。鳥は無関心に佇んだまま。彼は顔を森へ向けた。
     人影が一つ、視界の中に。
     逆光のために、輪郭だけが判然と浮き上がる。
    「あれ?」人影が、暗い森に似合わない間の抜けた声を上げた。「三郎?」
    「兵助?」鉢屋も疑問符を返す。
    「どうしてこんなところに?」
    「散歩だ」
    「散歩にしては、味気ない道だけど」
    「そういう気分だったんだ」鉢屋は短く答えると、すぐ目の前で足を止めた少年の顔を見据えた。「それより兵助はどうして?」
    「どうしてって、帰り道だからだけど。俺の家の方からだと、街から来るより、こちらを回った方が早いんだ」
    「明日くらいだと聞いた」
    「誰から」
    「勘右衛門」
    「ああ、勘右衛門にはそう伝えたいたかもしれないけど、まあ、早く帰りたくなったんだ。だから昨日の夜に思わず発ってしまった」
     何事もなく告げられた言葉に鉢屋は面の奥で目を見開き、一瞬に近い速度で、すぐに表情を戻した。薄暗い森の中では気付かれることはないだろう、と分析する。
    「帰りたくなった?」鉢屋が尋ねる。「どこへ?」
    「学園。皆が側にいないのは、どうしても、少し寂しい」
    「帰るべき場所は学園ではなくて、私たちがいるところと言っているように聞こえるな」
    「少なくとも、俺にとっては同じ意味。俺が俺自身でいられる場所は、皆がいるところだから」
    「素直だな」
    「俺はいつだって素直だよ」久々知が笑う。「帰るという行為は何も、場所に限られない。三郎だって、そうだろう?」
    「そうだな」鉢屋は呟いた。
     顔を背け、氷へ目を向ける。
     安らいだ目が、星の光に反射して水面に映る。
     次の瞬間、
     鏡がひび割れる。
     水面の中央から氷が砕け、
     羽ばたき。
     大きな鳥が、大きな翼を広げた。
     飛翔。
     翼に起こされた風のために割れたのか、
     氷が崩れるのを感知して飛び立ったのか。
     氷の内に潜んでいた魚が一尾、水面の下で尾を揺らしている。
    「驚いた。鷺か、鶴か、何の鳥だったんだろう」久々知が宙を仰ぎながら言った。「群れへ帰るのかな」
    「私たちもそろそろ帰ろう」
    「そうだね、すっかり暗くなってしまった」
     二人は並んで道を歩き出した。
    「そうだ、」鉢屋は首を横へ向け、久々知を真っ直ぐに見つめた。「お帰り、兵助」
    「ただいま」たった四音を丁寧に発音し、久々知は微笑んだ。「三郎も、お帰り」
    「ただいま」
     ゆっくりと微笑みを唇に寄せる。
     池の上を氷の断片が茫洋と流れていく水音が微かに鼓膜を揺らす。
     砕けた水面が再び凍るには、残された冬はあと僅かだった。
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    2023/01/08 22:18:42

    小寒

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    #鉢くく
    遅刻!
    お休みの後で学園へ帰ってきた鉢屋と久々知の鉢くくです。

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