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    【刀剣】始まる前に終わる話(2022.10.15加筆修正版に差し替え) ねぇちょっといい? と不意に声を掛けられ、御手杵は怪訝に相手を見やった。演練後に少々の雑談をすることもあるが、声の調子からして楽しい話ではなさそうだ。
     相手の部隊長である加州清光が隠すことのない難しい顔で、ちょいちょい、と手招きしてくるのを、こちらも隠すことなく、うへぇ、とやる気のない様子を見せれば、真面目な話なんだけど、と眦を、キリリ、と攣り上げられた。
     他の本丸からダメ出しされんのかぁ~、と御手杵は内心しょぼくれながら近づき、示されるがままに少々身を屈める。
    「なんだよぉ」
    「そっちの本丸さぁ、主はちゃんとお手入れしてくれてる?」
     予想外の問いかけに御手杵は、きょとん、としてから緩く首を傾けた。
    「うん? そりゃ当たり前だろ? まぁウチんとこの主は不精者で部屋とか散らかってるけど、俺たちには良くしてくれてるぞ」
     俺と鬼丸が腹に大穴開けた時は血の涙流しながら資源やり繰りしてくれたし、と御手杵が具体例を上げれば、大穴ねぇ……、と微かに引きつりながらも加州はどこか安心したように小さく頷いた。
    「ならいいんだけど。でもちゃんと隅々まで綺麗にしてもらいなよ? そっちの鬼丸、ちょっと動き鈍かったよ」
    「はは、ご忠告痛み入る」
     じゃあね、と軽やかに踵を返しあちらの仲間と合流した加州の背中を見送ってから、御手杵も待たせていた仲間の元へと向かったのだった。
     演練場から本丸へと戻り、各々が「お疲れ」と労いの言葉を掛け合ってから、三々五々散っていく。御手杵は結果と内容を審神者へと報告しなければならないのだが、それらを後回しにし三歩先を行く鬼丸を呼び止めた。
     審神者には言わずとも、演練相手から名指しされた本人には言っておいた方が良いだろうとの考えだったのだが、呼び止めたはいいもののどう切り出したものかと御手杵は頭を悩ませる。
     周りからよく「デリカシーがない」と言われるほどに、御手杵は言葉選びが達者な方ではない。発言には悪気がなく指摘されればその場ですぐに詫びるため、幸いにもこれまで話がこじれた事はないが、鬼丸は思った事をなかなか口にしない刀であることを御手杵は理解している。
     一向に用件を口にせずせわしなく視線を彷徨わせる御手杵を怪訝に見やりつつ、鬼丸は暫く黙って待っていたが頃合いと見たか静かに切り出してきた。
    「用がないなら行ってもいいか?」
    「あ、あーいやー、その、そうだ芋。芋を焼こう」
     几帳面な短刀たちが落ち葉を集めていたことを思い出し、これだ! と半ば勢いで口にする。芋が焼けるまでの待ち時間を使えば充分話せるではないか、と思いつきにしては上出来だと御手杵は内心で自分を褒めた。
    「……芋?」
     突然なにを、と訝る鬼丸の腕を強引に取り、御手杵は庭の片隅へと歩みを進める。
    「厨で芋もらってくるから、ちょっと待っててくれ」
     いいな絶対だぞ、と念を押して駆けていく御手杵を鬼丸は、ぽかん、と見送ったのだった。

     熾火に投下した銀色の塊を火バサミで転がしながら、御手杵は他愛のない話を延々と続けている。この本丸で一番長く人の形をしている槍は、誰よりも人らしく、どの刀よりも武器らしい。
     武器らしく、普段は緩いこの槍も戦闘の事となれば話は別だ。
     鬼丸は元々、感情が顔に出ない質ではあるが、太刀筋は正直な物だ。先の演練での体たらくは自覚しているだけに、その事についてなにか言われるのだろうと覚悟は決めている。
    「鬼丸さぁ、どこか調子悪かったりする?」
     伺うような、慮るような眼差しで問うてきた御手杵に、鬼丸は即座に返事が出来ず軽く目を見開いた。
     なるほど自分の口から理由を話せとそういうことか、と御手杵の意図せぬ方向に解釈した鬼丸は、いざ説明しようとすると言葉にならないものだな、と自嘲する。
    「話せる範囲でいいからさ。俺も深入りされたくないことあるし」
     いい加減そうに見えて気遣いの出来る槍を前に腹を括ったか、鬼丸は巧く纏まらないまでも、ぽつぽつ、と胸に燻る物を吐き出していく。
     今こうして相談に乗ってくれ、時には共に腹に大穴を開け、共に長谷部の説教を喰らう槍を、鬼丸は好ましいと思っている。
     だが、好ましいと言葉は同じであっても、ある一振りに抱いている物とはまるで違うのだ。違うと言うことは理解できるが、その差違を説明するとなると、途端に言葉に詰まる。
     ただ、形もあやふやなこの感情を相手に告げてはならないのではないか、悟られてはならないのではないかと漠然と思い、胸に秘めたままでいなければと思ったのだ。
     ひとり心に秘めているこの悩みが、そのまま太刀筋に現れていたのではないかと思い、概ねそのようなことを鬼丸が伝えれば、御手杵は軽く瞠目した後、うーん、と一旦空を仰いだ。
     そして、するり、と出た言葉がこれであった。
    「今はまぁこんなナリしてるけど、もともと俺たちには性別なんてないわけだし、同性だから黙ってた方がいいとか、そんなところまで人の真似しなくていいんじゃないか?」
     そもそも俺には愛だ恋だはわからないけどな、と枯れ葉の残骸から引きずり出したサツマイモを足下まで引き寄せ、火バサミで器用にアルミホイルを剥いていく。
    「でも、悪いことしてるわけじゃなし。無理に隠すことでもないだろ」
     世間話の延長のように口にする御手杵に鬼丸は軽く目を見張り、そんなものか、と零す。
    「お医者様でも草津の湯でもって言うしな。相手に言いたくなったら言えばいいんじゃねーの?」
     燻る思いに名前が与えられ、鬼丸の胸のつかえが、すとん、と落ちた。
     そうかこれが恋というものか、と半分に割られた芋の断面に目を落とし、鬼丸が、ぽつり、呟けば、いやだから俺にはわかんねーって、と御手杵が笑う。
    「具体的にどう思ったら恋なんだろうな……」
    「抱きしめたいなー、とか、ちゅーしたいなー、って思ったら恋なんじゃね?」
     恋バナとは無縁すぎる男の言葉はあまりにも即物的で、これにはさすがに鬼丸も苦笑を浮かべた。
    「あぁ、それか……」
     不意に声音の変わった御手杵に顔を向ければ、じぃ、と燃え尽きた灰を見つめていた槍が、すっ、と立ち上がった。
    「こいつのためなら折れてもいい、とか思ったら……かな」
     長身の相手を見上げるも太陽を背にした男の表情は影に塗り潰され窺えず、ただ降ってくる鋼が発する音のみが鬼丸の裡で反響する。
     鬼丸は声を上げることが出来ず、きゅっ、と喉元が締まった気がした。
    「いや、やっぱわかんねーな!」
     打って変わった陽気な声に鬼丸は、はっ、と呪縛から解かれたかのような感覚に陥り、身動ぎひとつ出来なかった自分に知らず眉根を寄せる。
     改めて見上げた御手杵は常と変わらず緩い笑みを浮かべており、更には「冷めちまうぞ」と手中の芋の心配をされ、釈然としないまま鬼丸は仄かに温かいそれに歯を立てたのだった。
    「あーちょっとぉ、ふたりでなにしてんの」
     最後の一口を、ぽい、と放り込んだ矢先に背後から声を掛けられ、御手杵が、ふぐっ、と珍妙な声を発した。
    「落ち葉焚き?」
     怪訝に首を傾げながら近づいてきたのは加州で、とんとん、と己の胸を必死に叩く御手杵を見てから、しゃがみ込んでいる鬼丸に目をやり、あぁ焼き芋ね、と小さく漏らす。
    「間食? よく歌仙が許してくれたね」
    「あ、あぁ、歌仙じゃなくて燭台切に鬼丸と食いたいって言ったら用意してくれた」
    「それ、御手杵だけだったら絶対許可されないパターンじゃん」
     これも刃徳ってやつかな? と冗談めかした加州だが、ここまで来た用件を思い出したか、キリリ、と眦を攣り上げた。この顔は今日二回目だなぁ、などと御手杵がぼんやり思い返しているのを知ってか知らずか、加州は腰に手を当て「いつまでも油売ってないで主に報告に行きなよ」と御手杵に言葉を突き刺した。
    「はいはい。わかったって」
     後ろ頭を、がしがし、と掻きながら、いかにも面倒くさいと言わんばかりの部隊長を見上げ、鬼丸は微かに眦を下げる。
    「後始末はおれがやっておくから早く行け。わざわざすまなかったな」
    「ん? いいって。芋うまかったし。じゃあ、あと頼んだ」
     御手杵と共にその場を後にした加州は、ちら、と肩越しに背後を伺ってから、隣の槍を見上げた。
    「演練でなにかあった?」
    「あー、うん。相手の加州がさぁ、鬼丸の動きが鈍いって教えてくれて……」
     簡単にその時のやり取りを説明すれば、加州は何事か考えるように、じっ、と地面に目を落とす。
    「そっか……向こうの俺がわざわざお手入れされてるか聞いてきたんだ……」
    「調子悪いのか聞いてみたけど、なんか悩み事? 考え事? が原因だったみたいなんだよな」
    「うーん、それならいいんだけど。自覚なしが一番こわいからね。少し気に掛けてあげなよ、部隊長」
     どこか釈然としないまでも話を終わらせ、加州は、ひらり、と手を翻し、御手杵とは別の方向へと歩み去った。
     審神者の元へと向かう途中、御手杵は厨へ顔を出し「燭台切~芋うまかった。ありがとな」と礼を述べれば、眼帯の伊達男と共に包丁を握っていた歌仙の柳眉が途端に、きりり、と攣り上がる。
    「なんだって?」
    「うわ、歌仙いたのか。そんな怒るなよぉー」
    「まぁまぁ。鬼丸さんと半分こしてもらったから、それほどの量じゃないよ」
     燭台切の取りなしで、それなら、と穏やかな顔に戻った歌仙に内心で、ほっ、と胸を撫で下ろし、御手杵は「夕飯楽しみにしてる」と言い置いて厨を後にしたのだった。
    「……まったく。甘いなきみは」
     遠ざかっていく御手杵の足音を聞きながら歌仙は、やれやれ、と言わんばかりに肩を竦める。歌仙とて本気で怒っていた訳ではない。彼とのこの手のやりとりはもはや様式美という奴だ。
    「そう言われると返す言葉もないけど、最近鬼丸さんの食事量が減ってるみたいだからね。食べられるようなら食べてもらいたいなって」
     人も僕らも身体が資本だし、と笑う燭台切に歌仙は、そうだね、と静かに返した。鬼丸は進んで他の刀と関わろうとしないどころか、審神者相手ですらどこか一線を引いている気難しい太刀だが、悪意があるわけではない。むしろその逆であるが感情が見えにくい分、誤解されやすく損をしていると、共に過ごす時間が長くなるにつれわかってきたところだ。
    「こういうときに御手杵の遠慮のなさはありがたいね」
     歌仙の物言いに苦笑はすれど、その言葉に隠された賞賛に燭台切は、そうだね、と先の歌仙同様、静かに返したのだった。


     ポツポツ、と降り始めた雨は次第に雨脚を強め、半刻も経たぬうちに視界は煙り、泥濘に足を取られ無駄に体力が削られていく。
     時間を掛けすぎた、と歯がみしても時既に遅し。
     戦場の条件はあちらも同じとは言え、連戦を重ねてきたこちらが不利なことは火を見るよりも明らかだ。
     撤退か、押し切るか。
     一瞬の迷いをここぞとばかりに突かれ、敵脇差が御手杵の間合いを抜け懐に入り込んだ。
    「しまった……ッ」
     ぎらり、と鈍く光る刃が振り下ろされると思った刹那、横手から敵に肩口からぶつかる刀が一振り。すんでの所で命を拾った御手杵の目の前で、その勢いのままに敵もろとも地面を転がったのは鬼丸であった。
     即座に起き上がり体勢を整え地を蹴ろうと力を込めたその足は、泥濘で滑ったか前に出ることはなく、がくん、と膝を着いた。
    「……ッ!?」
     追撃できないどころか逆に体勢を崩した鬼丸を敵が見逃すはずもなく、未だ立ち上がれぬ相手に白刃が迫る。
    「させるかよ……ッ!」
     今度は自分の番だと言わんばかりに御手杵の槍が風切り音を鳴らし、敵の額を真っ直ぐに突き穿った。まさに針の穴を通すがごとく的確な一撃に賞賛を送る間もなく、鬼丸は荒々しく御手杵の腕で引き起こされる。
    「撤退だ! 殿は俺が務める!!」
     行け、と突き飛ばすように背を押され、鬼丸は蹈鞴を踏んだ。
    「負傷した奴は担いでもらえ! その方が早い!!」
     遠慮して折れたら莫迦らしいだろ? と御手杵が冗談交じりに皆を見回せば、即座に長谷部が厚を背負い、鬼丸が前田と平野を小脇に抱えた。
    「よし、走れッ!」
     一斉に地を蹴り、障害物が多く身を隠せる森を目指す。機動値の高さに物を言わせ、見る間に敵を引き離していく。充分な距離を稼いだと判断するまで十分以上走り続け、漸く足を止める頃には口を開く気力のある者は居なかった。
     体力の温存が出来た短刀たちが時間転移のための術式を発動させている最中、御手杵は何気なく鬼丸を見やった。雨で幾分かは流されたとはいえ、自分を助けるために全身泥まみれになってしまった事を申し訳なく思い、文句のひとつでも頂戴するか、と御手杵が傍に寄れば、木にもたれていた鬼丸は気怠げに顔を上げた。
    「……見事な一撃だった」
     さすがだな、と不意に賞賛され、御手杵は、は? あ、いやうん、と曖昧な言葉を返し、隣に、すとん、と腰を下ろす。
    「俺の方こそ助かった。ありがとな」
     泥だらけになっちまったなぁ、と苦笑すれば、まったくだ、と心底嫌そうに返され、御手杵は、はは、と声に出して笑った。
     笑い事じゃない、と不満そうに鬼丸が身動ぎした瞬間、キシ……、と耳慣れぬ音が聞こえた気がして、御手杵は、はっ、と鬼丸に目をやった。
    「……なんだ」
     怪訝な顔を隠しもしない鬼丸には変わった様子はなく、御手杵は辿々しく、いやなんでも……、と言うしかなかった。


     演練での他本丸の加州の言葉、そして鬼丸から聞こえたと思しき不可解な音。
     気のせいだと放置して良い事ではないと御手杵は帰投後すぐに報告しようとするも、まずは手入れを終えてから、と審神者に手入れ部屋へ押し込まれてしまった。
     槍の手入れには時間がかかる。御手杵が審神者の元を訪れる事が出来たのは、翌日の昼であった。
     そしていざ話をしようと口を開いたその時、外の喧噪に気づいたのだ。審神者と顔を見合わせ何事かと窓を開ければ、木刀を手にした大包平が何事かを喚いており、その相手は大典太の肩を借りている鬼丸であった。
    「なんだぁ? 喧嘩か?」
     どこか間延びした声で御手杵が三人に声を掛ければ、真っ先に大包平が「違う!」と声を張った。
    「手合わせでこいつが手を抜いたのだ!」
     状況から察するに、天下五剣のふたりに大包平がいつも通り勝負をふっかけたというところか。
    「……だから、そんな事はないと言っているだろう」
     脇腹を押さえたまま苦しげに答える鬼丸の様子から、打ち据えられたのはそこで相当痛むらしい。よくよく見れば大包平は裸足で、憤りに任せて道場からそのまま飛び出し、ふたりを追いかけてきたのだろう。
    「ならば何故、途中で手を止めた!」
     例え打ち込まれても躱すか木刀で受けるかするはずだ。常ならば胴ががら空きになる事などあり得ないのだ。
     決まるはずのない一撃があっさりと決まった事に、誰よりも驚いたのは大包平自身だろう。驚き、動転し、一気に頭に血が上ったのだと推察出来た。
    「あー、頭にきたのはわかるけど、先に手入れ部屋行かせてやれよ。話はそれからでもできるだろ?」
     今にも掴みかかりそうな大包平を言葉で宥め、御手杵は大典太に目配せをする。それを受けて大典太が鬼丸を連れて行くのを見送ってから、さて、と大包平に向き直る。
    「なにがあったんだ」
    「だから、鬼丸が俺との手合わせで……」
    「それは聞いた。でも、あいつはそんな事するヤツじゃないって、大包平もわかってるだろ?」
     怒るでもなく責めるでもなく状況を確認してくる御手杵の静かな口調で、大包平も落ち着きを取り戻したか、すぅ、と一際大きく息を吸い、そのまま大きく吐き出すと毅然と顔を上げた。
    「鬼丸の、動きが止まった。確かに途中までは俺の木刀を受ける動きをしていたんだ。なのに、不自然なまでに、急にだ……」
     口で言うだけでは伝わらないと思ったか、大包平はまず自分の動きを再現して見せ、それから立ち位置を鬼丸が居たであろう場所に移動し、彼の動きを再現する。
     確かに途中までは左手中段から迫る木刀を峰で受ける動きをしていたが、中途半端に上がった腕が上がりきる事はなく、ぴたり、とその動きが止まった。
    「その瞬間、鬼丸自身も驚いた顔をしていた」
     大包平の優れた動体視力であったからこそ、その表情を捉えられたのだろう。
    「手を抜いたのではないのなら、あの動きは一体なんだというのだ。……訳がわからん」
     説明を終えた大包平が、ぽつり、と漏らした言葉が彼の気持ちを全て語っていた。

     手入れを終えた鬼丸はひとり自室へと戻り、刀掛け台に置かれた本体を見据える。
     大包平の一撃を受けようとした瞬間、確かに聞こえたのだ。
     キシリ、と身の裡から響く軋んだ音を。
     久しく忘れていた感覚は、二度と味わいたくないと思っていたそれであった。
     本体を手にし、すらり、と抜き放つ。
     刹那、ぎくり、と手が強張った。
     それは点のような錆であった。
     鬼丸国綱といえば有名なのは火鉢の鬼を斬った逸話だ。
     それと同時に語られるのが「錆を落としてくれ」と持ち主の夢枕に立ったという話だ。
     切り離すことの出来ぬその逸話はどこまでもついて回り、もはや呪いに近い。
     本体に現れたこれは、鬼を斬った逸話よりも錆の逸話が上回ったという事なのだろう。
    「……そういうことか」
     目に見えているのは確かに点のように小さな物だ。だが、己が錆の逸話が色濃く表れた個体なのだと、自覚をしてしまえばもう誤魔化しようもない。
     刀身の内部は既に錆に侵されている。
     かろうじて表面的に無事であるのは、鬼丸の刀としての矜持が故だ。
     静かに本体を台へと戻し、瞼を伏せる。
     付喪神には死という概念はない。だが、刀の本分をまっとうできず刀身が朽ちていくのを黙って待つのみというのは、緩やかな死と同じことだ。
     悔いが無いと言えば嘘になる。
     それでも引き際を見誤るほど愚かではないと、鬼丸は唇を引き結んだ。


     いくつも並んだ物干し竿にかかった真っ白なシーツが風に揺れる。その間を移動する一本角に御手杵は知らず目を細める。
     短刀たちが運んできた洗濯籠の中身を広げ、竿へ干していく。その単純作業を繰り返す鬼丸の周りでは、粟田口の者たちの弾んだ声が響いている。
     鬼丸さんと内番するの久しぶりだね。
     やっぱ背が高いといいよなぁ。
     はい……とても助かります。
     それらに対する返答は、あぁ、だの、そうか、だの素っ気ない物ではあるが、声音の柔さは普段とは比べるまでもない。
     気難しいと言うより、口下手、不器用なのだと、御手杵が改めて思っていれば、おい、と背後から声を掛けられた。振り返ればそこに居たのは大包平で、怒っているわけではないのだろうが、眉間にしわを寄せた険しい顔をしている。
    「おう、どうした」
     庭に面した廊下に立ち止まってはいたが、端に居たので通るのに不都合はなかったはずだ。軽い調子で御手杵が話を振ってやれば、大包平は唇を一旦引き結んでから、ゆうるり、とそれをほどいた。
    「鬼丸が、詫びを言ってきた」
    「そうか。それで?」
     この太刀ならば不満があればその場で本人に言うであろう。鬼丸からの詫び自体は受け入れ、その話は既に終いにしたであろうことは想像がついた。
    「……あれからずっと戦には出ていないが、その……」
     ちら、と動いた大包平の視線の先には、乱の目の高さに合わせて膝を折っている鬼丸の姿がある。御手杵とは違う意味でデリカシーがないと言われがちな大包平ではあるが、心根が真っ直ぐなだけにこの数日、心配でたまらなかったのだろう。
    「あぁ、この間のあれは関係ないぞ。他の奴も実戦経験積まないとならないだろ? それを言ったら俺だって、ここんところ全然お呼びがかかってない」
     身体なまっちまうよなぁー、と大仰な動作で槍を突き出す真似をして見せれば、御手杵の明るい声につられたか大包平の若干強張っていた表情も和らいだ。
    「そうか。ならいい。邪魔したな」
     真っ直ぐに伸びた背が廊下の角を曲がるのを見届けてから、御手杵は再び庭へと視線を戻す。畑当番を終えた前田が兄弟に何事かを話しかけており、少し離れた場所では大典太が鬼丸に収穫物が入っている籠の中身を見せている。
     漏れ聞こえてくるふたりの会話から察するに、今晩も飲む約束をして肴をどうするか話しているのだろう。
     柔く下がった紅のはかれた眦と僅かに上向きの口角を目にした御手杵は、きゅう、と胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われる。
    「……まぁ嘘は言ってないからいいよな」
     内心で大包平に詫びつつ、緩く吐き出された言葉とは裏腹に、きつく握られた拳は微かに震えていた。


     ――賭でもするか?
     酒を酌み交わしながらの戯れ言でしかなかったが、いつになく愉しげに上がった鬼丸の口角につられるように大典太のそれも、ゆるり、と上がった。
     何を賭けるかも決めず、明日の出陣で誰が誉を取るかを予想し、互いに懇意にしている短刀の名をあげ、楽しみだなと目を細め杯を傾ける。
     不意に鬼丸の手から空の杯が滑り落ち、畳の上で一度小さく跳ねた後、音もなく転がった。
     ぎこちなく伸ばされた手が無言で拾い上げるも、ぎしり、と聞こえないはずの音が耳に届き、大典太は微かに眉根を寄せる。
    「……痛みはないのか」
    「あぁ、不幸中の幸いってやつだ」
     だからこうして呑気に酒を飲んでいられる、と嘯く鬼丸の眼差しも声音も穏やかで、既に覚悟は決まっているのだと嫌でも思い知らされた。
     大包平との一件後、鬼丸はすぐに審神者の元を訪れ、自身の状態を包み隠さず語った。そして「鬼どころか大根すら斬れなくなるおれが、ここに居る理由もないだろう」と、自ら刀解を申し出たのだった。
     審神者はもちろんの事、その場に居た御手杵も反対したが「おれと同じ立場になったら、お前ならどうする」と静かに返され、なにも言えなくなってしまった。
     それでも審神者は諦めたくないと寝る間も惜しみ方々手を尽くしたが、万策尽きたと項垂れ、鬼丸の申し出を受けると涙声で応じたのが二日前の事だ。
     自身の事も刀解の事も皆には伏せておいてくれと頼み、戦には出られなかったが馬の世話をし、畑を耕し、鬼丸は今日までこれまでと変わらぬ生活を送っていた。
     誰にも告げずひとり去るつもりであった鬼丸だが、不意に御手杵の言葉を思い出す。
     ――相手に言いたくなったら言えばいいんじゃねーの?
     どうせ居なくなるのなら、始まる前に終わってしまうこの恋を供養してやってもいいだろうと、思い立ったのだった。
     これまで幾度となく共に酒を飲んできた相手だ。
     誘いの言葉はいつもと変わらず、盃を空けるペースもいつもと変わらず。
     ただ、鬼丸の話す内容だけがいつもと違った。
     淡々と語られるこの先の事に大典太は黙って頷き、鬼丸の「お前に恋をしていた」との告白にも、最後に、そうか、と零すだけであった。鬼丸も、そうだ、と返し、ちびり、と酒を舐めた。
     同じ気持ちを返して欲しかったわけではなく、ただ告げたかっただけの鬼丸からすれば大典太の返答は満足のいく物であった。
     同情もせず、心にもない事を決して言わない太刀を、鬼丸は改めて好ましいと思ったのだ。
     刀解の儀は明後日行われる。


     出陣していた部隊が無事戻り、短刀たちが長兄に戦果を報告している姿を、鬼丸は遠くから眺めている。あの様子では賭けは大典太の勝ちだな、と僅かに口角を上げ踵を返す。
     勝った相手に酒でも買ってやるつもりで身支度を調え、門へと向かっている途中で御手杵と鉢合わせた。
     戦装束の鬼丸に御手杵は、ぎょっ、としたが、買い物だ、と短く告げられ胸を撫で下ろす。
    「なら荷物持ちで俺も行くか」
     はは、と冗談めかしてはいるがここがまだ本丸内ということもあり、御手杵が言葉を選んだのだと鬼丸にはわかっている。
     共に門を抜け、買い出しのために幾度となく通った道を行く。
    「とうとう明日か」
    「そうだな」
    「俺、あんたの戦い方好きだったよ」
     他に褒めるところはないのかと鬼丸が苦笑すれば、御手杵は困ったように後ろ頭を掻いた。
    「生憎と俺は戦の事しかわからないからなぁ」
     そう口にする相手の戦場での苛烈な戦い振りを思い返し、おれも、と鬼丸が口にする。
    「お前の有り様は好ましく思ってる」
    「それ前にも聞いた」
     ありがとな、と笑ってから、御手杵はどこか気遣わしげに、なぁ、と鬼丸の顔を覗き込んだ。
    「伝えたのか」
     前言ってたやつ、とぼかして聞いてきた相手に、鬼丸は首を縦に振る。
    「そっか。それなら良かった。ひとつでも心残りはなくしておきたいよな」
     ほっとした顔を見せたかと思えば、自分の言葉に、しゅん、としょげてしまった御手杵の背を軽く叩き、お前が気にする事じゃない、と鬼丸は穏やかに笑んだ。
     刹那、ギシリ……、と一際大きく響くと同時に、それまで何事もなく会話をしていた鬼丸の頭が不意に沈み込む。咄嗟に腕を伸ばした御手杵に支えられ転倒は免れた物の、耳に断続的に届く、キシ、ギシ、と不快感と不安感を煽る音に鬼丸も御手杵も唇を引き結んだ。
    「……戻ろう」
     なにを感じ取ったか御手杵は鬼丸を背負うと、言葉少なにそう告げる。鬼丸からの反論はなく、御手杵は今来た道を真っ直ぐに戻っていく。大股に進んでいた足は徐々に速度を増し、なにかに急かされるかのように気がつけば全力で駆けていた。
     風を切る音に混じって聞こえる軋みに、みるみる御手杵の顔が歪んでいくも、背負った刀のその口からは、決して弱音は吐かれなかった。
     門を抜け、庭を突っ切り、御手杵はある場所を目指す。審神者の元へと向かっていると思ったか、鬼丸が、ひゅ……、と息を吸い込み言葉を押し出しかけた瞬間、わかってる、と低い声がそれを遮った。
    「あんたが最後に会いたい相手なら、わかってる」
     その言葉が示す通り、辿り着いた先は特定の刀が頻繁に訪れている場所であった。
     何故、と背後で思わず零れ落ちた呟きに、御手杵は囁くように、わかるさ、と返した。
    「鬼丸国綱が唯一、自分から関わりを持とうとした相手だ」
     重い扉を押し開ければ、重く湿った空気が頬を撫でる。
     勢いに任せて段を飛ばし階段を駆け上るかと思いきや、御手杵は意外にも落ち着いた足取りでゆっくりと上を目指す。定位置で本を読んでいた太刀は現れた相手に目を丸くするも、ただならぬ空気を察したか、手中の本を取り落とした。
    「……後は任せる」
     よろり、と立ち上がった大典太に鬼丸を託し、御手杵はそれだけを言うと背を向け、音もなく階段を降りていった。
     大典太に抱えられたまま床に腰を下ろした鬼丸が身動ぐと同時に、キシリ、と軋む音が大きく響く。
     本体は既に鞘から抜く事も出来ぬほどの錆に覆われてしまっているのだろう。逸話通りの姿となってしまった鬼丸は緩く拳を握ると、こつん、と大典太の胸を叩いた。
    「昨日の賭けは……お前の勝ちだぞ」
    「……そうか。俺の勝ちか」
     寄越された言葉を噛み締めるように繰り返し、大典太は腕の中の鬼丸を真っ直ぐに見下ろす。
    「欲しいものがあるんだが」
    「生憎と酒はないぞ」
     買いに行ってこのざまだ、と肩を竦める鬼丸に大典太は、ゆうるり、と頭を横に振る。
    「そうか。だが、今のおれに用意出来る物など……」
    「あんたをくれ」
     自嘲の笑みを浮かべ僅かに目を伏せていた鬼丸が、その言葉で、はっ、と顔を上げる。
    「残った霊力の欠片も何もかも……あんたの全てを俺にくれ」
     ゆるり、と硬い掌が鬼丸の頬を撫でる。まるで壊れ物を扱うような……否、愛しい者に触れているかのような優しい手つきに、鬼丸は泣き笑いのような表情を浮かべた。
    「最後の最後で狡いヤツだな」
     勘違いをしてしまうじゃないか、と悪態をつけば、大典太は心底心外だと言わんばかりの顔をする。
    「狡いのはどっちだ。こんな事にでもならなければ、自分の気持ちを告げる気はなかったくせに」
    「……それもそうか」
     否定はせず、くつくつ、と喉奥で愉快そうに笑い、鬼丸は改めて大典太を見上げた。
    「おれなんかを取り込んで、どうなっても知らないぞ」
    「あんたと縁を結ぶんだ。悪い事ではないだろう?」
     そう、と鬼丸の背に腕を回し、軋む身体を抱き締める。
    「俺を標に……いつか戻ってこい」
     役目を終えた分霊がその後どうなるのか、本霊に分霊の記憶や経験は反映されるのか、詳しい事は誰にもわからないのだ。
     それでもこの太刀は、叶うとも知れぬ約束を交わそうとしているのだ。
     キシ、キシ、とぎこちなく上がった腕が大典太の背に回される。
     互いの顔は見えずとも、互いの背に回った腕に柔く力が込められる。
     ――どういう思いを恋と呼ぶのか。
     以前、御手杵に投げた問いと、その答えを不意に思い出す。
    「本当に、狡いヤツだな」
     ぎゅう、と最後の力で大典太の服を強く掴み、ぽつり、最後に落とされた声音はどこか笑みを含んだ楽しげなもので、今生の別れやもしれぬというのに悲壮感はない。
     頬をくすぐる虹色の毛先に大典太は目を細める。
     鬼丸の意識は徐々に閉ざされていき、自我が薄れると同時に肉の器も存在が希薄となっていく。
     最後に、ふわり、と温かな何かが大典太の全身を包んだ後、細かな粒子が弾けて消えた。
     なにも残っていない腕を見下ろし、大典太は唇を引き結ぶ。随分と呆気ないものだな、と緩く頭を振り、のそり、と立ち上がった。
     階段を降りれば蔵の一階に御手杵がおり、その険しい表情を前に大典太は詫びを言うべきか礼を言うべきか逡巡する。
    「主に無断で練結の儀をやっちまうとは思わなかった」
    「……すまない」
    「いや、あんたんとこに連れてきたのは俺だ。勝手な事したのは俺も同じだし、ふたりで仲良く怒られようぜ」
     はは、と緩い笑みを見せる御手杵だが、八の字に寄った眉は隠しきれず、互いに慰め合うかのように背を一回ずつ叩いてから、並んで蔵を後にしたのだった。


     梅の花が散り、桃の節句が目前となった今日。御手杵は大典太の元を訪れていた。近侍が一体なんの用だ、と訝しむ大典太を蔵から引っ張り出し、御手杵は有無を言わせず母屋へと向かう。
    「今日はアンタが近侍だ」
    「突然なんだ……」
     ぐいぐい、と引かれる腕を振り解けば、御手杵は、あっそうか、と間の抜けた声を上げた。
    「蔵に籠もってたから知らないのか。昨晩、政府から通達があったんだよ。鬼丸との交渉が上手くいったってな」
     気難しい部類である鬼丸国綱は、招聘できる期間が非常に短い。年に一回、ないしは二回機会があれば御の字と言ったところだ。
    「この本丸では誰よりも縁が深いのは大典太だからな」
     誰よりも鬼丸の事を気に掛け寄り添っていた槍が、笑みと共に揺るぎない信頼を投げてくる。
     夏にやって来た太刀は雪を見る事もなく去ってしまった。
     余りにも短い、余りにも儚い存在であった。
     あの日交わした約束は果たされるのか。
     果たされて欲しいと、次があるのならば数多の季節を共に巡りたいと、鍛冶場に向かう足は徐々に速度を上げ、期待と不安に満ちた胸は早鐘のように鳴っている。
     始まる前に終わってしまった恋心が報われればいいと、知った時には終わっていた恋心が報われればいいと、大典太は願いながら鍛冶場の扉を開けたのだった。

    2021.07.09
    2021.12.24 加筆修正
    茶田智吉 Link Message Mute
    2021/08/27 0:24:16

    【刀剣】始まる前に終わる話(2022.10.15加筆修正版に差し替え)

    #刀剣乱舞 #腐向け #典鬼 #大典太光世 #鬼丸国綱 #御手杵 ##刀剣
    『刀解が決まっている鬼丸さん』の話。悲恋以上メリバ未満。

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