【刀剣】ある本丸の後始末をする話 ぎちり、と傷口を押さえた包帯を強めに結び、鬼丸は廊下の様子を窺っている大典太に、どうだ? と声を掛けた。
「……あぁ、今のところは大丈夫なようだ」
戸の隙間から目を離すことなく応じた大典太の言葉で、ようやっと鬼丸は肩から力を抜く。念のためと持たされた気配隠しの札は、遺憾なくその効力を発揮しているようだ。
だが楽観視出来る状況ではない事は、鬼丸が一番わかっている。じくじく、と傷口から這い上ってくるのは痛みだけではなく、この手入れ部屋に散乱していた薬品類では手に負えない代物であった。
「蠱毒とはよく言ったものだ」
包帯を巻いた上から腿に掌をあて、ふぅ……、と小さく息を吐き独り言のように漏らせば、大典太は一瞬だけ視線を鬼丸へと向け、そうだな、と同意の言葉を口にする。
政府から厄介な依頼が来たと苦い顔をする審神者に対し、厄介ではない物がこれまでにあったか? と軽口で返したのが今から三時間程前だ。
まず告げられたのはある本丸の刀の処分であった。続けてどうしてそのような状況になったかの説明がなされた。
「審神者とある刀が恋仲になってね、当人はこれまでと変わらず皆を平等に扱うと言っていたんだが、既に特定の一振りを選んでいる時点で説得力ないよね」
苦り切った顔で審神者は手元の資料に目を落としながら、言葉を選び選び説明を続ける。
「祝福する者、静観する者、不満をあらわにする者と、刀達にも派閥みたいなものが出来てしまい、日に日に小さな諍いが増えて、最終的には内部崩壊に至ったと」
「わざわざ言葉を濁してくれたところ悪いんだが、はっきり言ってくれ。回りくどいのは好きじゃない」
事の詳細を求めてくる鬼丸に審神者は困ったように眉を寄せるも、一切譲る気のない相手に仕方ないと言わんばかりに肩を落とした。
「審神者と恋仲になった刀が出陣先で折れて、半狂乱になった審神者が共に出陣した男士に『わざと見捨てたんじゃないか』と疑うような言葉を投げたのが崩壊の切っ掛けだな。ただ、意外だったのは審神者を斬ったのが、静観組の男士だったって事かな」
さらり、と重要なことをさもどうでもいい事のように口にする審神者に対し、大典太がなにか言いかけるもそれは鬼丸によって制された。
「その後は地獄絵図だよ。もう派閥なんて関係なしの、ただの殺し合い。審神者が死んで転移門も使えなくなった閉じた本丸内での殺し合いだ。言うなれば『蠱毒』だな」
「……俺たちはその呪いの塊になっている男士を斬りに行くんだな」
重々しく口を開いた大典太に、そうだ、と審神者は首肯する。
「屋内戦に太刀が向かないのは重々承知だ。すまないと思ってる」
遡行軍絡みではなく、身内の恥とも言うべき内密に処理したい案件であり、部隊編成にも慎重が期された。口の堅い者であることはもちろん、一番重視されたのが「割り切ることの出来る者」であった。
「……随分と状況がはっきりしているんだな。外部と連絡を取っている者がいたのか?」
鬼丸の疑問に審神者は、いいや、と首を横に振る。
「こんのすけの活動停止に伴い自動送信されてきたデータを調べて発覚、だそうだよ」
各本丸に配置されているこんのすけは記録保管の任を負っている。政府が使役する式神であるため、審神者の在不在問わず本丸に居続ける限り自ら活動を止めることはない。
それが活動停止とはすなわち破壊──殺されたという事だ。
「審神者が殺された時点でデータを送っていれば、このような事にはならなかったのではないか?」
「疑似人格が備わっているとはいえ、こんのすけのお役目はあくまで『記録する事』だからね。その本丸のやり方に干渉する事はまずないと言っていい」
大典太の疑問にも審神者は首を横に振り、そこはまぁ上の都合もあるんだけどね、と苦虫を噛み潰した顔になる。
「他の本丸に危害を加えていないかとか、不正な手段で男士を入手していないかとか、一定の基準を設けてそれに違反してれば報告データを送るようにはなってるけど、本丸内で完結してる事柄に関しては、ほぼ記録のみだね。公平を期してってのは建前で、政府も膨大な数の本丸内のいざこざをいちいち相手にしてられないってのが本音だな」
「放置して後々大事になるのもどうかと思うがな」
今回のように、と鬼丸が肩を竦めれば、審神者も同じように肩を竦めて見せた。
「閉じた本丸内のことだから政府的には急がなくていい案件だったんだけど、噂が広がりだしてるから早めに火消しがしたいんだろうね」
ほんと厄介な話で申し訳ない、と頭を下げる審神者を前に、大典太と鬼丸は一瞬顔を見合わせてから小さく頷く。
「なに、信頼には応えるさ」
「鬼と化したのなら斬るだけだ」
気遣いは無用と言い放ち、ふたりは早々に目的地へと到着するも、予想以上の瘴気に怯んだ隙を突かれ初撃を許してしまったのだった。
打ち込まれる一撃一撃は呪にまみれており、まともに受けていては長くはもたないと判断した上で一時撤退したのだ。
霊力の流れを調整し呪いの進行を抑えてはいるが、荒い呼吸を繰り返す鬼丸だけでもどうにか帰投させられないものかと、ちら、と大典太が再び鬼丸に目をやれば、僅かに目を伏せていた太刀が険しい顔で見返してきた。
「……おれだけ帰そうとか思ってないよな」
わかっていて敢えて指摘してくる鬼丸に大典太は無言で返す。
「お前だけで対処出来る相手じゃないのは充分わかっているだろう?」
このざまのおれが言えた話ではないがな、と自嘲で唇を歪める鬼丸に大典太は、ゆうるり、と首を横に振った。
「油断したのは俺も同じだ。あんたの方がたまたまヤツに近かっただけの話だ」
それに、と僅かに眉根を寄せた大典太の言わんとする事はわかっているのか、鬼丸も隠す事無く険しい表情になる。
「お行儀の良い剣技などとうの昔に捨てたか」
真っ先に狙われた足の傷を撫でさする鬼丸の声音は、苦い物を含んでいる。それを受けて大典太は軽く頷いてから話を続ける。
「おそらく学習したんだろう。効率よく生き延びる……いや、相手を屠る術を、な」
この本丸内で行われたのは勝負ではない。殺し合いだ。
肉の器を得た付喪神たちの急所の位置は、人となんら変わりはない。
心臓と脳だ。
真っ向から斬り結ぶのではなく、まず動きを封じ、それから急所を狙う方が危険も少なく、労力も少なく済む。
「たとえ呪いの塊になろうとも、核は心の臓と脳である事に変わりはないだろう。そこを狙うしかないな」
「それに異論は無いが……なにか、こう……別のなにかがある気がしてな」
ただ黙って斬られた訳ではないということか、鬼丸はなにか考え込むように畳に目を落としている。
「なにぶん事例のないことだ。考えたところでどうにかなる物じゃないだろう? なにより情報が少なすぎる」
「確かにな」
コツコツ、と指先で眼帯を叩く鬼丸の仕草に、大典太は反射的に眉をひそめた。これまでに見たことのないその動きに、嫌な予感を覚えたのだ。
「……出来ることは全部やってみるか」
不穏なつぶやきに大典太が探るような眼差しを向ければ、鬼丸は腰を上げ大股で大典太の隣へ並ぶと僅かに身を屈め、少し頼まれてくれ、と耳打ちしたのだった。
狭い廊下や室内は論外。庭は確かに開けているが庭木や植え込みなど、予期せぬ障害物に阻まれる可能性がある。
ならばとふたりが選んだのは道場だ。
槍や薙刀、大太刀と言った大型の者たちが難なく得物を振り回せる場所だ。足場も安定しており、壁に寄り過ぎさえしなければ太刀を振るうのになんら支障は無い。
わざわざ探すまでもなく、向こうから現れた狂気の刃を紙一重で躱す大典太の背後では、鬼丸が微動だにせず処分対象を『左目のみ』で凝視している。
これまで誰の目にも曝してこなかったそれを、夜を共にする大典太にさえも見せた事の無かったそれを、今初めて露わにしたのだ。
火鉢の鬼を斬った逸話からか、隠されたもの、怪異と呼ばれるものなど、常ならば見えぬものを見通す力が、この鬼丸の左目には備わっている。
ここまで膨れ上がった呪を、刀一本が受け止めきれるとは到底思えないというのが鬼丸の見解であった。
今見ようとしているのは確実に仕留めるための手掛かりだ。
なにかが、必ずなにかがあるはずだ、と霊力を高め意識を集中する。急激な霊力の動きに呼応して呪いの進行も早まるが、そのような些細な事に気をやる余裕などなく、むしろ自身の事など二の次であった。
右目で見ていた姿はかろうじて人相など判別がついていた。だが、今見ている姿は黒い靄──否、煤の塊のように見える。人の形をした煤が刀の形をした煤を振り下ろす。薙ぎ払う。躱せぬ刃を大典太が本体で受ければ、煤が錆ひとつ無い刀身を、じわり、と浸食する。
だがそれは熱した鉄に水滴が垂れたかのように、一瞬にして消え失せた。守りに徹する大典太の霊力は強固で隙が無い。
彼の力を信じてはいたが、実際に目にするまで不安であったのは確かだ。心配事がひとつ減り、より集中出来る状態になる。
左目に意識を向け、霊力を注ぎ込み、煤の表面を抜け、深く、もっと深くその奥を見通すように、紗を一枚一枚潜り抜けていくように目を凝らす。
徐々に露わになっていく漆黒の内部に、ぼんやりと色の異なる箇所がみっつ。
頭部にひとつ。
胸部にふたつ。
更に目を凝らした瞬間、鼻の奥から何かが滑り流れる感触の後、ぼたぼた、と立て続けに道場の床に朱が落ちた。
無意識に喉奥から漏れ出た呻きに大典太が振り返る。
「おれのことはいい!」
瞠目した大典太の次の行動を察したか鬼丸が先に声を張れば、ぐっ、と唇を引き結び直ぐさま敵に向き直った。
忌々しげに鼻血を左手の甲で乱暴に拭い、鬼丸は見え始めた物をより正確に捉えようと左目に霊力を限界まで回す。
頭部と胸部のひとつは同じ色だ。鈍くくすんだ鋼の色をしている。
そしてもうひとつ胸部にある物は、もはや色として知覚出来る物ではなかった。奥の奥に根を張りどろどろと渦巻くそれに、ぎゅう、と臓腑が引き絞られ、捻じ切れそうな感覚に思わず口元を押さえる。
せり上がる胃液を押し戻し、呪いに侵され激痛が突き抜ける足を叱咤する。
心の臓を突き、首を刎ねたところで意味は無いだろう。
──呪いの源は他にあったのだから。
だんっ、と一度床を強く踏みしめ、足裏に力を込めたまま一気に床を蹴った。放たれた矢が的に向かって一直線に突き刺さるように、鬼丸の右手がこの本丸最後の男士を貫いた。
貫くと同時に握り込んだ拳をそのまま引く抜くや、手中の物を床に叩き付け、間髪入れずに抜き放った本体で真上から突き刺す。
刹那、鋼の砕ける音と同時に聞こえぬ絶叫が道場内に響き渡り、びりびり、とふたりの身体を震わせた。ごっそりと精気を奪われたような感覚に、鬼丸も大典太もすぐには動けなかった。
ややあって床に突き立てた本体はそのままに、力尽きたか鬼丸は大の字に転がり、大典太は刀が貫いた物を検分し、隠す事無く顔を歪める。
床に縫い止められていたのは、鬼丸が肉ごと毟り取ったお守り袋であった。肌に直接縫い付けられていたため、こうするしかなかったのだ。
だが、大典太が嫌悪を露わにしたのはその中身に対してである。
それは審神者のものであろう、歯であった。
何を思ってこの男士が審神者の一部を身につけていたのか、最早知る術はない。
「……ほんの欠片でしかないが、少し『見えた』ぞ……」
ひゅーひゅー、と喉から不穏な音を発しながら、それでも鬼丸は話を続ける。
「審神者を斬ったのは、この本丸の『おれ』だった」
「……あんたが斬ったという事は、ここの審神者は……」
言い淀む大典太を見上げ、鬼丸は口端を歪につり上げた。
「神と契って人のままでいられるわけがないだろう」
霊格が上がり神に近づく者もいれば、人の道を外れ魑魅魍魎の側へ落ちる者もいる。天秤がどちらへ傾くかは、それこそ神のみぞ知るという事だ。
ごそ、とスラックスのポケットから眼帯を引っ張り出したかと思いきや、それを大典太に向けて緩く投げつける。
「……着けてくれ」
もう指一本動かすのもキツい、と素直に告げてきた相手に大典太は怒る気も失せたか、投げなくてもいいだろう、と小さくぼやいた。
身を起こせない鬼丸の頭を膝に載せその顔を改めて覗き込めば、擦った鼻血が頬に赤い帯を描いており、痛ましげに眉を寄せればそれに気づいた鬼丸が、なんだ、とぶっきらぼうに問うてくる。
「……気休めにしかならないだろうが、少し分けてやる」
そう言うや相手の返事を聞く前に大典太は身を屈め、頬同様、血で染まった唇に柔く触れたのだった。
2021.07.28