【刀剣】まだ知らない事ばかり【典鬼】 汚れた寝わらを外に出し、新しい物を全ての馬房に入れ終えたところで、鬼丸は、ぐぐぅ、と背を反らした。
気づけば馬の数も増え、それに伴い厩が増設されたにも関わらず、未だに馬当番がふたりなのはおかしいだろうとの声が上がり始めているが、改善される気配は無い。
夜明けと共に作業を開始しやっとひとつ目が終わったところだ。常ならば既にふたつ目も終わっている頃合いであるが、ひとりでは当然の事であった。
待てども待てども現れぬもうひとりの当番の顔を思い浮かべ、鬼丸は、ぎりぃ、と奥歯を噛み締める。
一旦作業を中断して呼びに行くべきかと考えるその背に「遅くなって悪かった」と声が掛けられた。
待ち人の声ではないそれに鬼丸が怪訝な顔で、ゆうるり、と振り返れば、相当急いで来たのか肩を上下させているソハヤの姿があった。
「……お前は当番じゃないだろう」
当然の疑問に対し、ソハヤは困ったように眉尻を下げる。
「兄弟の具合が芳しくなくてな。俺がもう少し早く気づければ良かったんだが」
馬当番の朝が早い事は皆がわかっている。
自分が起きた時にまだ隣の布団に大典太が居ると気づいたソハヤは、さぞや驚いた事だろう。
兄弟をそのままにする事は出来ず、かといって馬当番を鬼丸ひとりに押しつける訳にも行かず、最低限ではあったが大典太の看病をしてから前田に後を託し、厩へと駆けつけたのであった。
「そうか」
「ただ、前田はこのあと出陣だし、俺は午後から遠征だから、兄弟の事は頼んだぜ」
それじゃあサクサク片付けちまうか、と腕まくりをしながら次の厩に向かうソハヤに続いて鬼丸も歩き出す。
「助かった」
横には並ばず背後から投げられた言葉にソハヤは僅かに瞠目するも、振り返りながら、にかり、と笑って見せたのだった。
「いいって事よ。あ、そうだ。兄弟は具合悪いと食欲落ちるから、昼食は軽めにしてやってくれな」
「……そうか」
一瞬ではあったが鬼丸の表情が動くもそれの意味する所がわからず、ソハヤは不思議そうに小首を傾げる。
「どうかしたか?」
「いや」
短い否定の言葉を口にした鬼丸は既にいつもと変わらず凪いだ表情のまま、すっ、とソハヤを追い越した。
盆に載った土鍋を見下ろし鬼丸は、むぅ、と唇を引き結ぶ。
ソハヤから「昼食は軽めに」と言われていたが、一掴みの米だけをぶち込み炊いた粥で本当に足りるのかと疑わしく、これを足すくらいいいだろう、これを入れたならこれも入れるか、と気付けば鍋から溢れんばかりの具材が、ぐつぐつ、と煮込まれていた。
さすがにそれは……、と燭台切にやんわりと止められ、歌仙はこの結果が目に見えていたか、きちんと分量を量りしっかり吸水させた米を用意しており、余計なことはしないように、と釘を刺しながら渡してきたのだった。
ちなみに鬼丸が作った雑多鍋は、白粥を炊いている間に三人でおいしく頂いた。
「……入るぞ」
いつまでも襖の前で立ち止まっている訳にもいかず、鬼丸は一声掛けてから引き手に指を掛ける。
返答は無かったが勝手に立ち入り室内を見回せば、壁際には掛け布団を間に挟んだまま二つ折りにされた布団があり、病人の横でばたばたと動き回る事が憚られたソハヤの姿が目に浮かんだ。
しげしげと布団を眺めていれば不意に視線を感じ、つと目を向ければ額に手ぬぐいを乗せた大典太が僅かに顔を傾けこちらを見ていた。
「飯だ」
「……そうか」
どかり、と枕元へ腰を下ろし盆を畳へと置く。
気怠げに手ぬぐいを取り去り、肘をついて身を起こそうとする大典太の身体を支えてやれば、思った以上に熱を持っている身体に鬼丸は僅かに瞠目した。
「先に身体を拭くか?」
頭髪に指を差し入れ籠もっていた熱を逃がしながら問えば、いや、と力なく首が横に振られる。
それでも顔と首くらいはさっぱりさせてやろうと、鬼丸が絞り直した手ぬぐいで極力丁寧に拭けば、大典太は気持ちよさそうに目を細めた。
羽織を肩に掛けてやってから、土鍋の蓋を取り茶碗に中身をよそう。
添えられている小鉢の中身は小梅が三つ。
いれるか? と聞けば、ひとつ、と返ってきた。
茶碗と匙を受け取った大典太は、もそもそ、と粥を食み始め、その掬う一匙の少なさに鬼丸はどこか苦い顔になる。
「これは、あんたが?」
「……炊いたのはおれだが、米の下処理は之定だ。その小梅も之定がつけてくれた」
正直に答えた鬼丸はばつの悪い顔をしており、大典太は怪訝に眉を寄せた。
「なにかあったのか?」
話の合間に匙を口に運ぶその手は止まりがちで、決して早くは無い。
「……無理して食わなくていいぞ。ソハヤに聞いた。お前はこういうとき食が細くなるのだと」
大典太の問いからやや外れた返しをしてきた鬼丸は、浮かない表情のまま僅かに目を伏せた。
「おれの、知らない事だった」
やや沈んだ声音に大典太は隠す事無く目を見張り、そこに潜んでいるのが悔しさと不甲斐なさであると、漠然とだが感じ取る。
鬼丸より何年も早く顕現していた三池の二振りだ。
兄弟刀であり互いが良き理解者でもあるのだろう。
当然の事ながら共に過ごしてきた年数の差を、経験の差を埋める事は出来ない。
大典太と特別な関係となってまだ日の浅い鬼丸は、知らない事の方が多いのだ。
「正直、お前の事をよく知っているソハヤが、羨ましいと思った」
「……俺の事を、知りたいと思ってくれたのか」
改めて問われ、鬼丸は唇をへの字に引き結んだ難しい顔になったが、そう……なるのか、と今やっと己の抱いた感情の正体に気付いたようだ。
嫉妬とまでは行かずとも良くない感情だと思ったか、鬼丸は僅かに頭を下げ、すまん、と詫びた。
「どうして謝るんだ? 好いた相手の事を知りたいと思うのは、普通の事じゃないのか」
「そうかもしれないが、ソハヤに良くない感情を向けた事に変わりはない」
根は真面目な刀は、他者に向ける感情の強さが及ぼす影響を知っているだけに、軽く流す事が出来ないのだろう。
「兄弟なら『なんだそんな事』と笑い飛ばすぞ」
だから気にする事は無い、と伸ばされた手が鬼丸の髪を、くしゃり、と一撫でし、流れるような動きで頬に添えられた掌が顔を上げるよう促す。
「俺も、あんたについて知らない事はたくさんある。これから互いにたくさん知っていくんだろう?」
ゆるゆる、と撫でさすってくる熱い掌に手を添え、鬼丸は、そうだな、と柔く笑みながら零したかと思えば、それはそれとして、と途端に表情が厳しくなった。
「もう食わないのなら身体を拭いて、とっとと寝ろ」
茶碗を取り上げ、羽織を剥ぎ、寝間着の袷を、がばり、と開き、テキパキと手を動かす鬼丸にされるがままである大典太は、先程のしおらしい鬼丸は熱が見せた幻覚か? と呆然とするしか無かった。
そして数週間後、今度は鬼丸が馬当番であるにも関わらず姿を見せず、息せき切った一期が厩に駆け込んできたのだった。
いつぞやの大典太のように熱を出し寝込んでいるのだと、その代わりに来ましたと頭を下げる粟田口の長兄を前に、苛立ちが瞬時に心配へと取って代わり、なるほど鬼丸もこんな気持ちであったのか、と低い位置にある浅黄色を目に留めながら、とても助かる、と礼を言う。
「今は乱と薬研がついておりますが、生憎と……」
「このあと出陣なのだろう? わかった。あとで様子を見に行こう」
先回りしてきた大典太に驚きを隠しもせず一期は目を丸くするも、にこり、と柔和な笑みを浮かべた。
「大典太殿に任せれば安心ですな」
よろしくお願いします、と礼儀正しく腰を折った相手に、大したことじゃ無い、と大典太は鼻を鳴らす。
「食事は出来そうなのか? 食が細くなったりは?」
「さぁ、どうなのでしょう? 私は存じ上げません。申し訳ない」
思い返せば出陣時の負傷は何度もあったが、病気となると今回が初めてだ。同派とはいえわからないのは仕方の無い事だ。
「……そうか。あとで本人に聞くとするか」
「鬼丸殿がどう答えられたか、後ほど私にも教えてください」
一期に他意が無い事は理解しているが、一瞬、ほんの一瞬ではあったが、教えたくないと思った自分に大典太は驚き、直ぐさまそれを誤魔化すように、わかった、と若干早口で応じたのだった。
「足りん」
ずい、と差し出された茶碗を受け取りながら、こいつは本当に病人なのか? と大典太が疑ってしまうほどに、鬼丸の様子は普段と変わりが無かった。
だが、目元は、とろん、としており潤んだ瞳はいつもより輝いて見える。
白磁の肌も色づき、首から流れた汗が一筋、着崩れ大きく開いた胸へと伝い落ちていく。
状態だけを見れば確かに発熱している病人のそれだ。
「……随分と元気そうだな」
「元気なものか。頭は重い、暑いのに寒い、節々が痛い、最悪だ」
返された茶碗を受け取り、鬼丸は間髪入れずに粥を掻き込む。
「それでも容赦なく腹は減るのだから、人の身体とは本当に厄介だな」
悪態をつきながら茶碗を空にし、もうそれごと寄越せ、と土鍋を指さしてきた鬼丸に、大典太は無言で盆を相手の膝に乗せてやる。
「粥ではなく雑炊を炊いてくるか?」
おかずもなにもない白粥だけでは満足していないかもしれない、と大典太が恐る恐る問えば、若干焦げてしまっていた底をこそいでいた鬼丸は暫し考えた後、いや、と首を横に振った。
「待っている間に寝てしまいそうだ」
食欲は落ちずともやはり病人は病人なのだろう。
それからあっという間に空になった土鍋の乗った盆を大典太に差し出し、鬼丸は食後の茶を飲み干した。
歯を磨きに行くと言い出した鬼丸に、ハラハラ、しながら付き添い、存外しっかりとした足取りに安堵し、再度、こいつは本当に病人なのか? と大典太は寝床に戻ってきた鬼丸の肩に羽織を掛けながら、必死に溜息を飲み込む。
「水を持ってきてくれ」
一杯のお茶では足りなかったと隠さず告げてきた鬼丸の要望に応えるべく、大典太は盆を片手に、すぐ戻る、と声を掛けてから寝室を出たが、乱に言われた事を不意に思い出した。
――冷蔵庫にプリンとババロアがあるから。
食後に好きな方を出してあげてと言われていたのだ。
既に歯を磨いてしまったが聞くだけ聞こうと、今し方閉めたばかりの襖を音もなくゆっくりと滑らせる。
徐々に開けていく視界の先に見えた姿に、大典太は息を飲んだ。
ぐったり、と己の膝に突っ伏すように身を折っている鬼丸の肩は、忙しなく上下している。
先程までとは打って変わった姿に大典太は、細く開いた襖の前から動く事が出来ない。
心配を掛けまいと気丈に振る舞っていたのか、もしそうであればあまりにも不器用で気の遣い所を間違っている。
はたまた弱っている姿を見せたくない、見られたくないと思ったのか。どちらにせよ苛立ちと愛しさと不甲斐なさが同時に湧き上がり、大典太は強く唇を噛み締めた。
2024.10.18