泡沫月夜◆
「恋は落ちるものだ」って、よく言うけど。落ちた先になにがあるかなんて、足がつくまでわからないんじゃないか。
……なんだよ響也、変な顔して。
いいだろ、たまには俺が変な話をしたって。だっていまは、眠さで変な話をしはじめたってちっともおかしくないような時間だから。……だから、お前も眠かったらそのまま目を瞑って、寝ていいぞ。
……うん。そう。
お互い眠たくて仕方がなくて、部屋は暗くて、朝になったら忘れていそうなくらいの、……なんでもない話だよ。
あのな、響也。俺は、たぶんずっと落ちてたんだ。白うさぎを追いかけて、不思議の国に迷い込むアリスンみたいに。どこにも着きそうにないくらいの長いトンネルを真下にずっと落ちていって、そのうち自分が落ちてるのかどうかもわからなくなって、――そうやって、なにもはじまらないままで終わるはずだった。
お前の幼馴染で親友で、カンパニーの仲間。とにかく、そういう言葉が延々と並んだトンネルを、ずっと落ちていくはずだったんだ。
俺がトンネルを落ちきって足をついたのは、あのとき、お前の弱さを知ったから。
……おじさんとおばさんが亡くなったときじゃない。泣いても悲しんでも、それでもお前は「自分がどうしたいか」をちゃんとわかってた。俺は、お前のそういうところがすごいって、昔からずっと思ってるよ。
……でも、その強かったお前が、あのときだけは、「どうしたいかわからない」って俺の前で泣いたから。迷子みたいなお前を、ほかの誰にも見せたくないって思ってしまったから。あのときに、俺はいままでずっと落ちてきた長いトンネルの終点に着いて、はじめて自分の気持ちとまっすぐ向き合う羽目になったんだ。
俺は、お前の弱さに恋をした。
だけど、お前の弱さを好きになった俺のことなんて、強いお前は気付かないでいてくれてよかった。最悪、気付いても知らないふりをしてたら、お前は俺につかまえられずに済んだのに。…………なのに、お前ときたら、わざわざつかまりに来るんだから。
お前が俺につかまえられたとき、……いや、もしかしなくても、俺がお前につかまえられたのかもしれないけど。あのとき「馬鹿だな」って言ったのは、そういう意味なんだよ。わかるか、響也。
だって俺は、一回つかまえたら、お前のこと放してやれないんだぞ。自分から俺につかまえられに来たお前を、なにかの拍子に放してやれるほど、俺は優しくない。
お前のために俺ができることはぜんぶやって、お前のそばにいる。夢色カンパニーの朝日奈響也が強くいられるように精一杯支えて、お前のなかにある弱いところは、俺だけのものにしたい。お前がつかまえたのは、つかまったのは、そういう男なんだよ。……そういうことをお前がちゃんとわかってるのか、俺は……まだ、少し、不安なのかもしれない。もう、つかまえたあとだっていうのにな。
……なあ、響也。
……、……ああ、寝ちゃったか。
すこし、話しすぎたかな。
落ちきってみないと、落ちた先になにがあるかはわからない、か。……うん、たしかに、そうかもしれない。蒼星が言おうとしていることはなんとなくわかる。「変な話」を、お前がベッドのなかでするのは珍しいことだけど。でも、そういうお前を見るのもなんだか新鮮でいいなって思うから、お前が言いたいことを言いきって寝つくまで、俺はお前の……まあ、あんまり色っぽくはなさそうなピロートークを、目を瞑ったままで聴くことにするよ。
だって、きっとお前は俺にそうして欲しがってるんだろうから。俺だって、たまにはちゃんと空気が読めるんだぞ。……ああ、そう思うとなんだか今日はいつもと正反対だな。本当に、新鮮だ。
俺がお前にとっての白うさぎだったんなら、いま俺たちがいるのは不思議の国、ってことになるわけだ。
アリスンがあちこち迷って、いろんなものと出会う不思議の国。白うさぎを追いかけていったアリスンのほうが先に不思議の国に着くなんて、ちょっと可笑しいかもしれないけど……蒼星のほうがしっかりものだからなあ。
……でも、俺がお前と同じところに着けたのは、お前が先に不思議の国に着いたからだと思う。
俺が俺のなかの気持ちとまっすぐ向き合ったのは、あのことがあったあと、いままでどおりの「橘蒼星」をお前が演じようとしてるって気付いたからだ。気付かなければきっと、俺たちはずっとそのままだった。俺だけが、不思議の国に行けずにそのままだった。
なあ、知ってるか、蒼星。
憑依系だなんて言われるくらい芝居にのめりこめるお前が、――自分で当て書きした「橘蒼星」を演じきれないくらいに俺のことを好きなんだって気付いたとき、俺がどんなにドキドキしたか。お前が演じようとした「橘蒼星」も、もちろんすごく頼もしかったけど、俺はその役を演じようとしている「お前」が欲しいって思ったんだ。でもそのためにはお前に舞台を降りてもらわなくちゃいけなかったし、お前は頑固だから、ちっとも俺のほうに来てくれなかった。なんでだろう、どうしてだろうって考えて、結局出たのは「俺が迎えにいけばいいんだ」って答えだけだった。
たったひとりの観客の俺がカーテンコールを贈って、役者に戻ったお前をつかまえようと思ったんだよ。
ほかの誰でもなく、お前につかまりたいって、そう思ったんだよ。
……『BOYS IN WONDERLAND』のクライマックス、覚えてるだろ。アリスンがいよいよ理不尽に耐えかねて、裁判をぶち壊す場面。
俺、あのシーンがすごく好きなんだ。
きっとお前もいつかアリスンみたいに、ぐるぐる巻きの鎖を振りほどいて(……、引きちぎって、かもしれないけど)理不尽な法廷から出ていく。お前の思うままに、俺を好きでいるようになる。アリスンと違って、お前がいま立ってる法廷は被告も原告も裁判官も陪審員も傍聴人もなにもかも、お前自身なんだから。
でも、ああ、――そうしたら、どうなっちゃうんだろうな、俺。お前は呆れて怒るかもしれないけど、やっぱり俺は、どんなお前と会えるかたのしみで仕方ないんだ。
本当は俺、好きなひとの前じゃ格好つけていたいほうなんだけどさ。お前がそんなふうに俺を好きでいてくれるなら、俺の格好悪いところも弱いところも、お前だけに内緒で預けておくことにする。
だからきちんとつかまえて、放さないでいてくれよ。逃げたりなんかしないから。逃がしたりもしないから。
なあ、蒼星。
……、……ああ、寝ちゃったか。
すこし、考えすぎたかな。
いつか、ちゃんと顔を見て話すよ。
今日はおやすみ。またあした。
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20180518Fri.