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    七日後のドルチェ■はじまりはショコラティー

    「お前、ソレわざとやってんのか」
    「はい?」
     自販機で買ってきたアイスココアの缶を、まるで酒のように傾ける。事務所にあるソファのスペースを半分よりもやや多く占領して腰掛けたカイトは、隣に座る同僚の男を不機嫌に見遣った。
    「それ……って、これのことですか?」
     他愛のない話をしながら着替えを済ませたあと、なにやら機嫌良さげにスマートフォンを弄っていた男は、カイトの言葉の意味を測りかねたのか首を傾げながら手を止めカイトを見る。居残り練習が予定よりも長引き、現在事務所に残っているのはカイトと男――城ヶ崎昴のみである。
    「それ以外にあるかよ。どうせカブキにメールでもしてんだろ。熱心なこったな」
     ティーブラウンの瞳がまっすぐに自身を捉えたことにほんのわずか溜飲が下がったような心地がしたけれども、その理由について考えるのも癪で、やはり気分は悪いままだ。普段は好ましいココアの甘ささえ、場違いに思えてしまう。カイトは聞こえよがしな舌打ちをひとつして、アルミ缶をローテーブルへ避難させた。気は立っているがココアに罪はない。
    「……どうしたんですかカイトさん、機嫌悪いっすね」
    「うるせぇ」
     否定しないということは、カイトの予想通りの相手へメールを送っていたのだろう。正直な男だ。カイトはこの男の素直さを、ときおり暑苦しいと思いこそすれ決して嫌ってはいなかったが、この状況ではその長所も逆効果だった。戸惑い気味のいらえをすげなく撥ねつけると、男の眉根が不愉快そうに寄せられたのが見える。室内の空気に、ざらりとしたものが混ざった。
    「べつに、オレが伊織にメールするのはいつものことじゃないですか。なんでいまさら」
    「それくらいわかってるに決まってんだろうが。それでもムカついたもんはムカついたんだよ」
     わざわざ指摘されるまでもない。伊織に対する男の憧憬も懐きようも、カイトが男とはじめて出会ったときから変わりはしないし、これまではそれを横目に眺めて呆れながらも容認してきた。厭というほど知っているものにいまさらこうも神経を逆撫でされていることにも、この苛立ちをまるで理解できないといわんばかりの顔をしている目の前の男にも、どうにも腹が立って仕方がない。つい十数分ほど前まで、稽古で手応えを掴んだ心地好い疲労と充足に満たされていたというのに――否、だからこそだろうか。
     男の双眸は、未だ逸れることなくカイトを見ている。その両目に揺れる訝るような色彩に、自身の感情の制御が徐々に利かなくなっていくのを、思考回路の端で感じた。「で?どうなんだよ」
    「は?」
    「俺はさっき、わざとやってんのかって聞いたんだが?」
    「……、言ってる意味が、わかんないんですけど」
     詰問の声に、男は珍しくもそこで何事か言い淀んで言葉を止める。ごそり、と、決まり悪そうに身じろぎをしてから、こちらの様子を窺うように凝っと見て再び口を開いた。
    「……もしかして、ヤキモチやいたんですか?」
     ――脳に届いた言葉が、バチリと自制心を焼き切った。
    「違ぇよ!」
    「じゃあなんなんですか!せっかくカイトさんと稽古できて楽しかったって報告してたのに、いい加減怒りますよ!?」
    「んなもんイチイチ報告すんなバカかお前!ってかもう怒ってんじゃねーか!」
    「そんなのオレの勝手だし怒ってるのはあんただってそうだろ!!」
     思わず距離を詰め、胸ぐらを掴んで怒鳴りつければ生意気にも襟を掴み返して反論してくる。叩きつけるように言い合う内容はもはや子どもの喧嘩だ。埒があかない。けれど男の感情の波が声から表情から瞳から膚をうって、腹立たしいのにぞくぞくと胸裡がふるえた。気が高ぶっているのか、男の眦もほのかに赤い。わけのわからない高揚に衝き動かされるまま、カイトは続く言葉を声にのせる。「――だからッ、」
    「俺といるときに俺以外を見んなっつってんだ!」
    「は……?!」
     ソファに並んで腰掛けることに、自主練習後なにをするでもなく事務所に残り他愛のない時間を共有することに、なんの抵抗も覚えなくなっていたのはいつからだったろうか。知らぬ間に心の奥深くまで入り込まれていたのだと自覚してしまえば、感情を焦げつかせていた苛立ちは拍子抜けするほど簡単に瓦解した。
     男の瞳が未だに大きく瞠られているさまを至近距離で確かめて、そのままさらに顔を寄せる。
    「ちょっ、カイトさ、何……っ」
    「うるせえ黙れ俺だけ見てろ」
    「ッ……!」
     自分はそうなのにお前はそうじゃないのか。そんなことを尋ねるつもりは、カイトには毛頭なかった。
     無邪気ですらあるティーブラウンが、呼気の絡むほど近くで動揺に波立っている。噛みつくように口付ければ、襟を掴んでいた男の五指が弛んで滑り、縋るようにもう一度カイトの腕を掴んだ。
     答えはすべてここにある。



    ***
    20160217Wed.//20160227Sut.
    ■メロウ・メロウ・オレンジ

     茜色に染まりだした空をぼんやりと眺めながら、昴は自宅からほど近い場所にある運動公園のベンチに腰を下ろした。
     今日は公演も稽古もない、完全なオフだ。午前中に洗濯と掃除を済ませたあと軽く昼食を摂り、気に入りのスポーツブランドのランニングウェアに着替えて外へ出たのが、かれこれ数時間前のことになる。タオルで拭ってはいるが、たっぷり時間をかけて走り込んだ体はダンスレッスンのあとのように汗ばんでいた。
     頭を空にしたいときは、外で日光と風を浴びながらランニングをするに限る。昔からの、昴の持論だった。
    「あー……」
     やさしい色をした西日と、頬を撫でる夕方の風が心地好い。思わず気の抜けた声が喉から洩れたが、ここにはそれを咎める相手はいない。
     もしこの場に彼がいたならば、呆れ声で小言のひとつも飛ばしてきただろうか。無防備に弛緩した意識は、ごく自然にそんな思考を辿る。昨晩から、頭の中は彼のことばかりだ。知らずのうちに指先が唇にふれており、フラッシュバックした記憶に慌ててスポーツタオルを頭から被り俯いた。
    「あーもう、……明日、どうすんだよ……」
     タオルの端で口元を覆いながら低く呻く。耳朶が熱い。
     薄い唇の感触と温度、かすかに鼻先を掠めたココアの匂いが、記憶に焼き付いて離れない。
     明日は普段通りカンパニーに出勤する日だ。カンパニーに行けば、当然ながら彼もいる。この精神状態のままでは、事務所で彼と会って何食わぬ顔をすることなどできるはずがないと昴は十二分に理解していた。煮詰まってしまった頭の中を一度リセットするべくランニングをしに来たというのに、状況はほとんど改善していなかった。
     ……っていうか、結局アレ、なんだったんだ。
     顔の火照りが落ち着いたことを確かめておもてを上げ、今度は声に出さず胸の内だけでつぶやく。
     ――昨夜は全体の稽古のあと、彼と居残り練習をすることになった。翌日がオフだというのはわかっていたので互いに納得のいくところまで稽古をして、それが終わったあともなんの気なしに事務所に残り、他愛のない話を交わしていた。
     そのうちふいに会話が途切れ、手持ち無沙汰になったものだから、昴は明日の天気でも調べようと思い立ちスマートフォンを手に取った。相手によってはそれも非礼に当たるだろうが、いまさらそれを咎められるような間柄ではないと油断していたのかもしれない。充実した稽古後の高揚のまま、ついいつもの癖で伊織に送るメールを打ちはじめてしまい、隣に座る彼の様子がおかしいことに気付かなかったのだ。
     わざとやってんのか、と不機嫌な声で話しかけられ、あとは売り言葉に買い言葉。自分の不用意な発言があったことも認めはするが、そういう意味では彼に投げつけられたいくつかの言葉と、そのあとの出来事のほうがよほど衝撃的だった。
     噛みつくようなふれかたで、おそらくほんの数秒のことだったけれども、事実を述べるならあれは紛れもなくキスである。
     彼があんなことをした理由も、自分が彼を突き放さず腕を掴んだ理由も、昴はわかっている、はずだ。もしかすると彼の過程には小難しいなにかがあるのかもしれないが、結論は至ってシンプルなものだろう。
     ただ、昴がわからないのはそのあとの彼についてだった。彼の要求はたしかにあの行動ひとつで完全に通ったけれども、――直後に顔色ひとつ変えず平然と帰り支度をはじめたのは一体どういう了見なのか。
     唇を離すなり平然と立ち上がり「帰るぞ」などと言われたものだから、呆けた頭でつられるように頷いて帰路についてしまった。
     ひとりきりで家路を辿りはじめたころにようやく現実味が戻り、……そしていまに至る。
     なんだったんだ、アレ。昴はもう一度先ほどのつぶやきを繰り返して、嘆息とともに天を仰ぐ。埒があかない。
     深呼吸をひとつ。もう少し、走ったほうがいいのだろう。
     汗を拭い、両足に力を込めて立ち上がった。



     夕日のオレンジ色に染められている街中を駆け抜けて、足を止めたのは彼が住むマンションの前だった。彼が原田の視察に来なかったときにも昴は彼を探して自宅を訪ねていたので、道に迷うこともなくすんなりと辿り着けた。
     少々上がった呼吸と鼓動を宥めつけてから、目的の一室へ向かって歩き出す。前回ここに来たときは苛立ちと焦りばかりが感情を占めていたが、いまはかすかな緊張がある以外は不思議と穏やかなものだった。あの騒動からずいぶんと経ったような気がしたけれども、よく考えれば数ヶ月しか過ぎていないのだと気付いて、少し驚く。
     彼との言葉のやりとりを、他愛のない時間を共にすることを心地好く感じるようになったのはいつからだろう。彼の声や表情はいつもはっきりとした喜怒哀楽が載せられていてあざやかで、力がある。素直でないところもあるが、不器用にやさしい彼の気風が、昴は好きだった。
     意見がぶつかり合うこともあるからこそ、彼に認められるのは嬉しい。――求められるのは、もっと嬉しい。突然口付けられてなおそんなふうに思ってしまうほど心の奥深くに入り込まれていたというのに、彼は違うのだろうか。あの平静の理由を知りたかった。
     昴はあの日と同じように、けれどもまったく真逆の気持ちで扉の前に立ち、数瞬だけ躊躇ってから、チャイムを鳴らした。
     待つ。電子音の余韻が消えても、扉の向こうからは物音ひとつしない。
    「いないのかな……」
     もちろん今日はオフなのだから、外出していても不思議はない。飼っているハムスターの世話も、ひと段落しているのだろう。
     もう一度だけ呼び鈴を鳴らして、それが同じ結果に終わるのをたしかめる。冷静になれば、着替えもしていない状態で会うのは少々気が引けるような思いがしないでもない。溜息を吐き、表通りへ向かおうと来た道を戻りはじめたところで、見知った顔と鉢合わせた。
    「なんでここにいんだよ、お前」
     見知った顔というより、目当ての顔だ。彼は昴の姿を見付けるやいなや不機嫌そうに顔を顰め、つかつかと大股で歩み寄ってきた。
    「……カイトさんこそ、なんで家にいないんですか」
    「どこに出掛けようと俺の勝手だろうが。てか、電話にも出ねぇやつに言われたくねーし」
    「へ?」
     着信などあった記憶がない。普段ならスマートフォンが入っているはずのランニングバッグを探るが、昴の指先が目当てのそれに行き当たることはなかった。
    「……すみません、携帯、家に忘れてきてます……」
     電話をかけたということは用事があったのだろうに、出られず悪いことをした。素直に頭を下げると、彼からは長い溜息が返る。それから彼は「まあ、いい」と肩を竦め、昴の横をすり抜けて自宅へ向かう。昨日と同じ、あまりにも普段通りの後ろ姿を思わず凝視していると、彼が振り返って訝しげに昴を呼んだ。
    「お前、用があるから来たんだろうが。ここで立ち話する気か?」
    「や、でも、ランニングしてたからオレ、すごい汗かいてて」
    「…………、シャワーくらい貸してやるよ、……仕方ねぇ」
    「へ?」
    「オラ、わかったらさっさと来い」
    「えっ、は、はい!」
     彼にこう言われてしまうと、いつもの調子で頷いてしまう。昴は促されるまま、彼の背中に続いた。
    「お邪魔します……」
     そういえば彼の家に上がるのははじめてだ。そんなことを考えながら習慣の挨拶をして、玄関に踏み込む。ぱたん。背後でドアが閉まる音がしたのとほぼ同時に、伸びてきた指先に手首を掴まれた。彼が険しい顔をしていたからか存外保てていたはずの平静さは、手のひらの熱さを知覚した瞬間泡のように消え去って、かっと首筋が熱をもつ。
    「っ、カイトさ、」
    「突っ立ってねえで早く靴脱げ」
     名前を呼ぼうとした昴の声を遮り、彼が言った。夕焼けの色がかすかに染みた廊下を、半ば引きずられるように進む。脱衣所と思しき扉の前でようやく足を止め、視線も合わせないままそこへ押し込もうとしてきた彼に抗って、昴はもう一度彼を呼ぶ。「カイトさん」
    「あの、なんでこっち見ないんですか」
    「どうでもいいだろそんなこと」
    「よくないです。オレ、カイトさんに会いに来たんです」
    「わかってんだよそれぐらい!なんでもいいから、とりあえず風呂行って頭冷やしてこいっつってんだッ」
     思いのほか強い語気に怯んだ隙に、脱衣所に放り込まれ扉を閉められる。開けようとしてもびくともしないのは、おそらく彼が扉を押さえているのだろう。
     頭を冷やせとは一体どういう意味だ、そうするべきなのは彼のほうではないか、などと不満を訴えようとしたが、扉の向こうから呼ばれて手を止めた。「昴」
    「着替えとタオルはあとで放り込んどいてやる。風呂で、昨日の今日でこの状況がどういう意味か、ない頭絞って考えやがれ」
    「へ……」
     彼の言葉に昨日の出来事と、先ほどふれた手の熱さを思い出す。そうして、――自身のあまりの迂闊さに手のひらで顔面を覆った。
     彼と話をしようという一心で来てしまったけれども、もしかして、とんでもないことをしてしまったのだろうか。
     不意打ちめいて呼ばれた名前の響きの甘さにくらくらとしながら、昴は彼の言うとおりシャワーで頭を冷やすことにした。



    ***
    20160224Wed.//20160227Sut.
    ■転がってキャラメリゼ

     ああくそ、なんでこうなった。
     クロゼットから稽古着と新品の下着を見繕い早々に脱衣所に放り込んだカイトは、リビングのソファで溜息とともに軽くこめかみを押さえた。浴室からのシャワーの音は、まだ止む気配がない。
     カイトの手には、先ほど男の手首を掴んだときに感じた体温と肌の感触が生々しく残っている。フラッシュバックする昨夜の記憶を引き剥がし、どうにか手に入れた束の間の猶予を無駄にしないよう思考を巡らせる。とにかく状況を整理しなければ。
     ――たしかに昨晩あの瞬間、カイトは男の目を見て、拒まれはしないと確信めいたものを抱いたうえで行動した。間近で揺れる瞳のいろと、縋るように腕を掴んだ五指の強さ、それから男の体温を、一夜あけてなおあざやかに覚えている。
     問題はそれらによってぞくりとしたものが背筋を這い上がることだ。口付けという行為は、慕われているという実感は、こんなにも心地の好いものだったろうか。空腹じみて求めたくなるほどに。
     噛みつくように口付けた直後にそれを自覚してすぐさま身を離し、どうにか悟られぬよう平静を装い帰路についたというのに、一日も経たぬ間に当の男が自宅にまで来てしまった。
     そもそも、相手の自宅にいるのは本来ならカイトの予定だったのだ。冷静になって話をしようと思い立ち、男の自宅を訪ねたものの、チャイムを鳴らせど携帯電話を鳴らせど全くの無反応。致し方なしに家に戻ったところ男がカイトの自宅の玄関前に立っていた次第である。なんで家にいないんですか、という男のいささか間の抜けた問いに、カイトは心底こう答えたかった。――お前の家まで行ってたからだよこのバカ!(これについてはあまりの格好のつかなさに、さすがに言葉を飲み込んだけれども。)
     できるなら脱衣所の扉越しに、お前はバカかと聞いてやりたい。この際性別などさて置いて、なぜ昨日突然口付けてきた相手の家にこうも無防備に上がり込めるのか。男自身の家ならともかく、ここはカイトの自宅だ。縄張りと言い換えてもいい。男がその意味をわかっていればカイトもそれなりの対応が取れたはずだが、様子を見るにおそらくそのあたりについてはなにも考えていなかったのだろうと予想がつきすぎて正直頭が痛い。
     なにせ「なんでこっち見ないんですか」「カイトさんに会いに来たんです」だ。純粋培養にもほどがある。カイトにとってはそんな男を相手に手を焼いている事実も頭痛の一因だった。なにからなにまで勝手が違い、完全に調子を狂わされている。
    「カイトさん?」
    「っ、」
     思わずもう一度溜息を吐こうとしたところで、背後から呼びかけられて振り返る。
     思考に沈みすぎていたらしい。カイトが普段稽古着として使っているスポーツウェアを着た男が、いつの間にかリビングの入り口に立っていた。
    「えーと……あの、服、ありがとうございます」
    「……おう」
     まず、他愛のない風体を装ったやりとりがひとつ。様子を窺うように、数秒の空白が落ちる。一歩を踏み出したのは、男のほうだった。
     フローリングの床の上をぺたぺたと裸足で進み、カイトの隣へ腰掛ける。昨日のように、けれどそこには昨日とはまったく違う意味がある。
    「……どうしてそんな、平気そうな顔してるんですか」
    「は?」
    「オレは昨日からずっと、カイトさんのことばっかだったのに」
     ずるい、とでも訴えたげな声音で、男は言った。ティーブラウンの瞳が、カイトをまっすぐに捉えてゆらゆらと揺れている。――嗚呼やはりそうだ、この男の目は、その口以上によく喋る。
    「平気じゃねえよ、バカ」
     目で、しぐさで、声の響きで、慕われているのがわかる。まっすぐで衒いのない好意が、感情を心地好くふるわせてやまない。
     甘い菓子を手にしたときのように、衝動のまま厚い体を引き寄せて唇を塞ぐ。幾度か啄み、わずかに綻んだ口の端から舌を差し入れる、はずだった。
    「ッ、」
     濡れた温度に舌先がふれた瞬間、そこに鋭い痛みが走った。男の犬歯に噛まれたのだと気付いたのは、かすかな鉄の味を知覚してからだ。
    「ってめ、なにしやが――!」
    「うわっ、す、すみま――!っあだ!!」
    「〜〜〜……ッ!……ッ!!」
     咄嗟にいつもの調子で掴みかかろうとしたカイトと、我に返り慌てて頭を下げた男の額が勢いよくぶつかるのは、もはや必然だったといえよう。
     しばらく互いに声もなくソファの端に突っ伏して、額を押さえながらどうにか再び身を起こす。
    「っの……石頭……」
    「いてて……すみません、つい……」
     びっくりして、と決まり悪そうに続ける男は、見ているこちらが気恥ずかしくなるほど赤い顔をしていた。首筋までほのかに色付いているのは、湯上がりのせいだけではないだろう。
    「…………、え、お前、もしかして」
    「ッ、これまで誰かと付き合うとか、そんな余裕、なかったんですっ」
     もしかするとこの男、この歳になるまで深いキスのひとつもしたことがないのではないか。ふと湧いた疑問が顔に出てしまったのか、カイトが尋ねきるより先に言い訳じみた答えが飛んでくる。微妙にずれているような気がするが、それを含めて予想を裏切らない純粋ぶりにいっそ感心さえしながら、もう一度手首を掴んで引き寄せた。男がカイトの名を呼ぶ小さな声を聞きつつ、呼吸の絡む近さで両目を覗き込む。「いま、付き合うだのなんだのっつってたが」
    「まだ逃げねぇってことは、そういうつもりがあるってことだな?」
     紅茶色の瞳が、まるく瞠られて揺れる。答えなどもはやわかりきっていたけれども、それでもはっきり声にすると、柄にもなく少し心臓が逸る心地がした。眼前の男の純朴さに、あてられているのかもしれない。
     言葉を探すような一瞬の沈黙のあと、男は静かに口を開く。
    「……逃げません。オレ、カイトさんの近くにいたいです」
     カイトさんは、どうですか。
     まっすぐにカイトを見る双眸は、挑むようでさえある。それがあまりにこの男らしかったものだから、するりと心のままのいらえがこぼれて落ちた。
    「俺だって逃げやしねえし、逃がさねえよ」
    「……覚悟してます」
     そう言って嬉しげに笑んだ男の瞳のやわらかさに、ほろと感情が和らぐ。ふと、短い前髪から覗く額がまだわずかに赤いことに気が付いて、思わず肩を揺らして笑っていた。
    「っく、はは、デコ赤ぇ」
    「……カイトさんもですよ」
    「誰のせいだよ」
     軽い調子で返してやると、う、と呻いてばつが悪そうに言葉を詰まらせる。素直なところはこの男の長所だ。
    「お前、今度のオフ、前の晩から空けとけよ」
    「へ?」
    「今度は噛むんじゃねーぞ」
    「え、……それ、って、」
     言葉の意味を理解してはくはくと空気を噛む男の額にキスをひとつくれてやり、カイトは横目でカレンダーを確かめる。
     ――次の休みは、ちょうど一週間後だ。




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    20160227Sut.
    なっぱ(ふたば)▪️通販BOOTH Link Message Mute
    2018/06/20 0:42:18

    七日後のドルチェ

    #BLキャスト  #カイすば

    メインドラマ4章以降、無自覚両片思いからのカイすばルート短編連作詰め。

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    ##腐向け ##二次創作  ##Kaito*Subaru

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