宴の一角で 貴族や王国有力者の集まるパーティーを騎士が警護するのは珍しいことではない。また、その警護に派遣されるのはある程度の家柄であり、そういった場の作法に通じる者であることが多い。
グンヒルド・ノイマンもそういった人材の一人だった。代々騎士を輩出している家の出身であり、礼儀作法や教養の類いは一通り叩き込まれている。改まった場で着るための美しい鎧を身に付けて門前や要所に立つことは何度もあった。
……だが、今回はそれとは少し勝手が違っており、グンヒルドはいつもの鎧ではなく上品なドレスを身に纏うと馬車で会場へ向かっていた。武器によるたこなどでとてもではないが令嬢の手には見えなかったため手袋が必要だったが、幸いデコルテなどの露出される場所に傷跡は無く、ドレスを着るのに支障はない。女にしては高い背も、更に高身長の人物と並べばそこまで目立ちはしないだろう。
「よくお似合いですよ」
会場の前で止まった馬車から降りるグンヒルドに手を貸した青年がそう言うと、
「ありがとうございます、アルジャーノン様」
グンヒルドは小首を傾げて微笑みながらこう返した。が、すぐにその笑みは苦笑になり、口元に手を当て漏れる笑いを押し殺す。
「自分でも笑えてくるな、衣装はまだしもこんな振る舞い……あいつらに見られたらなんて言われるか」
こうなった経緯は何日か前にさかのぼる。
「ホールでの覆面警備……ですか。わかりました」
上司からの指示にグンヒルドは少し困惑したが、特に反対する理由もなかったため了承した。……今回の警備は立ち番ではなく、正装で参加者に紛れ込むように指示されたのだ。
衣装の用意や立ち居振舞いについては問題はない。しかし懸念事項がひとつあり、グンヒルドは思案しながら騎士団の敷地内を歩いていた。
「おや、こんにちは先輩」
その時、不意にかけられた声。振り返ったグンヒルドは、そこにいた騎士の姿に少し表情を緩めた。
ゆるく波打つ紫色の髪、どこか憂鬱げな雰囲気をまとったその青年騎士は名をアルジャーノン・テーダーといい、グンヒルドより少し年下の後輩である。
「……アルジャーノン、そういえばお前も今度のダンスパーティー警護で潜入組だったな」
「? ええ、先輩もそうでしたよね」
グンヒルドの後輩である彼もまた身元がきちんとしており作法も身に付いている騎士であったため、今度の任務ではグンヒルドと同じく覆面警備担当だった。
「エスコートを頼めないか、女が一人で会場入りなんて目立って仕方ない」
「ああ……なるほど。そういうことなら協力しますよ」
すんなりと了承したアルジャーノンにグンヒルドは礼を言い、そのまま彼を打ち合わせへ誘うと多目的室へと向かった。
こうして彼らは二人でパーティーに潜入することとなったのだった。
……蝋の焼ける匂いがする。きっちり結い上げ繊細な髪飾りで飾られたグンヒルドの母譲りの金髪が、ゆれる灯に照らされてきらめいた。笑いさざめく人々はいずれも華やかに着飾り、ここにあるのはただ美しい夢ばかり。
ダンスホールに足を踏み入れた二人は、ごく普通の招待客のようにしか見えない。アルジャーノンは自然な所作で腕を差し出し、グンヒルドはそこに気負いなく手を添えエスコートされていた。
人波を縫うようにホールの中へと進んでからアルジャーノンはグンヒルドへ向き直り、薄く微笑む。わずかに首を傾げると、深い紫の髪が頬にかかった。
「では……よろしければ、一曲」
「喜んで」
差し出された手に乗せられる手は白い手袋に覆われ、ホール中央に進み出る足取りは静か、この娘が戦場では獅子のように吠える騎士だと誰が思うだろう。その娘をリードする青年もまた慣れた所作で腰に手を回し、目配せをしてからステップを踏み始めるつま先に迷いはない。彼もまた騎士であり、戦場で娘の背を守ったことは一度や二度ではないのだ。
「南の柱の陰に一人」
踊る最中、顔が近付いた刹那に囁かれた言葉にアルジャーノンはちらと視線を動かした。
「……私が行きます」
「任せる」
鋭く光った真紅の目を隠すようにグンヒルドの睫毛が伏せられ、音楽が一区切りついたところで静かにその場から離れる。
そしてアルジャーノンは人の波に身を隠しながら先程確認した場所へと向かい、グンヒルドはそれを見送りながら壁際へと戻った。
……しばらくの間グラスを傾けながら他の客と談笑していたグンヒルドの元へアルジャーノンが戻ってくるまで、そう時間はかからなかった。適当に話を切り上げ人気のない方へ移動してから、二人の表情が任務中のそれになる。
「全員確保されたようです」
「そうか。私の出番は無かったな」
良いことではあるんだが少し肩透かしだな、と髪飾りの位置を直しながら言うグンヒルドにアルジャーノンが小さく苦笑する。
「随分お転婆なレディもいたものですね、何なら帰ってから訓練でもしますか」
「そうするかな……どうだアルジャーノン、久し振りに手合わせでも」
ぱちぱちと瞬きをしたアルジャーノンは少し考えた後、口元を緩めた。少し乱れていた髪を耳の上へかきあげながら頷く。
「わかりました、お付き合いしますよ」
よし、と嬉しそうに笑ったグンヒルドはどこか子供のようですらあった。