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    まっすぐでいこう。 目覚ましを止めるために出した手が、忽ちに冷えていくのが良くわかる朝だった。
     寒い日は空気が文字通り張っている感触があり、火村はそれがけっこう好きだ。布団の中のぬくもりは離し難いが、勢い良く起き上がれば、気がまっすぐ引き締まる。
     だが、今日の寒さは格別らしい。布団の上からもしんしんと冷気が降りてきて、体が軽く身震いするのがわかった。そういえば悪寒も感じるし、どこか頭がぼぉっとしている。気にしすぎだと思うがあちこちの関節も鈍く痛んでる感じがあり、なにより鼻が垂れてきている。
     これはひょっとして、今日の京都も寒くて辛い、以外の原因があるのではないだろうか。
     いやしかし、まさか恐らく大丈夫だろう、と自分をごまかして布団から出ようとしたとき、不意にむずむとした感触が来て、「へくしっ」と小さなくしゃみが出る。
     そのとき、窓際に置いた文机の上、弱い朝日に照らされていた書きかけのレポートが何枚か、ふわり、と浮いた。
     やばい。
     本能的にそう思う。自分の体のことを一番に理解してしまうのは、当たり前ながら自分なのだ。
     しかし、受け入れがたい状況は先延ばしにするのもまた人間の特性である。そして火村も人の子だ。
    「――まさかな」
     一切合財気のせいだ、ということにして今度こそ布団から出ようと起き上がると、途端にだるさが全身を覆う。気のせいのはずなのだが寒気がひどくなって来ているようだ。
     そして極めつけにもう一度、「ふえくしゅっ」と今度は大きめなくしゃみが出て、同時に机にあったレポートと消しゴムとシャープペンが、スーパーボールのように何センチか跳ねるのが、しっかりと視界に入ってしまった。
     軽い音を立てて落ちる文房具を見てしまっては、さすがに現状を受け入れるほかない。
     そのように悟った火村は、掛け布団を被ったまま座り込み、がしがしと頭をかいた。そしてぼんやりと今日と明日から先のスケジュールを思い出す。三回生になって必修の授業数は減ってるとはいえ、興味の赴くまま履修届けを出しているゆえに、授業は一日三コマ平均でやってくる。しかも今はまさに期末試験前、教授が授業中になにかしらの指示を出す頃だ。
    「参ったな」
     思わずそう声に出してしまった。日ごろの行いゆえやな、というツッコミが聞こえた気がするが、それも病気のせいだろう。

     シベリアから張り出している大寒波の影響で、西は長崎から北は宗谷岬まで、一月の日本列島はキンキンに冷えている。東京や大阪といった平地ですら普段は張らない氷が出来た、と騒いでいるのだ。夏暑く冬寒い盆地の中の街は、冷蔵庫の方があったかいような気温まで下がっている、といっても大げさではないだろう。ましてや空気はカラカラに乾き、街中に響く「火の用ー心っ」の掛け声も、打たれる拍子木の音も、いつも以上に切羽詰って耳に届くこの頃だ。アナウンサーが真剣な面持ちで、市内で二桁の小中学校が学級閉鎖に追い込まれている、と原稿を読み上げているとき、ふと自分の体調管理について思いを馳せるぐらいの用心さが、間違いなく必要だったに違いない。
     後悔は後に悔いると書くのだな、と昔から使い古された教訓をかみ締めている間にも、壮年の、いつ受診してもその薄さがどうしても気になる髪型をした医者はさっさ診察を済ませ、
    「超能力だね」
    「やっぱり」
     火村は上げていたセーターを着なおしながら、げっそりとした気分になった。
     病気とは不思議なもので、そう告げられた途端、更に悪くなったように感じるように出来ている。現に、言われたそばから熱も少し上がったようだし、息も少しだけ荒くなってる、気がする。
     そんな様子の患者に、医者はなにが楽しいのか浮いた声で、
    「今年のはしつこいよー。で、突発的念力が出てるようだから、ぼーっとしてるところ悪いけどさ、心の中で隣の客は良く柿食う客だって正確に三回言ってみて」
    「……三回も」
    「なら一回でいいよ」
     患者の反応が思い通りだったからだろうか、めがねの奥にある、小さな目がにやにやと光っている。下宿の近所に他の医院があったら、絶対に来ないタイプの医者だろう。
     とりあえず意識を集中して、トナリノキャクハヨクカキクウキャクダ、とややこしい早口言葉を意地で三回繰り返した。意味のないことをだるいときに、しかも強いられる形で考えるというのは、少しだけ疲れる行為だ。
    「はい。二畳範囲のサトラレ、と。念力止めは出しとくけど、家で大人しく寝ときなよ?」
    「いわれなくてもそうします」
     よりによってサトラレかよ。
    「今年はサトラレ多いよー。小学校で流行ってるのサトラレとひどい念力だからもう大変」
     先生が聴診器を掛けなおしながらにやにやといってくるのを聞いて、火村は自分が超能力であることを改めて悟った。

     世の中は上手くできてるもので、サトラレの症状は必ず軽度の突発的念力を併発するようになっている。他の超能力と違って気付きにくい症状だから、そのオマケがなかったら世の中はさぞ悲惨なことになっていただろう。その発露のしかたは症状にもよるのだが、火村が今回罹った超能力の場合は、くしゃみがその媒体となっているらしい。
     大家から店子たちに贈られた半纏を着込み、詰まり気味の鼻をずるずる言わせながら隣の部屋の戸を叩く。時間はもう十時近い。部屋の主がまだいるかどうかは賭けだったが、幸い隣人は登校前だった。
    「はいよー、って火村、どうした?」
     同じ学部で同じ学年である佐藤がドアから顔を出し、火村の顔を見上げてきた。自称一六五センチの身長と、童顔に似合わぬあごひげという、見慣れた少し胡散臭い姿に、火村は意味もなくほっとした。
     超能力引いた。
     声に出さずそう思うだけで、佐藤が理解するには十分だったようだ。
    「あちゃー。それはお大事に。寝とけ。メモなら取っておくから。重なってるコマだけになるけどさ」
     佐藤は人よさげな笑顔を向けてくれる。胡散臭い外見とは裏腹に、実にいい男だ。前にこの部屋にいた大龍もそうだが、この部屋には人のいい人間が入るようになっているかもしれない。
    「なんだ、そんな手放しで褒めるなよ」佐藤が照れたように頭をかいた。そういえばサトラレだったのだと、超能力で浮かれた頭が思い出す。そんな火村を見て、佐藤が聞いた。「帰りに粥でも買ってくるか?」
    「いいや、大丈夫だ。ありがとうな」
     それはさすがに口で伝える。そして頭を軽く下げると、佐藤は「こういうのは持ちつ持たれつだからな。でも俺も気をつけないとなあ」としみじみと呟いた。そのほうがいいだろう。
    「じゃあ、頼んだ」
    「おう」
    そう言ってきびすを返した火村は、そうだ、と振り返って、ドアを閉めようとした隣人に声を掛けた。
    「あ、佐藤」
    「なんだ」
    「誰にも、特に有栖川には黙っとけ」
    「え、有栖川にもダメなのか?」
     不思議そうにそう聞き返す佐藤に、火村は真剣な顔をして頷いた。
    「移したら悪いし、それに」
    「それに?」
    「うるさそうだ、こう色々と」
     そういうと、佐藤は一瞬だけきょとんとしたが、すぐに弾かれたように笑い出した。
    「そりゃ火村、お前が普段から保護者よろしくかまってるからだろ。ここぞといわんばかりに看病するな、あいつの性格なら。ま、任しとけ」
    「頼んだぞ」
    「おうよ」
     佐藤は中途半端に手を上げて、返事代わりにした。
     今度こそ火村も自室に戻り、いそいそと布団に入る。枕元には病院の帰りがてら買って来たペットボトルの飲料に薬。氷枕も準備済みだ。
     あとは布団に入れば、病人としての準備は完璧だろう。
     普段に比べてゆっくりとした動作で半纏を脱ぎ、のろのろと布団に入ると、どっと疲れが全身を回る。どうやら今度こそ気のせいでなく、熱が上がってきてるらしい。
     超能力を含めて滅多に病気にならない火村にとって、まだ日が南中してないころから布団に潜り直すという行為はどうしても馴れず、だるさとは別のところで意識がくっきりとしているように感じた。
     顔を少しだけ横にすれば、窓の向こうの空は青い。その底抜けの青さに、火村はふと先ほど話題に上がった友人のことを思い出した。
     空みたいなやつだと、そんな歯が浮きそうな例えをしてしまうのも、熱のせいなら許せるだろう。主に後で思い出したときに。
     火村が有栖に対し抱いている、漠然としたイメージはまさに今日のような青空で、つまり澄んでいて底知れないということだ。
     常に新月の下にいるような心を抱いてきた火村にとって、有栖は求めていたもののような、あるいは全く相容れないような、そんな矛盾した感情を同時に引き起こす男だった。火村は火村なりに自分の中の暗がりと折り合いをつけ、普通の男子大学生の範疇に収まる平和な生活を送っているつもりなのだが、有栖はそんな精神の安定を不意に揺さぶる存在なのだ。友人に囲まれて朗らかに笑う顔に、好みの女子と話して上気している様子に、親や昔の思い出話を楽しげに語るその口調に、火村はいつでも簡単に揺さぶられる。 有栖に何かにつけ図太いだの心臓に毛が生えてるだのと評価される一方で、培ってきたポーカーフェイスの下にはいつでも動揺した表情をなんとか隠しているのだ。
     だから。
     火村は寝返りを打って、窓に背を向け目を閉じた。
     今日みたいな日には会いたくない。
     熱に浮かされたこんな状態では、揺れてる己も、その奥にある、故意に気付いてないフリをしている感情も、隠し通したい自分の中のどろどろしたものまですべて、目を見られただけで相手に伝わってしまうじゃないか。
     有栖のニカっとした、それこそ晴れた空みたいな笑顔を思い出して、火村は改めて好きなんだろうな、と思う。ヘテロの男に片思いなんて不毛なことは、出来ることなら避けたかった。そもそもそんなガラじゃないと自分では思っていたのに。全く、人生は意外性に満ちている。
     いま目の前に有栖が来たら、皮肉の下に隠していた好意が顔にありありと出て、彼がどんな鈍感な男であっても、容易に感情を悟られてしまいそうだ。病気のときは弱気になるとはよく言うが、確かにいつものような虚勢を張れるとは到底思えなかった。
     そこまで考えて、そういえば精神状態が云々の前に、自分はサトラレを患っているんだと火村はぼんやりと思い出した。鉄面皮云々以前の問題である。
     そんなことも忘れて弱い自分に酔ってしまうあたり、熱は相当に上がってきてるに違いない。
     そういうときの対処法はただひとつ。
    「……寝よ」 

     寝つきは決してよくなく、眠りも浅いほうである火村だが、自覚している以上に超能力は重かったのだろう、忽ちに眠りに落ちたようだった。目を瞑った途端に意識が飛び、うっすらと目を明けたとき、時計は午後一時過ぎを告げていた。長い時間寝ていたわけではないが、頭はだいぶすっきりした気がする。
     食欲はないが、なにか腹に入れないと薬を飲めないな、と思っていると、向こうの部屋から「起きたか、なあ粥なら食べれるか?」と声が掛けられた。
    「ああ、なんとかなりそうだ」
     彼が粥を作れるとは思わないから、レトルトを買って来たのだろう。友情に厚いことだ。
     と、そこまで考えて、次の瞬間、火村は体調を無視して文字通りがばりと飛び起きた。
    「おっ、君、なに突然無理を」
    「なんでお前がいるんだ!」
     勢い良くびしっと指を指すと、人の家の炬燵に勝手に入り、これまた勝手にコーヒーを入れてくつろいでいたらしい有栖は、手に持っていた本を閉じ、のほほんとしたような人を食ったような笑顔で一言、
    「見舞いに来てやった」
    「来んな!」
    「なんで」
    「なんで、って言ってる傍から近づいてくんな!」
     にこにことしながら、四つんばいで擦り寄ってくる有栖に、火村は静止するように手のひらをかざす。
    「それ以上は立ち入り禁止!」
     と言った傍から気管が詰まった感じがして、火村は勢い良く咳き込んだ。ひゅうひゅうとのどを鳴らしながら息をすると、心配そうな声で有栖がたしなめてくる。
    「火村、あんまり興奮すんな。病人が息切らしてどうする」
    「お前が突拍子もないからだろうが! 大体粥買ってくる、ってことは、俺の状態を知ってから来たんだろ、だったら近づいてくんな」
     テレパス系の超能力に罹った患者は、たとえ決算のど真ん中にある会社で急に休んだとしても、決して恨まれないものなのだ。誰だって自分の考えを読まれたくないし、誰彼構わず考えを聞かせて回りたいとは思わない。つまりはそっとしておくことが一番の処方箋だと誰もがわかっているはずなのに、目の前のこの男はその不文律を堂々と破ってきたのである。
     有栖と火村の距離は、丁度畳二畳半分。これ以上近づかれたら大変やばい。彼は病人の気を静めるためか、それとも元々近くまで来る気がなかったのか、そこでぺたんと座った。
    「……そもそも、どうやって知ったんだよ」
    「いや、四号館で佐藤にばったり会ってな、なんだお前もかよ、って言われたから、誰だって聞いたらあっさりと」
     あの裏切りものめ。
    「で、これはいい機会やな、と思って授業が終わったその足で馳せ参じたわけや。わかりやすいやろ?」
    「なにが」
    「なにが、って俺の行動」
    「そうじゃなくて、いやそれはまったく理解の範囲外なんだが、その前に出てきた、いい機会」
     ってなんだ、と言おうとした瞬間、ぞくりと寒気が走り、勢い良く「へくし」とくしゃみが出る。それと同時に三十センチほど跳ねた消しゴムを忌々しそうににらんだ火村は、またのそのそと布団に入り直した。
    「辛そうやなあ」
    「そうだろ。だから」
    「そうそう、何がいい機会か、っていうとな、腹を割って話せるええ機会やん、って思って」
    「……はい?」
     今日は悪いが帰れ、という台詞は有栖の突拍子もない言葉によってあっけなくかき消された。
    「はらを、わる?」
    「いや、隠し事も難しいしウソもつきにくい。男同士、文字通り本音で語り合ういい機会やん。な?」
    「お断りだ」
    「まあまあ、君と俺との仲ということで、お邪魔します」
    「お前、少しは人の話を聞け!」
     病人の抗弁も空しく、あっけなく距離は枕元までつめられる。
    「……来んな、って言ってるだろ」
      出来る限り凶悪な表情を作ってせいぜいにらみを利かせるが、いかんせん、超能力のせいでまったく力が入ってない。自分でもそう思うのだから、普段の火村に慣れている有栖にはまさにぬかに釘といったところなのだろう、全く効果がない。
     その視線をばっちりと受け止めて上から見つめる瞳は、理由などひとかけらも推し量れないが本当に楽しそうにくりくりとしていて、火村はうっかりどきまきとしてしまった。さらに浮かびそうになった下世話なことは、なけなしの理性を総動員してなんとか阻止出来た、はずである。少なくとも有栖がなんの反応も示してないのだから、今のところセーフだろう。
     それにしても、有栖が何を企んでいるのかは相変わらず謎である。が、普段の行動などから判断して、五分、いや、十分の間、思考をコントロールさえすればいいはずだ。恐らくは好奇心から動いているのだろうから、火村からなにも聞こえなければ、きっと有栖は飽きてまた退いてくれるに違いない。……希望的観測だが。
    「で、実際のところ熱はどうなん?」
     火村のそんな葛藤など知ったことじゃないのか、有栖は無邪気な口調で訪ねながら、そっと額に手を当ててくる。その感触だけで、体温と心拍数が一気に上昇した。病気で色々なねじが飛んでるんだとしても、その単純さには自分でもびっくりだ。
    「いや、人に突然触られたら、そりゃびっくりもするって。俺なんか跳ねるかもしれん」
     ばっちりサトラレている。
    「気が済んだか」
    「いや、気が済むとか、そういう話ちゃうし」
    「あのな、普通友人がサトラレとかテレパスに罹ったら、あらあそれはお気の毒ね、といって遠巻きに見てくれるのが友情、ってもんだろ? いくらお前でもちょっと図々し過ぎるだろ。あとさっさと手をどけろ」
     まったく、こいつこんな朴念仁やとは思わんかったわ。
    「へ?」
    「どうした?」
     火村は目をぱちくりとして、覗き込んでいる有栖を見上げた。有栖は火村に相変わらず人を食ったような笑みを見せて、今度は失礼なことに子供をあやす要領でやんわりと火村の頭をなでながら、もう一度「どうした?」と聞いてくる。
    「お前、さりげなく失礼なこと言わなかったか?」
    「言っとらんよ、そんなん見とったらわかるやろ。熱で脳やられたか?」
     そうだ、有栖の言うとおり、彼は目は笑いながらも、口を閉ざしたまま火村の苦情を聞いていたのだ。だとしたら、先ほど不意に聞こえた言葉は、幻聴なのだろうか?
     ――さらに勘が悪い。いや、そう見せかけて、心底ぼけとるんか?
    「おい、ちょっと待て」
    「なんや」
     楽しそうに返してくる有栖の顔に対してなにか腹が立ち、火村は必死で論理を組み立てた。
     一番可能性が高いのが、サトラレの他にテレパスの症状が表れてしまったということだ。だとしたら、これはとてつもなく最悪な状態なのではないだろうか。双方共に、すべてまるっとどこまでもお見通しの状態というのは冗談でもきついだろう、さすがに。
     だとしたら、目の前で失礼なことを考えているふざけた男も追い返したほうがいい。自分の内面に無断で触れられて、平気な人間などいないはずだ。有栖をそんなことで傷つけたくない、絶対に。
    「あんな、腹立つ口調でそんなあったかいこと思われても……」
     ――顔赤くなっとったらごっつ恥ずかしいなあ。いや、でも、なんか負けたみたいで腹も立ってきたわ。
     そう聞こえたことで、火村は自分の仮説が合っていると判断した。今すぐに帰ってもらわなくては。取り返しが付く前に。
    「複雑なやつだな、相変わらず。まあ、説明の手間が省けるのは非常に助かるな。そういうわけだから」
     ――にしても、ほんまなんも気付いてないんか? ……いくら鈍感にもほどがあるやろ。やっぱり腹立ってきた。
     そう説明している間にも、有栖の声は遠慮なく火村の頭の中に響いてくる。耳を塞ぐことで止められるならいくらでも耳を塞ぐというのに。申し訳なさで一杯の気持ちのまま、火村は布団から手を出し、自分を見下ろしたまま頭をなでつづけていた有栖の肩を、はがすようにそっと押した。
     こんな無遠慮な状況で、結果として有栖を傷つけたくはないのだ。いや、彼だけではなく例えば、佐藤とかの思考も読みたくないけど、そういえば佐藤のやつほんとにあっけなく……
    「って、『お前もかよ』!?」
     また文字通り飛び起きた火村の二の腕を、有栖はチェシャ猫のごとき笑顔でしっかりと掴んだ。
     ――ビンゴ。
     思わず絶句する火村に、有栖は「やから」と説明を始める。
    「朝から寒気がすんなあ、と思って医務室に薬貰いにいったら、接触テレパス、それもサトラレの初期症状みたいだから今すぐ帰れ、って追い返されてる最中に佐藤にぶつかってな。 いや、そう突っ込まれても鳩の羽が浮かぶ程度しか念力出てなかったから、これがなかなか気付かんで、自分でも間抜けやとは思うけど、そりゃ。まあそれは置いといて、で、これはなんというめぐり合わせ、と 早速飛んできた、とまあそういうわけやな」
    「なにがどういうめぐり合わせなんだ。ということは、この部屋、超能力ウィルスの培養室状態じゃねえか。よくなるもんも悪くなる一方だろ、これじゃ」
    「やって、ひねくれもん二人が揃って本音だけ伝えられる機会なんて、もう二度とないかも知れへんやんか。それを逃すほど俺には余裕がないわけで」
    「男のむっさい友情なら普段から十分育んでるだろ、今更中学生じゃあるまいし。って、言ってる傍からさらにひっつくな!」
    「まあまあ、そういわんとな」
    「なんだ、お前にはプライバシーというものがないのかよ!」
     頼むよ、と心の底から訴えかけようとして、ふと火村は有栖のことを改めて見た。二の腕に当たっている有栖の心臓が、心なしか早く脈打ってるように感じたからだ。それこそ、先ほどから脈拍数がうなぎのぼりの自分と同じくらいに。
     先ほどまでうるさいぐらいにまで聞こえていた有栖の思考はなぜかぴったりと止んでしまい、脳に浮かぶのは緊張したような白いイメージばかりだ。そして、腕の辺りからイメージと共に伝わってくる温度は心地よく温かく、それでいて昏くひんやりとしているような、気がする。これもまた、サトラレの病状によるものなのだろうか。
     火村はその温度を、随分と前から知っている気がした。ずっと抱えていて馴染んでいるもののようだと、そう感じたのだ。
     どれくらい呆けた顔で有栖の顔を見ていたのかはわからない。
     やがて、意を決したように、有栖が口を開いた。
    「なあ」
    「なんだ」
     そう返した自分の声も、随分と緊張を孕んでいるように、火村の耳に届く。そのことがなにか力となったのか、有栖はぎこちない微笑みを浮かべた。
    「もし……。もし、俺が、けっこう前から気付いてた、としたら。……どうする?」
    「どうする、って――」
    「君、自分で思ってる以上にポーカーフェイス下手やで。薄々とな、ああ、同じかもしれんって」
     そういたずらが成功した子供のように笑う有栖に、火村はなにも言うことが出来ない。腕から伝わってくる有栖の声が、その態度とは裏腹に、頼む、真剣に聞いてくれ、と緊張したように告げているからだ。
     やけど、と彼は続ける。
    「面と向かって打ち明けようもんなら、どうせ俺らのことや、どちらかから適当な言葉でごまかしたり冗談にしてみようとしてバカアホとか無意味に罵ってみたりして、なんかややこしくなりそうやろ。互いにひねくれもんやし」
     臆病やし、と言われ、火村は確かに、と思った。正反対な性格をしているようで、奥の方のそういうところは良く似ているのかもしれない。それを無関心で封じ込めているのが火村であり、社交的な態度で覆い隠しているのが有栖なのだろう。
     そして、有栖がそっと何かを呟く。声にならないその言葉は、しかし直接火村の心には届いた。
     しばらくの間沈黙が続く。伝えたいと思う言葉も、心の中の混乱もすべて形になる前に崩れていく。まるで、なにかがハレーションを起こしたようだった。
     とてつもなく長いように感じたが、恐らくは一分かそこらのあいだったのだろう。その白い時間が去り、やがて火村は小さくため息をついた。
    「……で、腹を割って、ただ本音だけ、か」
    「そうもしないと、自分、平気な顔で逃げてしまいそうやから」
     有栖は改めて、火村の目を見た。「その前に、掴んどこう、って、前から思っとった」
     ああ、やっぱり青空みたいだ、と火村は思う。底抜けていて、潔く力強いところまでも。
    「……なあ、そんなこっ恥ずかしい比喩なんていらんから」
     焦れたように言いながら、やっぱりどっか鈍感やな、と内心で突っ込んでくる有栖に火村は笑って、言葉で返す代わりにそっと抱き返した。 有栖の言うとおり自分はどこかひねくれているし、なにより表現することに対してどこか不器用だ。だから、一番ストレートな方法を火村は取った。抱きしめた体は想像していた以上にしっかりとしていて、その感触が火村にこれが現実だと伝えてくれる。
     火村が抱き返したとき、一瞬有栖は体を硬くした。が、やがてそっと体を預けてくる。それだけで、心の中に幸せが充満していくのがわかった。
     人生最良の日だと、素直にそう思える。たまにはこんなハッピーエンドがあってもいいじゃないか。
     と、しばらく互いの温度を感じていたのだが。
    「……って、なんで当然のように俺が押し倒される予定になってるんだ!」
    慌てて体を離そうとすると、ここぞとばかりに有栖が腕を絡めてくる。そして妙に純粋な顔を作って、
    「え? やって俺、男に押し倒される趣味ないし」
    「待て、非常に残念なお知らせだが、俺にもない」
    「そうかー。まあ、でもそう遠慮せんと、人生何事も経験やし、な?」
    「な? ってかわいい感じで言えば流される、わけないだろうが!」
     言いながら更にぎゅうとしがみつこうとする有栖を無理無理引き剥がすと、彼はとても不満だと顔に出しながら、火村に「せやけど」と訴えかけた。
    「やっぱその次に進みたい、っつうのは男としてあるやろうが」
    「まあ、それは理解できる」
    「ほら、な?」
    「だーかーらー、そのときに俺がなんで押し倒されな、きゃ……」
    「きゃ?」
    「ふぇくしょん!」
     勢い良くくしゃみが出ると同時に、先ほどとは比にならないほどの身震いが火村を襲った。超能力の身で薄いパジャマ一枚の状態まま、外気にさらされたのがよくなかったのだろう。
     うー、と無意味にうなりながら横を見ると、有栖が「……っ」と小さく呻きながら頭を抑えている。彼の足元には、反対側においてあったティッシュがごろりと落ちていて、角がひとつ、ぺたんとつぶれていた。
    「……悪い、無意識にコントロールできるとは思ってなかった」
     そういえば、病院から貰った念力止めを飲なまいと、と、目が醒めたとき思ったのだ。とりあえず貞操の危機を脱出できたことに安堵の表情を浮かべながらも、頭を下げて心底申し訳なくわびる火村に、有栖は男前にも頭をさすりながら、「いや、気にせんでええで」と寛容なところを見せた。
    「……とりあえず、粥、食うか?」
    「ああ、……ありがとな」
    「いや、これも気にせんでな。やっぱ恋人の看病、っていうのは外せないところやろ」
    「言った傍から照れるなよ。顔真っ赤だぞ」
    「うっさいわ。それよりほら、あったまるまで布団入っとき。さっさと超能力直して、それからのことはその後にな」
    「そのあとでもそれからでも、俺は押し倒されないからな」
    「はいはい」
     有栖はそういいながら、少しだけにやりと唇を上げてみせる。
     なにをこっちこそ隙あらば、と思ったところで、「火村」と有栖が声を掛けてきた。人の気を削ぐのが上手い、とふと思ったが、そういえば今はなにもかも筒抜けなのだった。
     素直なのはいいことだが、素直すぎるのもまた、いらぬ障害も生むのかもしれない。ふとそう思う。
     人は見えない部分があるぐらいが丁度よいのかもしれない。 だからこそ互いに譲り合ったり意地を張ったり出来るのだ。そこが意外性となって、思いがけないなにかに出会える。申し分ないじゃないか。
    「あ、その考え判るわ」
    「そうか」
     読まれて恥ずかしいことを不意に考えてしまっていた。
     サトラレ患者特有の、そして告白後の照れが入った気まずさもあり、わざとむすっとした声で返事をすると、有栖が「あ、悪い」と素直に謝ってきた。
    「やから、まず超能力、治さなあかんな」
    「それは互いにだろ。お前もさっさと帰ったほうがいいんじゃないか、こじらせたら厄介だぞ」
    「まあ昼飯食ったら。この調子やと俺は市販ので多分大丈夫やろうし。……で、火村」
    「なんだよ」
     その声の、妙に緊張した調子につられて有栖の方を見ると、彼は肩に手を掛けて、少しだけ顔を近づけてくる。
     肩から伝わってくる思考と感情の温かさに表情を緩ませた火村がそっと目を閉じると、少しの間のあと、静かな口付けが降ってきた。
    いずみのかな Link Message Mute
    2022/06/26 16:38:06

    まっすぐでいこう。

    #作家編 #有栖川有栖 #BL
    有栖川作家編。両思いになる寸前。ゆうきまさみ『困ったしんどろ~む』の本歌取り

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