ごとしの結婚アンソロジー参加のお知らせ 疲れた。
この祝いの席に相応しい言葉ではないが、辟易とした気持ちをどうにか飲み込んで、しのぶは壁に寄りかかった。
今日の装いは丁寧に結い上げた髪に肌障りも素晴らしい白藍にレースのワンピース。友人の幸せを祝うのは喜ばしいし、今日の彼女は美しかった。白磁のようなウエディングドレスに長く伸びるアイボリーのレース。花婿の顔を見て頬を赤くする様子はしのぶの心も温かくする。六月の花嫁は美しい顔で教会で愛を誓い、初めてのようなキスを交わして、飛ばしたブーケはしのぶの手元へと落ちた。
しかしだ。先ほどのように「普通の女の幸せ」を掴んだ同級生たちに、ほら早く、私たちと同じく普通に幸せになりなさいと次々と笑顔で言われると思うとため息も出る。いわく「私もいまの旦那に会うまでは結婚なんてしないと思ってたもの、あなたも大丈夫よ」。毎度言われるこんな言葉にもいい加減慣れたが、そもそもなにが「大丈夫」なのか、こういう人を見下す善意のことをなんて言うのだっけ。
これだから式の二次会は苦手なのだ。とはいえずっとこの小さなレストランの端にいるわけにはいかない、と足を踏み出した瞬間に肩と肩が当たる。すみません、と言いかけて、しのぶは思わず面食らった。
「……なんでここにいるの?」
戸惑いながらそう問いかけると、後藤は珍しく目をまん丸くして「しのぶさんこそ、なんでいるの?」と逆に問いかけてくる。
「なんで、って今日の新婦はゼミの同級生だからよ」
「新郎は俺のゼミの先輩だよ」
後藤は良く見れば仕立ての良いスーツを着てポケットのハンカチーフもしゃれている。いつもの海千山千のおじさんの風情はなく、経験を重ねてきた色男と言えなくもなかった。後藤はしのぶの装いを見て優しく笑った。
「似合ってるね」
「あなたも、男前に見えるわよ」
「でしょ、馬子にも衣装ってやつだわ」
「自分で言うんだから」
吹き出すしのぶに後藤も笑って、
「とはいえ、そろそろ帰ろうと思って。こういう場はどうも好かなくてさ」
言いながら首をごきごきと鳴らす。確かに後藤の性格ならば、よほどの義理がなければ結婚式の二次会なんて来ようとしないだろう。本庁時代、心底馬鹿らしいと一度も忘年会などに行かなかったというのだから。
今日も慣れない事をしたから疲れたと言わんばかりに伸びをしたと思ったら、「じゃあ、挨拶してくるから待ってて」と当たり前に言ってくる。
「待ってて、って」
「しのぶさんもそろそろ限界でしょ」
道路の向こうにドトールがあったからそこでコーヒーでも飲んで帰ろうよ、とあの口調で誘ってきた。こんな風に、後藤はいつでもしのぶの状態を正確に推し量ってくる。
「……そうね、コーヒーの一杯ぐらいなら」
「南雲君!」
後ろから急にしわがれているがハリのあるテノールで名を呼ばれたものだから、しのぶも後藤も反射的に顔を向けると、いつのまにかに穏やかな眼鏡の老紳士がにこにこと二人を見ている。気配なく近づいてきた老人にしのぶは顔を崩した。
「小笠原先生、いらしていたんですね」
「教え子の祝いに招かれることは嬉しいことだからね」
小笠原はひょろっとした顔をひょろとした手でなでつけて、さらに上機嫌にそうかそうか、と頷いた。
「それに、君の伴侶にも会えたのだから、今日は本当に来た甲斐があったよ」
「は?」
「いやあ、良さそうな旦那さんじゃないか、厄介そうだが、なにより君に誠実だろう?」
あのとき、反射的に「違うんです」と否定出来なかったのは、恩師が余りに喜んでいたからか、それとも二人揃ってあっけにとられたからか。
ただ、あのとき二人の間に生まれた空気は、戸惑いではなくもっと生々しいものだった。
後藤が課長室に呼ばれたのは、それから三日後のことだ。