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    薔薇とセンチメント 雲行きが怪しいことは、とっくにわかっていたはずだった。

     トイレから出てきたら、先ほどまで豆電球だったはずの部屋から明かりが漏れているのに気がついたとき、本能的にやってしまったと思ったのだ。
     果たしてそこには、先ほどまで布団でまどろんでいたはずのしのぶが、部屋に乱雑に脱ぎ捨ててあったYシャツ一枚だけを羽織って、ちゃぶ台の前で何やらのページをめくっている。それがなにかわかっていながらも、後藤は恐る恐るしのぶに訊ねた。
    「……なに読んでるの」
    「おじさんが買う雑誌、でしたっけ」
     返事をしながらも視線は誌面から離れない。
     そういえば毎号通勤途中で買ってきて、二課で目を通したあと、一応スクラップだけはしておこうと持って帰ってきては、常に面倒が先に立って床に適当に積んでおいたっけ。必要な情報を得たら他の職員たちのようにさっさとゴミ箱に捨てておいておけばよいものを、職務に対する勤勉さを発揮しようとして、うっかり完遂するのを忘れていた。
     あちゃー、と内心でおでこに手を当てて、やってしまったと反省している間にも、しのぶはさっさとページをめくり、ついには目的の記事を読み終わったようだった。横にはスクープ連載が続いている今週分までの週刊パトスの山。信じてもいない神に誓ってもいいが、これらをすべて読み終わるまでは、緊急の呼び出しが掛からないかぎり彼女は梃子でも動かない。
     福島課長すみません。この手の雑誌を読まない人に、同僚が不注意からこの手の雑誌を読ませてしまいました。
     意味のない懺悔を済ませてから、後藤はまずはパジャマの上を羽織り、ついでにしのぶの寝間着も引き出しから引っ張り出した。もうすぐ夏とはいえ、真夜中の気温は裸でいられるほど心地良いものではない。邪魔にならない程度の場所に座り、彼女の衣服をそっと傍に置くと、しのぶはやはり目を離さないまま「ありがとう」とだけ言ってきた。
     大型スクープ連載、といえど、通勤列車や昼休みの合間におじさんたちがざっと目を通すために分量が調整された記事は、一回につきせいぜい五、六ページほどだ。雑誌は次々と手に取られ、ものの十分ほどで山のすべてが消え去った。
    「……で、どこが私には関係ないのかしら」
     しのぶが隊長室でよく見慣れた、あの冷たい感情を隠さない笑顔で訪ねてきたのは、寝間着を着て、律儀なことに雑誌を床に積み直してからだ。
    「いや、あれは篠原の手前の方便で、だってそれでなくても動揺してるところに火に油なんて注ぎたくないじゃない」
    「あら、私が油を注ぐとでも」
    「そんな滅相もない、たださ、ご存知のように篠原もあれで繊細で」
    「それはよくわかってるけど、でも、本当にそれだけ?」
    「本当にそれだけです、俺も課長も他意はなくて」
     課長、と口走った瞬間に、後藤は今度はあ、と思わず口を手で塞いでしまった。案の定しのぶは瞬時に血管を浮かせるほどの勢いで「課長も?」と後藤をきっとにらみつける。その表情があまりにも凛々しいものだから、後藤は慌てつつもどこかで冷静に、こういう表情も美しいよなあ、と場違いに見とれて感心してしまった。これは自己防衛のための脳の逃避行動というやつに違いない。
     しかし現実逃避をしたところで、状況は一つも変わらない。
    「まさかあなただけでなく、課長も了解して、二人で私に黙っていたと?」
    「いや了解したわけじゃないし、示し合わせてないし、何度も言うけど他意もないし」
    「他意もないってさっきから、あなたたちは人を一体何だと思っているの!」
     自然と強くなる語尾はしのぶが理性より感情に重きを置いて興奮状態になる兆候だ。そうなると普段彼女を制御しあるいは走らせて、そうしてあ・うんで動ける後藤であっても簡単には止められない。走り出すその前にしのぶに道理の通った説明をして、まずは聞く耳を持ってもらわなくては。
    「それはほら、あれだよ、隠すも何も自然に耳に入るだろうし、そもそも話すつもりだったし、しのぶさんがこんな低俗な雑誌にわざわざ目を通すことも」
     やや早口で、道理が通ったなんてとても言えない説明を試みたものの、
    「なるほど、雑誌が低俗だから、同僚が知るまではわざわざ耳に入れず、情報を伏せていてもいいと」
     と、あっという間に論破されてしまった。
    「いや、伏せてたわけじゃないんだよ、ただ、知らないなら」
    「知らない方がいいし、無理に教える必要もないと? じゃあ素直に言ってちょうだい、私が知ったら、いったいどうなると思ったの」
    「それは」
     後藤はそこでついに口ごもった。
     しのぶを信頼していないわけではない。自分より五年だけ経験は浅いが、それでも昇進試験に受かるだけの経験と才覚を持った優れた警察官であることも分かっている。きれいごとを重んじながら、飲み込むものと拒否すべきものの区別をせざるを得ないと心得ていること。より多くの人を救う結果を得るために、小事を捨てることの意味とその責任を背負う、隊長職を勤めるものとして現実との折り合い方を、身をもって知っていることも。
     わかってはいる。
     それでも、なぜか躊躇した。
     中年男性がターゲットの低俗なゴシップ誌。こんな雑誌だからこそ、記事の力は馬鹿にできない。週刊パトスは吊り広告の下品さでは群を抜いているが、年に何度か政財界や芸能界を震わすスクープをつかんで、爆弾を落としていくのが一番の強みだ。今回もこの調子で毎号追求が続いたら、そう遠くないうちに全国ニュースになる。その前には、後藤は彼女に記事の内容や見立てを説明し、意見を交換しあうことになるだろう。
     だが、その時まで、できるだけ長く耳に入れずに誤魔化せたら。そう考えてしまったことは否定できない。
     なにかを言いかけたきり、二、三度口を開閉させたあと、最後は恥じて視線を逸らせた後藤の様子を見て、しのぶはやや大げさにため息をついて見せた。
     そろそろ鉾は収めてあげる、というお許しの合図だ。
    「まさか本庁に嫌味を言いにいくとまでは想像していないと思いたいけど。全く、課長といいあなたといい、人に清廉潔白さを押し付けないでちょうだい」
    「すみません」
     潔く謝りながら、後藤は自分が福島の分まで謝らされているような錯覚に陥り、こんな状況だというのになんともいえぬ理不尽さを抱いていしまった。
     ただ、福島はしのぶの警察官という職務への強すぎる生真面目さ(その生真面目が祟って、ついにここに飛ばされたようなものだ)を危惧している面もあったのかもしれない。しかし自分は、なにかを危惧したわけではなく、ただ、完全にタイミングと対応を見誤っただけだ。
     それに。
     後藤はちゃぶ台に両肘をおいて、顎をそこに預けながらしのぶの顔を覗き込んだ。
    「で、どう思う?」
    「表紙以上に低俗な雑誌ね」
     しのぶはそっけない感想を告げる。「それとも、あなたのところの部下ぐらいに純情な態度でも見せるほうがよかった?」
    「いやまさか、そんなことは」
    「本当に?」
    「勘弁してよ」
     やや大げさな声色でもう一度白旗をあげると、内心はどうだか、といわんばかりの視線が帰ってきた。同じように自分を見つめてくる視線だというのに、ほんの小一時間で熱量がまるで違ってしまっている。
     情けない様子を隠さずしょぼくれてしまった後藤を横目で見やってから、しのぶはその視線を天井に向けると、後藤がよくやるように組んだ両手に顎を預けた。
    「……正直なところを言えば、まあ、確かに気持ちのいい記事ではないわね。ゼロはいい機体だし、仕事道具として申し分ないわ、だから、現場としては優れたレイバーならそれでいい、と割り切るしかないでしょう。……ただ、仮に内調が動くほどのネタなら、あるいは業務に支障が出るかもしれないけど」
    「いや、動かないでしょ」
     深刻にならぬよう軽く聞こえるように、しかしきっぱりと断言すると、でしょうね、としのぶは小さく嘆息した。
     しのぶにしたら、パトスの記事はもちろん愉快なものではないだろうが、それ以上に、このように外部から告発がされてもなお、内部に甘い判断をするであろう警察や霞が関の体質のほうに嫌気が差すのだろう。彼女のそういう気質は後藤と共通のものであり、二人とも、だから好き好んで埋立地に引きこもっている面もある。
    「それにしても」。気持ちを切り替えるように小さく頭を振ってから、しのぶが後藤のほうに目を向けた。もう眼差しからは険も取れて、替わりに同情するような光が宿っている。
    「後藤さんのところはこれからが大変ね。それでなくても警察官をやるにはまだまだ純粋なのに、さらにイングラムと篠原絡みだなんて」
    「それはさ、もうなるようにしかならないでしょ」
     後藤は小さく肩をすくめた。
    「あいつらはああ見えて強いし……ま、骨も折れそうだけど、疲れるのはその時まで取っておくわ」
     そうは言ったものの、骨も折れそうと認めた瞬間から、後藤は早くも疲労の切れ端を掴んだ心持ちになってしまった。しのぶがさりげなく指摘したように、いまだ純真で大人の論理で割り切れない青い精神を持っている太田や泉はもちろん、すでに先日から動揺を隠せない篠原の様子を思い出すと、今日の福島との電話で感じた雲行きの怪しさと合わさって、人一倍丈夫なはずの胃もきしむ、ような気がする。
     これから嵐がくる。見守り、浮き輪を投げることはできたとしても、それ以外はなにもできない、何をしてもいけない、どうしようもない嵐が。
     後藤は部署を、職員たちを、そして自分の部下を信じている。彼らに対しては上司として、大人として、出来るかぎりのこともするが、それでも嵐は無傷では去ってくれない。
     ――それに。
     後藤は先ほど話してしまおうとして、いったんはひっこめた言葉を、結局は口に乗せた。
    「……水を差したくなかったんだよ」
    「え?」
     突然の独白に、しのぶが自分の方に顔を向ける。
     彼女と目を合わせる気になれず、後藤は明後日の方を向いたまま、いたずらを告白させられる少年のように、どこか決まりが悪い調子で話を続けた。
    「しのぶさんここのところとっても嬉しそうでさ。やっと最新機が配備されて、訓練も上々で、第一小隊がいよいよその実力を発揮出来る、そんなときにね、こんな、さ」
     福島は純粋に第一小隊の士気だとかしのぶの気質に懸念を抱き思いを馳せたのだろうが、後藤は違っていた。篠原の新型機がお目見えするこのタイミングを狙ってのスクープ連載なのはわかっている。
     だからこそ。
     だって間違ってるとわかっててもいらないって言われても、覆いをかけてあげたいのが男じゃない。声には出さず、唇だけで、そう続ける。
     しのぶはそんな後藤の告白を、じっと顔を見つめたまま、表情もなくただ黙って聞いていた。
     刹那、すべての音が消える。ほんの数秒の沈黙のあと、しのぶは控えめに目を伏せて、そして、改まった声で「後藤さん」と、しっかり目を見て名を呼んだ。
    「後藤さん、わたしは、あなたの薔薇じゃないのよ」
     潔く、しのぶはそれだけを告げた。
     その声はまっすぐに後藤に届いて、彼の心を正しく打ち抜いた。
    「……ごめん」
    「ええ」
    「本当に、ごめん」
     まずは尊敬し合う同僚として、そして信頼しあう友人として。決して忘れていたわけじゃないのだけど。
     気を利かせたつもりで、自分の立ち位置からしか見ていなかった。あるいは策に溺れてしまったときのように、自分の心理ばかりを優先していた。
     気持ちだけは強くても、視線の先の相手を見てないなら、三文小説にもなりはしないのに。
     ついには深くうなだれて、意気消沈した背中にそっと、手が添えられる感触があった。そして二度、小さく優しく撫でるように、ぽんぽん、と叩かれる。
     背中を少し温めた手のひらの名残が、もういいわよ、と伝えてくれるようで、後藤はほっと体の力を抜いた。
     隊員たちを前髪盛りだと微笑ましく見ていたが、いまだに残っていた自分の青さには苦笑いするしかない。
     全く、四十にして惑わずとか、いったいどこの世界の話なんだか。
     たはー、とため息をついてちゃぶ台につっぷしたあと、後藤は不意にある結論に思い至って、顔をちゃぶ台につけたまま首を曲げて、自分をのぞき込んでるしのぶをジト目で見上げた。
    「ひょっとしてさ、今日来たのって、俺が休みだからじゃなくて、休みなのに課長に電話したから?」
     しのぶは一瞬だけ目を見開いてから、少しだけ口の端を上にあげて、
    「さあ、どうかしら」
    「やっぱそうなんだ……」
     そうひとりごちて再びちゃぶ台に顔を伏せる。本当に、全く敵わない。
     すると、そっとしのぶが近づく気配がして、耳元にそっと、やわらかな息がかかる。そしてひそやかにささやかれた言葉に、後藤は柄にもなくほんのりと照れてしまった。
     
     ――じゃあ教えてあげる。気になったのも、会いたかったのも、どっちも本当よ。
    いずみのかな Link Message Mute
    2022/06/26 17:54:58

    薔薇とセンチメント

    #パトレイバー #ごとしの
    コミックス13巻から14巻の間の話

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