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    NYははるか遠く 大学というのは非常に特殊なコミュニティだ。その気になれば、四年間誰とも口を利かなくとも不自由はない。二十年ほど生きてきて、自分は人と関わらないほうが生きやすい、という後ろ向きな――しかし魅惑的な結論に達していた火村にとって、誰も自分を知らない土地での学生生活はようやく掴んだ理想の環境であり、四年間、あるいはさらに数年ほど延びるかもしれないが、ともかくその期間は他人を受け付けることなく、日々の暮らしはただ静かにひっそりと営まれるはずだった。
     そんなささやかなプランがあっけなくひっくり返されたのは去年の五月のことで、ふと気が付けば、いつのまに周りには友人と呼べる人間がちらほらと存在するようになっていた。初めのころこそ、理想と現実のあまりのギャップに軽いめまいを覚えたような心地だったが、そうしてしばらく過ごしてみると、人との付き合いはかつて感じたほど苦痛でもなく、ティーンエイジャーだった自分がいかに独善的で視野が狭く、排他的だったことか。つまり一言で表せば平凡に若かったかということを、しみじみと実感してしまったりもした。
     多分、その転機を齎したのが、有栖川という人間だったからこそだろう。
     一見人懐っこく人当たりもよく、明るく朗らかなこの大阪人は、一方で人の心に聡く、機敏に動く特性をもつ。火村はこの興味深い友人に対し観察と推察を重ねて、それは人に踏み込まれたくない領域を彼自身が持っていて、彼が引いた線より奥に立ち入ろうとする人間をさりげなく拒否するからで、その延長線上で、他の人のそのような領域にも敏感なのだろう、と結論付けた。それはともすれば表面だけの人間関係しか築けないことにもなるが、しかし火村に対しては、彼の中の最終ラインを大きく延ばしてきている気もする。恐らくは奥の奥、一番最後の部屋にあるコアこそ頑なに守るが、それまでの領域に関しては対峙する人ごとに柔軟に対応し、誰かに対して心を許すたびに、個々にそれぞれその線を変更しているのだろう。
     全くもって自分には出来ない芸当だ。
     そもそも有栖のそんな面に気付いたのは去年の夏、まだ知り合って大して経っていない頃のことだ。
     あの日の京都は相変わらず蒸し蒸しと熱く、街は太陽にぎらぎらと照らされて、蝉の声も空しく、今出川通にも逃げ水が見えそうな、とにかく閉口するような夏の日だった。
    「君、東京だったよな。盆には帰るんか?」
     ともに受けた刑法IIのテストのあと、そのままずるずると学食で昼食を取っているとき、延び切ったにしんそばを口に運びながら、有栖はふとそんなことを聞いてきた。
    「いや、帰る予定はない」
     冷めきった日替わりランチの親子丼を口にしながら、火村はただ一言、簡潔に告げただけなのだが、有栖はそれ以上突っ込んでくることもなく、「そうか」と一言返してきただけだった。
     その後夏休みに入り、火村は店子の大体が帰省し、がらんどした下宿で一人、引っ越しのアルバイトに精を出しつつ、残りの時間で思う存分読書に没入するという、入学前に思い描いた通りの日々を送っていたが、一方有栖は東京に用事があったらしく、盆の後下宿を訪ねてきて、土産にと東京タワーのプラモデルを置いて行った。土産というか嫌がらせに近いな、と思いながら組み立てたそれは、今でもテレビの上に置いてある。
     そのときはそれで終わったのだが、さらに付き合いが深まった年末、彼が予定もなにも聞かずに「京都の初詣を経験したことがないから、元旦に付き合え」と言ってきたとき、火村は内心でへぇ、と思ったのだ。
     夏の短い問答の際、火村としては内心で手懐け、どうにか共存出来ている複雑でどうしようもない感情をあらわにした覚えはないのだが、有栖はあのとき、たったあれだけのやりとりで、火村と実家の関係の四割ほどを飲み込んだようなのだ。
     彼は万事その調子で、その後も火村の抱えるものをさりげなく放っておいてくれながらも、人好きする笑顔と時折見せる暗い瞳でもって、徐々に距離を詰めてきてくれた。むかつくほどのお節介と泣きたくなるような無関心しか知らなかった火村にとって、有栖の存在はそれだけでもう得難いものだったと、白旗を上げて認めざるを得ない。
     火村は自分で思っている以上に人に甘い。ましてや、どこかで負けていると認め、その存在に安らいでいる有栖相手なら尚更だ。
     だから、彼の大抵の突拍子もない思いつきにも、大抵の無理難題にも、苦笑一つで付き合って来た。自転車で大学から旧嵯峨御所に紅葉を見に行けるかやってみんか、と言われたときも(もちろん途中で力尽きた)、クリスマスイブに、新人賞に落選したから、せめてロマンチックなことをして自分を慰めたいと、真夜中に鴨川のほとりをがたがたと歯を鳴らしながら歩いたときも、最後は二人で腹の底から笑って、そうして驚くことに平凡に楽しい学生生活を送っている、そんな思ってもみない幸いをかみしめてきたのだ。
     来たのだが。

    「パスポート?」
     梅雨の合間を縫ってやってきた友人の突然の質問に、火村は目を丸くした。
    「せや、君もっとらん?」
    「持ってない」
    「そうなん?」
    「なに、お前持ってるの?」
    「勿論」
     なにが勿論なのか判らないが、有栖は当然のように言った。意外とボンボンなのかもしれない。
    「で、なんで俺がパスポートを持ってるかを知りたがるんだよ」
    「え、そしたら一緒に東京行けるし」
     火村の頭の中ではてなマークが遠慮なく降り積もっていった。いつから東京は関西とは違う国になったというのだ。そもそも何で有栖と一緒に東京に向かわなければならない?
     よほどはっきり火村の顔に疑問符が浮かんでいたのだろう。有栖は「あ」と一言思い出したように発して、
    「俺な、君、クイズに向いてると思うねん」
    「くいず?」
    「そ、二人で力合わせれば、アメリカ本土も狙えると思うんやけど、ど?」
    「……ああ」
     そこまで言われて、火村ははじめて、アリスが何に誘ってきているのかについて思い当たった。
    「あの無意味なお祭り騒ぎ番組」
    「無意味でもええやん、所詮はお祭りや。同じ阿呆なら」
    「そもそも見てもねえよ」
    「面白いのに」
    「興味ない」
     一言で切り捨てると、有栖はらしいけどな、と苦笑交じりで返された。しかしミステリ以外には視野になさそうな有栖の意外に思える一面を知って、火村はほう、と内心で声を上げる。いや、ひょっとしたらすごくらしいのかもしれない。好奇心の塊で海外にも素直に憧れている男だ、エラリー・クイーンを生み出した国に行けるチャンスがあるのなら、それを逃すはずがない。
    「まさかパスポート、そのために取ったとか言うんじゃねえだろな」
    「え、そうやけど」
     想像していた答えとはいえ、あっけなく返された言葉に今度は心底呆れた顔をしてみせると、
    「それに、学生証以外の身分証としても働いてくれるんやで。免許取るよりは安上がりやし」
    と、呆れられるなんて心外だ、という風に付け加えてくる。
    「いや、そりゃそうだろうけどさ」
     つくづく自分と回路が違うと感じる。たかがクイズに出るためにわざわざパスポートを取るとは、火村に言わせれば驚き以外の何者でもない。
    「でもそうか、残念やな。我ながらいい思いつきやと思ったんやけど」
     有栖は心底残念だと、何度も繰り返した。それが火村にはまた意外に感じられた。なあ、と火村は有栖に問いかけた。
    「別に俺でなくてもいいだろうが。そういうけったいな友人なら他にもいるだろ?」
     そうなのだ。なんだかんだ言って火村は決定的に不器用で、友人と認知している人間はそれほど多くない。
     一方で有栖は法学部やミス研の人脈を中心に健全な青年に相応しい数の友人がいる。火村はその友人たちの一人に過ぎず、ならばなぜ最も相応しくない自分を巻き込もうとしているのかが判らないのだ。
     そんな疑問を有栖は一言で払拭した。
    「え、だって俺、火村と行きたいんやもん」
     そう笑顔で目を覗かれたまま言い切られると、火村としてもどうリアクションを取っていいのかわからない。
     ありがとう、いやそれは違う気がする。
     ひょっとして口説いてるのか、ってその茶化し方はなんともぞっとしない。
     熱烈なラブコールだな、ってそこまで気障に徹しなくてもいいだろう、多分。
    「知恵袋なら他を探せ」
     僅かの間ながら迷った挙句、出た言葉はなんとも冷たいというかそっけないもので、内心頭を抱えてしまう。なんで最も嫌な選択肢を選ぶのだ、自分は。
     しかし有栖は少しだけ苦く笑った後、またはにかむような顔になって、なあ火村、と優しいトーンで名を呼んできた。
    「や、確かにそれもあるんやけど。でもそれだけならクイ研の連中に混ざるわ。そうやなくてな、なんていうのかな、正面きって言うとなんかあれなんやけど、ほら、火村と東京を歩いてみたいなあ。と。安宿でも取って神田で本漁ったりとか。君のことだから東京の名所なんて興味もなかったろうから、関西人になった記念にあえて浅草に行ってみるのもいいし、上野の博物館をめぐってもええ。どうや、楽しそうやろ?」
     火村と行ったら面白いやろうな、って場所が多かったから。
     そんな言葉を婉曲もなく言われて、またまた火村は二の句が告げなくなった。
     ときどきこういう豪速球を投げてくるのだ、この友人は。
    「つまりはあれか、旅行の誘い」
     よりにもよって俺と二人で。
    「単純に言うとそう」
     有栖は頷いた後、「よく考えたら、こんな遠回りせんでもさっさと誘えばよかったな。あらためて、どうや? 俺は君と二人で、行きたいな、って」
     火村はしばらく顔を伏せたまま考えてる振りをした。
     全く、こんなやり取りで顔を上げられなくなるような、捻くれた、でもやっぱり素直な若造なのだ、俺は。
     顔から血の気が引いたと判断した辺りで、火村は徐に机の上に投げてあったスケジュール帳を捲り、鞄から財布を出して中を覗いた後、にやりと笑っていった。
    「まあ、どうせ予選落ちだ、心行くまでいってこい」
    「なんや、その決め付けは、だいたい」
    「知恵袋として、ここに残っていてやるよ。現地よりも集めやすいだろうからな、情報とか。なによりも俺には東京に滞在するだけの金が無い」
    「俺と宿代折半やで?」
    「神田なんかいったら、あっという間に宿代なんて食いつぶすだろうが。だから、行くとしたら近場だな。奈良とか」
     そこまで言うと、有栖はきょとん、とした後、それはもう見事なほどの、夏の太陽のような笑顔になった。
    「奈良か、だったら吉野とかどうや。俺もあっちのほう回ったことないし」
     じゃあいつ行くかとか決めような、と嬉しそうに話す友人を見て、火村もつられて嬉しくなっていく。
     多分、これからもあちこちに引きずられていくのかもしれない。でもそれも極彩色の思い出になるに違いない。
     そうして自分の望みとしても、相手の起す波をを許容していく。それは中々に素敵な予感だと、火村には思えた。
     思えたのだが。
     
    「――いくら俺だって自由の女神に市民権があるなんて知るわけねえだろ。それにこんな時間で調べ上げられるわけないだろうが。え、そうじゃなくて名誉市民? 益々知るか。ってお前が予選突破出来ようが出来まいが俺には関係ねえだろうが! ああ、確かにそういったが、大体朝っぱらから電話で起して無理難題ふっかけておいて、その評価はねえだろ、アリス! ってああ? てめぇ、帰ってきたら覚えてろ!」
    いずみのかな Link Message Mute
    2022/06/26 18:35:58

    NYははるか遠く

    #有栖川有栖 #作家編
    健全コメディ。これを書いたころは、まだ有栖も火村も大学時代に懐かしいあのクイズ番組に出られた年代生まれでした。あったんですよ、アメリカ横断ウルトラクイズっていう番組が

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