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    わたしはカボチャ 一瞬、自分の睡眠時間はそんなに足りなかったのかと、火村は心の中で実際何時間寝たのかを指折り数えてしまった。
     寝不足から頭が動いていないから聞き間違えをしたのではないか。そうとしか思えないことを目の前の男は言ってのけたのだ。
    「やから、心斎橋のあの店、知っとるやろ? 予約しといたから十五日は絶対に明けとけって。ついにボケたか、センセイ」
    「俺が聞いてるのはそこじゃない。いや、そこも大いに問題だと思うんだが、その前」
    「その前……、君の誕生日やから盛大に」
    「そこだ」
     火村は座りなれたソファに深々と背を預け、「そこが、って?」ときょとんとしたままの友人を見た。間もなく最新作が発売されるという彼は、しばしの休息に入っているらしい。床屋に行ったのだろう、すっきりとした髪型の下の顔は、顔色がとてもいい。
     とても。この表現の正しさに火村はちょっとだけ満足する。本当、近年稀に見る顔色の良さだ。慢性的な不摂生からがさがさだった唇が、全く荒れてないだけでも驚異的と言っていいだろう。
     見るからに心身ともに健康そうな有栖と裏腹に、火村は間もなく立派な不健康になろうとしていた。査読論文の締め切りが近いのだ。資料は集めた。データも揃っている。引用文献もすべて手元にある。つまり目処はちゃんとついている。しかし、その目処とやらも、締め切り前の推理作家と同じような効力しか持っていないだろう。不意に訪れる学生たち、大した中身もないのに慣例で続いている数々の会議、切っても切っても湧いてくる書類、そしてフィールドワーク。三十を過ぎた辺りから徹夜がきつくなってきているが、このままでいけば回避するのは難しそうな雲行きだ。
     それでも、起きているのに寝惚けているほどには追い込まれていないはずだ、まだ。
     大きくため息をついて、火村は有栖に話しかけた。
    「なあ、なんで俺の誕生日を盛大に祝う必要があるんだ?」
    「なんで、って祝い事に説明が必要か?」
    「お前と知り合ってからもうすぐ十……三年になるが、いままでなにか特にしてもらった覚えがないんだが。……なにかいいことでもあったのか?」
     一瞬目の輝きを増した有栖は、「うん、いや、別に」と何度か頭を振った。顔がまた火村の方を向いたときには、先程のあったかい光は密やかになっている。
    「べつに今までは今まで、これからはこれから、でええやん。過去に拘っとったらあかんて」
    「拘る拘らないの問題じゃなくて、……ってこれから?」
    「その店な、えらく評判ええんや。値段もフレンチの割にはリーズナブルで」
    「俺の話を聞く気あるのか」
    「あるで」
     明るい声で有栖は答えた。そういえば、今日ここに来てからずっと彼はとても機嫌がいい。笑顔を絶やさないわけではないのだが、雰囲気がずっと笑っているのだ。それも面白くて、とは違って、地に足が付かないような感情が溢れてしまって、という笑いに近い。
     最後に会ったときはこんなではなかったし、予兆もなかった。思えば当たり前の話だ。彼の電話によって火村は北に出向き、そこで殺人事件の捜査をしたのだから。有栖からしたら二度目のフィールドワークへの同行となったわけだが、雪深い山の中、彼はとても冷静だった。事件というものが持つ高揚しやすい性質に流されることもなく。
     その後は電話でたまに近況を報告しあったりしていたが、そのときもやはり至極普通の態度だった。三月には下旬に締め切りがあったらしく、最後に電話で話した時には確かに妙なテンションだったが、それでもこんな酔狂なことを言い出す種類のものではなかったはずだ、多分。
     それがどうだ。急に今日明日と大阪大学に用があるからと泊まりに来てみればこれだ。
     火村にとって目下、そして下手すれば生涯一番の謎を振り撒いている有栖は火村の沈黙をどうとっているのか、やはり黙って彼を見ている。そう、その目の光も妙に落ち着かない気持ちにさせる一因だ。前からその毒を孕んだ性格の割には温かい目をしている男であったが、今日はそれが特に際立っている。その光は間違いなく柔らかい春の暖色だ。
    「火村、おかわりいるか」
     急に有栖が聞いてきた。机の上のカップの中身は、確かに大半なくなっている。
    「ん、ああ。悪いな」
     少ない中身を一気に呷って、有栖に愛用のマグカップを手渡した。二人でスーパーに行ったときに投げ売りをされていたもので、有栖と色違いで買ったものだ。じゃ、待っててな、と、その色違いの自分のマグカップも手にして台所へと向かった有栖の後姿をまじまじと見ながら、火村は改めて首を捻った。有栖川有栖という人間は、あれでいて社会通念を自分よりかは愛していたと思うのだが。確かに気を置けない親友同士、二人であちこちに出かけたりもしたが、少なくとも、男二人でフレンチの、しかもディナーを食そう、なんてことを自分に許容することはなかったはずだ。そう、今までは。
     これからは違うらしい。
     火村は立ち上がって、有栖の後を追うように台所へと入っていった。
     有栖はコーヒーメーカーに粉をセットしながら、鼻歌なんぞ歌っていた。聞いたことのない歌だ。
      でもかぼちゃになったいまは
    「……かぼちゃ?」
    「そう、かぼちゃ」
     足音で判っていたのだろう、特に驚くことも、振り向くこともなく有栖は返した。「たしか谷川俊太郎やったと思うんやけど」
    「へえ」
    「君は知ってるか」
    「大昔からスヌーピーを訳してたことしか知らないな」
    「俺も大しては知らん。『二十億光年の孤独』とかは読んだな、確か」
    「へぇ、さすが作家先生ともなると、趣味の幅が広いね。俺はせいぜいルバイヤートぐらいだ」
    「よく言うわ」
     ぱちん、とメーカーをセットして、くるりと振り向いて有栖は笑った。
    「で、大人しく居間で待っとったらええのに」
    「まあ、な」
     お前の態度の浮付きが伝染して、なにか居たたまれないんだよ、となぜかいえない火村に、有栖はくすくすと笑いながら、
    「俺な、今度の新刊、本当にすぐ出るんや。だから自分から自分へ出版祝いをって思ってな。だから、そんなに気に病まなくてもええで」
    「……そういうことは早く言えよ」
    「早く言ったらつまらん」
     有栖は言う端から楽しそうにケタケタと笑い、そして火村の顔をにやりとして眺めた。つまりはからかわれたわけか。
     いいように振り回された腹立たしさと、なんともいえない罰の悪さを隠すこともないまま「この暇人」と呟けば、有栖の笑みがますます濃くなるのもまた、面白くない。
    「……ともかく、そういうことなら、お前の分は出す」
    「あかん」
     即行で拒否された。それも断固、という感じでだ。
    「なんで」
    「ともかくあかん。俺が、奢る」
    「お前、そんな余裕あるのかよ」
    「そういう問題やないんやな、これが」
    「じゃあどういう問題だよ」
     そう聞くと、有栖はまた嬉しそうに笑って「今は教えん」と返してくる。全く謎だ。
     こぽっ、こぽっ、と音を立てて、蒸されたコーヒーの良い香りが漂ってきた。異国を思わせる香ばしさが台所に広がっていく。「君、ミルク出して先戻っとって」と家主に言われ、火村は逃げ半分、条件反射半分でその言葉に従った。有栖がコーヒーを持ってくるまでの短い間に、答えが出るとは思えないが。
     果たして火村の混乱は、有栖が自分のコーヒーに少しと、火村のカップにたっぷりとミルクを注いで、台所に牛乳を戻しに行って、居間に帰ってきて定位置に座ってもなお、案の定続いていた。
    「なにをそんなに悩んでるんや。食事に二人で行くなんて今更な感じやんか」
    「そこは大して悩んじゃいねえよ。その周りの付加価値について悩んでいるんだ」
    「付加価値とは」
    「例えば、その心斎橋のフレンチだ。出版祝いと誕生日に男やもめが二人でいく場所じゃねえだろ」
    「なんや、細かいところに拘っとるなあ。あの店の評判は前から聞いてて興味あったし、どうせなら一人より気心しれた人間と行った方が飯が上手いやんか。ただ量が女性サイズらしいから、帰りにラーメン食ってこうな。金龍ラーメンとか」
    「……食後に金龍ラーメン食えるほど、胃は丈夫じゃねえよ、多分」
    「なんや、そんなに疲れとるんか」
     今度は忽ちに心配そうな顔になった友人に、火村は内心慌てて「いや、ただ年の話だ」と返す。するとまた「そうか」と安心しきった顔に戻るからまたこれが居たたまれない。喜怒哀楽が激しいきらいはあったが、しかしここまでではなかったと思う。
     火村はしばらく考え込んだあと、とりあえず当面の問題に対する対処法だけを決定することにした。
    「そうだな……、じゃあ、礼をさせろ。それでチャラにする」
    「チャラってまた、随分と高飛車なことを」
    「ともかく、友人にフレンチのディナーを奢って貰って、平気なほどまだ面の皮は厚くねえんだよ」
     どこかに照れが滲んだことを自覚しながら告げると、有栖は「ほんま気にしなくてもええのに」と小さくぼやいた。しかし、フレンチのディナーの相場を考えれば気にしないなんてことは出来ない。それは立場が逆でも同じだろう。
    「ほら、なんかないのか。それとも後でにするか」
    「いや、後でもいらんのやけど……。あ」
     有栖が明後日の方を見た途端に、突然なにかを思い出したように声を出したから、火村も釣られて有栖の視線を追うが、そこにはカレンダーがあるだけで特に変わったところはない。が、次の瞬間、火村はまた自分の耳を疑った。
    「なら、カレー作ってくれんか? うんと美味いの」
    「は?」
    「やから、カレー。確か君、論文の締め切りがあるんやったな。だったらそれが終わった連休辺りに」
    「だからなんで」
     言いながらもう一度カレンダーを見て、火村はそういえば、と思い出した。ゴールデンウィーク明けに出会って、はじめて一緒に食したものは学食のカレーだった。確か。
     火村のその読みは当たってたらしい。表情から読み取ったのだろう。有栖は「そうや」と返した。
    「やっていい思い出やん。そういうときにそういうものを食べながら、っていうのは乙なもんやと思わん? あ、具は豪華にな。シーフードカレーなんかええな」
    「お前……、それ、相当にロマンチストだぞ。恥ずかしくないか?」
      むず痒いような照れと呆れが混ざった感情のまま問えば、
    「なんで恥ずかしがらなあかんのや。ともかく、連休にお手製のカレーでパーティや。費用は君持ちで」
    「俺もちはいいけど……。って、お前毎年その頃は旅行行ってなかったか? 今年は取りやめかよ」
     火村の問に、有栖はきっぱりと答えた。
    「うん、今年はいかん」
    「なんで」
    「行かん、っていうか行けん、っていうか、行く必要がないっていうか」
     これもまた良く判らない。
     背中にどでかいクエスチョンマークを背負っているのが見えるのだろう、親友は軽く笑って、
    「去年は旅行にも行ったけど、今年はもう動けない、ってな」
    「なんだ、実はスケジュールが詰ってるのか」
    「いや、さっきの詩。かぼちゃになったから、もうどこにもいけんし無駄なことも考えない、っていう中身なんや」
    「なんだ、不条理系か」
    「君は詩の象徴的なものを敢えて無視しとる」
    「生憎と曖昧なものは商売上切り捨てる癖がついてるもんでね」
    「よくいうわ。ともかく、まあ、そんな感じなんやな」
    「……すまん、まったく良くわからないんだが」
    「やから、今はわからんでもええって」
     今はな。とにっこりと告げられて、火村はつい黙ってしまった。そこに電話が掛かってきたから、会話もそこで一旦打ち止めになる。
     しかし、一体なんなんだ。
     電話の相手と楽しそうに談笑する有栖を見ながら、火村は改めて今日の有栖について考えた。なによりも根源的な問題は、いったい何があってあんなに嬉しそうなのか、ということだ。半月足らずの間に、どんな劇的なことが起こったというのだろう。それくらい根本からの歓喜を、火村は感じるのだ。
     しかし、有栖の私生活を詳しく知っているわけがないから、その問いかけは当然すぐに行き詰まった。想像出来る範囲では今度出るという新刊が会心の出来だとか、次に書く話のトリックが生涯最高なものになりそうか。
     あとは、と首を捻るばかりの火村に、電話を終えた有栖が「それじゃいくか」と声をかけてきた。
    「行くって?」
    「今度は本当にボケたな、火村。夕飯や、夕飯。言ったとおりこの家にはなんもない」
    「あ、ああ」
     そういえば、一休みしたら外に食べに行こう、と言い合ってたことを思い出して、火村はそそくさと立ち上がる。その様子を横目に、有栖はまた鼻歌と共に、自分のコートを取りにだろう、寝室へと入っていった。
    「しかしご機嫌だな」
     玄関でそういうと、「まあな。でもそりゃそうだろう、っていう感じやし」とまた自己完結した答えが返ってくる。
     不思議な気分のまま有栖に続いて外に出ようとした火村は、ふと先程寝室に行く前有栖が歌っていた歌のことを思い出した。
    「なあ、さっき歌ってたのも谷川俊太郎か?」
    「そう、かぼちゃの詩の続き。まあふと思い出しただけやから、正確やないんやけどな」
    「どう続くんだ?」
    「気になるか」
    「まあな」
     火村が返すと、有栖はまたぱっ、と顔全部で笑って、一言告げた。
    「教えへん」
     そんなに気になるなら、自分で調べ、と明るく言いながら、有栖はさっさと歩き出す。
     なんなんだよ、とつい愚痴りながら後に続いた火村は、突然「これからはこれから」という先刻の有栖の言葉を思い起こしてしまい、そこに込められた予言めいた予感から、意識的に目を逸らしたのであった。
     
      ――かぼちゃになったいまは ただ美味しくなることを考えるだけ
    いずみのかな Link Message Mute
    2022/06/26 18:39:23

    わたしはカボチャ

    #有栖川有栖 #作家編 #BL
    出来上がる前。ハロウィンに更新した火村の誕生日ネタです ほくほくのかぼちゃの君とぼく

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