パンケーキとコッペパン草むらの隅にそのポケモンはいた。ココアパウダーにふんわりと包まれたような、淡い茶色の体。まるまるしい手足にホイップクリームをちょこんと乗せたような、可愛らしい白のつま先。南国の風を抱いた爽やかな水色の瞳はだが、今は雨の気配に潤んでいた。少女はこれ以上怖がらせまいと、ぷるぷる震えているライチュウへ努めて明るい声をかける。
「へ、ヘーイ!アローラ!」
だが、ぎこちない第一声は道路に響き渡るだけで終わった。びくりと身を震わせ、サーフボードのような尻尾を抱きかかえるように縮こまってしまったライチュウに、少女はがっくりと肩を落とす。
「だめかぁ……」
どう見たって迷子のポケモンだし、どう見たってカントー地方のライチュウではない。いわゆるリージョンフォーム、アローラ地方のライチュウだ。そして陽射しにとろけるバターのごとく黄色い耳から、パンケーキのようなふわふわの体のどこをどう見たって、見知らぬ場所と少女に怯えているのは明らかだ。クチバシティの外れとはいえ、ここは野生ポケモンが多い。襲われる前にどうにかトレーナーのもとに連れていかなければと思ったのだが、結果はこの有様である。ため息をついて相棒のリザードンをちらりと見れば、呆れたような冷たい視線を返された。
このまま逃げてしまったらどうしようかと思ったが、幸いなことにライチュウはまだ立ち去る気配を見せなかった。こちらの様子をこわごわと伺うに留めている。少女はよし、と気を取り直した。今度は呆れた眼差しに、ほんの少しだけこちらを案ずるような色を交えたリザードンの角を撫でてから、少女は一歩前に足を踏み出した。
「ねえ、あのさ」
砂利を踏む音に、寝ていた黄色の耳がぴんと立つ。ライチュウは警戒心を強めたようにより強く尻尾を抱きしめると、少しだけ宙に浮き上がった。対して少女は地面に座ると、穏やかな声で語りかける。
「こわいよな、そりゃそうだよな。私だってきっと、君と同じことになったら、こわくてたまらないとおもう。だから、安心してなんて言えないけど」
少女はライチュウに微笑みかけた。
「少なくとも私は、君にこわいことなんて絶対にしないから。そこだけは、絶対に大丈夫だから。テオは……えーと、後ろのリザードンは怖く見えるかもしれないけど、こう見えて結構いい奴なんだ!君を空から見つけたのもテオだしね!……あいてっ」
余計なことを言うなと言わんばかりに、尻尾で軽く背中を小突かれる。思わずテオを見上げれば、鼻を鳴らしてそっぽを向かれた。やれやれと苦笑いしつつ、少女は再びライチュウに向き直る。
「だから、よければでいいんだけど……私と一緒に、来てくれないかな?君が、君の大事な人とまた会える、そのお手伝いをしたいんだ」
だめかな、と少女は木漏れ日の下で首をかしげる。ライチュウはしばらくの間、微笑んでいる少女を見つめていたが、やがてそっと地に降りた。そうして耳を寝かせたまま、おそるおそるといった風に少女のもとへと近付く。手を伸ばせば触れられるくらいの距離までやってくると、少女の匂いをふんふんと嗅いだ。しばらく耳をぱたぱたと動かしながらそうしていたが、やがてライチュウは少女の顔をじっと見上げた。つぶらな瞳はまだ躊躇いがちではあったが、雨の気配はすでに去っている。雲間に射す一条の光を宿した水色の瞳に、少女はにっこりと笑った。背を優しく撫でる少女の手の内で、逆立っていた柔らかな茶色の毛がふわりと緩む。その時だった。少女がベルトに携えたモンスターボールの1つが突如光ったかと思うと、中から1匹のポケモンが飛び出してきた。焼きあがったつやつやのパンのような、薄いオレンジ色を帯びた体。ビロードを思わせる短い毛に包まれた、ふこふこの焦げ茶の前足。長い尻尾の先で輝く大きな雷は、いつだって元気いっぱいだ。きょろきょろと辺りを見回すそのポケモンに、少女は目を丸くする。
「リュゼ」
名を呼ばれたカントー地方のライチュウは 、背後の主に気付くと元気よく前足を上げて挨拶をした。
「らいちゅ!」
リュゼはそのまま、視線を横にずらす。すると驚いて固まっているアローラのライチュウと目が合ったらしく、焦げ茶色の瞳を嬉しげに輝かせた。そうして二、三度耳をぴこりと動かすと、興味津々といった風情でアローラのライチュウに近付く。どうやらモンスターボールの中にいた時点で、外に姿の違う同族がいるのを感じ取っていたらしかった。リュゼはアローラのライチュウと鼻先が触れ合うほど近付くと、楽しげに鳴き声を上げる。
「らいらい!」
「……らぁい、ちゅう?」
「らいらー、ちゅーう!」
「……らいらい?」
おずおずと控えめな様子のアローラのライチュウに、リュゼはにっこりと笑いかけた。それから自分と同じ色の頬袋が気になったのか、両手で自分の頬袋にむにむにと触れてから、触らせて欲しそうな鳴き声を交えて相手の頬袋を指し示す。アローラのライチュウは一瞬躊躇った様子を見せたが、リュゼにそっと頰を差し出した。リュゼはぱっと顔を輝かせると、ソフトなコッペパンチよろしくアローラのライチュウの頬袋に触れる。ふこふこ。むにむに。ふこふこ。むにむに。やがて周囲にほのかな甘い匂いが漂い出し、くすぐったそうにアローラのライチュウが笑いだすまで、リュゼはしばらくそうしていた。そして今度は遠慮を無くしたまるまるしいホイップクリームの手がリュゼの頬袋を触ると、ぱちぱちと静電気が弾ける。面白そうに目をきらきらさせたアローラのライチュウに悪戯っぽく笑いかけると、リュゼは相手の額に自分の額を擦り寄らせた。そうして高らかに一声鳴くと、アローラのライチュウを追いかけっこに誘うようにぴょこりと跳ねる。アローラのライチュウもそれに応じるように鳴くと、リュゼを追ってぽてぽてと走り始めた。木漏れ日の下でじゃれあう二匹の鳴き声が、ころころと地面を転がるように響く。
一連の流れを見守っていた少女は、ほっと肩から力を抜いた。緩やかな弧を描いた唇からは、自然と笑みが溢れていく。
「良かったぁ、ちょっと元気になったみたいで」
幸い、周囲にまだ野生ポケモンの気配はない。クチバシティの港に連絡は済ませてあるから、もう少しこのまま様子を見ていよう。
先ほどよりも少しだけ穏やかな目つきのリザードンの背を撫でながら、少女は密やかにそう思った。