夏とアイスとふわふわシャンプー暑い。どうしようもなく暑い。クイタランも目を回してマグマッグも溶けてしまいそうな暑さだ。なーんにもやる気が起きないのもしごく当然ってもので、だからこそ近所で買い物を終えて帰宅した少女は、ぐだりと床に伸びていた。体を撫でていくエアコンの風に何とか生気を取り戻し始めたころ、青い影が音も無く少女の上に落ちてくる。
「ニルギリ」
名を呼ばれたゲッコウガは返事をするように一声鳴くと、少女の元に屈みこんだ。いつもより力のない主の声に心配になったのだろうか。非戦闘時ののんきな糸目も何処へやら、赤い瞳は気遣うような光を帯びてこちらを見つめている。次いで湿気を帯びたひんやりとした手で額をぺちぺちと撫で、長い舌先で頰をぺろりと舐めてきたものだから、自然と笑みがこぼれてしまった。
「ありがと。いやあほんと、暑くて困っちゃうよねぇ」
いつものように舌を撫でると、ようやく安心したらしい。ニルギリは朗らかに喉を鳴らすと、どこに隠していたのか2本のアイスバーを少女へと差し出した。爽やかな夏空を映した青と、鮮やかな夕暮に染まった桃色。キンキンに冷やされたその二色に少し迷ってから、少女は青いアイスバーを選んだ。そんな主に満足そうに鳴くと、ニルギリは起き上がった彼女の隣に座る。それから器用にビニールの包装を剥いて、桃色のアイスを一口ぱかりと口にした。美味しそうにむぐむぐと頰を動かすニルギリにほわりと花が咲くような気分になりながら、少女も自分のアイスを口にする。少しのオボンの実の渋みと、涼やかな朝露に似た甘味がした。ああ、夏だ。何というか、すごく夏という感じがする。
「ねえ、ニルギリ」
三口目を食べ終えたニルギリは、きょとんと目を瞬かせた。風にそよいだ風鈴の音が、ちりんと響く。
「それ、食べ終わったらさ。めちゃくちゃ暑いし、なんかワクワクすることしたくない?」
だが楽しげな笑みを浮かべた少女に目を細めると、ニルギリは元気よくゲコリと鳴いた。そんな相棒の反応に、心へ咲いた花がきらめくのを感じつつ、少女はよいしょと立ち上がる。
「よし、じゃあ食べ終わったらお風呂場に行ってて」
嬉しそうに再び鳴くと、ニルギリは残りのアイスをぱくりと頬張った。それから素早く立ち上がると、ぺたぺたとリビングを歩いていく。少女は青い後ろ姿を見送ってから、手早く自室で濡れてもいい格好に着替えた。次いで買い物袋の中からあるものを取り出し、浴室へと向かう。そうして扉を開ければ、浴槽の縁に腰掛けたニルギリが視界に入った。マフラーのように巻いた舌を緩め、綻んだ口元を少女へ見せた彼はだが、不思議そうに首を傾げた。丸くなった赤い瞳は、少女が手に持った物をまじまじと映している。
「ふふ、手を出してごらん」
きずぐすりのスプレーに似たそれの前に、ニルギリは言われた通り手のひらを差し出す。少女は軽くスイッチを押した。すると排出口からもくもくと出た泡が、あっという間に水掻きいっぱいにまで広がった。驚いたように目を見張るニルギリに、少女は悪戯っぽく笑いかける。
「カエルポケモン専用シャンプーだよ!普段より泡がしっとりしてるでしょ?」
ペロッパフよろしく己の手に積み上がった泡をしげしげと眺めたニルギリは、そっと手のひらから小さな水柱を繰り出した。飛沫を散らしながら上下する水柱に合わせてふわふわ浮く泡に、目をぱちくりさせたまま感嘆するように小さく息を吐いたニルギリへ、少女は柔らかく問いかける。
「気に入った?」
ニルギリは少女へ視線を戻すと、口をぱかりと開けて笑った。きらめく涼風に花がそよぐように、少女も弾んだ声音を返す。
「良かった、じゃあ今から洗ってあげるね。ニルギリ、舌はしまってくれる?」
機嫌よく喉を鳴らすと、ニルギリは首に巻いていた舌をしまった。そうして少女に体を洗われている最中も、お手玉のように軽くぽんぽんと泡を宙に放ってはキャッチして、の仕草を繰り返す。もしかしたらケロムースを思い出しているのかもしれないと、少女は密やかに微笑ましくなった。だが何か閃いたように服の裾をひっぱってきたニルギリの方に顔を向けると、彼は楽しそうに鳴きながら、小さなみずしゅりけんを模した泡を少女へと見せてきた。器用なことをすると感心したのも束の間、ふわふわしゅりけんがぽすりと少女の頰にヒットする。
「あ、やったな!」
ニルギリは浴槽に腰掛けたまま、けろけろと笑っている。こうかはばつぐんだ、主に少女の悪戯心に。
すかさず少女もぺしゃりと泡をぶつけると、ニルギリは目をきゅっとつむった。そのままくすぐるように頰をむにむに触ると、目を瞑ったまま喉を鳴らして笑う。それからぴょんとジャンプして宙を一回転したかと思えば、青い影は一瞬で少女の視界から姿を消した。少女が首を傾げたのもつかの間、今度は背中をちょんとつつかれる。振り向いたら今度は額に泡を当てられた。少女も負けじと泡を投げる。ぺしゃり、ぽすり、またぺしゃり。気づいたらお風呂場が泡まみれになってしまったが、それと同じくらい笑い声も重なり合って、窓から差し込む夏の陽にきらきらと輝いていた。
その後、泡まみれになってしまったお風呂場を片付けた後で。もう一度二人でシャンプーを買いに行ったのは、この夏の内緒の話だ。