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    鮫愛づる姫君:その一ホオリの記憶に森はない。幼いころから慣れ親しんできたのは、白亜の壁や天井だ。
    ゆえに、何をするにも飽きたとき、彼女はよく外を眺めては想像していた。
    海上から差し込む光を受け、銀の小玉と化す泡沫。桜色の巨大な珊瑚樹はわだつみの始まりを夢見ており、たゆたう海藻は細波(さざらなみ)の歌をささやく。そのはざまを色とりどりの魚が鱗をきらめかせては泳いでいく、そんな様を。
    いつかはあの場所を訪れたいと、窓から覗く森の端に願ったこともあった。友から聞く話に胸を躍らせ、彼から手渡された絵巻に目を輝かせたこともあった。

    それが、まさかこんな形で叶うとは。

    蘇ってくる苦い思いに、下唇を噛む。剣の柄を握りしめている手が、強張りそうになる。
    それでも何とか前を見据えたのち、ホオリはすでに暗くなっている森の中を歩き始めた。
    錦の森とうたわれた珊瑚の群れは闇にのまれ、鮮やかな色彩を失っている。小魚一匹泳いでいない中、動きのあるものと言えば磯巾着や海藻だけだ。もっともそれらが難破船の近くで揺れ動いている様は幽鬼の影のように思え、到底親しみのわくものではなかった。
    自然と足取りが早くなり、夜の重たい黒の帳を、剣の輝きではらうようにして最奥を目指す。
    歩き続けて半刻ほど経っただろうか。湿った土の道はついに果て、ホオリは行き止まりに巨大な楼門を見つけた。弓なりの柱は色褪せ、フジツボや藻に食まれている。二頭の鯱(しゃちほこ)像は、魚鱗の葺かれた屋根の両端にすえられたまま、微動だにしない。火除けの獣たちは静謐さのもと、おぼろげな月の光に清められているのみである。

    『神域において、火は禁忌として扱われている。祓いの門を守る鯱が、他より大きく造られているのはそのためだ』

    瞬きをしない玻璃の瞳に、ホオリは低くそっけない声を思い出す。あの言葉は本当だったのだなと、ぼんやり二頭の鯱を眺めていたときだった。心にまとった薄絹の衣をはらうかのように、門の向こうから鈴の鳴る音が響く。続いて女の声がホオリを呼んだ。

    「姫様」

    ホオリはゆっくりと、呼び声の主へと顔を向けた。
    顔の半分を覆う布。すその長い衣。ささらさらと衣擦れの音を立てる、長い裳(も)。
    目の前に現れたのは、上から下まで純白の衣装に身を包んだ巫女だった。静かに佇んだままのホオリに、巫女は細よかな身を折るようにして頭を下げる。

    「お待ち申し上げておりました。どうぞこちらへ」

    言葉短く礼を言い、ホオリは門をくぐった。用意されていた天蓋付きの輿(こし)に乗り込み、帳が完全に降りてくるのを待つ。そうして、周囲の景色と自分がだんだんと薄紅の布で仕切られていく中、ホオリはふと、自分の手首を縫う緑に視線を落とした。
    翡翠で作られた腕の輪飾り。まだ彼女が幼かったころに、友から譲り受けた品だ。当時は返すものがないと困ったものの、ホオリが微笑みを向けた彼は今ここにいない。彼の者ははるか遠くの地で縛められ、剣の裁きを待っている。

    「……ヤヒロ」

    掠れた声で、異形と呼ばれた友の名を呟く。連なる緑玉の美しさが、錐と化して心を刺す。
    揺れ動く輿の中、ホオリは腕輪にそっともう片方の手を添えた。指先に沁みるような翡翠の冷たさが、しまわれていた古物語に色をつけていく。

    【鮫愛づる姫君】

    天から射す日の光が柔らかな、ある朝のことだった。浮き立つようなざわめきに染まった風が、貝殻の風鈴を揺らしていた。半開きのしとみ戸から流れ込む笛の音は、白い部屋に春を息吹かせるかのようだ。続く笙の音が、萌黄の香となって空間に漂う。
    胸の内に花が咲いた心持ちになりながら、ホオリは軽やかな音色に目を細める。そうして柔らかな表情を崩さぬまま、彼女は膳を持ってきた采女(うねめ)に問いかけた。

    「ねえ、タマヨリ」
    「何にございましょう、姫様」
    「きょうはずいぶんと、みやのなかがにぎやかね。おかのかたがいらしているのかしら」

    青海原の奥底にものす宮、竜宮。ホオリたちの住むこの御殿は、神産みの世の大昔からそう呼ばれている。底綿津見神(そこわたつみのかみ)に仕える一族の始祖、初代龍王と乙姫が、御神からこの宮を賜ったと伝えられているためだ。
    金銀の財まばゆく、種々の魚が舞い踊る朱塗りの御殿。波の穂を踏み天地を吹き抜け、竜宮の様をそううたった海風に、昔人は常世の国を夢見たのだろうか。かつては陸(おか)の国の民人が、白木の船に乗って竜宮を訪れることもあったのだという。
    采女もその話を思い出したのか、曖昧に微笑む気配がした。杯に注がれた薬湯から、ほのかに湯気が立ち上る。

    「そうでしたらよかったのですが」

    目を瞬かせるホオリに、采女はゆっくりと説明した。

    「近く新しい采女たちが宮入りするので、その式の支度が執り行われているのです」
    「まあ、そうだったの」

    ホオリは窓の方に顔を向け、穏やかに言葉を続けた。衝立に描かれた、山を背負う五色の亀が、ちらと視界の端に映る。

    「もうそのようなじきだったのね。きがつかなかったわ」

    竜宮の中でただひとつ、白一色に統一されたこの部屋で、季節が移ろいを見せることはあまりない。せいぜい吹き込んできた桜の花びらが、そっと寝台の上に舞い降りる程度だ。そしてホオリは、春の薄紅がくすんで土に洗われる頃合いになっても、この部屋からは出られない。
    それはただの事実。ながいながい時を積み重ね、今更涙で濡らす余地もない、ただの黒い文字の羅列だ。だが采女の目には、静かな微笑みで綴られたホオリの言葉に、違う色がついて見えたらしい。たちまちこわばった女の声は、ためらいに透けていた。

    「姫様」

    はっと小さく息をのみ、ホオリは采女を振り向いた。ほんの一瞬、軽く見開いた少女の目と、いたましげに細められた女の目がかちあう。その間に采女の開きかけた口はつぐまれ、続いたはずの言葉は伏せていく視線とともに床に落ちた。ああ、しまった。沈黙が色濃く影を落とす中、ホオリは胸の内でそう呟く。それから、所在なさげに佇む采女に苦笑を浮かべた。

    「ごめんなさい、こまらせてしまったわね」
    「そのような……滅相もございません」

    ホオリが自室に下がってもいいと言うと、采女は滑るようなすそ裁きで部屋から退出していった。手にきっちりと巻かれた、呪い封じの長布。魔を祓う濃紅(こきくれない)の覆面頭巾。退魔の装いに身を固めた女の後ろ姿を、ホオリは微笑んだまま見送った。部屋の入り口まできたとたん、はりつめていた采女の肩が安堵の形に丸くなったときも。それまで哀れみと恐れがないまぜに沈んでいた彼女の瞳に、光が一筋射したときも。

    (しかたのないことだわ)

    この世に生まれ出たとき、ホオリの体はすでに病に侵されていたのだという。か細い声で泣いた小さな赤子は、三日三晩の間幾度も黄泉への坂を下りそうになったが、種々の薬と手厚い看護の末にどうにか命を繋いだ。だがホオリが現乙姫の娘として成長した今でも、病魔は依然として彼女の身の内に息づいている。半月に一度はホオリに高熱や咳の暴威を振るい、果てには宿主の肌に触れる人間へ、呪いのごとく病を転じさせる牙まで生やして。
    ゆえにこの部屋に出入りする者は皆、病魔を除けるための覆面頭巾と長布を身にまとうのが掟だ。だがしかし、どんなに対策を連ねようとも、己に病が転じる可能性は考えてしまうものなのだろう。先ほどの彼女が怯えるのも無理のないことだと思いながら、ホオリは膳に添えられた箸をとった。柔らかく炊かれた御飯を囲うようにして並んだ小皿の群れは、極彩色の体を成している。料理の整ったよい匂いを前に手を合わせた少女は、ひとりでゆっくりと食事を始めた。
    しばらくして、ホオリはふと、紅や橙や緑に美しく彩られた一つの皿に、数日前の乙姫の出で立ちを思い出して手をとめた。声のない部屋に人の面影はよく浮かぶ。久々に会った母は相変わらずうるわしく、相変わらずホオリに優しかった。その母が突然、そなたに侍従をつけさせようとホオリに告げた胸中は、ある程度時の流れた今でもよくはわからない。

    (わたくしはいまのままでも、なんらふじゆうはないというのに。ははうえはどうして、あのようなことをおっしゃられたのかしら)

    答えの出ない問いの底で、今日も不安と戸惑いが等しく流れているのを感じながら、ホオリは汁物のいれられた椀を見つめた。侍従となるのは果たしてどのような者であろうかと液面に問いたところで、そこに映るのは頼りなく揺れる自分の顔だけである。

    (だいじょうぶ、だいじょうぶ)

    自らにそう言い聞かせ、ホオリは何とか強張った表情を緩めにかかった。椀の中に浮かんでいる金針菜(きんしんさい)が、再び微笑みを浮かべた少女の鏡像に重なる。
    笛の音は、まだ止むことを知らない。
    ほるん Link Message Mute
    2022/08/31 19:26:20

    鮫愛づる姫君:その一

    竜宮城に住んでる少女とその世話をしてる人外の話の始まり。今回はプロローグになります。
    #オリジナル #人外 #少女 #創作

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