天使が見ないふりをする 夜が、嬉しい。
月の明るい日曜の夜。事務所は休業で、ジョンはお出かけしている。俺とドラ公、二人きりで何をしようとなって、じゃあ久々に映画でも観ようか、という事になった。お互いにおすすめを選んで、順繰りに観る。まず俺が選んだのは、漫画原作のアクション映画。ドラ公は「この監督原作ちゃんと読んだの?」だの「このオリキャラいらなくない?」などと不平満々。うるせえな! じゃあお前が選んだのはどうなんだよ、と観てみると案の定のクソ映画。こちらも漫画原作なのだが、改変どころか脚本はボロボロ、演技は下手くそ、CGは安っぽく、食事シーンでは何故か弁当箱の中にいがぐりが入っているなど、何故? の連続。褒めるところが一つもない。しかしドラ公は手を叩いてゲラゲラと笑う。
俺が勧める映画をドラ公は馬鹿にするし、ドラ公が勧める映画は俺には全く引っ掛からない。しかしだからと言って、じゃあお開きにしようか、とはならず、ソファに横並びになって、ポップコーンを食べたりなんかしながら、二人でだらだらと長い夜を過ごす。
「ねえ、ちょっと寒くない?」
「あ?」
深夜三時を過ぎた頃、ドラ公がぽつりと言った。仕方ない、毛布でも取ってきてやるかと立ち上がると、ドラ公は俺の袖をつかんで、そうじゃなくてさ、と呟いた。
「あー……」
ソファに座りなおして、ほら、と膝を叩く。こういう関係になってから、ごくまれにだが、ドラ公はこうやって甘えてくるようになった。まだ、慣れない。気恥ずかしさに顔を背けると、ドラ公はちょっと笑って俺の膝に乗った。やはり、慣れない。軽すぎて細すぎる身体を、後ろからそっと抱き寄せて、青白い頬に頬を摺り寄せる。
「……冷たい」
「君は温かい」
慣れない。どうしても、慣れない。心臓がいやにうるさい。ぴったりと寄り添った体越しに、きっと俺の心音はドラ公に伝わっているはずだ。きっと今にからかわれる。ああくそ、恥ずかしい、止まれ、止まれと心臓に命じるが、鼓動は止まらない。というか止まったら死ぬ。いや止まらなくても死にそうだ。意識すればするほど、心臓の音は大きくなる。しかしドラ公は気にした様子もなく、じっと映画を見続ける。
「ねえ、次はどうする?」
「え? あー……」
ヘルシング、はもう何回も観たしな。それにどうせ何を観せたって、ドラ公は不平を垂れるに決まっている。じゃあいっそこいつ好みのクソ映画でも勧めてみるか、いやでもそれはちょっと癪だなぁ――なんてことを考えていると、ドラ公がふふっと笑った。
「なんだよ」
「趣味合わないなーと思って。私たち」
「そうだな。俺はお前と違って趣味がいいし」
「えー、私も悪くないと思うんだけど」
なんとなく沈黙する。こういうのを、天使が通る、と言うらしい。
「……」
「……」
「……キスしないの?」
「あッ、う……」
天使も逃げ出すようなその台詞に、心臓が跳ねる。高鳴る心音に合わせて、自分の顔がどんどん熱くなるのがわかる。そりゃ、キス、今すぐしたい。けれどなんだか上手く遊ばれているようで、面白くない。
「して欲しいのかよ」
「別にぃ」
映画に目を向けたまま、ドラ公が楽し気に言う。して欲しいなら素直にそう言えばいいのに。可愛くない奴。
「したいなら素直にそう言えばいいのに」
「してほしい、の間違いだろ」
また天使が通った。慣れない。本当に慣れない。こういう時って、どうすればいいのだろう。しばらくうんうんと悩んだが、恋愛初心者の俺に答えなど出る訳がなく、諦めてドラ公の頬に唇を落とした。ドラ公はまた、小さく笑った。
「やっぱりしたかったんじゃない」
「お前がして欲しそうだったから」
「素直じゃないなぁ」
「それはお前だろ」
「ふふ」
そうやって俺の腕の中で笑うドラ公は、困ったことに死ぬほどかわいい。胸の奥から愛おしさがあふれ出してくる。クソ、嬉しい。お前といると、夜が嬉しい。クソ、絶対言わねえ。めちゃくちゃ可愛いし死ぬほど好きだなんて、絶対言わねえ。お前と二人きりの夜は特別だなんて、絶対に。
きっと今口を開いたら墓穴を掘る。そう思って、肩に鼻を摺り寄せてじっと黙り込む。ほんのりと香るドラ公の匂いは、身体の奥まで入り込んで、俺の心臓をどんどん叩いた。天使が通る。天使が通る。ドラ公は相変わらず、じっと映画を見つめている。
「……ねえ、うるさいんだけど」
「……一言も喋ってねえだろ」
「いや、君の心臓」
「うッ……」
「おかしいなぁ。チャームは使えないはずなんだけどなぁ」
「……」
「ドラドラちゃんの可愛さにやられちゃった?」
「……うるさい」
と、ドラ公がもぞもぞ動いて、赤い瞳が俺を捉えた。なに、と言おうとした唇に、そっと唇が重ねられる。
「……」
「……」
天使が通る大渋滞。体中の血液がぐらぐらと沸く。ああ、もう、本当に、慣れない! ドラ公はそんな俺を見ると、楽し気に目を細めた。
「……ねえ、次は何みる?」
「もう、充分だろ!」
ドラ公の腰を掬って、そのままソファに押し倒す。相変わらず心臓がうるさいし、血が上って頭がくらくらする。漏れ出る息をかみ殺しながらドラ公を見やると、俺の恋人は相変わらず楽し気にけらけらと笑っていた。
「ほんと、ロナルド君って、かわいいねぇ!」
「うるせー、馬鹿!」
それ以上何も言わせないとばかりに、唇を塞いだ。冬の夜はまだまだ長い。お前といると、あんなに嫌だった夜が嬉しい、なんて。