先生が×××なのがいけない 最近一緒にいることか多くなった友人、深町尚哉から飲みに誘われた難波は、チューハイと多少のツマミを持って尚哉の家に行くことになった。しかしピンポーンとチャイムを押すと現れる家人――尚哉の顔を見て驚きのあまり言葉を失った。尚哉はかなり疲れ果てたように、難波を迎え入れたのだった。
「ふ……深町?大丈夫か?今日は止めとくか?」
「いや、大丈夫だ。寧ろ飲ませてくれ。難波に相談したいことかあって……」
自分のことをあまり語らない友人から相談事とは。初めて自分を頼ってくれたことに心が温かくなるも、そんな顔になるまで思い詰めていたことに心配する。
「分かった。ちゃんと聞かせてくれ」
「ありがとう――狭いとこだけど入ってくれ」
小さいながらもきちんと片付けられた部屋に通され、適当に荷物を下ろして座る。一人用かと思われるちゃぶ台の上に無造作に買ってきたものを置いて、尚哉を待つ。
「色々買ってきてもらって悪い。あとでちゃんとお金払う」
「おう、買うのは別にいいけど……」
物静かな尚哉の、しかしいつもの歯切れが無くてそっと顔色を伺う。目には少しクマが出来ていて、疲労が見えた。会話の糸口を探すより早く尚哉の手が酒の缶を掴み、プルタブを引く。プシュッと子気味の良い音と共に開いたアルコールを持つと、慌てて難波も缶を開け「お疲れ」と声をかけた。
グビグビと一気に煽る尚哉に、悲しいかな難波は一言も声をかけられなかった。いつもなら軽口でも叩くのに、こんな時こそ何か気分を紛らわせてあげたいのに。
「悪いな。酔ってないとちょっと話辛くて」
そこまで言われて、逆にどんな相談事を持ちかけられるのか難波の胸が余計にそわそわしてしまう。難波自身のたわいない話をして、簡単にツマミとチューハイを煽りながら尚哉が話してくれるのを待つこと十数分。
「……難波」
「……おう」
ついに来た。どこか覚悟を決めたような尚哉に、難波も正座してその先を促す。ごくりと尚哉が唾を飲み込んだあと、難波を見つめて言ったのは。
「好きな人が、えっちすぎて困ってるんだ」
――こんな内容だった。
*****
「悪い……えーと、もう一回聞いていいか?」
「だから、先生が……あ、いや、俺の知り合いが色っぽすぎて……困ってる」
「……お、おう」
なんと尚哉から色恋に関する相談をされる日がくるなんて。初めての相談内容に戸惑いながらも、難波の聞く姿勢は崩さない。
「その人ってさ、最初の印象としては穏やかとか、爽やかなイメージだったんだけど」
「おう」
「最近、変わって見えるようになってきて」
話す内容はぶっ飛んでるが、悲痛な面持ちでそう伝える尚哉から難波に絶望感が漂って来る。そこまで悩んでいたのか、気が付いてやれなくて悪かったな。そう言葉をかける前に、酒で勢いついた尚哉がついに前のめりになった。
「どこから話そう……。まとまってなくて悪いな。最初はその人の手が気になって」
「手?」
そう言って難波は自分と尚哉の手元を見つめる。
「元々キレイな手をしてるな、て感想だけだったんだけど。あ、ホラ、例えばカプチーノを飲むと口に泡が付くだろ」
「あー……なんかわかったかも」
尚哉によると、その人物は口に付いた泡を尚哉を一度チラリと見て微笑んでから、ゆっくりと指先で拭うらしい。その話だけで、相手は尚哉をかなり意識しているように聞こえる。
「そこから派生して、今度はその人の唇が気になりだして……。そういえば、冬でも関係なくぷるぷるでツヤツヤだなって思ったら、もう唇にしか目に行かなくなって。この間はそれ見て自分の唇を舐めてて引いた」
「………唇はなぁ、一番エロいよなぁ」
知らずのうちに唇を触る尚哉に、相槌を打ちながらも難波は頬を緩めた。なんだかんだ言って、尚哉は難波と変わらない普通の男子なのだ。気になる誰かにそんなことをされたら、誰だって悩むだろう。
「あと視線かな……時々見られてる気がして。それに反応して見返したら天使の笑みみたいにニコって微笑まれて、その瞬間体がゾワっとするんだ。心臓もドキドキして、ソワソワして挙動不審になるし。それで、俺の変な挙動見られてる?って思って見返したら違うとこ見てたり、別の人と話してるし……」
「……あー、それはそれは……」
見られていなくてほっとするも、それはそれて寂しい思いをするやつだ。その気持ちは、分かる。自分だって愛美に対して片想いをしていた時があるから。
「あと……最近よく手が触れる気がするし、いい匂いするし、俺が見てると自然な動作で耳かけしだして可愛い耳が見れるし、内緒の話でもないのに耳の近くで話すし……」
「お、おお……」
「距離も前から近かったけど、最近特に近いような気が、してる」
うろうろと目を彷徨わす尚哉に、難波は同情したくなった。話を聞いていて、もしやと思ったが、尚哉は、大変な小悪魔に振り回されているらしい。あからさまに尚哉を意識しているが、あくまで尚哉から動いて欲しいと思っているのか、それとも尚哉の反応を見てからかっているのか。
「そういうことが続いて、最近その人を見ていても見てなくても、思い出してその人のことばっかり考えて変になりそうなんだ」
――難波、どうしたらいい?
まるで迷える子羊が救世主に教えを乞うように、難波にキラキラと期待の眼差しで見つめる尚哉に、難波は苦笑する。尚哉の部屋の前で挨拶を交わした際は大丈夫かと本気で心配したが、同じような悩みを持ったことがある難波には、解決方法が分かる。
恐らく恋愛初心者な尚哉には相手が悪かったかもしれないが、相手が今後どう出てくるか今現状わからない以上、こっちから動かなければいけない。
しかし、相手が尚哉をどう思ってるか知らないが、大事な友達をここまで疲弊させていることに、難波は若干腹を立てていた。
少し眉毛を持ち上げて、尚哉の目を見つめ、難波は尚哉を導くように頷く。
「深町。言ってくれてサンキューな。それは大変だったよな。俺も、経験がある」
「本当か?」
「ああ。高校の頃、前の席の女の子からの視線が気になりだして。それから、やたらと目があったり、ボディタッチが増えたりしてな」
「難波にも……」
結局その子とは告白したり、付き合ったりということは無かったが、難波の心をかき乱したことで勉強や部活に手が付かなくなったことは覚えている。相手が自分をどう思っているかがわからなかったからこそ、怖いのだ。ならば、相手の気持ちを知ることが出来ればいい。
「深町。この俺に相談したからには、大船に乗った気持ちでいろ!俺が解決してやる!」
「難波……」
「で、悪いけどその相手ってのは誰だ?言いたくなければいいけど、俺がその子にそれとなく深町をどう思ってるか聞いてくるぞ」
「あー……」
そう言うなり、バツが悪そうな顔をする尚哉にこれは聞いてはいけないことだったかと思う。今までぼんやりと隠してきた相手のことだ。無理に聞きだすのも悪いな、とそれ以外の方法を考えようと思った矢先、尚哉からよく知った人物の名前が出てきて驚いた。
「その人は、えっと……高、槻……先生なんだ」
*****
決戦は金曜日、と難波が思ったのは単純にその日が難波が空いている日で、高槻との時間を取ることか出来たからだった。これは男の友情をかけた戦いなのだ。明らかに、高槻は深町を意識している。パーソナルスペースが狭い人だと理解はしているが、数々の話を聞いてきた話、これは、尚哉の勘違いでは無さそうだ。
高槻がどんな思いで尚哉に接しているのかは知らないが、無意識ならば、すぐにやめさせなければいけない。メラメラと闘志を燃やして、研究室の扉を叩いた。
「失礼します!」
「難波くん、こんにちは。良かったら飲み物淹れるよ。僕のおすすめはココ――」
「深町に、ちょっかいかけるの止めて欲しいんです」
わざと高槻の提案を遮って、単刀直入に切り出す。駆け引きなんかできない。大人で、しかも高槻が相手なら。
そんな難波に一瞬圧倒された高槻が、ゆっくりと目を細めて微笑みを返す。
「ちょっかいだなんて、ひどいな。僕は純粋に深町くんにアプローチしてるだけだよ」
アプローチと、高槻は言った。ということはつまり、尚哉が悩んでいる行為を意識的に行なっていたのだ。難波の口調が強くなるのは仕方がない。
「じゃあもっとわかりやすくしてください。それで深町も悩んで、授業より先生のことばっかり考えてます」
「本当?それは嬉しいなぁ」
「先生!」
「……ごめんね、僕も深町くんが授業に集中できないのは本意では無いよ。……ちゃんと、気持ちを伝える。これでいいかい?」
「……すいません、先生にも、何か理由があるはずなのに」
考えてみれば教師の高槻が、生徒である尚哉に対して恋愛感情を素直に表に出すことには抵抗があるかもしれない。それを一人で激昂して高槻を責めて、子どもな自分に少し恥ずかしくなる。
「いや、難波くんの言う通りだよ。アプローチだなんて生優しいことなんてしないで、ちゃんと気持ちを伝えたら良かったんだ」
「え?あの……」
急に尚哉に告白をすると言い出した高槻に困惑する難波だが、高槻から告白をされて、白黒をつけた方が尚哉はスッキリするのではないか。高槻の提案に、それはそうかもしれないと心の中で頷く。
「うん、そうだ、それがいい。深町くんがそれだけ僕のことを想ってくれてるって知って決心がついたよ。今日、深町くんに告白するよ」
「えっ今日?!」
「そうとなったら話は早い。今深町くんは授業終わりだから……図書館に行ってる頃かな。先にメールして、電話しちゃおう」
「は?!」
ちょっと待ってくださいと言う前に、手早く本文を打ち込んだ高槻が尚哉にメールを送り終えてしまった。
「深町くんの用事が終わったらここに来てもらうよう言ったよ。難波くん、ありがとう。ずっと悩んでたんだ。このまま僕が深町くんを悩ましている状況にも後ろ髪引かれるけど、それでは僕らのためにならないよね」
「は、はぁ」
「難波くんも応援してくれてるなら、早く恋人同士にならないとね!」
うきうきとした空気を隠さない高槻と急展開に、頭を疑問符だらけになりながらも難波は研究室を後にした。その後深町から「先生と付き合うことになった」と連絡が入ったが、何だか高槻にうまいこと丸めこまれたようで、けれど尚哉が幸せならいいかと一つため息をついたのだった。
Fin
おまけ
失礼しました、とどこか慌てた声が消えた研究室にはその主と彼を師と仰ぐ者だけが残された。先程部屋にいた彼のことを思い出しているのかにこにこと嬉しさを隠さない主に、彼女ははぁとため息を付いて苦言を申し出る。
「……アキラ先生?」
「何かな、瑠衣子くん」
鼻歌でも歌いそうな高槻は、ジト目の瑠衣子の視線に気づいていないのか、あるいは気づかないふりをしているのか。気にした様子も無く、新しいココアを淹れようとしている。
「最近わんこくんで遊びすぎじゃないですか?」
「えっと……遊んでるんじゃなくて、可愛がってて」
「一緒です!」
バンと机を叩いてゆらりと瑠衣子は立ち上がると、高槻はビクリと肩を揺らし、やっときちりと瑠衣子に向き合う。
「わかりますよ、アキラ先生と少し手が触れただけで挙動不審になるわんこくんは可愛いです。アキラ先生の笑顔光線にやられて、真っ赤になるわんこくんも可愛いです」
「うんうん。そうだね愛おしいね」
「だがしかし!」
もう一度机を叩いて、瑠衣子はキッと高槻を見つめ直す。
「アキラ先生のそれは、好きな女の子を苛めてる小学生男子と一緒です!若く見られていたとしてもいい年の先生が!やってることは!思春期の男子と同じなんですよああ嘆かわしい!」
「……る、瑠衣子くん?」
やれやれとでも言うように、大仰に首を横に振る瑠衣子に、高槻の方が慌て始める。自分は彼女をここまで追い詰めることをしてしまったのだろうか。
「先生気づいてます?わんこくんの目のクマ」
「……ハイ」
「もしかして、先生の安易な『深町くんをドキドキさせちゃおう作戦⭐︎』のせいで、夜も寝れてないんじゃないですか?」
「それは嬉し……いやいや、困る、なぁ」
「そろそろ、わんこくんの懐刀が研究室に乗り込んできてもおかしくないですね」
「ふと……え、何?誰?」
瑠衣子の追及に目を泳がせおどおどしだす高槻に向けて、にっこりと微笑む彼女はさすが高槻ゼミに長年居るだけあって貫禄がある。
「しょうもないことしてないで、早く当たって砕けてください」
「えっ僕フラれる前提?」
「……先生?」
「ハイ。早く告白します」
そしてこの平和な研究室の会話の数日後に、尚哉の懐刀、難波要一からの果たし状が高槻の元へと届いたのであった。
Fin