あんなことや、こんなかれらそれ言わせたいんだ
「あ、美味しい!俺これ好きです」
レポートの採点をしていた高槻の耳に入ったのは、研究室で雑談に興じる瑠衣子と尚哉の声。先程まで、ある地方特有の食文化について語っていたが、その土産と瑠衣子が出した煎餅に尚哉が舌鼓を打っていた。
「ほんと〜?良かった。私も大好きでね、ここの豆煎餅!塩っけとパリっと具合がたまらないのよね〜」
「瑠衣子先輩、なんか飲み屋のおっちゃんみたいになってますよ……」
わいわいと楽しそうにしているのを見ると、何だかのけ者にされたみたいで寂しくなってくる。ひと段落、と椅子から立ち上がり高槻は二人の元へ向かう。
「なになに〜?何が好きなの?」
「この豆煎餅です。俺お煎餅の中で豆煎餅が特に好きなんですけど、今まで食べた中で一番美味しいです」
「そうなんだ!一番好き?」
「はい、一番好きです」
「どんなとこが一番好き?」
「えーと、黒豆が大きいところとか、あとは……」
ツラツラと煎餅の良さを語っている尚哉を、高槻は微笑ましく見つめ続けている。気がつくと何だか居た堪れなくなって、少し視線を外してみる。間を開けて高槻の方を見れば、変わらず見つめてくる高槻に、どうしたのだろうと首を傾げていたら眼前に煎餅がぬっと現れた。
「……アキラ先生の分もありますよ」
「ありがとうね、瑠衣子くん」
何かを言いたげな瑠衣子から件の煎餅をもらい、口に運ぶ。塩の香りとパリッとした食感、確かに黒豆が大きくて美味しい。知らずに笑顔になっていると、バチっと尚哉と目が合った。
「美味しいものって幸せになれますよね」
「うん、幸せだね」
尚哉から一番を貰ったその煎餅は、時々研究室のおやつコーナーに鎮座するようになる。そして、
「僕も一番好きだな」
「先生もですか?俺もやっぱり、一番好きです」
尚哉が少しの思惑が混ざった高槻の「好き」を知ることになるのは、この先の話。
Fin
イチャイチャしたい
「あー!もう!」
突然ガンっと嫌な音を立てながらワイングラスを感情のまま机に置き悪態をつく高槻を、珍しい物を見るように佐々倉が声をかける。
「気が立ってんじゃねえか、どうした?」
いつも眉間に深く刻まれるシワを緩め、優しく声をかける。それまで、高槻がここまで感情を露わにすることは珍しいのだ。
「深町くんが……」
「ああ」
「深町くんが足りないっ!深町くんとラブラブしたいっあわよくばイチャイチャしたい!具体的には二人で一つのジュースをハートのストローで飲みたいのと、特大パフェをふたりで半分ずつしながら『あーん』したいっ!でも深町くんは甘いものが苦手だから、特大グラタンとかカレーでもいい。なんでもいいからイチャイチャしたっ……あ痛!」
「うるせぇよ……」
殊勝なことだと、甘い顔をするのではなかったと佐々倉は椅子に座り直す。目の前の男に軽い鉄槌を食らわすために立ち上がったのだ。途中まで真面目に聞こうとした自分が可哀想で、とりあえずそこらへんの料理を全部食ってやろうと佐々倉は心に決めた。
「健ちゃん酷くない?僕がこんなに悲しんでるのに」
「変な酔い方するからだ。急に話題を突っ込んでくるな。最初から手短に話せ」
それでも、ちゃんと聞いてくれようとする幼馴染にふふと高槻は笑う。佐々倉は顔と口は悪いけれど、面倒見の良い自慢の幼馴染だ。
「今日たまたま、珍しいほどのラブラブカップルに会ってね」
なんでも、それが今回の『隣のハナシ』への依頼者らしい。大学生くらいの若い男女で、来たときも、話をするときもずっとピッタリくっついててね。一緒に話を聞いた深町くんは、「胸焼けしそう」って言って帰っちゃったんだけど、何だか僕、そんな二人に憧れちゃってさ。
「へぇ」
「で、帰りながら考えたんだ。僕の大好きな深町くんとラブラブイチャイチャするとしたら、どんな風になるかなって。そしたら僕の優秀な頭が想像を膨らませすぎてもう止まらなくて」
「妄想な」
「そしたらさ!もう!これは何としてもやりたいなー!って思うでしょ?深町くんとイチャイチャしたいー!ってなるでしょ?そこからの」
「――冒頭だったわけだな。了解した」
冒頭……?と高槻は首を傾げているが、目の前の旨い料理と旨い酒をたらふく食べた佐々倉は満足した。後は思い残すことはない。
「で?その妄想を補完するために、やっと深町に告白する気になったのかよ」
「まだ……です……」
「ふっ、まずそれから、頑張れよ」
「はい、頑張り……ます……」
最初の勢いはどこへやら。殊勝に項垂れる高槻に佐々倉は溜飲を下げて、この面倒くさい幼馴染の恋を成就させるにはどうしたもんかと口の端に付いたケチャップをペロリと舐めた。
Fin
めちゃくちゃにして
「先生……俺のこと、めちゃくちゃにして?」
「ふかまっ――!はっ夢かぁ……」
何という夢か。
何度でも言おう。何という夢か。
最近忙しくて、深町くんと会えてない。
しかも、忙しいから、お泊りにも来てもらえてない。
つまり、充分に溜まっている……わけでして。
「僕の欲求不満な身体め」
そう、身体は正直なのだ。週一はイチャイチャしていた彼と会えなくて、不満も不満である。それでも大人だからと一人悲しく自分を慰めたり、彼を思い出していたからこんな夢を見る羽目になる。
「それにしても、さっきの深町くん、色っぽかったなぁ」
いつも素直じゃない彼は、情事のときもツンデレだ。気持ちいいはずなのにそんなことないなんていうから、ついついいじめてしまったこともあるくらい。しかしそれが彼の魅力でもある。けれどたまには、素直になって欲しいのだ。
「……もう一度寝たら会えるかな」
夢のせいで早朝に目覚めてしまったが、アラームの時間まではまだ時間がある。もしかしたら、あまり見られない素直な深町くんに会えるかもしれないと、高槻はにやにやしながらもう一度布団を被るのだった。
*****
「……せんせ、せんせ?」
「あれ……深町くん?」
「先に、寝ないでください」
実に喜ばしいことに、僕の隣にはあられも無い格好で僕を見下ろす深町くんがいた。つまり、夢の続きへの旅路は大成功したのだ!心の中でガッツポーズをしながらもそれを見せずに、ぷぅと膨らませた深町くんの頬をただ見つめる。そんな顔も、実に可愛らしい。
「ごめんね。それで何だっけ?」
「え?」
「深町くんは、さっき何て言ってくれたの?」
焦がれた夢のラストシーンを再現して欲しくて。もう一度聞きたいと思ったあの台詞を、彼に願う。優しく尋ねるようにお願いすれば、素直な深町くんはきっと、僕の願いを叶えてくれるに違いない。
そう祈った僕に、深町くんの形の良い唇から甘い吐息が漏れる。どこか、恥ずかしそうに、少し、逡巡するように視線を彷徨わせた彼は、内緒話でもするかのように、僕の耳元に口を持っていく。
「先生……」
はぁ、と合間に漏れる息がとても色っぽくて、知らずにゴクリと喉を鳴らしてその先を期待する。僕に耳打ちするために体重をかけたベッドのスプリングが、ギシリと振動した。
「ふふ、先生可愛い……」
「…………へ?」
「俺に言わせたいの?素直じゃないなぁ」
「ふ……ふかまち、……くん?」
突然コロコロと笑いだす彼に動揺している僕を尻目に、深町くんはするりと僕の頬に掌を滑らせ耳たぶに触れる。初めての感覚に思わず肩を竦めてしまったが、それを気取られないように声を押し殺す。
「せんせ……」
いつの間にか、僕を見て微笑んでいる深町くんに押し倒されている。その顔はいつものとろとろで可愛い彼からは想像がつかないほど、男の色気が混じっていて。
「先生のこと、――めちゃくちゃにしてあげますね」
「……え?へ?深町くんっ、あ、そこは……っあ」
PPPPPPPPP……
そしてアラームに起こされた僕は。
夢の中の深町くんにも、メロメロにされていた。
Fin