今日もひかりの鈴が鳴る◆
寝室にある姿鏡の前に立ち、響也は着替えを済ませた自身の姿を確かめる。問題ない。先日買ったばかりのコートの裾をひらりとひるがえし、替えの衣類が入った鞄を持って、リビングへ向かった。
「昴、準備できたぞー。待たせたな」
「いえ!ぜんぜん大丈夫です!」
呼び声を投げつつ廊下から顔を出せば、リビングの床に腰を下ろしてストレッチをしていた昴がパッと立ち上がり響也を振り返る。窓から差し込む午後の日差しを受けた赤茶の髪がにんじん色に透けて、明るい笑顔にあどけなさを添えていた。
「へへ、響也さんとレッスン、楽しみです」
「ああ。俺も楽しみだよ」
そんな会話を交わしながら、揃って玄関へと歩き出す。
今日はこれから、昴がオフ日に通っているアクションスクールの体験レッスンに参加することになっている。以前から一度は見学にと思っていたが、先方に問い合わせたところせっかくなので是非体験レッスンを、という話になったのだった。
「終わったらごはんどーしましょうか。響也さん、なんか食べたいものとかあります?」
「はは、なんだ昴、もう夕飯の話か?」
「いや、レッスンのあとすっごい腹減るんですよ!先に決めとかないと!」
「はいはい。じゃあ、そうだな、昴がレッスン上がりによく行くところがいい」
「……オレ、大体いつも牛丼屋とかですけど、いいんですか?」
「もちろん」
せっかくならお前がいつも行く店に行きたい。そう続ければ、根が素直な彼は「じゃあ、そうしましょう」と笑って頷いてみせた。
「――よしっ、行ってきます!」
スニーカーを履いたあと、玄関先に飾ってある写真立てへごく自然に手を合わせて挨拶をする横顔が愛しい。 城ヶ崎昴という役者を、彼というパートナーを、父と母に会わせたかったと、この光景を見るたび響也は思う。「昴」「はい?」ドアを開けようとする背中を呼び止めて手を掴み、そのまま引き寄せて口付けた。重ねるだけの口付けをなんの抵抗もなく受け入れた彼が、紅茶色のまるい瞳をぱちぱちとしばたかせて響也を見る。
「どーしたんですかいきなり」
「うーん、どうっていうか、したくなったから、つい」
「そ、そうですか……」
ストレートな言いようが照れくさかったのか、気恥ずかしげに縮こまってみせるものだから可笑しい。この関係になってすぐのころならともかくも、いまではもっと照れるようなこともしているだろうに。相変わらずの純朴さが好ましい。響也は肩を揺らして笑って、彼の広い背中を軽く叩いた。
「よし。行こうか、昴」
「はいっ」
ショルダーバッグを揺らして元気よく頷くしぐさはどうにも大型犬のようで、かわいいなあ、と思ってしまうのは色目だろうか。先にドアを開けて一歩外へ出た彼が、なにかを思い出したように立ち止まって響也を呼んだ。
「響也さん」
「ん?」
呼び声に応えたのとほぼ同時に、あたたかな手のひらに腕を引き寄せられる。頭半分ほど――よりは少ない差だ、と響也はひそかに思っているが――背の高い彼の長い腕にぎゅうと抱きしめられて、今度は響也がいくらか目瞬きをする番だった。満足げな顔をしながらすぐに腕をほどいた彼を見上げて、問いの代わりに名前を呼べば、彼は子どものようにくしゃりと笑う。
「ぎゅってしたくなったんで、つい」
「……ああ、うん、そっか……」
なるほど、自分がやるのは構わないが、同じように返されるとなかなかにくすぐったくて照れくさい。もちろん、決して厭ではないけれども。
「行ってきます、」
玄関先に差し込む陽だまりの温度が背中にふれる。写真の中の両親の笑顔を視界に留めながら、ぱたん、とドアを閉めた。
***
20161015Sat.