イッツ・ア・スモールワールド 総士とこういうことになるとは思わなかったと言うと、周りの人間はだいたいの場合「嘘つけ」と言う。俺としては真剣にそう考えているのだけども、他の人の目にはそうは映らないらしい。俺たちは揃って不名誉な称号を周りから与えられていて、俺は「総士病患者」、総士は「カズキチ」だ。そこまで酷いだろうかと顔を見合わせていると、共通の友達のひとりには「自覚が無いから厄介なのよねコイツら」と呆れられた。解せない。
だって本当に想像すらしていなかったのだ。そりゃ確かに、小さい頃からの幼馴染で、親友と呼びあって憚らない関係だったけれど、疎遠になって口すらきかない時期もあったし。今じゃ仲直りしたけど、それでもそんな風に呼びあう仲じゃない、しっくりこない、と思っていたのに。
2LDKは、築年数こそは古いけれどリフォームをしたらしくてぴかぴかだった。不動産屋のガラス窓に「新婚・カップル向け」という謳い文句で紹介されていたお手頃な物件を、俺と総士はルームシェア用に契約した。本来想定されていた用途と違うみたいだけどいいんだろうかと言えば、「必要なら、そういう仲ということにすればいい」と言われた。だから俺は頷いて、以来そういうことになっている。「ちょっとは悩めよ」とは、やっぱり共通の友達のひとりに呆れられたポイントだったけど、「別に呼び方が変わっただけだろ」と返せばもう何も言われなかった。「あんまりにも呆れたら本当にものって言えなくなるんだな」とよく分からない感想ももらった。
別に大したことじゃなかったのだ。人間は社会的動物なのだと総士は言っていた。そして、社会が人と人のつながりだっていうなら、一番小さな社会は自分と誰かの二人で出来る。同じくらいの大きさの洋室がふたつくっついたこの部屋も、一度に二カップ淹れられるコーヒーメーカーも。ひとりじゃ持て余す卵一パックだって、俺と総士なら天津飯とかき玉スープと味玉でぺろりだ。世界は二人以上で生きることを想定して誂えられている。総士は「必要なら」と言った。それが不思議としっくりきた。きっと、腑に落ちた、ってやつなんだろう。
俺が総士の「こいびと」になるのは想像できなかったけど、別に俺と総士の関係はそれだけじゃないんだ。昔、教科書で見たナントカの壺みたいに、俺と総士の関係は見る角度でころころ名前を変える。親友も、こいびとも、全部俺たちだ。そんなささやかな納得と哲学を半熟玉子で綺麗に包む。大きいサイズのケチャップも、総士と暮らすようになって躊躇いなく買えるようになったもののひとつだった。
「俺、昔はお前とこういうことになるとは思ってなかったんだ」
「そうか。今は?」
「一緒にいないことの方が想像できない」
黄色いキャンバスに描く絵は、今日は何にしよう。ハートでもいいかもな、と思った。