あなたは海になりなさいさあここであなたは海になりなさい
鞄は持っていてあげるから
──笹井宏之『てんとろり』
海は哀しい。
四方を海で囲まれた故郷の島で、海は一番身近にある死だ。落ちる、溺れる、船が沈む。それから、あの島は実は巨大な要塞艦で、いつ襲ってくるともしれない外敵から逃げ回っている。襲ってきた敵から島を守る戦闘機は海に向かって飛んでいく。鎮魂の祈りを乗せた灯籠も海へと向かって送り出す。そういえば、海水の塩分濃度は涙とほぼ同じらしい。
海は哀しい。
ここには海がなかった。
「ちゃんと泣いた方がいい」
「……何だよ、突然」
「泣くことはストレスの解消に繋がる。悲しいと感じたなら我慢をせず泣いた方が、心身の健康にいいんだ」
まるで健康法のコラムを読み上げるように言った親友に、一騎はぱちりと瞬いた。不器用な彼は、ストレス社会に立ち向かうためのアドバイスをしたいわけじゃなく、どうやら慰めと心配をしてくれているらしい。
それを言うなら遠見や暉に言ってやれよ──と、言いかけて、やめた。そんなこと、総士ならとうに承知の上だろう。ひょっとしたらもう言っているかもしれない。それで、困ったような笑顔を向けられたのかもしれない。
「お前こそちゃんと泣いた方がいいんじゃないのか」
「僕はいい」
「なんだよ、それ」
人には泣けと言っておいて。一騎はへらりと笑って膝に顔を埋める。遠くからさざ波のような鎮魂歌が聞こえていた。
自分たちを英雄と讃えた彼らは、かつては悼むことすら満足にできていなかったのだと言った。いなくなったパイロットの体は結晶化して砕け散り、遺体を回収することすらできなかった。死んだひとりひとりのことを想う余裕も持てなかった。あのままだと、弔うことすら、無駄と切り捨てていたかもしれないと。
君たちが俺たちを人間に戻したんだと、一騎の手を握ったのは、シュリーナガルで一命を取り留めたパイロットだった。
その彼も、今はもういない。
「もう長い間、海を見てない気がする」
「そうだな」
「島にいた頃は、飽きるくらい見たのに」
昔は少し海が怖かった。夜の海の、底の知れない暗さが。島の子供なら一度は聞く船ゆうれいの話も。それ以上に、母を乗せた灯籠が夜の海に吸い込まれていくのが。
今はその海が恋しかった。
「泣くに泣けない、っていうか」
「彼らの死にお前が責任を感じる必要はない」
「それもあるけど……ううん、やっぱりお前が泣けよ。そしたら俺も泣くよ」
「なんだ、それは」
「俺のせいじゃないなら、お前のせいでもないだろ」
荒野はこぼれた涙を片端から吸い上げて、海どころか雨すら降らない世界だった。しょっぱい匂いは砂の臭いに溶けて、悲しくて悲しくて仕方がないはずなのに、涙はやはり出そうにもなかった。