おいしい時間をご一緒に百音の誕生日の翌日、莉子が手配したという店に百音と菅波が到着したのは18時少し前だった。予約ありの旨を告げて個室の席に通されると、しばらくも待たないうちに莉子も到着する。
「モネー!直接会うのは久しぶり!」
「莉子さん、ひさしぶりー!」
到着するやいなや、百音とハグを交わす。二人の楽しそうな様子を菅波が嬉しそうに見守り、それに気づいた莉子が「菅波先生も。本当にお久しぶりです」と頭を下げた。菅波も「お久しぶりです。神野さんもお元気そうで」と頭を下げる。
三人とも改めて席に着いたところで、向かいに隣り合って座る百音と菅波に、莉子が「ご結婚、おめでとうございます」と早速の祝いを述べた。その言葉に、二人は深々と頭をさげ、ありがとうございます、と答える。いやぁ、ほんと、長かったもんねぇ、と言いながら、莉子がメニューを取り上げ、二人に指し示す。
「ここ、なんでも美味しいんです。仙台牛もシーフードも。モネもあんまり仙台でゆっくりってないし、菅波先生も久しぶりだろうから、食べたいもの選んじゃってください」
「莉子さんのお勧めは?」
「烏賊わたアヒージョっていうのが変わり種なんだけど美味しいよ」
「おいしそう!先生は?何か気になるメニューあります?」
「定番だろうけど、牛タンのグリルにオリーブとタマネギのソースというのがおいしそう」
「じゃあ、それは入れるとして…。あ、地ビールがある」
「それもおすすめ!」
三人であれやこれやとメニューを決め、オーダーを通せば、早々にグラスになみなみと注がれた仙台の地ビールがテーブルに届く。
「かんぱーい。モネお誕生日おめでとうと結婚おめでとう!」
「ありがとう!」「ありがとうございます」
グラスを合わせてビールを飲めば、うまい、おいしい、と嘆息が漏れる。
莉子との約束まで、デートで出歩いていた百音と菅波にはひとしおである。
「昨日から仙台に来てたんでしょ?昨日と今日、どうしてたの?」
「昨日はお昼ぐらいに合流して、天文台に行ったの。いろいろ勉強になったよ。それで、今日は県立美術館とかに行ってた」
「相変わらず渋いデートしてるわね。え、昨日の誕生日に天文台は先生チョイス?」
「はい。今まで仙台で出かけたところって水族館ぐらいなものだったので」
莉子の軽やかなつっこみに律儀に菅波が答え、百音が楽し気に口を開く。
「プラネタリウムも見れたし、大きい望遠鏡で星の観察もできたの!はくちょう座の北十字の星、二重星なの知ってた?」
「そっか、プラネタリウムもあるもんね。二重星って知らなかった。どんなの?」
百音の話に、莉子も持ち前の好奇心で身を乗り出す。
「黄色と青の星がね、二つ並んでるの。宮沢賢治がサファイアとトパーズに例えた星なんだって」
「サファイアって9月の誕生石じゃん。うわぁ、菅波先生、やるぅ」
「あの、それは本当に偶然で」
「考えてました、ぐらい言っときゃいいんですよ」
莉子のざっくばらんな言いように、いや、そういうわけには、と菅波が落ち着かなげに言う様を、百音が微笑ましく見守る。その百音の右手に指輪がはまっているのを莉子が目ざとく見つけた。
「モネ、その指輪、前に会った時はしてなかったよね?」
莉子の指摘に、百音がうれしそうにその指輪を左手で撫でて頷く。
「昨日、先生がプレゼントしてくれたの」
「えー!素敵じゃん!見せてみせて」
と、莉子が百音の右手を取る。百音もされるがままに手を預けるが、頬が染まっている。少し照れくさそうな様子の百音に、菅波の口許が緩む。
「これ、ネックレスと同じ?」
「うん、同じデザイナーさんのだって。結婚式がまだ先だから、って」
「菅波先生、やるぅ。ほんとに縄跳びプレゼントした人とおなじ人?」
「いや、その話はもう…って、どうして神野さんまでその話を。…百音さん?」
「えーっと、その、今まで先生からどんなプレゼントもらったの?っていう話題になったことがあって…」
「…そうですか…」
あの時、一番永浦さんに必要だと思ったものを贈ったことに後悔は一切ないが、それでも『縄跳び』の話はこれからも一生ついて回るんだな、という顔になった菅波を、百音が笑顔で覗き込む。
「あの縄跳び、大事にしてますよ?」
「…ありがとうございます」
「はいはい、ごちそうさまですー」
二人のやりとりを莉子が楽しそうにまぜっかえしているうちに、オーダーした料理も徐々にテーブルに届き始める。いただきます、と思い思いに料理に手を伸ばしながら、莉子の質問が続く。
「で、今日は美術館に?」
「うん。建物も展示も楽しめたよ。昨日の天文台も、今日の美術館も、あんなに先生とゆっくりする時間ってほんとに無かったから、楽しかった」
「そっか。7月に会えた時は先生が島に行ったんだもんね。だとするとご家族もいるし」
「それに、先生がドチザメに構いっぱなしにになっちゃって」
「あぁ、あれはごめんなさい…」
「え、ドチザメ?なにそれ?」
「あのね、先生がサメ好きだって聞いた祖父がね…」
キャスターとしての経験も数年になり、持ち前のコミュニケーション能力がさらに磨かれた莉子が、7月の島での再会、8月の東京での婚姻届の提出の話と、二人の最近を色々と引き出す。しかし、質問攻めという感じはなく、楽しく話ができるところが、莉子らしさというところだろう。サメに名前を付けてかまけきりになったという話には、莉子も百音も大笑いで、菅波は身を縮めるばかりである。
「でもほんと、こうして二人がまた会えて入籍もして、そして仙台で会えてる、ってうれしい」
「入籍って言うか、婚姻届の提出ね、莉子さん」
「モネ、菅波先生っぽい。うん、婚姻届だして、夫婦になって。やっとやっとだね」
「うん。やっとだし、これからだ、って思う。ね、先生」
「そうですね。ずっと待っていてくれた百音さんには感謝しかないです」
「大変だったのは先生だから…」
莉子は二人がお互いを思いやる様子を温かい笑顔で見守る。百音が菅波と会えなかった2年半、時々その心境を聞いていた身としては、今二人が並んでいることが本当にうれしい。
「まだしばらくは東京と気仙沼で別々なんでしょう?」
「うん、それはそう。でもそれは必要なことだから。もう少しそれぞれの仕事の道筋が立ってきたら、また次を考えられると思うし」
「そっか。あ、そだそだ。それでね、最初に話しようって言ってた、今度の企画の話…って、菅波先生、しばらくこの話してもいいです?」
「もちろんです。元々そのためのお約束だったのだし、僕のことは気にせず」
「ありがとうございます。で、これなんだけど…」
莉子が取り出したタブレットの画面を百音に見せ、県下のローカルニュースと気象特性を掛け合わせた紹介コーナーのコンテンツ構成と取材体制について二人で議論が始まる。菅波もそれを横で聞いて、取り組みの目的とゴールやターゲットを理解し、第三者的にたまに質問を挟みつつ、テーブルに届いたメインディッシュを粛々と取り皿に等分していく。莉子と百音は礼を言ってそれを受け取っては、食べつつ、話をしつつ。その夢中な様子が菅波にはまた楽しい。
一通り話が終わったところで、メインディッシュも一段落し、三人とも複数の意味で満ち足りた状態になる。この企画、進めるのが楽しみ!と笑う百音に、任せておいて、と胸をたたく莉子が頼もしい。百音さんから話を聞くのが僕も楽しみです、と菅波が笑う。
ちょうどそのタイミングで、店員が個室に顔をだし、莉子に、ご予約のもの、そろそろお持ちしてよろしいでしょうか?と声がかかる。莉子が笑顔でお願いします、というと、かしこまりました、と下がっていく。百音と菅波が何のことだろう、とその後ろ姿を見送っている仕草がシンクロしているのが莉子にはたまらなく思える。じきに、店員がケーキの載ったプレートを持ってくる。プレートにはHappy birthday and Congrats on your wedding!と書いてあった。
「ちゃんとしたお祝いはまた改めてと思うんだけど、まずは気持ちだけ」
「莉子さん!ありがとう!うれしい!」
「神野さん、お気持ちありがとうございます」
莉子のお祝いの気持ちを受け取った二人の笑顔に、莉子も笑顔になる。サーブした店員に写真を頼めば、やはり菅波の顔が緊張気味で、百音がそれを莉子に見せて、二人で先生らしい、と言いあう。もう、言われることは分かり切っていた菅波は、はにかんで下を向くばかりである。その顔で写ればいいのに、と莉子に言われ、それができなくて苦労してます、と菅波が諦めたように言えば、百音がくすくすと笑う。
友人でもあり仕事の同志でもある莉子との久しぶりの時間は、これもまたしばしの空白を取り戻していく大切な時間になり、百音と菅波はその縁を大切に感じるのであった。