【アイギス】王子と皇帝の小ネタ1.歳の近い同性とちょっとえっちな話がしたかった王子の話 中身の少なくなったグラスを手持ち無沙汰に、ゆるゆる、と揺らしていた王子が、あ、と不意に声を上げた。
なんだ、と口にはせず皇帝が視線だけで促せば、王子は真剣な眼差しを向けてくる。深刻な話なのか、と口に運びかけていたグラスを卓へと戻し、皇帝は王子の言葉を待った。
「レオナの事なんだけど……」
一旦言葉を切り、王子は若干身を乗り出し皇帝に顔を寄せる。
いつにない真面目な声音に知らず皇帝の背筋が伸びる。聞こう、と低く応じれば王子は意を決したかのように卓にのった拳を、ぐっ、と固く握り締めた。
その様子から、これはもしやあれか? 所謂色恋沙汰というヤツか? と皇帝が僅かに片眉を上げた事に気づいていないのか、王子はゆっくりと続きを口にする。
「あの服、皇帝的にはどうなんだ?」
「…………うん?」
予想とはまったくかけ離れた事を問われ、瞬時に内容が理解出来なかったか、皇帝はやや間を置いてから首を僅かに傾けた。
「いや、だから、あのエロ……もとい、露出の多い軍服について、皇帝はどう思ってるのかと、ずっと気になって気になって夜しか眠れない」
「…………」
夜寝るのはそれが普通では? と思うも、皇帝は声には出さず胸にしまい込む。きっと今日の王子は酒が過ぎたのだ。だからよくわからない質問をしてきたのだ。
「……本人が動きやすさで選んだのならいいのではないか」
「それだけ?」
「それだけ、とは……?」
他になにかあるだろうかと真剣に悩み出した皇帝を前に、王子は、えー……? と呆れと驚愕の入り交じった微妙な顔をしている。
「あんなえっちな格好でいつも側に居るのに、それだけ? 谷間も臍も太モモも丸出しで、こう目のやり場に困るとか、逆に目の保養だとか、そういうのはないのか? どんな気持ちでレオナをいつも見てるわけ?」
「レオナはレオナだなとしか思わないが……」
王子の言わんとする事がまったく理解出来ず、皇帝は首を傾げるしか出来ない。
彼女がどのような格好をしていようとも自分には関係ないだろう? と包み隠さず告げれば、王子は小さく、うわ……、と漏らしてから「性欲どこに置いてきたわけ?」と憐れみ八割の眼差しで呟いたのだった。
2021.10.29
2.味覚が少しばかな皇帝の話 千切り取った生地を両の掌を使い、くるくる、と丸めてから作業台に片手で無造作に押し付けるといった動作を繰り返す皇帝を、王子はなにをするでもなくただただ眺めている。
それを無言の問い掛けと捉えたか、皇帝は視線を手元に落としたまま、リィーリが……、と、ぽつり、唇に乗せた。
昼食は終わっており、夕食の準備をするには早い時間だ。ぽっかりとあいた時間を誰が使おうと、咎める者はこの城には居ない。厨房には他に人の姿はなく、パン窯からは甘く芳しい、どこかほっとする香りが漂ってくる。
皇帝の妹であるリィーリはデーモンを中心とした部隊と共に遠征任務についていたが、先日無事に帰投したとの報告を受けた事を思い出し、王子は小さく頷きながら、なるほど、と胸中で漏らした。
「菓子なら町に出れば好きに買えるだろうに……我が妹ながら物好きなことだ」
『にいさまは優しいんですよ』と小さな花が綻ぶような控え目で、それでいて無邪気な笑顔を見せるリィーリの姿を王子は脳裏に思い描く。だが、いくら妹に甘い皇帝とはいえ、作った事のない物をねだられ了承するとは到底思えない。
そこから導き出される答えはひとつだ。
「作ってあげた事があるんだな」
「……昔の話だ」
今のように質の良い材料が揃えられる訳もなく、日々の生活だけで精一杯の中どうにか掻き集めて作ったクッキーはお世辞にもおいしいと言えるような物ではなかった。それでも彼女は嬉しそうに笑い「にいさまありがとう」と喜んだのだ。
「あぁ、材料は全て調達してきた。ここの物はなにも使っていないから安心しろ」
「いや、使っても全然構わないが、調達してきたって、皇帝陛下自ら? 町で?」
王国軍には多種多様な種族がいるが、それとは違う意味で驚かれたのではないかと、王子は普段の自分の行動は棚に上げて目を丸くする。
白の帝国の皇帝陛下が卵や小麦粉を買い求めに来るなど、一体誰が予想し得たというのか。
だが、そんな王子の危惧を皇帝は一笑に付した。
「貴様と違って俺は有名人ではないからな」
本気か冗談か。
確かに武装を解いた彼は、世に出回っている肖像画との相違も相まって、気付かれない事の方が多いと聞く。
帝国軍が王国に駐留するようになってから既に数ヶ月が経過している。それでも町の住人が顔の認識が出来るほどに、立場のある軍の者と直接関わるのは極稀な事だ。
もしかしたら皇帝は『愛想はないが顔の良いただの客』としか思われていない可能性もなきにしもあらずだ。
ここは逆に一般人を威圧するような事が無くて良かったと思うべきか。
ひとり、うんうん、と脳内で忙しなく思考を巡らせている王子をよそに、皇帝は窯から引き出した鉄板に並んだ物の出来を目視してからひとつ頷き、次の鉄板を窯へと差し入れた。
粗熱を取る為に放置されたそれに手を伸ばすほど、王子は命知らずではない。それでも菓子特有の甘い香りは、なんとも胃袋を刺激するのだ。時間的にもお茶と共に菓子を摘まむにはちょうど良い頃合いでもある。
一仕事終えた皇帝がこれからどうするのかと王子が顔を向ければ、残ったと思しき材料を前に何事かを考えているようだ。
「……パンケーキを焼くが、貴様も」
「食べる」
言い切る前に食い気味に返答してきた王子に一瞬瞠目するも、皇帝は僅かに眦を下げて、そうか、とだけ応じ、無造作に袋を逆さまにするや残った小麦粉を全部ボウルにいれ、続いて砂糖を、どさー、と投入した。小麦粉同様、袋を逆さに振って全部、だ。
「……うん?」
王子はパンケーキの作り方を知らない。知らないがあれはどう見ても入れすぎなのではないか? いや、もしかしたら自分が知らないだけであれくらい普通に入っているのかも、いやそれにしたって多過ぎだろ? と一瞬にして脳内にツッコミの嵐が吹き荒れる。
ややあって戦々恐々と出来上がりを待つ王子の前に置かれたのは、女性に人気の厚手のふわふわパンケーキではなく、ソーセージやスクランブルエッグと共にいただくような薄手のパンケーキだ。
焼き色は申し分なしのこんがりキツネ色で、ふとカヨウの見事な尻尾が脳裏をよぎったが、あれは金色なので別物別物、と脳内から打ち払う。
いざ実食という段でカトラリーがない事に気づき顔を上げた王子の視線の先では、立ったままの皇帝が素手で二つ折りにしたパンケーキを囓っていた。
誰が見ているわけでなしまぁいいかと、王子もそれに倣って手を伸ばし、一口囓ったところで、ぴたり、と動きが止まる。
――あっっっっっっま!? は? あっっっっっっっっま!?
その一言が脳内で延々と繰り返される中、ギギ……、とぎこちない動きで皇帝を見やれば、彼は僅かに首を傾げおもむろに棚の中を物色するや、琥珀色の粘性のある液体が入った瓶を引っ張り出し、貰うぞ、と一言断りを入れてから、中身をパンケーキに掛けたのだ。
それはもう滴り落ちるのではないかと心配になるほど、たっぷりと。
しかしそのような心配は全く無用で、再度半分に折られたパンケーキから蜂蜜が溢れる前に、それは二口で皇帝の胃袋に消えた。
呆然とする王子を知ってか知らずか、皇帝は使った器具を手早く片付けるや釜から第二陣を引っ張り出し、冷まして置いた第一陣を飾り気のない紙袋に詰めるや、皿は自分で片付けろ、と王子に言い置き、さっさと厨房を後にしたのだった。
ひとり残された王子はその後甘さの暴力になんとか打ち勝ち、言われた通りに皿を棚に収めてから、ふと、クッキー第二陣に目が止まる。
置いていったという事は、これは妹の為に焼いた物ではないのだろう。
ならば一枚くらい、と少しの出来心と興味で手を伸ばし、さくり、と一囓り。
――あっっっっっっま!? は? あっっっっっっっっま!?
皇帝ちょっと味覚大丈夫!? と王子は思わずその場に崩れ落ちたのだった。
◇ ◇ ◇
どこか覚束ない足取りで執務室へ戻る途中、見るからに上機嫌なリィーリに鉢合わせ、成り行きで共にお茶を楽しむ事になったが、王子は彼女が大切そうに胸に抱えていた紙袋の正体を知っているだけにどこか及び腰だ。
「今日はにいさまがクッキーを焼いてくれたんです」
うん知ってる、とは言えず「へ、へぇ……良かったね」と当たり障りのない言葉でその場を取り繕いながら、王子はどうにかそれを口にしない良い言い訳は無い物かと考えるも、そのような都合の良いものはそうそう見つかるわけがなかった。
これも皇帝がくれたお気に入りのお茶なのだと、リィーリが淹れてくれた紅茶を一口含み、目の前で「おいしい」と相好を崩している少女の姿に、王子は諦観の笑みと共に焼き菓子を手に取った。
大丈夫砂糖じゃ死なない、と自分に言い聞かせ、王子は意を決してそれを口に放り込んだ。
だが覚悟していた甘さの暴力はなく、鼻から抜けるバターの風味も申し分ない。
拍子抜けしたまま王子は思わず「皇帝は甘党なのか?」とリィーリに問いかければ、彼女は可愛らしく首を傾げ少し考えてから、ふるり、と首を横に振った。
「甘さの基準がほかの人と違うだけですよ」
ふふ、とどこか弾んだ声で告げるリィーリはおそらく、大好きな兄の秘密を王子と共有できることが嬉しいのだろう。
「でも初めてだとちょっとびっくりしちゃいますよね」
一体どこまで知っているのか。
もしかしたらクッキーを届けたついでに皇帝が何かの弾みで、王子にパンケーキを振る舞った事を口にしたのかもしれない。
そして兄の事を誤解して欲しくないと、リィーリは王子をお茶に誘ったのかもしれない。
全ては憶測でしかないが兄の事が大好きで、王子の事も好きな少女ならあり得る話だ。
「じゃあ次は甘さ控えめでって、お願いしてみようかな」
王子がそう口にすれば、リィーリは小さな花のように可憐に笑った。
2021.11.29