【刀剣】『手首を縛る話』『皆に隠れて』『手首を縛る話』 邪魔するぞ、との声の後、応えを聞く前に襖を開け放った遠慮会釈のない鬼丸に、大典太は既に諦めの境地に達しているのか溜息すら吐かず、手中の書物を黙って閉じた。
以前、礼儀知らずではないはずなのだが、どうにも雑な扱いを受けている気がすると、ふとした拍子に前田に零してしまったことがある。前田は少し驚いた顔をしたが、鬼丸さんも悪気がある訳じゃないと思います、と花が綻ぶような柔らかな笑みを浮かべ、その様がどこか嬉しそうに見えたため、それ以上の不満を口にするのは憚られたのだった。
「……なんだ」
「頼みがある」
そう言って手にしていた風呂敷包みを畳の上で解き、取り出したタブレットを大典太に向けた。
「練習させてくれ」
再生されているものはどうやら髪結いの指南動画のようだ。ちら、と広げられた風呂敷の中身を見れば、櫛や髪ゴム、ヘアピンにリボン等と一通りの道具が揃っている。
大典太からすれば断る理由はないが承諾する理由もない。こういってはなんだが鬼丸は細やかな作業には向いていない。できれば断りたいというのが正直な気持ちだが、直球で頼んできたということはそれなりの理由があるのだろう。
「……理由次第だな」
下手に誤魔化さず条件を提示すれば、鬼丸は、理由……、と小さく口中で反芻してから、乱が……、と事の次第を話し始めた。
毎朝、髪を整えて貰っているお礼をなにかしたいと申し出たところ、初めは「ボクが好きでやってることだから」と断っていた乱も、それでは気が済まないという鬼丸の意を汲んでか、相手の厚意を無碍にするのもよろしくないと思ったか、「それじゃあ今度は鬼丸さんがボクの髪を可愛くしてよ」と悪戯っぽく笑ったのだった。
「そうは言われてもおれはその手のことは門外漢だ」
きっぱりはっきり出来ないことは出来ないと胸を張る鬼丸はいっそ清々しいほどだ。だが、そこで無理だと断らずどうにかしようとする前向きさは素直に評価したい。
評価したいが……
「……なんで俺なんだ」
「小狐丸に頼んだが断られた」
「それはそうだろう」
あの狐が審神者以外に髪を触らせるわけがない。
「かと言って乱本人に練習させろと言うわけにも……」
「まぁ……そうだな」
同じ天下五剣のよしみで数珠丸に声を掛ければ彼ならば快諾してくれるであろうが、あの毛髪量は手慣れた者でも扱いが難しいのは一目瞭然だ。適度な髪の長さの者を脳裏に思い浮かべるも、にっかり青江や千子村正といった一癖も二癖もある者しかおらず、大典太は自分のことは棚に上げ、鬼丸が彼らに声を掛けるのはあまりにも難易度が高いなと納得する。
「……それで俺、か」
こくり、と上下に動いた鬼丸の頭を黙って見つめ、大典太は、さてどうしたものか、と考える。乱藤四郎のためだというなら引き受けるに吝かではない。
「俺が、断るとは思わなかったのか……?」
ふと口を突いて出た問いに、鬼丸は一瞬目を丸くするも、あ……、と小さく漏らし、それもそうだな、と目を伏せた。
大典太自身、深い考えがあっての問いではなかったのだが、鬼丸の反応に尻の据わりが悪くなる。てっきりごく普通の顔で「断るのか?」と平然と聞いてくるとばかり思っていたのだ。
なんとなく、本当に漠然とした感覚ではあるが、あの時前田の言わんとしたことがわかった気がした。
鬼丸のこれは信頼故の雑さであるのだ、と。
「冗談だ。そんなにしょげるな」
「……お前の冗談はわかりにくい」
しょげたことは否定しないのか、と喉元まで出かかるもどうにか飲み下し、大典太は「引き受けてもいいが、俺の頼みも聞いてくれるか」と切り出した。
一方的に借りを作るよりは余程やりやすいとの考えからか、鬼丸は二つ返事で承諾し、頼み事の内容を聞いてこない相手に、大典太は困ったように笑うしかなかった。
ただの三つ編みにまさかこれほどの時間が掛かるとは、と大典太は鏡の向こうで真剣な眼差しでタブレットを凝視している鬼丸の姿に、漏れかけた溜息を、ぐっ、と飲み込む。
いきなり頭頂に、さくり、と櫛を突き立てられた時は思わず「毛先からだ!」と大声を出してしまったのは不覚であった。毎朝乱に髪を梳いて貰っているというのに、この男は一体なにを見てきたというのか。
大典太の剣幕に驚いたか鬼丸も、悪かった、と素直に謝り、それ以降は緊張感を持って事に当たっているが、悲しいほどに鬼丸国綱という刀は不器用であった。
とにかく力加減が下手すぎるのだ。
常ならば耐えてしまう大典太だが、ここでの成果が乱に披露されるのだとの未来がわかっているので、髪を引かれすぎて痛ければ「痛い」と声に出し、櫛が頭皮を削れば後ろ手に鬼丸の膝を叩いた。
慣れない作業に苛立ちを募らせているかと思えば、鬼丸は存外落ち着いた表情で動画を目で追い、なにも掴まぬまま宙で手を動かしている。それを二度、三度と繰り返し、よし、と微かに唇を動かしてから改めて大典太の髪を手に取った。
お得意の悪態をひとつも吐かず黙々と作業をする鬼丸を、大典太はやはり根は真面目な男だと思う。
出来はともかくこの姿を知れば乱も満足するのではないかと思うも、あの聡い短刀のことだ。こうなることは予測済みかも知れない。
知らず笑みが浮かんでいたか、鬼丸が怪訝な顔をしていることに気づいたが、大典太は敢えて見なかったことにした。
一朝一夕に出来ることではないな、とぐったりしている鬼丸に茶を出してやり、大典太は練習の成果を鏡で再度確認する。
「……写真に撮っておくか」
「……やめろ」
下手くそすぎて目も当てられん、とちゃぶ台に突っ伏す鬼丸を横目に、ピロリーン、と軽やかな音が室内に響いた。
「鬼丸国綱の成長記録だ」
「……その言い方やめろ」
ネタとして審神者フォーラムに投下したいところだが、本気で携帯端末を叩き壊されそうな気配を察知し、大典太は素知らぬ顔でジャージのポケットに端末をねじ込んだ。
「お疲れのところ悪いが、次は俺の頼みを聞いて貰おうか」
「……なんだ」
のそり、と身を起こし面倒なことはご免だと顔にありありと表れている鬼丸に、大したことじゃない、と答え、大典太は箪笥から赤い紐を取り出し、鬼丸の隣へ腰を下ろした。
「前田が皆の前で手品を披露すると言うんでな、それの手伝いを頼まれた」
ちゃぶ台の影になっていた本を拾い上げ、ぱらぱら、とページを繰る。
「縄抜け、だそうだ」
該当ページを指し示し、これの練習をさせろ、と無言で伝えれば、鬼丸は黙って図解を目で追うと、わかった、と言って大典太に背を向け、両腕を後方に回し甲同士を、ぴたり、と合わせた。
ジャージの袖を肘まで捲り、合わせられた鬼丸の手首を手順通りに縛り上げながら、大典太は確認のためか小声で何事か、ぶつぶつ、と漏らしている。
「少し緩くないか?」
「……そうか」
実際は前田が相手のため、力加減も試行錯誤と言ったところか。するする、と紐が解かれ、再度、手首が拘束されていく。
鬼丸ほど不器用ではないが、大典太も細かい作業が特別得意なわけではない。くんっ、と紐を引いたところで今度は「キツイ」と鬼丸から声が上がった。
「なかなかに難しいな……」
これは先に試して正解だった、と大典太は内心で安堵の息をつく。
「実際にやってみないとわからないものだな」
何事も、との言葉に先ほど苦労したばかりの鬼丸も、そうだな、と同意する。もう一度やり直そうとしたその時、襖の向こうから大典太を呼ぶ声がした。
「主君がお呼びです」
「わかった」
襖の向こうにいるのは前田で、声音が若干柔らかくなったことに大典太自身は気づいていないようだ。
すぐ戻る、と言い置いて大典太は部屋を後にし、前田と何事か言葉を交わしながら遠離る足音を鬼丸はぼんやりと聞いていた。一歩は大きいが歩み自体は緩やかで、なるほど短刀に合わせるとそうなるのか、と納得する。もしかしたらあれでも歩幅を狭くしているつもりかもしれない。
しかし暇だ、とひとり残された鬼丸は、ごろり、と寝そべり、ふわ……、と欠伸を漏らす。紐を解いていく時間くらいあっただろう、と思わなくもないが、まぁいい、と細かいことにはこだわらない。
慣れぬ事をして疲れたか、鬼丸はあっさりと眠りに落ちた。
身体が軋む感覚で鬼丸は、ゆうるり、と意識を浮上させる。頭をもたげて時計を見れば、大典太が出て行ってから二時間が経過していた。
低く呻きながら身を起こせば、長時間同じ格好でいた身体は見事に強張っていた。おそらく頬には畳の跡がついているだろう。
「……まだ戻らないのか」
いい加減腕が痛い、と行儀悪く足で本をたぐり寄せ、該当ページを足の指で器用に捲る。縄抜けの手品なのだから縛られた側が紐を解けないわけがない、と解説通りに試してみるも紐が緩む気配は微塵もなく、それどころか逆に締まった気がした。
これは見事に失敗しているな、と舌打ちし、こちらから探しに行くか、と鬼丸は足で襖を開け放ち、まずは大典太を呼びつけた審神者のところだな、と廊下を進む。
途中、通りかかった三条の衣装部屋に小狐丸と三日月がおり、大典太を知らないか? と声を掛けるも、揃って首を横に振られた。
「そうか。邪魔したな」
軽く頭を下げ通り過ぎたところで、室内から小狐丸の悲鳴とも叫びともつかぬ奇っ怪な声が響いたが、鬼丸は特に気にも掛けずそのまま歩いていく。
「あれは大典太光世の紐だなぁ。なんだなんだ、新しい遊びか」
「ちょっ、え、お待ちなさい、鬼丸殿! 鬼丸殿!?」
手にした着物を放り投げることも出来ず、ああもう! と声を上げながら生真面目に衣紋掛けに戻す小狐丸の隣では、三日月が呑気に眼を細めて笑っている。
「呑気に笑っている場合じゃないでしょう」
追いますよ、と三日月の腕を取り部屋を飛び出した小狐丸に、お前は本当に世話焼きだなぁ、と三日月は引かれるままに、ころころ、と笑った。
血相を変えて小狐丸が追いかけて来ていることなど知らぬ鬼丸は、次に通りかかった部屋にいた一期一振に、大典太を知らないか? と先と同じ問いを発した。
洗濯物を畳んでいた一期は手を止め、いいえ、と返してから、なにに気づいたか不思議そうに鬼丸を見上げる。
「腕をどうかされましたか?」
不自然な形で腕がずっと後ろに回されていることを疑問に思ったか一期が逆に問いかければ、鬼丸は、これか、となんでもない顔で身体を捻り、拘束されている腕を晒した。
「大典太がやったんだが、一向に戻って来なくてな。だから探している」
あっさりと返された答えに一期は言葉を失い、丁度追いついた小狐丸も発言内容に固まり、三日月だけが楽しそうに「放置ぷれいというやつか」と意味がわかっているのかいないのか、相も変わらず、ころころ、と笑っている。
そこへ運良くというべきか運悪くというべきか、大典太と前田が揃って現れたものだから、場の空気は推して知るべし。
ただいま戻りました、と前田が頭を下げれば、一期は笑みの張り付いた顔で、お帰り主のお使いご苦労様、と弟を労い、皆とおやつを食べておいで、とその場から離れさせた。
他者との付き合いが苦手な大典太でも、この場の空気が異様なことは感じ取れる。ここに居てはマズイ、と後ずさろうとするも、依然笑みを貼り付けたままの一期に肩を、ぽん、と叩かれ「お話があります」と地獄の底から響くような声で言われては、黙って従うしかなかった。
ぐったり、とちゃぶ台に突っ伏す大典太に茶を入れてやりながらも、鬼丸は「自業自得だ」と慰める気はないようだ。
「……なんでこうなった」
粟田口の連中はあんたに甘すぎる、とぼやく大典太は先の一期の説教を思い出し、あー……、と低く唸る。
「すぐに戻らなかったお前が悪い」
手首を撫でさすりながら鬼丸が、ふん、と鼻を鳴らせば、それについては言い訳のしようがないと、大典太は眉尻を下げた。
前田と一緒に買い物行ってきてくれ、と審神者に言われ、鬼丸を縛ったまま部屋に置いてきたからちょっと待ってくれなどとはさすがに言えず、そのまま出掛けてしまったのだから、鬼丸からの文句は全て受け止めるつもりでいたのだ。
まさか一期一振と小狐丸から説教を喰らうなど、夢にも思わなかったのだが。
主に短刀たちへの影響や本丸内の風紀の面をこんこんと語られ、当然それは鬼丸も共に正座をして聞くこととなったが、放置をした大典太に非があると殊更こってり絞られた。
ちなみに三日月からは「装具の紐では肌を傷めるからやめてやれ。柔らかい布にしてやれ」と気遣いの方面で叱られたが、違うそうじゃない、と勘違いを訂正する気力は大典太には既に無かった。
「引き千切れんこともなかったが、それではお前が困るだろうと、さすがにやめておいた」
いっそ引き千切ってくれた方がいらぬダメージを受けなかったのだが、との言葉は胸に留め置いた。
「……だが、前田のために口を噤んだお前は、褒められて然るべきだな」
正直に手品の練習をしていたのだと告げれば、説教は免れたのだ。大典太も鬼丸も言葉巧みな部類ではない。むしろ言葉足らずで誤解されやすい方だ。互いにそれがわかっているからこそ下手なことは言わず、鬼丸も中途半端に口を挟むことはしなかった。あの場で鬼丸が口を開けば、火に油であったろうことは容易に想像がつく。
わしわし、と頭を撫でてくる鬼丸の手を払うことなく、大典太は深く深く息を吐く。
「……撫でるならもっと優しくしろ……禿げる」
この馬鹿力が、と悪態を吐けば、うるさい、とぶっきらぼうに返されるも、髪を梳くように動く指先は言葉とは裏腹に穏やかだ。
やればできるじゃないか、と夢現に呟く大典太を見下ろし、実際にやってみないとわからないからな、との鬼丸の囁きは、すでに瞼がぴたりと重なった大典太には届かなかった。
2020.05.08