【刀剣】夢絡みの話鬼丸さんが夢に取り込まれそうになる話 横になったまま、ぐーっ、と大きく伸びをしてから、のそり、と上体を起こす。障子越しに届く光は強く、朝日のそれではなかった。
朝食には間に合わなかったが、すぐに昼食の時間になるだろう。どこか靄が掛かったような頭を一振りし、寝乱れた布団はそのままに部屋を後にする。
廊下ですれ違った打刀が、寝癖すごいぞ、と笑いながら肩を叩き、顔を洗っていれば短刀が、お寝坊さんだね、とやはり笑いながら肩を叩きタオルを差し出してきた。
お茶くらいは貰えるだろうと厨に顔を出せば、昼食の支度をしていた太刀に、お疲れかい? 調子が悪いときは無理しちゃダメだよ、と寝坊を咎められることはなく笑顔で心配され、労るように肩をぽんぽんと叩かれた。
朝のご飯をおにぎりにしておいたから、と海苔を巻かれた米の固まりとお茶の乗った盆を持たされ、これ以上作業の邪魔をするのも悪いからと厨を後にする。
非番で良かったとふと足を止め晴れ渡った空を見上げていれば、庭先で蹴鞠をしている短刀たちが手を振ってきた。
「──さん」
そこまで距離はあいていないが声が巧く聞き取れず怪訝に首を傾げれば、向こうも声が届いていないと気づいたか再度口を開いた。
「──さん、どうしましたか?」
ざらざらと耳障りな音の後の言葉は明瞭で、普段からハキハキと喋る短刀のそれだ。
言葉もなく立ち尽くしていれば、心配顔の短刀たちが駆け寄ってくる。口々に「──さん?」「大丈夫ですか?」「どこか具合が悪いんですか? ──さん」と不協和音の折混ざった声にたまらず耳を塞ごうとするも両手は使えず、逃げるようにその場を立ち去った。
あの不快な音はおそらく己の名なのだろう。誰の口から出た音もひとつとして同じものはなかったが、言葉として理解できるものもなかった。
そもそも、己の名は、なんであったか……?
そもそも、これまで会った彼らの名はなんであったか……?
ぞわり、と背筋が粟立ち全身に震えが走る。
手にした盆を取り落としたが気に掛ける余裕もなく廊下を一心不乱に駆けた。
あいつならきっと、と根拠もないままひとつの部屋を目指す。
あの男の部屋までの道のりはこんなにも遠かっただろうかと、上がる息を無理矢理に抑え込む。
伺いを立てることもなく襖の引き手に指を引っかけ勢いよく開け放つ。
「大──」
「鬼丸!」
ぐん、と急激に意識が引き上げられ、鬼丸の喉がヒュッと鳴った。
「大典太……?」
肩を掴み無理矢理に鬼丸の身体を起こしたのだろう。ほぼ同じ高さにある大典太の顔を見つめながら、鬼丸は顎を伝う汗を乱暴に拭った。
「大丈夫か」
「大典太……」
「なんだ」
「大典太光世、だな?」
一音一音確かめるように大典太の名を呼ぶ鬼丸を怪訝に思うも、そうだ、と頷き、大典太は再度、大丈夫か、と声を掛ける。
「大典太、おれは、なんだ?」
突然の問いに戸惑うも相手の瞳の奥に見え隠れする不安の色に気づき、掴んだままであった肩を慰撫するように撫でさする。
「おれの、名は……」
「鬼丸国綱だ」
強い言霊が大典太の口から紡がれたと同時に、鬼丸に絡みついていた夢の残滓が一瞬にして霧散する。
はー……、と深々と息を吐きながら上体を前に倒した鬼丸を、大典太は慌てて抱き起こそうとするも、その手は鬼丸自身によって押し留められた。
「大丈夫だ。世話を掛けたな」
ゆっくりと身を起こした鬼丸の瞳からは先のような不安の色は窺えず、常と変わらぬ強い光が宿っている。
重傷で運び込まれた鬼丸は手入れは済んだとはいえ、今の今まで目を覚まさなかったのだ。身を案じた大典太が横になるよう促せば、鬼丸は素直に枕へ頭を預けた。
「なにがあった」
目を閉じた鬼丸へ大典太から問いが投げられる。
本日の出陣先は合戦場ではなく、放棄されたある本丸であった。
審神者がある日突然失踪し、政府がその事に気づいた時は既に遅かったのだ。
残された刀剣たちは、共に出陣した仲間が「夢に見そうだ」と絞り出すような声で漏らすほどに、見るも無惨な姿へと変わり果てていた。
錆に覆われた本体の影響は肉の器へも及んでおり、最早それは人語を解する事も出来ぬ、ただの狂った刃物であった。
腕であった物が千切れようとも、体内に収まるべき臓物であった物が零れ落ちようとも、目の前に現れた『敵』を斬り刻むために動き続けるそれらは、既に死という概念はなく、故に恐れもなかった。
主に捨てられた刀たちは呪の塊であった。
本丸全体が呪に満ち溢れていた。
そのような場所で意識を失った鬼丸は、不覚にも取り込まれたのだ。
目の前の錆だらけの刀たちとかつての自分を、一瞬とは言え重ねて見てしまった事が原因だろう。
あの光景は真っ当に機能していた頃の本丸の姿であったのだろう。
どこにでもある、普通の光景だった。
そこには『鬼丸国綱』という刀は、おそらく顕現していなかったのだろう。
肩を叩かれるたびに大事な何かが零れ落ち、己が何者であるかもわからなくなった。
居ない刀の名を呼ぶ事は出来ず、居ない刀の名を知る事も出来ず。
結果があの不協和音だ。
本来ならばあのまま己を取り戻す事も出来ず、鬼丸は緩やかに緩やかに朽ちていくところであったのだ。
なにもかも失うはずであった鬼丸のよすがとなった刀の問いに、さてどう答えた物か、と瞼を下ろしたまま思案していれば、そう、と額に触れられた。
「……大丈夫だ」
なんともない、と言いながら瞼を持ち上げれば、大典太はそれでも手を外さず、真剣な顔で鬼丸を、じぃ、と見つめている。
「おれもよくわかってないんでな。説明はできそうにない」
「そうか。あんたがそう言うなら仕方ないな」
額に当てていた手を移動させ、ゆるゆる、と頬を撫でる大典太を止める事なく、鬼丸は「もう少し休みたいんだが」と言いながら布団を、べろり、と捲った。
「このままじゃどうにも夢見が悪くなりそうだ」
ぽんぽん、と催促するように自分の隣を叩く鬼丸のらしくない行動に驚いたか、大典太は軽く目を見開くも揶揄うような言葉はその口から出て来ない。
らしくないからこそ、そこに切実さが垣間見えたのだ。
「夢はあんたの領分だろう」
あまりアテにするなよ、と軽口を叩きながら大典太は布団へ身を横たえ、自分の胸に囲い込むように鬼丸の背に腕を回した。
2021.05.11
夢で甘える話 くん、と不意に服の裾を引かれ、大典太は怪訝に思いながら首を巡らせた。
背後に居たのは腰に届くかといった背丈の子供で、はて? このような者が本丸に居ただろうか? と訝しむも、見覚えのある髪色と僅かに先端を覗かせている特徴的なそれに、違う意味で怪訝な顔になった。
子供は僅かにうつむいている事もあり、大典太からはつむじしか見えない。
どうした? と大典太が極力穏やかに問いかけるもその頭が上がる事はなく、裾を握る小さな手を上体を捻ったまま困ったように見やるしかない。
とにかく一旦離してくれないか、と大典太が声を掛ければ、子供は素直に服から手を離す。自由になった大典太が膝を着き子供の顔を覗き込めば、そこにあったのは予想通りの柘榴の瞳であった。
唇を引き結び地面を、じっ、と見据えていたかと思えば、ちら、と窺うように大典太を上目に見やる。なにか言いたい事があるも切り出せないといった体だ。
相手が口を開くのを根気強く待っていれば、気まずそうに目線をあちらこちらへと彷徨わせた後、蚊の鳴くような声が押し出された。
余りにも小さくか細いそれに驚くも、かろうじて届いた内容に大典太は思わず耳を疑ってしまう。その反応をどう捉えたか子供は再び地面に目を落とし、やっぱりいい、と首を振った。
あぁ違う、そんな事でいいのかと驚いただけだ、と即座に大典太が言葉を継ぎ、小さな身体を抱き上げる。
胸にすっぽりと収まる想像以上の小ささと軽さに僅かに息を飲んだ大典太を知ってか知らずか、胸に顔を埋めた子供は満足そうに笑っている。
なんだ抱っこだけでいいのか、と大典太が問えば、小さな頭は、こくん、と縦に揺れた。
チチ……、と外から聞こえる鳥の声と、閉め忘れた障子の隙間から届く陽光が顔に差し、大典太は眠りの淵から、ゆうるり、と戻ってきた。
「……なんだあれは」
現実では子供ではなく丸まった毛布を抱いていた自分に対し、げんなり、とするも、それ以上に夢の内容に顔から火が出そうになる。
なんだ俺はそういった願望でもあるのか、と布団にうつ伏せになり漏れ出そうになる呻きを懸命に抑えていれば、隣で寝ていた男も目覚めたのか、もぞり、と身動いだ。
「……すまん。起こしたか」
時計を見れば普段の起床時間までまだ早く、不用意に動いた事で気配に敏感な男を起こしたかと、大典太が詫びの言葉を口にすれば、鬼丸は背を向けたまま、いや、と小さくただそれだけを返してきた。
何気ない一言であったがどこか違和感を覚え、大典太は静かに身を起こし、そっと鬼丸の顔を覗き込んだ。
布団に顔を埋めておりその表情は窺えなかったが、隠れていない耳が赤く染まっており、そこで大典太は全てを察した。
2021.05.01