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    【刀剣】『始まる前に終わる話』二振り目以降の話 鬼丸国綱だ、と淡々と抑揚の無い声で己の名を告げた太刀は、審神者と並ぶ近侍を、ちら、と一瞥するも特に何も反応を示さなかった。
     微かな希望に縋る思いでいたのは大典太だけではなく、審神者も同様であった。
     ほんの一瞬ではあったが落胆の空気を感じ取ったか、鬼丸の目が僅かに眇められた事に気づいた審神者は相手の手を強く握り、よく来てくれた、と喉を詰まらせながらもようよう言葉を押し出す。
     疎まれている訳では無いと理解したか、引き結ばれていた鬼丸の唇が若干ではあるがほどけたように感じられた。
     あとは頼んだ、と審神者から本丸の案内を仰せつかった大典太に連れられ、鬼丸は黙って廊下を行く。
     まずは一番世話になるであろう手入れ部屋を皮切りに、厨、食堂、道場、浴場など共同で使う場所を回り、その途中で行き会った槍は鬼丸の姿を認め、どこか安堵したような顔を見せるも、大典太が首を僅かに横に振れば、そうか、とだけ返してから、御手杵だ、と己の名を告げ、これからよろしくな、と朗らかに笑ったのだった。

     戦場を駆け、馬の世話をし、畑を耕す。
     本丸での日常に馴れる頃には、それが当然の流れであるかのように大典太と鬼丸は、共に酒を飲む仲になっていた。
     だが、その関係はそれ以上でもそれ以下でも無く、そこに特別な感情は含まれていなかったのだ。
     これで良いのだと思う反面、大典太の胸には、ぽっかり、と穴があいたような寂しさがあるのもまた事実であった。
     仕方が無い、と御手杵も寂しげに笑い、あれはあいつだけの思いだったからな、と在りし日の姿を思ってか、すん、と鼻を鳴らした。

     春にやって来た太刀は蝉時雨を聞くこともなく去ってしまった。
     味方は分断され、互いの状況は一切不明のまま迫り来る敵をひたすらに斬り伏せ、活路を開き、満身創痍ではある物の無事に合流出来たと、皆が安堵しかけた矢先の出来事であった。
     大典太の背後から振り下ろされた白刃は、間に割って入った鬼丸を切り裂いたのだ。
     頽れる鬼丸を抱えた大典太の横から飛び出した御手杵の槍が、過たず敵を突き穿ち塵へと変えた。
     肩口から胸へと食い込んだ刃は、確実に核である心の臓まで届いている。朽ちる直前、どうして……、と口にした大典太に向かって鬼丸は、お前がそれを聞くのか、と口端を僅かに持ち上げ、確かに笑ったのだ。
     その言葉の意味を知るのは、御手杵しか居ない。
     ――こいつのためなら折れてもいい、とか思ったら……かな。
     一振り目に言ったそれを二振り目は知っていたのか、あるいは覚えていたのか。
     今となっては知る由も無い。

       ◇   ◇   ◇

     青野原へ出陣していた隊が戻ったとの報せを受け、俄に本丸内が騒がしくなる。
     正直、この本丸の戦力ではそう何度も出陣出来る事案ではなかった為、審神者は皆にこれが最後の出陣となることを告げ送り出したのだった。
     審神者が指示するまでもなく、手が空いた者達は馴れた様子で手入れ部屋の準備や、大広間を負傷者の簡易的な収容場とするべく動いている。
     その様子を横目に審神者は転移門へ足早に向かうも、戻って来た者達が廊下を来る方が一足早かった。これまで同様、無傷の者はおらず、互いに肩を貸し支え合うように帰ってきた刀達を前に、審神者は申し訳なさと安堵の入り交じった表情で皆を迎えた。
    「折れた者はいないな? なら……」
    「重傷者は手入れ部屋へ。それ以外は大広間に、だろ?」
     短刀をおぶっていた槍が殊更軽い調子で審神者の言葉を横取りすれば、互いにもたれるように肩を貸しあっていた打刀の片方が手にしていた刀を、すっ、と持ち上げた。
    「目的は果たしたよ主。ご褒美に新しい爪紅よろしく」
    「あぁ、あぁ、十個でも二十個でも好きなだけ買ってやるとも。皆も欲しいものあったら何でも言えよ」
     手渡された刀を強く握り締めながら審神者が皆の顔を見回せば、やったー、と歓声を上げながら刀達は、あれが欲しい、いやでもこれも欲しい、などと口々に言いながら手入れ部屋と大広間に向かって行ったのだった。
     ひとり廊下に残された審神者は、改めて手中の刀に目を落とす。現在、顕現してる天下五剣の中で唯一、恒常的な接触手段を持たぬ太刀だ。
     どういった経緯でそうなったかは不明だが、遡行軍の手に落ちた刀の奪取も今回の任務に含まれていた。
     近侍も負傷者の対応で忙しなく動き回っている為、審神者は誰に声を掛けることなく一室へと足を踏み入れる。
     刀掛け台に手中の刀を静かに置き、ぺたり、と一枚札を貼る。この札を通して自分の霊力を刀全体へ行き渡らせ起きて貰うのだが、札を貼った時点で妙な感触を覚え審神者は怪訝に眉を寄せた。
     正体のわからぬ違和感に首を傾げながらも霊力を通し、ちらちらと舞う桜の花びらと共に人型を成した刀を前に、違和感は確信へと変わる。
    「……長くはないな」
     鬼丸国綱だ、との第一声に被った審神者の呟きに、一旦口を噤んだ鬼丸が「なにか言ったか」と問うてきたが審神者は、なんでもない、と首を横に振り、これからよろしくな、と軽く頭を下げた。

     内番の振り分けを考えながら、審神者はここ数日で数振りから寄せられた話を思い出す。
     他の本丸の審神者から聞いていたが、例に漏れずここに来た鬼丸国綱も口数は少なく、積極的に他の刀と関わる気はないようである。
     それでも声を掛けられればきちんと応じ、ぶっきらぼうな面はあれど邪険にされる者は居なかった。
     同派ということもあり粟田口の短刀たちと内番を組ませていたが、皆が口を揃えてこう言うのだ。
    「教えることが何もない」と。
     農具の扱い方や畑の畝の作り方、馬にやる飼い葉の量から毛並みの手入れの仕方など、まるで最初から知っていたかのように、戸惑いも迷いもなく黙々とこなし、全て終わらせてからほんの少しの不満を零すのだと言う。
     そして一番物怖じせず鬼丸に接している乱が、暫し躊躇した後にこう言ったのだ。
    「うまく言えないんだけど、そこに居るのに居ないみたいな……身体の半分どこかに置いてきちゃったみたいな、見てて凄い不安になるんだよね」
     いつもここじゃないどこか違うところを見てるみたい、と悲しそうに俯く短刀の勘の良さに、審神者は内心では焦るも面には一切出さず、そうか俺も注意して見てみるな、と返したのだった。
     短刀たちの話以外にも気になる点はもうひとつあった。
     あからさまではないが、鬼丸は確かに大典太を避けている。
     そこに悪意や嫌悪といった物が存在すれば、話はまだ簡単であった。
     深く関わりそうになるとはぐらかし、するり、と躱してしまうのだ。
     極力相手を傷つけぬようにと、何気なさを装いながらもその実とても気を遣っている。
     そのアンバランスさの正体がわからず、審神者はひとりモヤモヤとした物を胸に抱えているのだ。
    「特殊な個体が多いとは聞いていたが……」
     噂止まりではあるが鬼丸国綱の様々な特殊事例はいくつも耳に届いている。
     ――未来視が出来る。
     ――夢を通じて別個体と情報を共有している。
     ――人に化けている妖を見分けることが出来る。
     ――夢の中に入ることが出来る。
    「他の本丸に居た時の記憶を持ってても、まぁ驚きはせんな」
     これは鬼丸に限った事ではないか、と審神者は、ゆうるり、と首を振った。

     窓枠にもたれ、ちびりちびり、と盃を傾けていた鬼丸は、襖向こうの気配に僅かに片眉を上げた。
     とすっとすっ、と軽く襖を叩かれ、なんだ、と低く応じれば、少しいいか、と遠慮がちな声が寄越される。ここで断るのは容易いがわざわざやって来たと言うことは、そう簡単には引き下がらないという事だろう。
     無駄な問答をするのもうんざりだと、鬼丸は諦めたように深く息を吐いてから、入れ、と相手を招き入れた。
     音もなく横に滑った襖を抜けて来た大典太は僅かに目を伏せている。
    「……相変わらず陰気だな」
    「なに?」
     鬼丸の呟きが巧く聞き取れなかったか、大典太は顔を上げ問うように目を眇めた。
    「何の用だと言ったんだ」
    「……用、というか」
     言葉を選んでいるのか口元を掌で覆い隠している大典太を見上げ、座ったらどうだ、と鬼丸は自分の前を指し示す。それに素直に従い腰を下ろした大典太を正面に見据え、それで? と促せば、思いのほか真剣な眼差しが返された。
    「あんた、俺のことを避けていないか」
     先程までの逡巡はどこへやら。直球で言葉を投げてきた大典太に、鬼丸は一瞬ではあるが目を丸くする。
    「……何を言うかと思えば。お前に限らずおれは誰に対しても同じ態度のつもりだが?」
     暗に誰とも深く関わる気はないのだと告げるも、大典太に納得した様子はなく、むしろ不満が増長されたようだ。
    「俺は、あんたとなら、静かに酒が飲めると……思ってたんだ」
     ――否、不満ではなく落胆であったようだ。
     本丸内の酒飲みの面々を思い出し、鬼丸は胸中で、なるほど、と漏らす。賑やかと言えば聞こえはいいが、大典太は騒がしい酒の席を好まない。かと言ってひとり酒は寂しいのだろう。
     この大典太光世は鬼丸が知っている大典太光世ではない。
     ちくり、と胸の奥が痛んだが、恋い焦がれた太刀と重ねて見てしまうのは、この大典太に対して失礼である。
     だがそれ以上に同じ声、同じ顔の太刀と共に過ごすという現状に、鬼丸自身が耐えられる自信がないのだ。
    「悪いがおれは、ひとりで飲むのが性に合ってるんでな」
     巧く表情を作れていることを願いながら、鬼丸は大典太に向かって薄く笑んで見せたのだった。

     入るぞ、と一声かけてから手入れ部屋の襖を開けた審神者は、吹き込んできた寒風に、ぶるり、と身を震わせる。何事かと目を丸くすれば窓は全開になっており、その前では布団で休んでいるはずの鬼丸が食い入るように外を見つめていた。
     雪が珍しいのかとも思ったが、その表情からは好奇心や興味といった類いの物は窺えず、むしろ憂いや寂寥といった物悲しさを思わせた。
    「身体に障るぞ」
     あと俺が寒い、と審神者はぶつくさ文句を言いながら鬼丸を布団へ追い立て、窓を閉める。雪を見るだけならば障子を開けるだけで事足りたはずだが、不自然に雪を落とした葉に気づき、審神者は僅かに眉を寄せた。鬼丸はどうやら窓辺に植えられた庭木に積もった物に触れていたらしい。
    「雪は、初めてか?」
     枕元に腰を下ろした審神者の問いに、鬼丸は怪訝な顔を見せる。部隊が青野原から鬼丸を持ち帰ったのは一ヶ月前の話だ。わざわざ聞くまでもないだろう、と返してきた太刀に、うんまぁ、と審神者は歯切れが悪い。
    「少し話をしよう」
     改めてそう告げてから審神者はゆっくりと口を開いた。
    「お前を顕現させた時にな、わかった。ここには長く居てくれないだろうな、と」
     霊力を通した時に覚えた違和感。
     それは『この鬼丸国綱は既に他での縁が結ばれ、そこに繋がっている』という物であった。
    「勿論、お前がここでの務めをしっかりやってくれているのはわかってる。でも、こう、なんというか、どうしても避けられない事態ってのが、この先来る気がしてな。今回のはその先触れなんじゃないかと」
     まだ練度の低い男士が負傷するのはそう珍しいことではない。だが、鬼丸が今こうしてこの場に居るのは、共に出陣した男士を庇ったからだと聞いた。
     その相手が大典太だと知った瞬間、審神者は確信はないが腑に落ちた気がしたのだ。
     縁の先に居るのはおそらく、どの時間軸の、どの本丸に居るとも知れぬ大典太光世であると。
     縁を結んだ相手そのものではなくとも、同位体というだけで無意識に反応してしまうのだろう。それは余りにも危ういと、審神者は神同士が結んだ縁がもたらす結果を危惧しているのだ。
    「寄り道させてしまったのは申し訳なく思う。お前が望むなら――」
     とさり、と葉に積もった雪が重さに耐えかねて落ちる。
     審神者の言葉に鬼丸は瞠目し、口を開き掛けるも、きゅっ、と唇を引き結んだ。
     それを望んでいいのかと、瞼を伏せしばしの逡巡の後、答えを出したのだった。

       ◇   ◇   ◇

     随分と酷いところへ来たものだ、と鬼丸は目の前の審神者など気にも留めず、本丸内の空気に顔をしかめた。
     審神者の後方に控える近侍も俯き加減で目を伏せており、鬼丸を見ることを意図的に避けているようであった。
     先程から途切れることのない耳障りな音が審神者の発している言葉であると気づき、鬼丸はようやっと目の前の男に意識を向ける。
     話の内容は悉く右から左へと素通りしてしまったが、やたらと高圧的な態度から察するに「自分の言うことを聞け、自分は偉い」とでも言っていたのだろう。
     一頻り喚いて気が済んだのか、審神者は近侍に何事かを告げひとりで出て行った。
     残された近侍に、おい、と声を掛ければ、僅かに肩を跳ねさせてから、ゆっくりとその面が上げられる。元から陰気な太刀だが、目の前の大典太は更に輪をかけている。
    「碌な所じゃないな」
     なんだこの空気の澱みは、と鬼丸が隠すこと無く眉を寄せて見せれば、大典太は諦観の笑みを浮かべた。
    「気づいていないのは審神者だけだ……」
     カサカサに乾いた唇から発せられたのは、疲れ切った声音であった。
     部屋に案内する、と踵を返した背に続いて廊下を行き、手入れ部屋と思しき部屋の前を通りかかれば、静かな啜り泣きと押し殺した呻き声が板戸の隙間から漏れ聞こえてくる。
    「……あんたを持ち帰った奴らだ」
     足を止めることなく大典太はそう呟き、歩みの止まりかけた鬼丸の腕を、ぐい、と強引に引いた。
    「あんたが行ったところでどうにも出来ないだろう?」
    「……そうだな」
     大典太の言うことは正しい。だが、耳に届いた苦悶の声が誰の物であるのか、鬼丸は知っているのだ。
     同派の、短刀たちだ。
    「青野原に短刀たちだけで……」
     なんて酷い話だ、と唇を噛む鬼丸を肩越しに、ちら、と見やり、大典太は掴んだままの腕を促すように引く。隣に並べ、と受け取った鬼丸が素直に大きく踏み出し肩を並べれば、ぽそぽそ、と大典太は潜めた声で話し始めた。
    「前はこうじゃなかった。審神者が代替わりしてから、おかしくなった」
     基本的に本丸の譲渡は認められていないが、中には例外という物がある。
     いくつか条件はあるが所定の手続きを踏めば、所属している刀剣男士ごと委譲可能なのだ。
    「ここはみな練度が高く、政府としては失うと戦力的に相当な痛手を被るらしい。先代は高齢だった為、今後のことを考えて血縁者を後継に選んだそうだが……」
    「蓋を開ければ無能だったわけか」
     言いにくそうに口籠もった大典太に代わり鬼丸が遠慮無く言い切れば、そういうことだ、と苦虫を噛み潰したような顔で大典太は首肯した。
    「大型の刀種は手入れ資源を食うからと、出陣するのはほぼ短刀……出ても打刀までだ」
     ぽつぽつ、と語られる内情に鬼丸の顔に険が増す。
    「苦言を呈していた御神刀は、刀解された」
     ぎりっ、と奥歯を噛み締める大典太に掛ける言葉が見つからず、鬼丸は固く握られ小刻みに震える拳を黙って見つめるしかない。
    「他にも……姿の見えなくなった者達が何振りも居る」
     先の御神刀のように刀解された者、出陣先から帰らなかった者、それらは全て理由は語られず終いだ。
    「……このままでいいのか」
     刀が持ち主を選べないのは今に始まった事ではない。
     だが、今の彼らには自我があるのだ。
     鬼丸の問いに大典太は困ったように口元だけで笑む。
    「先代には……良くしてもらったからな」
     恩義があるのだと、ただそれだけを理由に望まぬ主の元で耐え続けている太刀の姿に、鬼丸は胸の奥で、ちりり、となにかが焼け付く感覚を覚えたのだった。

     ごめんね鬼丸さん、ごめんねごめんね、と自らも酷い傷を負いながらも鬼丸を支えようとする乱の背を軽く撫で、お前のせいじゃない、と鬼丸は出来る限りの穏やかな声音で応じる。
    「天下五剣などという大層な呼び名が付いているのならばさぞや強いのだろう」と、碌に修練も積まぬまま青野原へ行けと命じられた結果がこれだ。
     一振りも折れなかったのが奇跡と言える程の惨状に、手入れ部屋で待機していた薬研の顔が歪む。
    「一番酷いのは……」
     聞くまでもなく鬼丸であったが、おれは後でいい、と乱を薬研に託し、手入れ部屋を後にする。誰も追いかけてこないのは、こちらに割く余力がないからだ。
    「こんのすけ、一緒に来い」
     記録をするために手入れ部屋の外まで来ていたこんのすけを睨め付け、半ば脅すように同行を命じる。
     佩いた本体を音もなく抜き放ち、抜き身のそれを右手に携えたまま審神者の居る部屋の襖を蹴破った。
     当然のことながら審神者は鬼丸の無礼を詰り、口汚く罵ってくる。だが、全く意に介さず鬼丸は審神者の正面に立つと、鼻先に切っ先を突きつけた。
    「……これまで何振り、刀解した」
     地の底から響くような低い声での詰問に、審神者の口端が一瞬不自然に跳ねる。
    「お前の采配でこれまで、何振りが折れた」
     審神者は咄嗟にこんのすけを見るも、狐の真っ黒な瞳はただただ人と刀のやり取りを写しているだけだ。
    「御神刀を刀解し、瘴気に澱んだ本丸内にも気づかない。先代は優秀だったようだが、この本丸はお前には宝の持ち腐れだな。ならばここでお前を斬って、あいつらを解放してやるのが……いいと思わないか?」
     なぁ、と爛々と赤く燃える隻眼に見据えられ、審神者は血の気の引いた顔で、音の出ないまま口を何度も開閉させる。
    「待て、鬼丸! それはダメだ!!」
     短刀たちから話を聞いたか、はたまた騒ぎに気づいたか、息せき切って駆け込み強く言葉で制止をかけてきた太刀に、鬼丸は、うっそり、と笑む。
    「聞いたなこんのすけ? この本丸に元から居た刀は、おれの考えに反対だ」
    「はい」
    「これは、おれが勝手にやった事だ。だが、この本丸の審神者の適性は審議が必要ではないか?」
    「鬼丸殿の謀反の可能性も合わせて、政府に申告します」
     淡々と交わされる鬼丸とこんのすけのやり取りに、大典太は戸惑いつつも鬼丸の肩に手を掛けた。
    「一体なにを考えてるんだあんたは……」
    「あぁ、安心しろ。審神者の命を取る気はない」
     と言うよりもう無理だな、と鬼丸が口端を歪に上げたのと同時に、ぴしり、と硬質な音が大典太の耳朶を打った。
     ピシピシ、と小さな音が続き、ことん、と畳に何かが落ちる。
     何事かと視線を転ずれば見る見る間に鬼丸の本体は、ぽろぽろ、と欠け零れ、畳に鋼が散っていく。
    「陰気な太刀が更に陰気になってるのは、目も当てられないからな」
     それが鬼丸の最後の言葉であった。
     一際大きな音が響き、刀身は半ばから真っ二つに折れた。

       ◇   ◇   ◇

     腕が飛ぶのも、腹が裂けるのも、戦いの中では珍しいことではない。
     だが、本丸内でのこととなれば話は別であった。
     まともではない、と鬼丸が施術台の上から蔑んだ目を向けていることにも気づいていないのか、審神者はたった今取り出したばかりの臓器に処置を施しながら、ひとりで延々と話し続けている。
     この審神者は本業が医者であったという。
     臓器移植によってどれだけの人命が救われるかを切々と語り、また、臓器提供者と臓器を待っている患者の数が釣り合っていないことを嘆いた。
     それを解決する術として思いついたのが、刀剣男士の臓器を用いるというものであった。
     肉体を持ち、人と同様に食物を摂取する。ならばその臓器が使えるのではないかと様々な実験を行い、日々こうしてデータを集めているのだという。
     手入れをすれば損傷した部位も復元するのなら、摘出した臓器も復元するのではないかと仮説を立てるも、それは机上の空論に終わった。
     だが、男士が健在の間は摘出した臓器も機能を失わず存在するという事がわかった為、今は刀種ごとに検体の数を増やし、一個体による偶然ではなく再現可能であることを検証しているのだと言った。
     青野原を素材集めの場としか考えていない審神者の狂気は、幸いにもと言うべきか戦場で拾われてきた刀にしか向けられていない。
     先の見えない戦いに身を投じていれば、刀ならばいざ知らず人では徐々に精神が蝕まれていくだろう。常に前線に立つ本丸の審神者であれば尚のこと。
     本体が折れるギリギリのラインを見極めるのも目的であると、一振りから複数の臓器を奪い、脚の腱を断ち、眼球を抉る。
     人道的な観点で不可能であった人体実験をここぞとばかりに行っているが、この研究成果が日の目を見る事などないのは火を見るより明らかである。
     だが、残念なことに本人がそれに気づける時期はとうの昔に過ぎている。
     実はまだ心臓を摘出した事はないのだ、との審神者の言葉に、核に手を出されてはさすがにお終いだな、と鬼丸は諦観のままに瞼を伏せた。


     りぃん、しゃりん、りりぃん。
     てぃりん、しゃらりん、りりりぃん。
     音に誘われるように鬼丸は静かに瞼を持ち上げる。
     漆黒の闇の中、細かな燦めきを宙に放ちながら流れに浮かんだ蓮が花開く。
     あぁまた戻って来たのか、と様々な本丸の記録を横目に小さく息を吐く。
     蓮が奏でる音を聞きながら、これまで自分が辿ってきた記録を振り返り、緩く頭を振った。
     何度も何度も青野原を繰り返し、それでもあの本丸へは帰れなかった。
     大阪城も同様であった。自分を手にした部隊が全滅し、顕現すら出来ないこともあった。
     記録として知っているのと、記憶として知っているのは似て非なる事だ。
     胸の奥で今も消えずに燻る大典太への思いは、確かに鬼丸の記憶に基づく物だ。
     思いが募る一方、いつか戻って来いと、そう言った大典太が今もそう思っているのか、むしろあれはひとり逝く自分を憐れんでの言葉だったのではないかと、疑い始めている自分に嫌気が差し、鬼丸は、そっ、と両の掌で顔を覆った。
     もういっそ、ここで在りし日の記録を延々と繰り返し眺めて居た方が良いのではないかと、そう思ってしまう程に鬼丸の心は疲弊していた。
     刹那、りん……、とこれまでにない高く澄んだ音が響き渡り、鬼丸は反射的に顔を上げた。
     数多の蓮の中で一際強い輝きを放つそれが、ゆっくりと花弁を開いていく。
     澄んだ音が光となり、光が音となる。
     包み込むかのように鬼丸へと降り注ぐ光と音に乗って届いたのは、強く眩い霊力と、切望してやまない声であった。
     そぅ、と薄く戸を開き、御手杵は隙間から垣間見えた姿に、きゅっ、と唇を引き結ぶ。普段の猫背はなりを潜め、ぴん、と真っ直ぐに伸びた背筋は、声を掛けるのを躊躇わせる空気を纏っていた。
     だが、御手杵は敢えてそれには気づかなかったといった体で、大典太、と正座をしている太刀の名を呼んだ。
    「そろそろいいか?」
    「……」
     振り返ることなく僅かに項垂れた頭に、そっか、と返し、御手杵も、どかり、と畳に尻を着いた。ちら、と横目に見やれば大典太の膝の上で握られた両の拳は微かに震えており、御手杵は口や顔には出さずとも自分も同じ気持ちだと内心で零す。
     新年に政府から物品や補充戦力として刀が支給されるのが、ここ数年の習わしになっていた。青野原でも大阪城でも邂逅すら出来なかった審神者は、藁にも縋る思いで目録に記された一振りを申請し、それが今、ふたりの目の前にある。
     どうしてもあの、雪を知らずに去ってしまった鬼丸国綱を、蝉時雨を聞くことなく去ってしまった鬼丸国綱を取り戻したいとの思いは、人も刀も同じだ。
     可能性は零に近くとも繋いだ縁を信じ続け、大典太は自分はここに居るのだと、それを辿って来られるようにと、どこに居るとも知れぬ刀に届けと、まだ目覚めていない鬼丸の本体に霊力を送り続けている。
    「……二振り目はさ」
     不意に口を開いた御手杵を、大典太は、ちら、と一瞥するに留めた。続けて良いと判断した御手杵は小さく息を吸い、確証はないけどな、と前置きしてから話し始める。
    「あんたと一緒にいられるだけでいいって、そう思ってたから覚えてたけどなにも知らないって振る舞ってたんじゃないかな」
    「どうして、そう思う……?」
    「俺は愛だ、恋だ、はサッパリわかんねぇけど、あんたに対する鬼丸の思いってのは、こう凄い純粋だったというか、見返りを求めないというか……一振り目に対する負い目みたいな物を持って欲しくなかったんじゃないかなって。うまく言えねぇけど……」
     僅かに口籠もってから御手杵は物言わぬ刀に目をやった。
    「一振り目のあいつが戻って来たとわかったら、俺はきっと普通に接することは出来なかった。もちろん、喜ぶのが悪い訳じゃない。でもな、変に気を回して『特別扱い』しちまったと思う」
     あいつそういうの嫌がりそうだろ、と緩い笑みを浮かべる御手杵に、そうだな、と相鎚を打ち大典太は自分の掌を見つめる。
     鬼丸の告白を聞くまで相手に対する特別な感情が、自分の中にあることにも気づけなかった。
     気持ちを受け取りはしたが、返すことは出来なかった。
     腕の中の重みが愛しいのだと、気づくには遅過ぎたのだ。
     あの時、拙くとも言葉にしていれば、鬼丸に伝えていれば未来は変わったかもしれない。
     だが、いくら後悔をしようとも、過去を変えることは出来ない。
     ならば何年、何十年掛かろうとも、あの鬼丸が応じるまで呼び掛け続けるしかないのだ。
    「俺も夢路を辿ってあいつの元へ行ければいいのだがな……」
    「あんたには夢の逸話はないだろ」
     ぽつり、漏らされた大典太の独り言に御手杵は軽い調子でツッコミを入れつつも、でもそう出来たらいいよな、とどこか寂しそうに笑んだのだった。

     鬼丸国綱だ、と己の名を告げた太刀は、ちら、と近侍に目をやるも、特に何を言うでもなく直ぐさま審神者へと視線を戻し残りの口上を述べた。
     審神者の他に刀がこの場に居たからとりあえず確認したと言わんばかりの態度に、大典太は内心で落胆したが面に出すことはせず、ただただ黙ってその白いかんばせを、僅かに伏せられた睫毛を見つめる。
     よろしく、と審神者が握手を求めてか手を差し出せば、への字に引き結ばれていた鬼丸の唇が僅かに開き、柘榴の瞳が再度大典太に向けられた。
     審神者の行動が不可解で助けを求められているのかと思ったが、大典太が何か言う前に鬼丸は視線を審神者へと戻してしまった。
     じっ、と審神者を見据えたまま鬼丸が逡巡していることは見て取れたが、それが何に対してかは審神者にも大典太にも思い当たる節はない。助け船を出そうにも手掛かりが何もなく、誰もが言葉に窮している状態であった。
    「……また、世話になる」
     ややあって、ぽつり、控えめに発せられた鬼丸の言葉の意味が、審神者と大典太は巧く飲み込めなかった。だが、じわじわとそれの意味するところを脳が理解し、感情と繋がった瞬間、うわぁぁぁぁ! と審神者が声を上げながらその場に崩れ落ちた。
     憚ることなく、わんわん、と声を上げて泣く審神者を前に、鬼丸と大典太は互いに顔を見合わせ、さてどうしたものか、と眉尻を下げる。
    「なんだぁ!? どうした?」
     外に控えていた御手杵が慌てて顔を出せば、審神者は、えぐえぐ、しゃくりあげながら、おにっおにまるがぁ~、と必死に伝えようとするも、はいはいそうだな鬼丸だな、ちょっと向こうで落ち着こうな、と御手杵は蹲る審神者を軽々と持ち上げ、そのまま退室していったのだった。
     感動の再会であるはずが共に出鼻を挫かれ、鬼丸と大典太は互いに肩を竦める。
    「とりあえず、移動するか」
     あんたの部屋はそのまま残してある、と大典太が告げれば、鬼丸は驚いたように目を見張るも、そうか、とだけ小さく返した。
     部屋を後にし濡れ縁に出た瞬間、広がった光景に鬼丸の歩みが僅かに鈍る。
     しんしんと降る雪が世界を白く染めている。
     そうか……、と鬼丸の口から零れ落ちた言葉の意味がわからず、大典太が怪訝な顔を向ければ、鬼丸は流れるような身のこなしで靴のないまま庭に降り立った。
    「月日が経つのは早いな……」
     ここではない本丸で初めて雪を見た。それから既に一年が経ったと言うことだ。
     さくさく、と積もった雪を踏み、ゆっくりと天を仰ぐ。
    「おい、初めての雪にはしゃいでるのか?」
     揶揄する言葉とは裏腹に、僅かに焦りを滲ませている声音を耳にした鬼丸は肩越しに、ふっ、と軽く笑んだ。
    「いや、二回目だ」
     口元は確かに笑んでいるが眉尻は力なく下がり、瞳には水の膜が張っている。鬼丸国綱とはこんなにも感情のわかりやすい刀であっただろうか、と大典太は息を飲んだ。
    「いいから戻れ。あぁでも、そのままじゃ中には入れないな」
     すっかりと水分を含んだ靴下とズボンの裾を大典太が指し示せば、鬼丸は「このまま外を通って部屋の前まで行く」と事も無げに言い放った。
    「却下だ」
     風邪を引いたらどうする、と眉を寄せる大典太に、鬼丸はなにやら思いついたかどこか人の悪い笑みを浮かべて見せる。
    「なら、お前がおぶってくれるのか?」
     明らかに冗談だとわかる物言いだが、大典太は、わかった、とあっさり頷いた。まさか了承するとは思わず、ぽかん、と立ち尽くす鬼丸に背を向け、腰を落とした大典太が「早く乗れ」と急かしてくる。
    「本気にする奴があるか。ここで待ってるからタオルを……」
    「早くしろ」
     全く折れる気配のない大典太に鬼丸は渋面になるも、じんじん、と痺れてきた足に負けたか、黙って大典太の肩に手を掛けた。
     しっかりと足を抱え立ち上がれば、背中に掛かる重みと布を隔てて感じる熱に、大典太は鬼丸には見えない事を幸いに、ぎゅっ、と眉根を寄せる。
     確かに戻って来たのだと、その身に触れてやっと実感が湧いてきたのだ。
     殊更ゆっくりと歩みを進めながら大典太はこれから通りかかる部屋のことを思い出し、鬼丸、と小さく呼びかける。
    「なんだ」
    「粟田口の奴らにちゃんと詫びておけ」
     さすがに「どうでもいい」とは返ってこなかったが、明らかに怪訝な顔をしているであろう事は窺い知れた。黙り込んだままの鬼丸に大典太は言葉を続ける。
    「燭台切や歌仙に長谷部……まぁとにかく全員に詫びることだな」
    「何故だ。ここには三ヶ月といなかったんだぞ。おれのことなんぞ誰も気に留めてなど……」
    「あんたが居なくなった事もそうだが、それ以上に黙って居なくなった事が余程ショックだったようだ」
     事情を知っていた審神者や御手杵は勿論の事、最期の瞬間に立ち会った大典太も相当責められた。皆とてそれが無意味で見当違いな事は重々承知していたが、怒りや悲しみをどこにぶつければ良いのかわからなかったのだ。
    「こう言ってはなんだが、あんたの気遣いはわかりにくいし、少しズレてる」
     寡黙な太刀が随分と喋るものだ、と内容はともかく良く回る口に鬼丸は正直感心している。
    「あんたが思っている以上に周りはあんたを見ていたし、背を預けても良いと思える程に信頼し、受け入れていた。それはあんたが皆を大切な仲間だと……そう思っていた事に対する答えなんじゃないのか」
     大切だからこそ悲しませたくはなかったのだと。
     自分の事で心を痛めて欲しくはなかったのだと。
     黙って去ったのは優しさ故であったのだと。
     大典太の想像が多分に含まれているとはいえ、改めて指摘された鬼丸は喉奥で、ぐぅ、と低く唸る。
    「……どうでもいいだろう、そんな事」
    「粟田口の奴らにも同じ事が言えるのか」
     間髪入れずに返された言葉に、根は真面目な太刀がいい加減な事を言えるはずもなく。
     降参だと言わんばかりに鬼丸は深々と息を吐き出し、こつん、と宵闇色の髪に額を押し当てる。
    「一番世話になった御手杵には土下座くらいしておけよ」
    「……わかってる」
    「それから……」
     まだあるのか、と小さくぼやいた鬼丸に苦笑するも、大典太は大部屋の前を大股に通り過ぎ、角を曲がったところで鬼丸を下ろした。
     ぺちゃ、と濡れた音に鬼丸が声を上げるよりも早く、振り返った大典太の腕が鬼丸の背に回される。
     冷えた指先が素肌に触れた瞬間、鬼丸の肩が大きく跳ねた。
    「よく……戻って来てくれた」
     ぎゅう、と更に強く抱き込まれ、鬼丸は信じられないと言わんばかりに目を見開く。
    「おお、でんた……?」
     戸惑いを隠せぬまま相手の名を呼べば、添えられた掌が背を撫でる。
     大典太とて部屋までは我慢しようと思っていたのだ。だが言葉を交わしているうちに、胸がはち切れんばかりに膨らんできた感情を抑える事が出来なかったのだ。
    「……恋をすると、抱き締めたいと思うのだろう?」
     ぎこちなく背を撫でてくる大典太の指は、緊張からかずっと冷たいままだ。それに加えて鼓動は早鐘のように強く大きく鳴り響いている。
     始まる前に終わってしまったはずの恋が芽吹いたのだと、あの日の恋心が報われたのだと、鬼丸の全身が歓喜に打ち震える。
    「……お前の声が聞こえたからだ。お前が、呼んでくれたから」
     だから戻って来られた、と柔い声音で囁いて、鬼丸はゆっくりと持ち上げた腕をしっかりと大典太の背に回し、相手に負けじと強く抱き締めた。

       ◇   ◇   ◇

     つるり、と手を滑らせ、空の桶が乾いた音を立てて転がった。刹那、大典太の顔が強張ったのを視界の隅に収めたまま、鬼丸は何でもない顔でそれを拾い上げる。
     鬼丸がこの本丸に戻って来てから既に二週間が経過している。これまでも物を取り落としたり、なにかに少し躓いたりするだけで、大典太は明らかに顔色を変えるのだ。
     確かに一振り目の事を鑑みれば、過剰な反応を示してしまうのは理解出来る。だが、現時点で鬼丸から軋む音が聞こえる事はなく、本体には一点の曇りも無い。
     何度もそう説明しているにも関わらず事あるごとに狼狽されては、鬼丸からすれば些か居心地が悪いのだ。
    「……何度も言っているが、大丈夫だ」
    「それは……わかってはいるんだが……」
     身の毛がよだつあの音が今も耳から離れないのか、大典太は苦しげに顔を歪め僅かに目を地に落とす。
     そんな顔をさせるために戻って来た訳ではないのだと、鬼丸は口調を荒げそうになるも、ぐっ、と言葉を飲み込み、代わりに深々と息を吐いた。
    「……来い」
     おもむろに踵を返した鬼丸を怪訝に見やる大典太に、ちら、と肩越しに視線を投げる。
    「気が済むまで確認させてやるから、来い」
     馬当番が途中だと言い訳のように小さく口にする大典太を無視して、鬼丸は大股に進んでいく。いくらも進まぬうちに足音が背後から迫り、隣に並んだ。
     互いに無言のまま庭を突っ切り、鬼丸の私室へと向かう。
     途中、脇差の背に続いて洗濯籠を抱えた御手杵と行き会い、これ幸いと鬼丸が馬当番の続きを頼めば、ふたりのただならぬ空気を察したか、面倒見の良い槍は問いも文句もなく、わかった、と首を縦に振ったのだった。

     すたん、と襖を開け室内に踏み込んだ鬼丸に続き、大典太も畳を踏んだ。
     刀掛け台から本体を取り上げ、振り向きざまに突き出してきた鬼丸と手中の本体を交互に見やってから、大典太は、おず、と遠慮がちにそれを受け取る。
     いくら仲間とは言え、そう易々と本体に触れさせる事はほぼないに等しい。肉の器に触れるのとはまた違った緊張感で、大典太の喉が、こくり、と小さく鳴った。
     すらり、と鞘から抜き放たれた刀身には、鬼丸の言う通り一点の曇りも無い。知らず詰めていた息を、ほっ、と吐き、名残惜しくはあったが、ぬらり、と濡れたように光る刃を鞘へと戻した。
    「もういいのか」
    「あぁ……」
     大典太に背を向け、手渡された本体を刀掛け台に戻しながら鬼丸が問えば、大典太は短く応じつつ、その身を抱き込んだ。
     背後から回された腕に鬼丸は動きを止め、僅かに身を固くする。
    「……おい」
    「気が済むまで確認させてくれるんだろう?」
     耳元で囁きながら鬼丸の腕を撫で、甲を辿り、鬼丸の指に大典太は自分の指を絡める。
     逆の手は腹を緩く撫で上げ、胸元を辿り、首筋を撫でる。
     密着した身体に響くのは互いの鼓動だ。
     キシキシ、と軋む不快で不安な音ではない。
     耳の後ろに鼻先を擦り付ければ、くすぐったいじゃないか、と鬼丸が笑いながら僅かに身動ぐ。
     腕が振り払われない事に内心で安堵し、大典太は「どこまでなら触れても許されるのだろうか」と思いながら、ゆっくりと鬼丸のジャージのジッパーを下げていった。

     入るぞ、と廊下から届いた声に御手杵が応じれば、静かに横に滑った襖から姿を現したのは鬼丸だ。
     どうした、と問いながら座布団を勧めれば鬼丸は素直に腰を下ろし、手にしていた小さな包みをちゃぶ台に載せた。
    「なんだそれ?」
    「之定に貰った」
     手ぶらで訪れるのもなんだと、なにか見繕うつもりで厨に足を踏み入れたところ、丁度歌仙が居たのだ。
     開かれた懐紙の中には妙に細長い物や端が不揃いで歪といった、お世辞にも形がいいとは言えない菓子があった。
    「琥珀糖か」
     あの雅を信条にしている打刀がこのような物を持たせるとは思えず、ひとつ摘まみ上げ矯めつ眇めつした御手杵が怪訝な顔をするも、鬼丸は何でもない顔でそれを口に含む。
    「成形時に出た切れ端でも味は変わらないだろう?」
    「そりゃそうだけど」
    「綺麗な物は他の奴らに配ればいい。おれもお前も腹に入れば同じだと思ってる口だろう?」
     あぁ断ったのか、と御手杵はふたりのやり取りを想像し、最後まで渋ったであろう歌仙に内心で労いの言葉を投げた。
     話が一旦途切れたところで、鬼丸は改めて御手杵に向き直った。
    「昼間は悪かったな」
     軽く垂れた頭を見ながら、あぁ馬当番の事か、と御手杵は険しい顔をしていたふたりを思い出し、僅かに眉根を寄せる。
    「いいって。それより、ちゃんと仲直りしたか? すげぇおっかねぇ顔してたぞアンタら」
    「……喧嘩、という訳じゃないんだが」
     言い淀んだ鬼丸は単純にどう説明した物かと悩んでいるらしく、その表情に曇りは無い。
    「大典太が、些細な事を気にするんでな。それならいっそ気が済むまで確かめさせればいいかと……」
     そう切り出した鬼丸の話を黙って聞いていた御手杵は、この二週間の大典太の心境を慮り、隠す事無く、ぎゅう、と眉間にしわを寄せた。
    「それは仕方ないだろう。アンタの大丈夫は正直アテにならない。直前までなにも言わなかった前科持ちだって、自覚しろよ」
     びしっ、と指を突きつけ指摘すれば、鬼丸は僅かに口をへの字に曲げる。
    「わかってる。だから本体も見せたし、こっちも確認させた」
     そう言って鬼丸は自分の胸を平手で軽く叩き、その動作の意味が瞬時に飲み込めなかったか、御手杵は、じぃ、と鬼丸を見つめたまま、今なんて? と首を傾げた。
    「背面は自分じゃ確認出来ないだろう? だから大典太に……」
    「見て貰ったと……」
     うんまぁそれくらいなら……、と思いかけた御手杵だが、続いた鬼丸の言葉に身を固くする。
    「音がしない事も確認させた」
     その音を実際に聞いた御手杵は、かなり近くまで寄らなければ気づかない事を知っている。
     さすがに全裸ではなかったであろうが、好いた相手に対し至近距離で堂々と肌を曝してくる鬼丸を、大典太はどう思ったのだろうと、御手杵はいらぬ心配をしてしまう。
    「アンタ、大典太が好きなんだよな……?」
    「改めてなんだ」
     怪訝な顔をしつつも、そうだ、と頷く鬼丸に、御手杵は隠す事無く深々と溜息を吐いた。
    「何度も言ってるが俺には愛だ、恋だ、はよくわかんないけどな、もうちょっと、こう、恥じらいってモンをもった方がいいじゃねぇかなって」
     よくわからない、と言葉にはしていないが表情にありありと出ている鬼丸に、再度、はぁ~、と溜息を吐く。
    「大典太もアンタの事が好きなんだろ? 好きな相手が無防備に肌を見せてきたら、無駄にドキドキしちまうんじゃねぇの?」
     据え膳的な? と付け加えられた一言で、御手杵の言わんとする事をようやっと理解したか、鬼丸は一瞬にして真顔になった。
     指を絡ませてきたあれも、首筋を撫でてきたあれも、ジャージを脱がせ背中に指を這わせてきたあれも、つまりはそういう事であったのかと、今になって己の軽率な発言と行動に、どっ、と冷や汗が吹き出る。
    「……全くこれっぽっちも意識してなかったって顔だな」
     あーあ、と呆れを多分に含んだ御手杵の声に、鬼丸は僅かに俯き膝上で固めた拳を、ぶるぶる、と震わせる。
    「もうアンタの一方的な思いじゃないんだからさ、相手の事もちょっとでいいから考えてやれよ」
    「……そ、うだな」
     やっとの思いで絞り出した鬼丸の声はみっともない程に掠れていたが、御手杵はそれを笑う事も揶揄う事もなく、頑張れよ、とだけ緩く声にして、琥珀糖の欠片を口に放り込んだ。

       ◇   ◇   ◇

     演練を行うための待機部屋に足を踏み入れるや、場所と相手の確認をしてくる、と御手杵はひとりで受付へと行ってしまった。
    「……相変わらずだな」
     本丸に居る時とは顔つきの変わった御手杵の背中を見ながら、ぽつり、鬼丸が漏らす。実際の戦ではないとはいえ、戦場での御手杵の苛烈さを思い出したか、その唇は微かに笑みを浮かべている。
     ふたりはよく一緒の隊で出陣していたが、大典太は数える程しかなかった。以前はそれに関して特別に何か思う事はなかったが、今はほんの少し羨ましいと感じている自分に、大典太は正直驚いている。
     じぃ、となにか言いたげに見つめてくる大典太に気づいたか、鬼丸は怪訝に片眉を上げるも、相手の肩越しに見えた刀に気づき視線がそちらへ行ってしまった。
    「すぐ戻る」
     そう言うや鬼丸は大典太の横を、するり、とすり抜け大股に進んでいく。その先にはひとり壁際に立っている太刀の姿があった。
     幾度か演練に来ていれば顔見知りも出来るだろう。だが、鬼丸は今日が初めてと言う事になっている。
     しかも、向かった先に居るのは、他の本丸の大典太であった。
     じくり、と胸の奥に嫌な痛みが湧き上がり、大典太はそれを抑え込むかのように掌で己の胸を押さえつける。
     戻ってくるまでに鬼丸がいくつもの本丸を渡り歩いた事は聞いている。しかし、そこでなにがあったかまでは聞いていなかった。
     もし、万が一にも、鬼丸がほかの大典太と親密な関係になっていたとしたら……?
     不安と憤りと諦観と悲しみが一気に押し寄せ、大典太は苦しげに胸を押さえたまま唇を噛み締め俯いた。
     そんな大典太の様子には気づいていない鬼丸は、目的の太刀の前に立つや不躾に口を開いた。
    「共に酒を飲む相手は見つかったか」
    「なにを言って……」
     僅かに俯いていた顔を上げた大典太は目の前の太刀になにを感じたか、言葉は最後まで音にならなかった。
    「お前の所の審神者には世話になった。碌に礼も言えなかったからな」
     とても感謝していると伝えてくれ、と一方的にそれだけを言うや踵を返した鬼丸の背に、大典太は、本当にあの鬼丸なのか、と掠れた声を投げるので精一杯だ。
    「あぁ、相手になってやれなくて悪かったな」
     肩越しに詫びの言葉を口にした鬼丸の表情は、大典太があの時に見た泣き笑いのそれであった。
     これ以上引き留める事は出来ないと理解したか、大典太が「言づて、確かに承った」と仰々しく頭を垂れれば、鬼丸は「頼んだ」と柔い声音で応じ、相手が頭を上げる前に来たとき同様、大股に去ったのだった。
     自本丸の大典太の元へと戻って来た鬼丸だが、険しい顔をした太刀と呆れた顔をした槍が待っており、なんだ、と片眉を上げた。
    「なんだはこっちの台詞だっての」
     表情から声から全身で面倒掛けるなよと訴えてくる御手杵に再度、だからなにがだ、と本気でわかっていない鬼丸が問い返せば、じとり、と湿った眼差しで大典太が壁際の太刀を見る。
    「……どういう関係なんだ」
    「あぁ、あそこの本丸の審神者には世話になったから、礼を言っておいてくれと頼んできただけだ」
    「本当にそれだけか……?」
     あっさりと口を割った鬼丸が信じられない訳ではないが、大典太の不安を払拭するには言葉が足りない。だが、鬼丸からすればこれ以上言える事はなく、何を疑われているのかもわからないのだ。
    「この間俺が言った事、覚えてるか?」
     膠着状態に陥ったふたりを見かねた御手杵が助け船を出せば、鬼丸はなにか考える素振りを見せ、大典太は、なんの話だ、と言わんばかりに御手杵を、じとり、と見る。
    「やめろって、俺にまで焼き餅焼くなよ」
     うへぇ~、と心底参った声を上げる御手杵の言葉でようやっと気づいたか、鬼丸はまたしても己の軽率な行動で大典太を振り回したのだと自覚した。
    「悪かった。だが、本当に言づてを頼んだだけだ。おれが恋焦がれているのはお前だけだ」
     真っ直ぐに大典太の目を見つめはっきりとそう告げれば、改めての告白に大典太は、きゅっ、と唇を引き結んでから鬼丸に手を伸ばしかけるも、それは即座に下ろされた。
     場所を気にする理性は残っていたか、と御手杵は内心で胸を撫で下ろす。
    「……戻ったら、あんたが巡った本丸の話を聞かせてくれ」
    「わかった。一晩にひとつ、聞かせてやる」
     ちゃんと最後まで付き合えよ、と聞きようによってはとても艶っぽいお誘いであるが、どこか挑戦的な笑みを浮かべる鬼丸のせいか、甘さの欠片もないのだった。

     少しいいか、と部屋を訪ねてきた大典太を見るなり、審神者は顔を曇らせた。
    「御手杵呼ぶか?」
    「なんでそうなる」
     思いも掛けぬ審神者の言葉に大典太が明らかに不審な声を漏らせば、いやだって、とどこか窺うような眼差しを向けてくる。
    「大典太がそんな顔してる時は、大抵鬼丸の事だし」
     誰が言い出した訳ではないが、鬼丸に関しては三人で情報共有しようという空気が出来上がっており、審神者は今回もそうだと思ったのだ。
    「確かに鬼丸絡みではあるが、知りたい事があってな」
     とすっ、と畳に腰を下ろし、大典太は審神者の前にあるノートパソコンを指さす。
    「それで他の本丸の事は調べられるのか?」
    「程度によるかな」
     何が知りたいんだ? と審神者が問えば、大典太は一旦、畳に目を落としてから、ゆうるり、と口を開いた。
    「鬼丸が、巡ってきた本丸の事だ」
     先日、演練から戻って来た日以降、鬼丸から一晩にひとつ他の本丸の話を大典太が聞いている事は、審神者も知っている。括りが大きすぎるが、知りたいのは恐らくその中でも一部の事なのだろう。
    「具体的には?」
    「審神者が代替わりした本丸と……」
     言い淀んでしまった大典太を急かす事なく、審神者は黙って次の言葉を待つ。
    「……男士で人体実験をしている審神者の事、だ」
     先に代替わりした本丸の事を調べようと、キーを叩いていた審神者の手が、ぴくり、と小さく跳ねた。
    「代替わりの話はいくつか引っかかったけど、人体実験か……」
     苦い声音と表情で画面に目を走らせ、審神者フォーラムに書き込まれた物をピックアップしていく。
    「まずは代替わりの方から精査しようか」
     そう言うや自分の隣に座るよう大典太を促し、共に画面を見る。鬼丸が自ら語らない以上、審神者は大典太から話を聞くべきではないと、自分は知るべきではないと考えている。
     フォーラムは審神者の情報交換の場とはいえ、ガセやデマも日常茶飯事的に溢れている。正しい情報が書き込まれている保証はないのだが、審神者ではなく近侍が書き込む事や、ごく稀に政府職員からのリークもあるため、見極めが難しくもあった。
    「それらしいのはあったか?」
    「あぁ」
     所々ぼかした書き方をされているが、鬼丸から一部始終を聞いた大典太は該当するいくつかの書き込みを繋ぎ合わせ、その本丸が辿った道を知った。
     無能と鬼丸に一言で片付けられた審神者は資格を剥奪され、一時的にではあるが先代が復帰し、後継を選び直しているという。
     この本丸の行く末を見る事なく折れた鬼丸は口にはしなかったが、その後どうなったのか気に掛けている事だろう。それは先日の演練での事を思えば、容易に想像が付いた。
     そして、この本丸の刀が書き込んだであろう物を見つけ、きゅっ、と唇を引き結ぶ。
     そこに綴られていた後悔の言葉は胸に秘めておこうと、心に決めたのだった。
    「人体実験の方は難しいかな。そこの審神者の性格によるところが大きいと思う」
     己の行為をひけらかし、積極的に外部へと発信するタイプであれば、誰かの目に止まり噂は広がっていくだろう。だが、それらしい噂の影も形も現時点では引っかからなかった。
    「刀剣の取得と消失データは残っているだろうから、政府が本腰を入れて調べれば疑わしい本丸は浮かび上がるだろうが……」
    「告発しようにも証拠がない、か」
    「そういう事だ」
     仮に情報提供という形を取ろうとも、話の出所が刀の記憶では言い掛かりとしか思われず、一蹴されるのが関の山だ。
    「こればかりは内部告発でもされない限り、表には出てこないと思った方がいい」
    「……そうか」
     なら仕方ないな、と僅かに肩を落とした大典太を見やり、審神者は気遣わしげでありながら強い声を発した。
    「鬼丸の話に引っ張られるなよ」
     弾かれたように顔を上げた大典太は、ひた、と見据えてくる審神者の視線に軽く息を飲む。
    「あれは感情移入しやすい面を持ってるから、巡ってきた本丸での事を、今でも引き摺ってるかも知れない。だからこそ大典太、お前が今ここに繋ぎ止めてやって欲しい」
     大典太に話す事によってそれらを『終わった事』だと、鬼丸がそう己の内に落とし込めるのならば、どれだけ辛く苦しい話であろうとも最後まで聞いてやろうと、大典太は腹を括った。
    「言われるまでもない」
     静かに、だが確たる意志を込めて返したのだった。

     風呂から自室へと戻った大典太は、月明かりの差し込む中ひとり窓辺で盃を揺らしている鬼丸の姿に、一瞬ではあったが目を奪われ足が止まってしまった。
    「先にやってるぞ」
     引き手に指を掛けたままの大典太の様子には気づいていないのか、鬼丸は顔を上げぬまま盃を揺らし続けている。
    「……明かりくらいつけたらどうだ」
     鬼丸が部屋で待っている事は前もってわかっていたが、まさか薄闇の中で待っているとは思わなかったのだ。
    「月が綺麗だったんでな。明かりをつけるのは勿体ない」
     冴え冴えとした月光の下、常になく柔い笑みを浮かべる美しい刀に大典太の胸は高鳴り、知らず握り締めていた掌には緊張からか、うっすらと汗をかいている。
     鬼丸の事を好いていると自覚をしてから、相手の一挙一動に感情が揺さぶられるのだ。それはどこかこそばゆく、どこかもどかしく、だが決して不快ではない。
     ふわふわと浮き立つ気持ちは恐らく、相手も自分を好いている事を知っている安心感から来る物だろう。
     ならばかつてひとり恋心を胸に秘めていた頃の鬼丸は、日々どのような気持ちで過ごしていたのか。悟られぬよう静かに静かに息を潜め、自分の思いを心の奥底へ押し込めていたのかと、きゅう、と胸の奥が苦しくなる。
    「どうした。疲れているなら今晩は退散するが……」
     いつまでも立ったままの大典太を怪訝に見やり、鬼丸は手にしていた盃を窓枠に置いた。
    「いや、大丈夫だ」
     声を掛けられ、はっ、と我に返ったか大典太がやや早口に返せば、鬼丸は窺うように、じぃ、と真っ直ぐに見据えてくる。
    「本当に大丈夫だ」
     急な出陣ではあったが味方の被害はほぼないに等しく、ただ天候が思わしくなかったため少し時間が掛かっただけであった。
    「雨に打たれるだけでも体力を消耗するだろう。布団を敷いてやるから、今日はもう寝ろ」
     そう言うが早いか鬼丸は、すっ、と立ち上がり、押し入れから引っ張り出した布団をテキパキと整えていく。手際の良さに口を挟む事も出来ず、大典太は手を引かれるままに布団に腰を下ろした。
     まるで見張るかのように畳に両膝を着いたまま、早く横になれ、と無言で促してくる鬼丸の手を、今度は逆に大典太が掴む。
    「話を聞かせてくれる約束だろう?」
     ぽん、と自分の隣を軽く叩く大典太の言わんとする事を察したか、鬼丸は一瞬言葉に詰まるも掴まれた手を振り解く事はしなかった。
    「……寝物語にするには最悪な部類だぞ」
    「構わないさ」
     更に促すように大典太が鬼丸の頬に手を添えれば、観念したかはたまた腹を括ったか、紅の刷かれたひとつ目が、ゆうるり、と瞼に隠された。
     触れた肌が、じわり、と熱を上げる様を掌で感じ取り、恐らく耳まで赤くなっているのだろうと思うも、月明かりのみではその姿を目にする事が出来ず、大典太は少々残念な気持ちになる。
     頬に触れていた手を肩に回し、共に倒れ込むように横になった。
     ゆるゆる、と銀糸を指で梳いていれば、ぽつぽつ、と鬼丸の口から知らない本丸の話が零れ出す。
    「今日はそうだな……大阪城での話にするか」
     深い階層でしか邂逅出来なかったため、それなりの戦力を備えた本丸であったが、帰路であえなく全滅したのだと、鬼丸は淡々と語る。
     捕らえていた刀を奪われ、更にはみすみす軍資金を奪われる訳にはいかないと、遡行軍は上階へと続く通路を塞ぎ、火を放ったのだ。
     皮肉な話だ……、とそこで言葉を詰まらせた鬼丸を大典太が胸元に抱き寄せる。鬼丸は抗う事なく額を胸に押しつけ、遠慮がちに大典太の背に回した手が、ぎゅう、と寝間着を掴んだ。
    「骨喰と、一期一振がいた……」
     微かに震える声が紡いだ名に、大典太は顔を歪ませる。
     一度ならず二度も焼けてしまった同派の刀。
     言葉にはしていないが、自分のせいで焼けてしまったのだと、鬼丸は己を責めている。
     だが、鬼丸は許しを請うている訳ではない。
     そのような事があったのだと、ただ大典太に伝えているだけなのだ。
    「……そうか」
    「あぁ、そうだ」
     相も変わらず同情もせず、心にもない事を決して言わない太刀を、鬼丸はやはり好ましいと思ったのだった。

       ◇   ◇   ◇

     雨で煙る木々の向こうに蠢く影を目視し、大典太は細く、ゆっくりと息を吐いた。
     身を潜めるには好都合な木々も、戦闘になれば太刀である大典太にとっては途端に厄介な障害となる。
     小回りのきく短刀や脇差とは引き離され、この場には大典太しか居ない。少しでも不利な条件を覆すべく開けた場所へと移動するために、葉や地面を叩く雨の音に紛れ、じり、と最小限の動きで静かに後ずさる。
     下生えを荒らせばこの場に相応しくない音が鳴る。慎重に、だが敵からは目を離さず、一歩一歩後退していく。
     水を含み徐々に重みを増す装備と、奪われていく体温。
     垂れた前髪から滴る雫が鼻頭を打つ。
     早く皆と合流しなければ、と焦る脳裏に過るのは、二振り目の鬼丸を失った時の状況だ。
     あの時は自分の背後から敵が……、と思うと同時に、大典太は振り返るよりも早く前方へ身を投げ出していた。
     地を一度転がり、ばしゃり、と溜まった水が飛沫を上げる。即座に身を起こし背後を振り返れば、振り下ろされた白刃がそこにはあった。
     前方の敵は囮であったのだと歯噛みし、体勢を立て直すべく膝を着いたままの足に力を込めた。だが足裏は、ずるり、と泥濘に滑り、咄嗟に手を突き転倒は免れるも、今の体勢は頭を垂れ敵に首を差し出しているようなものだ。
     それを見逃す程相手は愚かではない。好機と見て取るや大きく踏み込み、刀を振り上げる。
     この距離では後ろに身を引こうとも間に合わず、横に避ければ運が良ければ腕の一本で済むだろう。
     それを刹那の瞬間に判断し決断したその時、雨をも切り裂く勢いで一振りの刀が大典太の視界に飛び込んできた。
     低い位置で踊る袖と共に赤く太い綱が揺れる。
    「また……、あんたは……ッ」
     引き攣れた声が大典太の喉を震わせる。
     三度鬼丸を失うのかと、衝動のままに叫びそうになるも、目の前の鬼丸は二本の足で地を踏みしめたまま、おれはな大典太、とこの場には似つかわしくない静かな声音で語りかけてきた。
    「もう、折れるつもりはないぞ」
     鞘で受け止めた白刃を身体全体を使って押し返し、前に踏み込んだ勢いのまま、逆手に構えた本体で弧を描くように相手の首を斬り飛ばした。
     荒々しくも舞うような優美さに大典太は言葉も出ない。
     断末魔もなく敵刀剣が塵と化すのを確認してから、ゆうるり、と振り返った鬼丸は、抜き身の刀を手に提げたまま、折れる気はない、と再度繰り返した。
     木々の向こうでは囮であった敵影が槍に串刺しにされている。それを、ちら、と見やってから鬼丸は漸く刀を鞘へ収めた。
    「あの時、お前を庇って折れた事を後悔はしていない。ただ、思いを告げなかった事は後悔した」
     降り注ぐ雨のように自分に降ってくる鬼丸の言葉を、大典太は黙って受け止める。
    「次こそはちゃんと告げようと、そう思った」
     二振り目はやはり、全てを覚えていたのだ。
     だが、次に顕現したのは別の本丸であった。
    「次があると疑いもしていなかった自分を、おれは呪った。だが、そこの審神者がおれとお前が繋がっている事を教えてくれた」
     ――お前が望むなら刀解する。相手の元へ戻れるといいな。
     この本丸の刀達がどれほどの苦労の末、鬼丸を持ち帰ったか。それを審神者も鬼丸自身も良くわかっていた。
     それでも諦めきれないのだと、鬼丸は審神者の言葉に縋ったのだ。
    「それをよすがに繰り返される顕現、破壊、刀解にも耐えた。望もうと望むまいと破壊も刀解も、起こるべくして起こった」
     それが神同士が結んだ縁による強制力か、その時間軸が鬼丸を異物として排斥しようとした結果かはわからない。
    「巡ろうとも巡ろうともお前には辿り着けない。あの日の自分を恨んだ。辛かった。気が狂うかと思った。いっそ狂ってしまえればとも思った」
     流れ行く大量の蓮の花を前に、慟哭したのは一度や二度ではない。
     そしていつしか涙も涸れ果てた。
    「ついにはいつか戻って来いと、そう言ったお前の言葉すら疑ってしまった」
     淡々と語る鬼丸の頬を濡らすのは雨か、涙か。
    「そう思った時に、声が聞こえたんだ。おれを呼ぶお前の声が」
     そっ、と柘榴の瞳が閉ざされ、眦から一筋流れた雫は頬を伝い地に落ちた。
    「……許されたと、思った。何に対してかはわからないが、お前の元に戻っていいんだと、許された気がしたんだ」
     それはおそらく自分を責め続けた事に対する、無意識下での許しであろう。
    「先も言ったが、おれはお前を庇って折れた事を後悔はしていない。だが、それはおれの自己満足でしかなかった事もわかった」
     伏せた睫毛を震わせ、悪かった、と詫びる鬼丸の鼻先に、大典太は自分の鼻先を擦り付けた。突然の事に驚いて鬼丸が顔を上げれば、大典太は泥に汚れた掌を見せながら薄く笑う。
    「これじゃ泣いてるあんたを抱き締める事も、涙を拭う事も出来ない。だから続きは……」
     温かな褥の中で聞かせてくれ、と耳打ちしてきた大典太の腹を、鬼丸は緩く握った拳でひとつ叩き、こちらも負けじと息を吹き込むように耳元で、わかった、と濡れた声で囁いたのだった。

    2022.10.16~2023.03.26
    2023.03.27 加筆修正
    茶田智吉 Link Message Mute
    2023/03/27 2:30:44

    【刀剣】『始まる前に終わる話』二振り目以降の話

    #典鬼 #腐向け #大典太光世 #鬼丸国綱 #刀剣乱舞 ##刀剣
    『始まる前に終わる話』(https://galleria.emotionflow.com/47262/588451.html)の続きになります。
    刀解や破壊が普通に出てきますのでそういう物がお好みでない方はご注意を。

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