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    燐光 十二月二三日、二十時すぎ。関係者通用口から一歩外に踏み出すと、冷えた冬の空気が僕の体をすっぽりと包み込んだ。
     この時期の風の感触としてはニューヨークのほうが幾らか厳しい。シアターと同じ敷地に併設されたショッピングモールの営業時間内だからか、まだ若干の人けがある構内を、黙々と歩いて抜けていく。
     こんな時間に劇場を出るのはいつ以来だろう。少なくとも、この公演の準備が始まってからのあいだでは記憶にないほど早々の帰路だった。冬季公演の初日を翌日に控え、一部のメンバー(つまりは事務仕事のある黒木さんや灰羽さんのことだ)を除いた劇団員はキャストもスタッフもそれぞれに折りの良いタイミングで引き上げている。僕が劇場を出るころには、ほとんどの人が家路についていた。
     ジェネシスからのオファーで日本に滞在中の僕には、モールの社員寮に使われているマンションの一室がいっときの住まいとして宛がわれている。アートシアターつばさからは電車で二駅、車で行けば十五分ほどの距離だ。脚本の執筆期間は劇場に泊まり込んだけれど、ホンが仕上がってからはそこで寝起きをしている。
     夜間の移動を車で行うことになっている白椋さんに、よかったら一緒に乗っていきませんかと誘われたものの、「今日は少し考えたいことがあるので」と丁重に辞退した。白椋さんのような青年を相手取るにはどうにもまだ戸惑うことがあるのは事実だったけれども、決して嘘を吐いたわけではない。
    『この公演が終わったら、ジェネシスの座付き作家として正式にご就任いただけませんか、染谷さん』
     帰り際、灰羽さんの控え室に呼び出されて告げられた言葉を頭の中で繰り返す。
     曰くこの公演――「JACK-The Eternal Darkness-」でも、ブロードウェイの業界関係者の視察が数件予定されている。今公演時点でジェネシスのパフォーマンスが彼らの目に適い興行を行うに足ると判断されれば、トミー賞の発表以降そう遠くない時期にでも彼の地で公演を打つことになるかもしれない、という話だった。
    『もちろん、すぐに答えをいただたきたいとは申しません。……そうですね、トミー賞の授賞式のころまでにお返事いただければ』
    『……それは、トミー賞の結果を待て、ということですか?』
    『早々にお返事をいただけるのでしたら、無論有難い限りではありますが。これまでの染谷さんのご経歴を鑑みて、充分に時間をかけてご検討いただくべきだと考えました』
    『…………』
    『ただ、どちらも水面下で動いている話ですので、どうかご内密に願います。特に視察の件は、自然体の我々の力量を見て頂かなければ意味がありませんからね』
     そう続けて軽く笑んだ彼からは、確かな自信が感じられる。冬季公演のレッスンに入ったばかりのころには僅かな揺らぎを含んでいたように見えた彼の表情は、いつからか迷いが消えていた。
    (座付き、か)
     最寄り駅の改札を抜けて、ホームに滑り込んできた電車のドアをくぐる。微温い暖房の風。冷えた頬が感覚を取り戻す代わりに徐々に加速していく走行音を聞きながら、窓の外を眺める。空港の付近だからか、高いビルの影はない。少し離れた上空に、離陸していく飛行機の灯りが見えた。最初の契約通りなら、トミー賞の結果発表が終わったあとには僕もニューヨーク行きの便で早々に日本を発っている。
     座付きの作家になるということは、一箇所に留まって彼らのためだけに脚本を書いていくということだ。勿論、これまでに仕事をした劇団からも何度かそんな話を貰ったことはある。けれど、僕はそのたびに首を横に振ってきた。今回の話を受けたときから、その気持ちに変わりはない。
    (なら、あの場ですぐにそう答えればよかったのに)
     流れていく夜の景色を見ながら、扉に凭れてぼんやりと自問する。何故僕は、あの申し出をただ受け取って帰ってしまったんだろう。しばらく巡らせた思考がその途中でほどけてしまったことに気が付いて、微かな溜息をついてゆっくりと目を閉じる。
     明日、トミー賞へ向けて作り上げてきた冬季公演の幕が上がる。
     ジェネシスは間違いなく一流の劇団だ。今回の僕のホンが、彼らとともにトミー賞に挑むために相応しいものだという自信も、自負もある。……それから、僕が彼女に対峙するためのホンとしても。
    『我々の依頼を受けるなら、彼女が君と賞を競う相手になるだろう』。
     僕が彼女の、彩瀬まどかの作品に最初に触れたきっかけは黒木さんのその言葉だった。紛れもない天才である彼がはっきりとそう評価した相手に、単純にほんの少しの興味が湧いたからだ。
     技術的な面ではまだ荒削りな部分も目立つ。けれどもそれを補うだけのエネルギーが、彼女のホンには確かにあった。
     諦めなければ明日はやってくる。あなたの夢は必ずかなう。世界や物語越しに、彼女の声のない声が聞こえてくるようだった。
     彼女が描くのは青くひたむきで瑞々しい世界だ。夢が夢のままに終わることのない、現実へ結びついていく力のある物語だ。彼女のホンが持つ魅力を、僕とはまったく違う方法で観客にあざやかな夢を見せる力を、僕は認めている。――だからこそ、初めて誰かに負けたくないと思った。
     彼女の描く世界がまばゆく魅力的であるように、かなわぬ夢の美しさにもまた、人の夢が宿っている。
    (彼女はどんなホンを書いたのだろう)
     何度目かの思案。お互いの公演期間が完全に重なっているから、答えは映像越しにしか得られない。そう理解していても、ふとした瞬間にそんな思考を辿っている。
     降りる駅の名前を告げるアナウンスが遠く聞こえる。伏せていた瞼を上げれば、見知った仮住まいへの帰路がどこか違って見えた。ジェネシスや夢色カンパニーのキャストにスタッフ、……そして彼女も、そうだろうか。
     列車の減速につれて、車輪の軋む音が大きくなる。巡らせていた思考を、本を閉じるように静かに畳んだ。開いた扉から、冬の夜の空気が滑り込んでくる。ホームに降りれば、踵の音がコツリと響いた。
     階段を昇り改札を抜ける。ロータリーを越えた先の交差点では、進行方向にある歩行者用の青信号が点滅していた。慌てて駆けていくサラリーマンの背中を眺めながら立ち止まる。先ほどの自問への答えを飲み込むためには、信号が変わるのを待つ程度の時間は必要になりそうだった。
     ――灰羽さんにすぐに答えを返さなかったのは、僕自身がここに不思議な居心地の良さを感じているからだ。
     いまはまだ、この高揚感のなかにただ身を浸していたいのかもしれなかった。


    ***
    20220125//20220717Sun.
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    2022/07/17 23:06:25

    燐光

    #コウまどコウ

    JACK公演前日のコウくんの話。
    招致期間中のコウくんの待遇まわりなど一部設定の捏造補完を含みつつCP未満・コウまどコウルート行き。
    本の形にしようと書いていたものですが、やっぱりCP観の地固めはwebでやった方が性に合うのでここに置いていきます。

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    ##二次創作 ##Kou*Madoka*Kou

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