【緑高】柿「俺さぁ、柿って嫌いだったんだよねー」
そんな事を言う高尾の左手には、今まさに話題に上げられた柿が半分皮を剥かれた状態で握られている。
冷蔵庫にはまだ六個ほどの柿が冷やされているし、台所の隅においてある小振りな段ボール箱の中にもまだ十個以上の柿が入っている筈だ。
酒のつまみにと、出したばかりのコタツの上に並べられた小鉢のうちの一つには柿と大根のサラダが入っている。
大学に入学してルームシェアを始めてから早三年、毎年この時期になると高尾の好物だからと高尾の祖母から自宅庭の柿の木に沢山なったからと宅配便で届くから、痛まないうちにと毎日のように柿を食べる事になる。
自宅の庭で採れた物としてはかなり大降りで甘みも強いので毎年ありがたく頂いているし、高尾も特に嫌そうにするそぶりも無く、そのまま食べたりネットで検索して菓子や料理にアレンジしたりと楽しそうに食している……と思っていたのだが。
「そんなようには見えなかったが」
なので思ったままを口にすると、高尾はこちらにちらりと目を向けてニッと笑った。
「嫌いだった、って言ったじゃん。今は好きだよ」
「そうなのか」
剥いた柿が入れられるようにとガラスの小鉢を準備して高尾の傍に持って行くと「あんがとね」と小さく言って皮剥きを再開し始める。
「柿ってさぁ、熟してると甘くて柔らかいじゃん?」
手元を見ながら続く会話に「そうだな」と相槌を打つ。
料理どころか果物や野菜の皮剥きすら上手く出来ない俺からすると、こんなにも綺麗に薄く皮を剥きながら会話までする高尾の姿はまさに魔法でも使っているようだが、当人はそんな目で見られているとは気づいてもいないだろう。
「うちの家、昔っから秋になるとばあちゃんが柿送ってくれるんだけどさあ、皆熟して甘くなった……それこそ皮剥けない位ふにゃんふにゃんのやつをスプーンで掬って食べるとか、冷凍庫で凍らせて食べるとか、そんなのが好きなのね」
「ほう」
確かに熟せば熟すほど柔らかくなるのだろうが、そんな状態の柿は食べた事が無い。
さぞや甘くて美味い事だろうし、その食べ方ならば皮が剥けなくても問題が無さそうだから今度試してみよう、とひっそりと心に誓うと高尾がくすりと笑った。
「何なのだよ」
「真ちゃん今、その食べ方やってみよーとか思ってたっしょ?大降りのやつ二個、別で残してあっからわざわざ選り分けなくて良いからね」
「む」
皮を剥き終わった柿を食べやすいサイズに切り分けて小鉢に放り込むと、手洗いついでと言わんばかりにささっとまな板やら包丁やらも高尾が洗ってしまう。
料理が出来ない分、洗い物位はと思ってはいるのだけれど高尾の手際が良すぎて食後位しか手伝いの手を挟む余地すらない。
しかも共に暮らし始めてからと言うもの、さっきの柿の食べ方のように俺の考えている事などお見通しだと言わんばかりに何かにつけて見透かされていて少々悔しい。
俺はと言えば共に暮らしていても高尾が何を考えているのか判らない事もしばしばだと言うのに。
憮然とした様子の俺に高尾はケラケラと笑いながら柿の入った小鉢を手渡す。
「酒持ってくから、真ちゃんコレ持って先行ってて」
「わかった」
棚からフルーツフォークを二つ取り出して居間へと向かう俺の後ろで、鼻歌交じりに冷蔵庫を開けている気配がする。
小鉢を置いてコタツに足を突っ込む頃には高尾も缶を片手に二個携えてやってきて、俺の右隣に腰を下ろして足を突っ込んだ。
平均以上の体格の男が二人、幾ら長方形のコタツを選んだとはいえこの座り方では窮屈なのだが後ろのソファが良い感じに背もたれの役目を果たすのでコタツを出すと高尾は好んでこの位置に座りたがる。
最初の年は窮屈だ何だと不満を述べたものだけれど三年目の今では高尾が座りやすいようにと右隣のスペースを空けるようにして腰を下ろすようになっている自分に気づいている。
背もたれがあるからだの、寒くなってきたから引っ付いている方が暖が取れるだの、言い訳めいた事を念仏のように心の中で唱え続けている事もとっくの昔に自覚している。
「はい、じゃあ乾杯しよ、かんぱ~い!」
座るなり俺の手にチューハイ缶を握らせた高尾は、一人勝手にそう言って自分の手の中の缶をベコンと俺の缶に打ち合わせ、プルタブを開けて一気にあおった。
「っはー! あったかい部屋で飲むビールサイコー!!」
「お前、夏にはクーラーの効いた部屋で飲むビールが最高だと言っていただろう」
まったく調子の良い事だとため息混じりに呟けば
「真ちゃんと飲んでると暑かろうが寒かろうがサイコーって事だよ、察しろよー」
などと軽口を叩きながら背中をバンバン叩いてくる。
「痛い、煩い。そんな事よりさっきの柿の話の続きはどうなったのだよ」
いつもの軽口だとわかっていても、俺と飲むのが良いのだと言われれば心が跳ねる。
照れ隠しに憮然とした口調で話を振れば、高尾は一瞬きょとんとした顔をしてから「ああ」と小さく頷いた。
「うちの家族やわっこい柿が好きだから俺も餓鬼の頃からそんな食べ方ばっかしてたのね。んで、やたら甘ぇしぶにょぶにょしてるしで、好きじゃなかったんだけどばあちゃんが大事に育ててるから言えなくってさ」
「なるほど」
「でも中学の時のコーチが貰い物の柿だけど食えーって差し入れに持ってきてくれたのがまだ固めの柿でさ。食べたらそんな甘くねぇし歯ごたえあるしで美味かった訳よ」
そう言いながら高尾は箸を手にして柿と大根のサラダに手を伸ばす。
口の中に放り込んでシャクシャクと音を立てて食べる姿は幸せそうだ。
「つまり食べる時期の問題だった訳だな」
手元の枝豆を摘みながら相槌を打つ。
「そー言う事。それでもまあ柿よりはりんごとかの方が好きだったんだけど。……高一の秋にさーいつものようにばあちゃんから柿が届いたのよ」
「ああ」
「ダンボール開けてきちーっと箱の中に並んでる柿見たら『あ、真ちゃんだ』って思ってさぁ」
「は?」
何故そこで俺が出てくる。と言うか柿を見て俺を思い出すとはどう言う事だ。
そんな俺の心を読んだのか、高尾はいたずらっぽく笑って小鉢の中の柿を指差す。
「柿ってヘタが緑で実がオレンジ色じゃん。それが何か秀徳のジャージ着た真ちゃんっぽいって思っちゃって、そしたら形も丸ってよりはやや四角だしいよいよ真ちゃんにしか見えなくなってきちゃ……って……ぶふ!」
話しながら俺の頭の方に目をやって、目線を逸らして高尾が吹き出す。おそらくは柿と高校生の頃の俺とを重ね合わせているのだろう。
「高尾ぉぉお」
正直なところを言えば俺も冬にみかんを見ると『ああ、秀徳の色だ』などと思ったりするので高尾に文句を言えた義理ではないのかもしれないが、腹が立つものは腹が立つ。
俺が手に持っていた缶がぺこりと音を立てるのを見て、高尾が慌ててこちらに視線を向けなおし愛想笑いをしてくる。
「あ、怒んないでって! 最初好きじゃなかったけどちゃんと知ったら良いかもって思えちゃったトコとかますます真ちゃんっぽいし、そう思ったら何か『あー俺柿すっげー好きかも』ってなっちゃって。その次の年の正月にばあちゃんちに行った時に、柿超好きになったって話したらばあちゃん大喜びで送ってくる数増やしてくれてさあ」
「む……」
「だから今真ちゃんとこうやって一緒に柿食べんのもすっげー嬉しいし、幸せ~みたいな……って俺何言ってんだろうな!?」
そこまで言うと高尾は慌てたように残りのビールを一気に飲み干している。
頬や耳が赤いのは一気飲みしたビールの所為だけなんだろうか。
俺は、少し位は希望を持っても良いのだろうか。自分の気持ちが高尾に届く事を。
まだ一口も飲んでいないと言うのに、頬が熱い。そんな自分を隠すように急いでプルタブを開けて缶チューハイを喉に流し込む。
甘い喉越しとアルコールに、頭がくらりとするような気がした。