【緑高】お菓子 日曜の朝には大して広くも無いキッチンにふんわりと甘い香りが漂うのが、ここ半年ほどの恒例となっている。
それと言うのも半年ほど前から毎週土曜の夜になると欠かさず俺の住んでいる安アパートにやって来て泊まっていくようになった高校時代の相棒、緑間真太郎が「日曜の朝はホットケーキと決まっているのだよ」などと言うからだ。
高校生だった頃に緑間宅には何度も泊めて貰っていたが、そう言われてみれば日曜の朝はホットケーキが出てくる率が高かったような気がする。
緑間も緑間の妹ちゃんも甘い物大好きだったから、そんな風に朝食の決まりが出来ていたのかもしれない。
初めてこのアパートに泊めてやった次の日の朝に、インスタント味噌汁に卵焼き、前の日の晩にたまたま作った肉じゃがの残りを出してやった心優しい俺に対して緑間が不満げに言い放った「何故ホットケーキではないのだよ」と言う一言に腹を立てて派手な口喧嘩をした事も今となっては良い思い出だ。
二枚目のホットケーキを焼いている俺の隣で、緑間は大きな身体をちぢこめるようにしてフライパンの中を覗いている。
「高尾、表面がふつふつしてきたのだよ。そろそろひっくりかえさないと……」
「まぁだ、もうちょっと」
早く食べたくて仕方無いのか、毎回表面に小さな泡が出始めただけでひっくり返せとせかしだす。
そんな様子が小さい子供みたいでちょっと可愛い。
「高尾」
「はいはい、もうちょっと」
そんなやりとりをしている間にもホットケーキの表面にぽつぽつと泡が出始めてきた。
「……高尾」
「はぁい……ょっと!」
もう待ちきれないとばかりにちょっと強めの声で呼んできた緑間を横目で見つつ、ホットケーキの下にフライ返しを差し入れてポンとひっくり返す。
現れた表面は美味しそうな狐色で我ながら良い焼き加減だと内心で自画自賛する。
ひっくり返す瞬間息を詰めて見守っていた緑間も現れた焼き色にほぅ、と感嘆の息を漏らした。
「ほら真ちゃん。すぐ焼きあがるからバター出して」
「分かっているのだよ」
うっとりとした表情でホットケーキを見つめていた緑間は俺の言葉にいそいそと冷蔵庫へと向かった。
中から出てきたのは我が家には分不相応なほどに高級そうなバターで、ホットケーキを美味しく食べるためにと緑間がわざわざ購入して持ち込んだ物だ。
他にも缶の餡子だの練乳だのクリームを作るためのハンドミキサーだの、我が家に不釣合いな物の大半は緑間が持ち込んだ物で、使うのもほぼ緑間だけである。
先週の土曜にバターを入れて回すとバターが麺状になって出てくるバター絞り器(?)を買ってきたから使いたくて仕方が無いのだろう。
たった今焼けたばかりの二枚目を先に焼きあがっていた一枚目の上に載せて持って行くと、コタツの上にはバター絞り器と蜂蜜、小鉢に入った野菜サラダ。
そして紅茶が入っているんだろう大きめポットとマグカップが二つ。
「お前のサラダは冷たい方が美味いだろうからまだ出してないのだよ」
「あいよ。はいどーぞ、召し上がれ」
焼きたてアツアツの方が美味いに決まっているので、緑間の前にホットケーキの皿を置いて台所へと取って返す。
1Kの部屋だからキッチンと居間を仕切る扉はあるけれど、何故だか俺がキッチンにいる時に扉を閉めると緑間が不機嫌になるので少し寒いけど扉は開けたまま。
「いただきます」
そんな声が聞こえてきたので、暖めたフライパンの荒熱を取りつつちらっと目線を部屋へと向ければ、幸せそうな顔をしてホットケーキを頬張っている緑間の姿が目に入る。
ほんっと甘い物好きだよなーあいつ、と見ているこっちも嬉しくなってきて自然と口元が綻んでくる。
最近はホットケーキミックスで作る簡単お菓子的なのもネットで見かけるから、今度作って食べさせてみるかな、なんて事を考えていたらふと昔の事を思い出した。
ささっと自分の分を焼き上げてサラダと共に持って行くと、緑間は既に二枚目のホットケーキ攻略に取り掛かっているところだった。
俺が食い終わってからもう一枚ずつ焼いて第二ラウンドが始まるのがいつものお約束なのだが、この調子だと今日もその流れになりそうだ。
「美味しいのだよ高尾」
甘い物を食べてる所為で緩みがちな顔のままそんな事を言う緑間は、まったくもって可愛い。
昔は常に仏頂面で眉間に皺を寄せていたというのに、随分と丸くなったものである。
「そりゃどーも。ホットケーキミックス混ぜて焼くだけだから基本的に誰が作っても同じ味なんだけどな」
緑間のホットケーキは蜂蜜たっぷりだけど、俺の方はバターだけ。
そう言う意味では味が違うが、ホットケーキ本体は誰が作った物を食べても同じだろう。
けれど緑間は小難しげな顔をして「そんな事は無いのだよ」と言う。
まあ料理が壊滅的に出来ない緑間が焼いた物と比べれば、焦げの味も香りもしないし、外はガリガリ中はデロデロなんて出来栄えでもないから違うのかもしれない。
「そう言えば真ちゃんさぁ、クッキーとかスコーンとか食える?ホットケーキミックスで作れるとかネットで見かけたから作ってみよっかなーとか思うんだけど」
「なに?そんな事が出来るのか!?今日にでも作るのだよ高尾」
やや食い気味に返事を返してきた緑間は体勢までも前のめりだ。一体どれだけお菓子食いたいんだよお前。
「確かクッキングシートに乗せてとか何とか書いてあったから今日すぐには作れないって。取り敢えず食えるんだったら飯食った後にちゃんと調べてみようぜ」
この間チラッと見たのはチョコレートとかも材料に入ってたから、クッキングシート以外にも必要な物が色々とあるかもしれない。
逸る様子の緑間にそう言うと神妙な顔で頷いている。普段は割とグイグイ自分を出してくるタイプだけれど料理だけは苦手意識があるからかそんな事も無い。
待て、と言われた大型犬みたいにも見えてぷすすと笑いを漏らす俺を不思議そうな顔で眺めている。
「んじゃ、真ちゃん大丈夫そうだし一回調べて作ってみますか」
期待されてるようだしいっちょ頑張ってみるかな、なんて気合を入れつつ雑に切り取ったホットケーキにフォークを突き刺す。
緑間の方は綺麗に全部平らげて、大人しく俺が食べ終わるのを待っている。
「そう言えば、さっきから食べられるかなどとおかしな聞き方をしているが一体何なのだよ。そんなに難しい調理法なのか?あまり失敗したものだとさすがに食べられないのだよ」
首を捻りつつ聞いてくる緑間に、俺も小首を傾げてしまう。
「え、だって真ちゃん手作りのお菓子好きじゃないっしょ?」
「何故そうなるのだよ」
「だって高校の時さぁ、女子が調理実習で作ったって差し入れに持ってきてたお菓子とか、バレンタインの手作りチョコとか軒並み断ってたじゃん」
そう、無愛想ながらも眉目秀麗頭脳明晰スポーツ万能で全国屈指の強豪校のエース様はそれはおモテになられたのでそういった差し入れを持ってくる女子も多かった。
けれど手作り物は一度も受け取ったところを見た事が無い。
それどころかこっそりと机に入れられたプレゼントの食べ物などに至っては、そのままゴミ箱に直行させていた気がする。
やっぱり普段からイイトコの美味いお菓子ばっかり食べてるから素人のお手製は口に合わないのかな、なんて思ってたんだけど違うんだろうか。
不思議そうな顔をしていたんだろう、緑間は俺の顔をじっと見つめながら口を開いた。
「大してよく知りもしない相手の手作りなど、気味が悪くて食べられないだけだ。お前が作るのならば食ってやらん事もないのだよ」
「よく知らないってクラスメイトとかのも断ってたじゃん。ってか何でそんな上から!?」
あんなにも食べたそうな様子だったのに何言ってんだと笑うと少しふてくされている。
「うるさい。そもそもクラスメイトだからと言って手作りの物を口にしたいと思うような相手では無いだろう。……好意を抱いている相手ならばともかく、そうでない相手から手作りの食べ物を貰っても嬉しくもないのだよ」
「そー言うもんかねー。俺だったらほいほい貰っちゃうわー」
て言うか中学の頃とかは貰ってた。部活後のすきっ腹のお供だった。高校の時は常に緑間と一緒だったからセットで声かけられてさっさと緑間が断るってパターンだった気がする。
「だからお前は駄目なのだよ。とにかく、さっさと食べてそのスコーンだかクッキーだかを作るのだよ」
「え、今日はホットケーキおかわりしねぇの?絶対食べると思って種作っちゃってんだけど」
俺が思っている以上に普段と違うお菓子は緑間の心を掴んでいたらしい。残った種どうすっかなぁと考え始めた俺に慌てた様子の緑間が「あ、あるならおかわりも頂くのだよ! とにかく、さっさと食べろ。冷めてしまっては美味くないだろう」と声をかけてくる。
「はいはい、分かりましたよ。んじゃ真ちゃんその間に何食べたいかレシピ検索しとけよ。ホットケーキミックス、お菓子とかで検索すると出てくるから」
「了解なのだよ」
急いで残りを食べ始めた俺に、緑間は鷹揚に頷くと勝手知ったると言った感じでカラーボックスの上に置いてあるノートパソコンを取る為に立ち上がる。
サラダにフォークを伸ばしながら、そう言えばさっきの『好意を抱いている相手ならばともかく』って俺の作ったのなら食えるって事は取り敢えず俺は『好意を抱いてる』中に入ってんだなーと思い至って、ノートパソコン片手に戻ってくる緑間を見ながら何だかやけに胸の奥がほわほわとしている自分に気づいていた。