【緑高】コーヒー うちの部署にいる営業の高尾さんは、背が高くてそこそこイケメンで、明るく気さくな性格で、初見だとちょっとチャラ男っぽい印象になりがちだ。
でも一緒に仕事してみると誰よりも真面目で人一倍努力家で、しかも女だからと言うだけでお茶を淹れろだのコピーを取れだのとこちらの仕事の都合なんかお構いなしに自分の雑用を押し付けてくるオヤジ共と違って自分の事は自分でするし、何ならオヤジ共が女子に押し付けてきた仕事まで「こんなに一杯、一人じゃ無理だよね~」なんて言いながら気軽にフォローに来てくれる。
その行動はともすれば女の子への下心有りだと思われるところだけれど、高尾さんには大学生の頃から同棲している恋人がいてその人にメロメロだから他の女の子なんて箸の先にもかからないのだと、入社して随分早い時期に先輩から聞かされた。
曰く「この部署に来た女子新入社員は大抵高尾クンに恋しちゃって速攻で諦める」のだそうだ。
気持ちは分からなくもない。私も入社してすぐに『あ、この人かなりイイかも』と思い、梅雨に入る前には『これは無理だ』と諦めた。
高尾さんは話し上手で場を盛り上げる事にも長けているので、昼休みや休憩時間にも良く話の中心になっている。そんな時、特にイヤミや惚気ではなくさらっと自然に恋人の話題が口からこぼれるのだ。
すらっと背が高くて美人でお医者様だと言うそのカノジョさんは料理だけは駄目だそうで高尾さんが料理担当だそうなのだけど、昨日作った煮物を美味しそうに食べてただとか、白衣のポケットを確認せずに洗ってしまった所為で洗濯機を回したらがらごろと音がして慌てて見てみたら三色ボールペンが入ってて二人で笑ってしまったとか。残業もあるし忙しいだろうに毎日楽しくて仕方がないと言うようににこにこと笑って話す。
今日と同じように。
「そう言えば高尾さんっていっつもコーヒーはカフェオレみたいにミルク沢山入れますよね。会社の冷蔵庫に牛乳常備してるし。ブラックとかで飲むイメージだったから最初の頃は驚いちゃいました」
昼食後に何とはなしに口にしたその話題に、高尾さんの先輩の男性社員が笑いながら入ってきた。
「こいつ入社した時からそーだよ。ブラック飲むとシンチャンに怒られるんだっけ?」
「そっすね~。胃に悪いからミルク入れろって学生の頃から煩いんスよ。後は俺、身長伸ばしたくって学生の頃牛乳ばっか飲んでたからその名残もあるかなあ」
煩くってと言うわりに、高尾さんの口調は嬉しそうで表情も柔らかい笑顔だ。そんな風に口煩く言われる事すら幸せなんだとその表情が雄弁に物語っている。
「牛乳一杯飲んだから高尾さんそんなに背が高いんですね」
「いや、部活だと俺、これでも小さい方だったんだよね~。だからもうホント必死よ。毎日一リットルとか飲みまくったんだけど、結局あんま伸びなかったなあ」
「え、そうなんですか」
高尾さんの身長で小さいなんて、バレーかバスケットでもしていたんだろうか。そう思って想像してみると、どっちにしてもかなりカッコ良かったんじゃないかなと思えて少し胸がときめいた。シンチャンさんはそんな高尾さんを見た事があるんだろうか。あるんだったらちょっと羨ましいな。
そんな僅かなときめきが日々味わえる職場で、私は働いている。
・・・●・・・●・・・
「あれ、緑間先生今日はおしるこじゃないんですね」
診療がやっと一息ついた午後。検査結果を届けに医局に行くといつもなら間違いなくおしるこ缶を手にしている甘党の緑間先生がマグカップを片手に書類に目を通していた。
近くに寄るとコーヒーのいい香りがしたので、珍しく別の物にチャレンジしているらしい。机の上にはもはや皆突っ込むことすらしなくなった今日のラッキーアイテムであるアヒルのおもちゃ。側面にネジがついているので多分それを回すと歩くか泳ぐかするのだろう。
「ああ……今日は家におしるこが作ってあるはずなのだよ」
私が持ってきた検査結果を受け取りながら、緑間先生は嬉しそうに目を細めながら答えた。大の甘党の緑間先生だけど、一番好きなおしるこは同棲している恋人が作ってくれる物らしい。そして放っておくと際限無く飲んでしまうので、心配した恋人からおしるこは一日三缶までと言い渡されているそうだ。
つまり今コーヒーを飲んでいるのは、自宅に帰ってから恋人の作ったおしるこをたらふく飲む為なのだろう。別に職場でまで見張られている訳ではないのだからこっそり飲んでしまっても分からないのにと思うけれど、それをしない辺りが生真面目な緑間先生らしい。
緑間先生の恋人は釣り目がちだけど可愛らしくてよく笑いよく喋る明るい人なのだそうだ。普段は口数少ない仏頂面の緑間先生が酔った勢いで話した惚気に看護師一同耳を皿のようにして聞き入ったものだ。
タカオさんと言う名前らしいその恋人は、煩い位喋るけれど気立てが良くて可愛くて口下手な緑間先生の気持ちをすぐに察してくれるのだそうだ。その察しの良さに甘えてしまいがちだけれどそれではいけないと人事を尽くそうとしているのに、それすらも察して先回りしてくると惚気なのかぼやきなのか分からない話もしていた。
時々持ってくるお弁当を見るに、恋人のタカオさんは料理上手で本当に緑間先生の事を好きなんだろうと思う。私だったら共働きであんなにも栄養バランスを考えたお弁当なんて作れない。
女だけどそんなデキたお嫁さん私も欲しいわ、と思いながら勤務終了時間まで後どれ位かとでも思っているのか、そわそわした様子で時計を眺めている緑間先生の姿を見つめていた。
・・・●・・・●・・・
緑間がチャイムを鳴らしてから玄関の扉を開けると、奥からパタパタと足音をさせて高尾が出てきた。高尾と共にふんわりと甘い香りが漂ってきて緑間は嬉しそうに目を細める。
「お帰り真ちゃん」
「ああ、ただいま」
満面の笑みでの出迎えに口の端を上げて答えると、緑間は手に提げた紙袋を差し出した。
「ん」
「あ、あんがと!ってこれ●●珈琲のやつじゃん!わざわざ買いに行ってくれたの?」
手渡された紙袋を見て高尾が嬉しそうにぱっと顔を上げる。緑間の方はそんな高尾の様子には気づかない振りで靴を脱ぎ框を上がった。
「途中下車するだけだからな。わざわざと言うほどでもないのだよ。お前、最近ここの珈琲豆を気に入っているだろう」
「そーだけど……ありがとな真ちゃん」
それまで以上に嬉しそうな笑みを浮かべて高尾が甘えた様子で緑間に抱きついてくる。それと共におしるこの甘い香りも強くなった気がした。
「もう出来ているのか?」
「おしるこ?真ちゃんの帰宅時間に合わせたからばっちり!……味見してみる?」
悪戯っぽい笑みを浮かべて見上げてくる高尾に口付けると、緑間の口の中にも仄かに甘い味が広がった。