【緑高】コート・マフラー 高校二年の十二月頭、と言えば一般的な高校生だと受験前の最後のチャンスとばかりに彼氏彼女を作る事に勤しんだりするシーズンらしいのだけれど、俺と緑間にとってはウインターカップ前の一分一秒ですら惜しい大切な時期だ。
なのだけれど、今現在期末テスト期間に入ってしまって部活はお休み。学生の本分は勉強ですと言われれば至極ごもっともなんだけどたった一日でも身体は鈍るし心は逸る。
だから部活が無かろうとも成績に支障が出ない範囲で、と言うのが大前提だけれど勉強する時間の半分位は自主練に当てる。
この約二年の間で、そんな生活がもはや当たり前のお約束のようになっている俺達が何故この貴重な時間をこんな場所で過ごしているのか、と言わんばかりに隣に立っている緑間は眉間に深い皺を寄せている。
その大きな手にはモスグリーンの毛糸玉。一玉でも結構なお値段のそれは、アルパカの毛で出来ているらしい。
「高尾、とっとと選ぶのだよ。時間が無くなる」
どれにするかとあっちの毛糸を掴み、こっちの毛糸をもふり、と悩んでいる俺についに痺れを切らしたようで険のある視線と共に声をかけてきた。
「分かってんだけどさぁ……ちょっと待ってって!」
俺だってさっさと決めてしまいたいけれど、緑間と違ってこっちには懐と相談と言う大仕事もあるのだ。
そこそこ安いけれど手触りのいいやつを捜し求めて何とか選び出す頃には緑間はすっかりご機嫌斜めで、仏頂面のまま選んだ毛糸を入れた籠を手に引っ掛けて腕組みしている。正直面白い絵面だけれどここで笑ってしまったら取り返しがつかないところまで機嫌が悪くなってしまうからぐっと堪えた。
「お待たせ真ちゃん!とっととレジ行こうぜ!!」
「自分が時間を食っていた癖に何がとっととだ。……と言うか色の違う物が混じっているが良いのか?」
モスグリーン一色の緑間の籠と違って、俺の手元の籠の中にはオレンジ、ごく薄いクリーム色、黒とカラフルに毛糸が放り込まれている。
それを見ての事だが俺はにかっと笑って見せた。
「いーのいーの!別に途中で色変えても良いってセンセーも言ってたじゃん」
「それはそうだが……派手過ぎないか」
「ぶっは!派手って、これウチのジャージの色だぜ?せっかく作るんだから秀徳カラーにしようと思ってさ」
「む……」
自分が普段使っているジャージやユニフォームの色を思い出したのか、緑間は少し視線を和らげた。
俺達が男二人でこんな場所―――手芸専門店に来ているのは家庭科の授業の為で、手編みのマフラーなどと言うベタな物を作る材料を買いに来たのだ。
部活の先輩である大坪さんがこの授業を経て特技に編み物が加わったらしいので、以前からほんの少しの興味はあったから楽しみでもある。
使用する毛糸は自分で好きな物を準備、色変えや柄入れなども可だがその分手間がかかるし難しい、と言う説明を授業で言われているのだが、柄はともかく色変え程度ならばそこまで難しくも無いとさっき店員さんに確認済みだ。
「て言うか真ちゃん、何か別のモンも籠に入ってねぇ?」
良く見れば緑間の籠の中には、『羊毛フェルトキット・くま』だのレースの巻いたのだのが入っている。
「母に頼まれたのだよ」
「あー、真ちゃんママこう言うの得意そうだもんな。て言うかレースそんなに買うの?」
「レジで測って切り売りして貰うのだよ。1m買ってきて欲しいと言われている」
「なるほどなー。でもそれだと編み物詰まった時も教えて貰えるから良いよな。うちの母さんはカギ針?とか言うのを使ってするレース編むのしか分かんないらしくってさー。確かコレ、最終的に冬休みの宿題になるんだよな?」
編み物は集中力を養う為の授業だかなんだからしく、家庭科の授業時間たかが一時間程度だけでは身につくも何も無いだろうと言う事で、基本的な編み方や糸の変更の仕方を教わったら後の完成までは自由に行い冬休み明けに提出、と言う流れになっているそうだ。
そのやり方だと誰かに代わりにやってもらうやつも出てくるんじゃないかと思うのだが、そこら辺の判定はどうなっているのやら。
「そう言っていたな。まあそのお陰で準備と授業さえちゃんとしておけばウインターカップの後に回せるから気は楽なのだよ」
「だなー。んじゃさっとレジ済ませて練習行こうぜ」
「ああ」
素直に頷く緑間と共にレジに向かう。初めての編み物より何より、今はバスケに集中したいと言う気持ちはお互いに同じだろう。
「そう言えばさぁ、真ちゃん知ってる?」
「何をだ」
買い物とストバスコートでの練習を終え、現在俺達は緑間の部屋でテスト勉強中である。
緑間はノートと教科書を並べて授業内容のおさらい、俺は授業中に分からなくて放置していた数学の問題と格闘中だ。
「授業のマフラーさぁ、出来上がったやつを好きな相手と交換すんのが伝統らしいぜ」
「ほう」
相槌だけとは言え、緑間がこの状況で俺の軽口に乗ってくるとは珍しい。俺は調子に乗って、今日先輩から仕入れたばかりの話を披露する事にした。
決して数式の解き方が分からなくなったからじゃなく、息抜きである。息抜き大事。
「趣味でもない限り大抵のやつが今回が初めての編み物じゃん?」
「そうだな」
相槌と共に、緑間が向かいから俺の教科書の右上をシャーペンでつついてきた。何だ。あ、この公式使えって事か!?
示された公式を使って再度問題に取り掛かると、ここまで悩んでたのは一体なんだったんだと思うくらいにあっけなく答えが導き出された。
「サンキュー真ちゃん」
「で、初めての編み物が何なのだよ」
あ、それ気になってたのね。そろそろ勉強始めて二時間過ぎたし緑間も多少疲れてきたっぽい。すっかり冷めた紅茶に手を伸ばして一口啜り、シャーペンを机に置くと緑間も教科書を閉じた。
「佐藤先輩が言ってたんだけどさ、初めての編み物を渡すって事で『私のハジメテをあげる』って言うのと掛けて告白すんだって。最初は女子が始めたらしいけど、最近じゃ男子からってのもアリらしいよ」
女子のハジメテなら処女だから魅力的かもだけど、男のハジメテって童貞じゃねぇか。女子的にはそんなの貰って嬉しいのかよ、なんて思うと笑ってしまうが、処女大好きな男子が沢山いるんだから童貞が良い女子もきっと沢山いるのだろう。
「……初めての編み物なのだから、掛けるも何も自分の初めてをあげると言うのは当たり前ではないのか?」
先輩から話を聞いた瞬間に下世話な想像をした俺とは違い、下ネタに興味なさげな緑間は本気でピンと来なかったらしく首を傾げている。
「ぶっほぉ!!真ちゃんが……真ちゃんが『初めてをあげる』とかって……マジウケる!!ギャハハハハ」
そんな様子が可愛いわ、俺の言ってる単語をそのまま返しただけなのに緑間の口から出ると面白すぎるわでゲラゲラと笑う俺に、緑間は眉を顰めた。
「何なのだよ!?」
「ぶっふ!いや……あのさぁ真ちゃん、こー言う場合の『ハジメテ』ったらアレしかないっしょ?」
「アレ?」
「しょ・じょ!あーもう言わせんなって恥ずかしい!っで!?」
男子高校生が口に出すと気恥ずかしい単語上位に入りそうな単語を口にしてしまい、思わず茶化した俺の頭に物凄い勢いで平手打ちが飛んできた。
「何すん……だっ……って真ちゃん顔真っ赤だし!! 乙女か!!」
「うるさいのだよ!! 破廉恥な事ばかり言っていないで勉強しろ馬鹿尾め!!」
俺の言葉から一体何をどこまで想像したのやら、人の頭を思いっきり平手打ちした当人は顔どころか耳まで真っ赤にしてプルプル震えている。
そんな緑間の様子を見ていたら、何だか俺まで頬が熱くなってきた。そう言えばいつもバスケの話と俺が一方的に振る馬鹿話ばかりで、緑間相手にこの手の下ネタを披露するのはそれこそ初めてかもしれない。
「お……おう……。そ、そんな訳だから真ちゃんもうっかりマフラー受け取ったり交換したりすんなよ。勘違いされるかんな」
「むっ……無駄な心配なのだよ馬鹿め」
場を取り繕うようにしどろもどろになりつつ注意する俺に、緑間もまだ動揺が抜けきらないのかメガネをカチャカチャとせわしなく指で押し上げながら返事を返す。
妙な空気になってしまった室内は、その後真ちゃんママが晩御飯に呼びにきてくれるまでそのままだった。
・・・・・○・・・・・○・・・・・
ウインターカップも正月も終わり、冬休みも終わった三学期の初め、朝の出会い頭に緑間が「高尾、マフラーをよこせ!」と言い出した。
「へ?真ちゃんマフラーしてるじゃん。何で?」
そんな事を言いつつも手は既に自分の首に巻いているマフラーに伸びている。下僕根性ここに極まれりである。だがそんな俺を見て緑間は「違う」と不機嫌そうに言ってきた。何なんだ一体。
「真ちゃんがマフラー貸せって言ったんじゃん」
「そのマフラーではないのだよ。お前が家庭科で編んだ物だ。とっとと出すのだよ」
「へ」
確かに今日は三学期初の家庭科の授業があるからマフラーは持ってきている。だがしかし先生に提出する前に緑間に渡せとはどう言う事だ。
「え、もしかして真ちゃん、編めなかったから俺のを自作だって提出……」
「する訳がないだろう馬鹿め。俺のはここにちゃんとある。これをくれてやるからお前のをよこすのだよ」
ずいっと差し出された綺麗な花柄の紙袋の中には、モスグリーンのマフラーが入っている。毛糸玉の時より更にふわふわとした見た目になって暖かそうだ。
「今日のかに座のラッキーアイテムが『ハンドメイド品』なのだよ。だからお前のをさっさと俺によこせ」
「あーそう言う事ね。へいへいどーぞ。授業で先生に見せる時だけは返せよな」
「分かっているのだよ」
部活用のエナメルバッグの中に無造作に突っ込んでいた自作のマフラーを引っ張り出して手渡すと、緑間はそれを二度ほど撫でて、満足そうに頷いた。
「て言うかさぁ、ハンドメイドなら何でも良いんだったら真ちゃんのマフラーで良いんじゃね?」
「自作より他作の物の方がハンドメイドらしい気がするのだよ」
「そう言うもんかね」
まあ言われてみれば自分の手作りと人から貰った手作りだったら人から貰ったやつの方がご利益がある気がする。俺のは編んでる間中ウインターカップの反省点とかばっか考えてたからご利益より執念とかの方が篭ってそうだけど、俺の反省点と言う事は結局緑間の事も考えていたって事だから緑間のラッキーアイテムとしては合格なのかもしれない。
「取り敢えず行こうぜ真ちゃん!じゃーんけーん……」
何となく納得したので手を差し出すと、俺のマフラーを綺麗に畳んで紙袋にしまい終えた緑間が「ラッキーアイテムを入手した俺が、負ける訳がないのだよ」と不敵に笑った。
無事に家庭科の授業でのチェックも終えた昼休み、ひとつより二つの方がご利益も多かろうと言う俺の判断で俺作と緑間作の手編みのマフラーは仲良く花柄の紙袋に入れられて緑間の手の中である。
その緑間はと言えば、女子に呼び出されて今は教室にいない。
今日のラッキーアイテムがハンドメイド品だからなのか、呼びに来た女子の手にはマフラーが握られていた。多分俺達と同じく、授業で編んだ物だろう。緑間に良く似合いそうなシックなグレーの物だった。
「ラッキーアイテムが増えるのだよー、とかって受け取ってきちゃったりしてなー……」
ふと思いついた事をぼそりと口に出してしまって、何故だか胸がぎゅうっと痛む。
告白はまあ断るだろうけれど、緑間にとってラッキーアイテムは別バラだ。ありがたく頂いてくる可能性は十分にあるし、一度人から貰った物であればきっと大切に使うだろう。緑間とはそう言うやつだ。
グレーのマフラーを巻いている緑間を想像したら胸だけじゃなくて胃まで痛くなってきた。
「どーした高尾?眠いのか?」
ぐったりと机に突っ伏す俺に、クラスメイトの伊東が声を掛けてくる。
「いんにゃー別に」
力無く返事を返す俺に、伊東は尚も話しかけてきた。しかも小声で。
「そー言えばさー、家庭科のマフラーの話、お前知ってる?手編みのマフラー渡して告白するってヤツ」
「あー知ってる知ってる。先輩から聞いた」
「お前とか緑間とか結構モテんじゃん。誰かから声かけられたりした?」
はーいアウトー。今まさにそれで俺がへこんでるー。内心そんな突っ込みを入れつつも「俺にそんな話ある訳ねーじゃん~」とへらっと笑う。
「そっかぁ。アレって男からもアリだって言うじゃん。俺渡しちゃおっかなー。お前もどうよ」
どうよって何だ。つれション行こうぜみたいな気軽な感じで告白なんていう一大イベントに誘うんじゃねぇよ。
「いやいや、遠慮しとくわ。特に相手いねぇし」
「えーマジかよ。隣のクラスの山田さんとかお前に気があるって聞くぜ~?……実は俺、山田さんの友達の三木さん狙いでさぁ。だから高尾と一緒なら……」
伊東はつらつら喋りだしたけど、それ結局俺をダシに使うだけじゃねぇか。そんなのに付き合う義理はねぇ。
「あー無理無理。そもそも俺のマフラー真ちゃんにあげちゃったし」
ただでさえイライラしているところにそんな話だからイラつきもピークで、つい大きい声で応えてしまった俺に、伊東は驚いたような顔を向けてきた。
伊東はって言うか……教室にいた他のやつらも一斉に視線をこちらに向けている。ヤベェ、ちょっと声がデカすぎたか。
「え……あ、そーなんだ。緑間に……いや、まあもしかしたらお前らってそうなのかなーとは思ってたんだけど、そっかー」
「ん?」
もしかしたらそうって何の話だ。突然変わった風向きに首を傾げる俺に、近くにいたクラスメイト数人が寄ってくる。
「マジで緑間に渡したのか高尾」
「緑間にあげちゃったって事だよな!?」
「え、うん」
凄い勢いで詰め寄られて、思わず首を縦に振る。何でこいつらこんなに興奮してんの。
「うおーマジか!!」
「やっぱそうだったかー」
「……すっげー下世話な話、お前らってどっちが入れる方なの」
寄ってきたやつらは興味津々、固唾を呑んで俺を見守っているが、どっちが入れるも何も俺はパサーで緑間はシューターだって皆知ってるだろうに今更何を……と思いつつ「そりゃ真ちゃんでしょ」と応える。
その瞬間、遠巻きに聞き耳を立てていたらしい女子達が「きゃーーー!!」と黄色い歓声を上げ、俺の側にいた男子どもは「おおー……」と感嘆の声らしきものを漏らした。
「何なんだよ一体」
何故俺のマフラーを緑間にやったと言うだけでここまで盛り上がるのか。首を傾げる俺の肩を、男子どもが代わる代わるぽんぽんと叩き「緑間相手じゃ大変だろうけど無理すんなよ」だの「俺ら偏見とかないから頑張れよ!」と声を掛けてくる。
「は?」
「一体何の騒ぎなのだよ」
ほんとに何なんだ?と問いかけようとしたところに、緑間が戻ってきた。
「あ、真ちゃんお帰り~」
手に持っているのは俺と緑間のマフラーが入った紙袋だけ。他には何も無い。その事実に胃や胸のむかつきが収まっていくのを感じる。お陰でさっきまでの謎の騒ぎも気にならなくなってきた。
「み……緑間君、本当に高尾君からマフラー貰ったの?」
席に戻ってこようとする緑間に、さっきからきゃあきゃあ騒いでいた女子の一人が声を掛けた。
「ああ。高尾から貰う代わりに、俺もハジメテの物を渡したのだよ」
「きゃぁあああ!!」
緑間の返事を聞いた瞬間、女子達は抱き合って大騒ぎだ。男子達も何やら口々に高尾を労わってやれだの体格差考えろだのと緑間に声を掛けている。
そんなクラスメイト達を適当にあしらいながら席に戻ってきた緑間は、妙に嬉しそうだ。
「一体何なんだろーな皆?」
「さぁな」
首を傾げる俺に、ご機嫌な緑間は「さすがはラッキーアイテムなのだよ」と呟いている。
俺が緑間にハジメテのあれこれを捧げちゃった、と言う話に誤解されていると言う事を俺が理解したのは、話が学校中に回りまわった後の事だった。