【緑高】合宿 夏合宿初日、秀徳バスケ部の定宿だと言う波切荘に到着してまずした事は、宿泊者の歓迎看板の確認だった。
「何やってんの真ちゃん。看板凝視しちゃって」
「……何でもないのだよ」
目聡くそれを見咎めた高尾が早速絡んでくるが、無視して鞄を肩に担ぎ直す。通常の荷物以外にラッキーアイテム候補を詰めたキャリーバッグも引いているので荷物が多い。
「今年は誠凛さんは来てないみたいだな。……って真ちゃんもしかして今年も黒子と火神に会えたら良いのになーとか思ってって止めて!顔鷲掴みに来るの止めて!!」
キャリーバッグの取っ手に伸ばした手をとっさに高尾の顔面に向けて伸ばした俺に、大仰な動きで抵抗してくる。思わず舌打ちをすると「もー真ちゃんってばー。照れ屋さんなんだからぁ」などとふざけた事を言いながら高尾は俺を追い込して旅館の中に入って行った。
「こんにちはー!!今年もお世話になりまぁす!!」
出迎えに来ていた旅館の女将に愛想良く挨拶をして中に入っていく高尾に続き、旅館の中に入って会釈を返した。俺達の後に続いて一軍の面々がぞろぞろと入ってくる。
事前に二部屋に分けられているのでそれぞれ振り分けられた部屋へと荷物を入れる。大雑把にスタメンと控えと言った感じで分けられている為、俺と高尾は同じ部屋だ。
「裕也さん、俺隅っこ!隅っこが良いっす!!」
昨年の合宿で一番出入り口に近い場所に当たった所為で、誰かが夜中トイレに起きるたびに気になって仕方なかったとぼやいていた高尾が必死で現キャプテンの宮地裕也さんに訴えていたが、そんな主張など聞き入れてくれる訳も無く去年同様ジャンケンになった。
「この俺がいる限り今年は貴様のジャンケンパワーは通用しないぜ緑間ぁ!!」
どう言う根拠があるのかは分からないが、裕也さんが拳を握り締めてそう叫ぶ。
「ふっ……今日のおは朝、蟹座は二位。ラッキーアイテムの懐中電灯も携帯している俺に負ける要素などありません」
「真ちゃん俺の!!俺のラッキーアイテムは!?」
普段は占いなど信じていないと嘯いている癖にこんな時だけ頼ってくるので、やれやれと思いつつもポケットから鈴のついた猫のキーホルダーを出して高尾に手渡す。丁度懐中電灯の近くにあったから持ってきただけなのだが、高尾はそれを両手で握り締め「さすが神様真ちゃん様おは朝様!!」などと軽口を叩いている。
他の同室の先輩達もそれぞれに手を組んで覗きこんだり目を閉じて眉間に指を当てたりとそれぞれの験担ぎ方法で意識を集中している。
「んじゃ行くぞ!!じゃーんけーん……」
「なぁなぁ真ちゃん、もしかして今日の蠍座って高順位?」
「一位なのだよ」
おは朝の順位同様一抜けを果たした高尾が、部屋の一番奥側を陣取って荷物を開いている。二抜けの俺はその隣、アレだけ大言壮語していた裕也さんが一番出入り口側だ。
「そっかー。あ、これありがとな」
そう言ってラッキーアイテムのキーホルダーを返そうとしてくるので手で制した。
「普段とは違う場所に来ているのだから、例え一位だとしても用心に越した事は無いのだよ。それは今日一日お前が持っていろ」
「え。そーお?ジャンケン勝ったし別に俺もう良いんだけど」
「都合の良い時ばかり頼っているとしっぺ返しを食らうぞ。とにかく、今日一日きちんと身に着けておくのだよ」
納得行かないという顔で小首を傾げる高尾にそう説教をすると苦笑した様子ながらも「はぁい」と返事をして着替えたばかりの練習着のポケットにキーホルダーを突っ込んだ。
それぞれに準備を済ませて、借りている近所の体育館に移動する途中、旅館の入り口にある自動販売機を見て高尾が「あ、真ちゃん!!おしるこ入ってる!!」と指差した。
昨年は無かった筈だが……と思いつつ目を向けると確かに入っている。
練習後に宿の人に聞いたら「去年一杯空き缶があったから、よっぽど好きな子がいるんだなと思って入れてみた」と言われたと高尾が大笑いしながら報告してきて、部員皆から「さすが緑間」「こう言うのも継続は力なりって言うのか?」などと口々に声をかけられた。
練習、入浴、食事、ミーティングと淡々と合宿メニューをこなし、夜の余った時間は主に課題や予習・復習の時間に当てられる。去年はせっかくゲーム機を持ってきたのにとぐちぐち言っていた高尾も、今年は大人しく課題を済ませ参考書に向かっていた。
一学期の成績が中々良かったのでこのまま順位が上げられれば二学期にはテスト期間中の居残り練習に許可が貰えるかも知れないと監督から言われたかららしい。俺も監督からそう声を掛けられていたし、俺個人の成績としては許可しても良いけれど、そうすると絶対に高尾が無茶をしだすから少し待てと釘も刺されている。
実際問題、俺だけが許可を得て一人テスト期間中も居残り練習が出来るとなったら高尾の事だからこっそり練習もして成績も上げようとして寝る間も惜しんで……などと言う馬鹿な事をし始めないとも限らない。そんな事をして身体を壊しては本末転倒だし、一人で練習するのも良いけれど高尾との連携やパス回しの練習も重要なので監督の言う事はもっともだと思う。
それに、こうして弛まぬ努力をしてみせる高尾の姿はとても好ましく思えるし高尾ならば必ずやり遂げるだろうと言う信頼もあるので多少待つ位苦でもなかった。
そんな事を思いつつ、自分の分の今日のノルマは終わらせたので時折分からない箇所を質問してくる高尾に答えながら本を読んでいると、突然高尾が「ああー!!」と唸り声を上げた。
「何なのだよ」
「もー無理!!俺ちょっと気分転換も兼ねてコンビニ行って来る」
せっかく口には出さずとも頑張っている姿勢を認めていたと言うのにまったくこいつは。はーっと大きな溜息をつく俺に「息抜きだって大事なんですぅ」と口を尖らせて反論してきた。
そんな俺達のやり取りを聞いていた先輩達から「あ、高尾!ついでにアイス買って来てくれ」「俺コーラ!」と声をかけられて「はいはーい。メモ取るんでちょっと待ってくださーい」と高尾も軽い調子で返事をしている。
御用聞きが全て済んでから皆から預けられた金と買い物メモをポケットに放り込み、自分の財布を鞄から取り出すと高尾が立ち上がった。少しくぐもったチリンと言う音が高尾のポケットから響く。
「んじゃちょっと行ってくんね。真ちゃんの分もおしるこ買って来ようか?」
「俺も行くのだよ」
言いながら鞄に手を伸ばす俺に高尾は「そっか」と頷いた。
そのまま二人連れ立って旅館玄関で靴を取り出そうとすると高尾が不思議そうに声をかけてきた。
「え、真ちゃん外出んの?」
「俺も行くと言っただろう」
今更何を言っているんだと見下ろすと、高尾が困ったような顔をしてふいと視線を逸らした。
「あ、やー……おしるこ買いに玄関まで一緒に来るんだと思ってた」
「何なのだよそれは。息抜きも大事だと言ったのはお前だろう」
「そっか」
一緒に来られては不都合でもあるのかと思って様子を伺っていたけれど、そう答えた高尾の顔は嬉しそうに見えたので、特に問いただす事はしなかった。そのまま一緒に外に出ると昼間の熱気はどこへやら、じんわりとした暑さはあるけれど程よく風が吹いていて過ごしやすい。
今日の練習の事や課題の内容など、益体も無い話をしているうちにコンビニに辿り着き買い物を済ませる。帰りは海岸を歩いて行こうと言う高尾の誘いに乗って砂浜に下りると波の音がすぐ近くまで迫ってきた。
「真ちゃん星!星凄ぇよ!!」
両手にコンビニ袋を下げた高尾が仰け反るような姿勢で空を見上げて大声を上げる。
「そうだな」
見上げた空は正に満天の星と言った風情で、都会とは違い光害の少ないこの辺りでは普段暮らしている辺りでは見えないような星もきらきらと瞬いている。
「きれーだなー」
何がそんなに楽しいのか、高尾がぴょんぴょん跳ねるように歩くものだから、そのたびにポケットに入っているラッキーアイテムの鈴がチリンチリンと可愛らしい音を立てている。これではまるで高尾こそがキーホルダーの猫のようだと想像してしまったら、思わず笑い声が漏れた。
耳聡く聞きとがめた高尾に「なぁに笑ってんだよー」と歌うような声で問われて「そんなにはしゃぐと先輩のコーラが大変な事になるぞ」と声をかける。
「え、あ!これ真ちゃんが持ってた事にして!!」
慌てた様子でコンビニ袋を押し付けてくるのをさっと避け、早足で先に歩き出す。
「待ってって!真ちゃあん!!」
さくさくチリチリ。砂を踏む音とそれに合わせて鳴る鈴の音と。去年は試合に負けた苦々しい思い出と練習のキツさばかりが印象に残った合宿だけれど、今年は初日から気分が良い。
その理由の殆どが、この音を立てている男の所為だろうと理解しつつも、胸の奥に湧き出すこの気持ちに俺はまだ名前をつける事が出来なかった。