幼い悪戯精霊 広場の噴水に腰掛けて、一人の少女がうたっている。膝に乗る大きさの竪琴を爪弾きながら、近々訪れる祭に向けて、精霊を愛でる歌をうたっている。飾りと見紛うほどきらびやかな、作り物めいた銀色のヤモリが竪琴の上にちょこりと乗っていた。
少女……ウィルヴェの前に置かれた竪琴ケースに、通行人から気紛れに小銭が放り込まれる。そのたび軽く会釈をしては歌い続けていたその声が、ふと途切れる。
ウィルヴェの視線の先で、小さな子供がぐすぐすと鼻をすすっていた。おかあさん、と涙声で呟くのを聞いて、彼の身に何が起こっているのか察しない人間はいないだろう。
「きみ、迷子かい。おいで」
人懐こい笑みを浮かべて手招きをするウィルヴェに、子供はおそるおそる近付いてきた。とん、とん、と噴水のへりを叩くウィルヴェの仕草に従って素直にそこへ腰掛ける。
「待ち合わせといえばこの広場だから、下手にうろつくよりここにいる方がいい。じきに君のお母さんもここを確認しに来るよ」
食べるかい、と飴を差し出しても子供は受け取らず、まだしゃくりあげている。その頭を軽く撫でてから、ウィルヴェは、ぽろん、と一度だけ竪琴を鳴らした。
「それまで、僕が面白い話をしてあげる」
* * *
もうすぐ仮装祭だね。君も仮装するのかな? 僕は祭本番もここで歌っているから、気が向いたら遊びに来てくれると嬉しいよ。
こういう街が忙しない時期には、彼らも忙しい。そう、ミーレスたちだ。店の飾り付けをしたり、うっかり迷い込んだおばけを追い払ったり……ほら、あそこでもまた一人、フワプーを追いかけてる。
……うん、続けようか。
あるミーレスたちが、トテカボチャを運ぶ仕事をすることになった。テレス夫人のところだ、あそこの野菜は質がいい。え? あはは、野菜は好きじゃないかい。……そう、カボチャパイなら食べられるのか、確かにレミーヌさんの店のパイは絶品だからね。
そのレミーヌさんのカボチャパイでも使われている、テレス夫人のトテカボチャ。あの立派なカボチャを運ぶのも、ミーレスの大事な仕事だ。魔物を倒したり、遺跡を冒険したりするだけが彼らの仕事じゃない。
その日の朝、荷車にカボチャを山と積んで、ミーレスたちは農場を出発した。一人は長くしなやかな尻尾を揺らし、もう一人は短い角を指先で擦っていた。獣人と、有角人のコンビだ。獣人はヤオマ、有角人はライラックという名前だった。
ぽかぽかとした良い天気で、荷車を引くにはいい日よりだった。二人はのんびりと話をしながら歩いていたんだけれど……。
ぷうぷう。
どこか間の抜けたラッパのような音が聞こえて、二人は足を止めた。ぷうぷう、ぷうぷう、と近付いてきた音に二人が身構えていると、草むらから何かが飛び出してきた。
丸い風船のような体に、兎のような長い耳が四つ、小さな羽が二つ。荷車の周囲をくるくる飛び回る姿に、二人はほっと武器を下ろした。
……そう。プーカだ。
この時期は特によく見かけるね、まだ半人前の精霊だ。
ん? 君もやられたのかい? それは災難だったね。
そんなプーカを追い払うには……そう、よく知っているね。積み荷を少しだけわけてやればいい。農家の荷車は、プーカ用に売り物にならないような物をひとつは積んでおくものだ。
でもその日、仮装祭の準備で忙しかったから忘れてしまったのだろうね、荷車には余分な物がなかった。荷車には丸々とした立派なトテカボチャしか積まれていなかったから、これをプーカに渡すわけにもいかないしね。
仕方がないからプーカを追い払うことに決め、ヤオマが恐ろしげに吠えてみせた。隣で不安そうにしていたライラックも驚くくらいに、「がおう!」とね。
プーカは跳び上がって驚くと、慌てて逃げ出した。逃げ出したのだけれど……逃げ出す瞬間、余程びっくりしたのか、悪戯魔法が周囲に飛び散ってしまったんだ。
……悪戯魔法はかわいい魔法、子供の夢を叶える魔法。
……悪戯魔法はおそろしい魔法、大人の現実を壊す魔法。
ピンク色の煙がヤオマを完全に包みこみ、煙が晴れたときそこには……リボンやフリル、レースどっさりのドレスを着たヤオマがいた。それを見たライラックは思わずふき出してしまって、ぎろりと睨まれて慌ててそっぽを向いた。
プーカの悪戯魔法はまだまだ下手だから統括庁に着く頃にはとけていたんだけれど、ヤオマはしばらくの間、町中でドレスを見かけるだけで顔をしかめたそうだよ。
* * *
身振り手振りをまじえ、ときにおどけて、ときに囁くように語るウィルヴェの話しぶりに、いつの間にか子供は涙を引っ込めていた。手を出そうとしなかった飴を口に入れ、機嫌良さげに足を揺らす。
「レニィ!」
そこへ響いた女性の声に、跳ねるように立ち上がった子供は、広場の入り口方向を見た。慌てた様子で駆け寄ってきた妙齢の女性は、あっという間に子供へと近付き抱き締めた。
「動いちゃ駄目って言ったでしょう! 大丈夫? 怪我はない?」
「うん。お兄ちゃんがね、お話してくれたよ」
そこでようやくウィルヴェの存在に気付いたらしい女性は、事情を聞くや何度も頭を下げ、それから子供と連れだって帰っていった。何度も振り返り手を振る子供へ手を振りかえし、ふうと一息ついたウィルヴェの頭上から声が降ってくる。
「……話ば盛りすぎじゃなかと?」
「そのわりには口を挟まないでくれたね」
噴水の逆側からひょこりと現れた長身の影に、ウィルヴェは肩をすくめた。
「こどもが一人泣き止んだんだ、多少の脚色くらい許してくれるだろう?」
「それにしても、ヤオマが聞いたら怒るじゃろ。あんときの魔法は、尻尾にリボンがついただけじゃったのに」
「彼女には内緒にしておいてくれると助かるな」
悪戯っぽく片目を瞑ったウィルヴェに、相手は……先ほどの話の登場人物でもあるライラックは少し呆れたように笑って頷いた。