吟遊詩人とくしゃみと骸骨----------------------------------------------------------------------------------------
依頼内容
コンカラ遺跡にて確認されたアンデッドの掃討
(確認されたのは十数体)
依頼主
魔術師ギルド遺跡学研究室
報酬
金貨四百枚
※注意事項有、詳細は受付にて
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「……というわけなんですよ、一緒に来てくれませんか」
顔見知りのエルフに頼まれて、
吟遊詩人は困ったように眉を下げた。統括庁の、依頼発受注コーナーの手前、待ち合い用の長椅子に腰かけているウィルヴェはマフラーの端を指で弄びながら、目の前のエルフを見上げる。
エルフの例に漏れず、すらりと背が高い女性である。整った顔立ちだが、くすんだ水色の瞳が目についてしまう。背負った弓は彼女の戦い方を声高に主張しているが……実際のところそれがどういう風に使われるかを、ウィルヴェは知っていた。
「僕はね、死者を冥府へ送るような大規模な葬送曲は歌えないよ。精々動きを鈍らせる程度だ」
「ええ、それで構いません。直接退散させるのは、我々がしますから」
彼女は真面目な顔でウィルヴェを見ている。こういう手合い、それも知り合いを口先三寸で言いくるめるのは、流石のウィルヴェでも良心が咎めた。
「群れ、なんだろう? 範囲魔法の使える魔術師なんかを探した方がよくないかい?」
「そういうわけにもいかないの」
ひょい、と不意に背後から覗き込まれて、ウィルヴェは視線を上げた。焦げ茶の長い髪が視界の端で揺れた。
「クリスくん、君もこの依頼に? ……そういうわけにもいかない、ってどういうことだい」
「ええ。アンデッド……スケルトンが確認された場所は未調査区画で、『なるべく周囲の壁画なんかに損害を出さないようにしないといけない』とのことで」
長身の剣士――彼の場合
女剣士というべきか――がウィルヴェの視線の先で肩を竦める。左右で違う色を湛えた鮮やかな目が、はたりと動いた睫毛で一瞬遮られる。
「広範囲の対象に影響を与えつつ、遺跡に被害を出さない……」
「……歌え、ということか」
納得した様子でウィルヴェは頷き、不承不承ながらも立ち上がった。
「わかった、行くよ。そろそろ懐も心許なかったんだ」
吟遊詩人の
商売道具は喉である、長旅でもなければ準備は必要ない。歩き出そうとしたウィルヴェへ、
「あ、ちょっと待って下さい。もう一人来るんです」
リラ・シィの引き止める声がかかる。足を止めたウィルヴェは、首を傾げた。
「まだ来るのかい?」
「ええ。前衛をもう一人」
ルヴェさんは前に出られませんから、と続けたリラ・シィにウィルヴェは苦笑した。ウィルヴェを含めて三人ということは、実質戦闘が出来るのは二人ということになる。確かに、スケルトンを少なくとも十体以上相手取るには不足している。
「……あ、いらっしゃいましたよ」
最初に気付いたのはクリスティで、片手を挙げてひらりと振った。それを見付けて足早に近付いてきた人影――どうも長身の青年だ、クリスティのことを思うと性別の判断に自信がなくなってくるが――に、ウィルヴェは目を丸くした。
「申し訳ない、遅れました」
軽く会釈をしたその青年は、……端的に言えば、とても美しかった。何やらリラ・シィと話している彼をウィルヴェは遠慮もせずまじまじと眺め、両手の親指と人差し指で四角い枠を作り、そこから覗き込む。
「うん……素晴らしいな」
……柔らかな蜜色の髪が、振り向いた拍子に、ふわ、と揺れる。澄んだ青い目が怪訝そうにウィルヴェを見た。戦場に身を置く者に表れる無駄のない立ち居振舞いとあいまって、あるいは彼は、騎士物語の主役にこそ相応しいとウィルヴェには思えた。
「……ルヴェ、ああいう男性が好みなのですか」
「ああ、魅力的だと思うよ。美しい戦士が戦う様を歌った曲が、この世にどれだけあると思う?」
意外そうに訊ねたクリスティは、返答を聞いて納得したように頷いた。ウィルヴェは青年に歩み寄ると、いかにも無邪気に笑いかける。
「はじめまして。僕はウィルヴェ、ルヴェでもなんでも好きに呼んでくれ。よろしく」
握手を求めて差し出した手を、
「シルヴァンです、よろしくお願いします」
青年は握り返した。
コンカラ遺跡はまだ発見されたばかりで、調査がまだ進んでいない。今回スケルトンが確認された区画もそこまで深い場所ではなく、調査員も素早く撤退することが出来たため怪我人は出なかったらしい。現場までは踏破区画を歩くことになるため、そこまで神経質に進む必要もなく、だから今回は罠解除担当シーフを連れていないのである。
「……そろそろですね、気を付けて」
地図を確認しながら、先頭を歩いていたクリスティが注意を促す。その前へ出たシルヴァンがクリスティからカンテラを受け取り、通路の角まで行って向こう側の様子を窺いながら振り返らずに低く囁いた。
「石壁の部屋だ。ほとんど風化は無い、壁も床もきれいなもので……スケルトンが十三体」
「一人三体に一体余りですね」
「僕を頭数に入れないで」
「では一人四体に一体余り」
小さく囁き合うウィルヴェたちをちらりと見遣り、片手で手招きをするシルヴァン。
「どうぞ」
「抵抗されたらごめんね」
ウィルヴェは慎重に部屋を覗き込み、ぐい、とマフラーを引き下げる。銀色ヤモリがするすると喉へ這い上がった。
リ・ティア。ウィルヴェがエリザベートと呼ばわる彼女――彼かもしれない――は、雄々しく戦いはしないし、優雅に魔術を紡ぐことも、愛らしくお喋りをすることもない。ただ、その身は、ウィルヴェの歌を助けることにおいては極めて優秀であった。
『……銀の月が地を照らす夜の
静寂……』
ウィルヴェの喉が震えるのに合わせて、ぼんやりと瞬きでもするようにエリザベートの目が明滅している。……彼女は、「音」を手繰るのだ。彼女がウィルヴェの元にいる限り、ウィルヴェの歌声は自在に大きさを変え、響きを変えることが出来る。
例えば、足を鉛のようにする歌を、眠りを誘う歌を……敵味方が入り乱れた場でうたっても、敵にだけその魔力が及ぶようになる。
『……陽は遠く彼らを
言祝がずとも……』
今回の歌はアンデッドにしか作用しないため、魔力の対象を手繰る必要はない。エリザベート、愛しい彼女が手繰っているのは反響音だ。
ほんの僅かでも音がずれれば効果を大きく減じる呪歌というものを安定して発動させるには、音を吸収や反射するものが周囲になく、空気の流れも穏やかである必要がある。……このかび臭い石室は該当しない。
しかし、今この場を、遺跡のひんやりとした空気を揺らす歌声は、まるで小高い丘の上ででも歌っているかのように伸びやかだ。子守唄のように甘く響くその声に、歌など知らぬ筈のスケルトンががしゃりと身体を強張らせた。
「通った、今だ!」
戦士たちが飛び出し、明らかに動きの鈍ったスケルトンたちへ戦闘を仕掛けた。
『……その嘆きも怒りもいずれ凪いで……』
ちから持つ歌が死者どもを縛る。神官の祈りとも魔術師の光とも違う、けして強い魔力を有してはいないそれは、静かに彼らの動きを鈍らせるだけ。
つまるところ、直接彼らを天に送るのは、戦士たちの鉄槌――文字通り――である。血肉のない存在である彼らを切ったり突いたりしても効果的とはいえない、丁寧にその根幹を砕くしかない。……クリスティの剣がほぼ殴打武器として、切り裂くというより「叩き割る」使い方をされているのもそのためだ。長く美しい髪が翻り、傷んだりしないのだろうか、と一瞬考えたウィルヴェは自分の思考に内心おかしくなった。「傷んだところで替えのきくもの」だ、あれは。
生きている、あるいは通常どおり埋葬された骨より、スケルトンの骨は堅い。「振り回された」リラ・シィの弓が、骨に接した瞬間小規模な爆発を起こしてそれを砕くのを、ウィルヴェは感心していいのか呆れていいのかわからない気持ちで眺めた。……アンデッドに治癒魔法をかけ損傷を与えること自体はそこまで突飛な戦術というわけではないが、爆発魔法として使うというのはかなり特異だ――本人にとっては不本意なのかもしれないが――。
この状況において、最も正統派の戦い方をしているのはシルヴァンかもしれない。ひゅお、と風を鳴らした戦槌が頭蓋を砕く乱暴な動きが、何故だか美しく見えるのは、美形の特権だろう。長身ゆえの長い手足が、その得物からは意外なほどしなやかに動いている。
……そうしてそれは何の前触れもなく訪れた。遺跡のかび臭い空気か、戦闘で舞い上がった埃か、それとも他の何かか。何が原因かは些事であり、考えても詮無いこと。
『……我らが……、っくしょん!』
くしゃみで歌声が途切れた瞬間、ぱん、と魔力が弾けて散った。スケルトンの動きに精彩が戻り、前衛の足並みが乱れる。そのほとんどが沈黙し、砕けて床に散らばっているとはいえ、まだ数体は活発に動いている。ウィルヴェは再び冒頭から歌い直し始めるが、正規でない中断をした魔術の残滓が漂う部屋で、再度魔力が編まれるまでには時間がかかる。
……結局のところ、スケルトンたちが全滅するまで呪歌が再発動することはなく、シルヴァンが鮮やかな黄色い粘液を腕に塗られることとなった――軟膏であれば良かったが実際のところはリラ・シィのリ・ティア、ギィの分泌する例のものだった――。
戦闘が完全に終結してからウィルヴェはようやく室内へと足を進め、カンテラを拾い上げると皆の元へ近付いた。壁や床が傷付いてはいないものの、掃除が大変だろうな、としみじみ考えたくなるくらいの惨状――この散らばった骨たちの清掃は、また別のミーレスが請け負うのかもしれない――を見回す。それから、
「うん……時代がばらついているね」
しゃがみこんで骨の欠片を拾い上げ、しげしげと眺め始めた。生命活動――死後活動とうべきかもしれない――を終えたそれは驚くほど脆く、床へ置いて少し力をこめると容易く砕けた。
「これは多分遺跡が閉じる前に仕込まれたものだろうけれど……こっちは、新しい」
別の欠片を同じように床へ押し付けても、なかなか砕けない。とんとんと指先で叩いてから、顔を上げる。
「昔、討伐に来た人間かな。
スケルトン狩りがスケルトンになったってわけだ」
一通り述べてから、……ウィルヴェは眉を下げて笑った。
「……呪歌は
歌い続けていないと効果が継続しないのが難点だね」
話を逸らし続けている自覚はあったらしい。ごめんね、我慢したんだけど、とマフラーを口元に引き上げる。その中にちょろりと銀色ヤモリが潜り込んだ。
「分け前は減額で構わないよ、無事済んだから良かったけれど……」
「あなたはきちんと働いたのだから、正当な取り分を貰って良いと思います。ですよね?」
リラ・シィが他の面子に目配せをすると、それぞれ不満も言わずに首肯した。ウィルヴェはもう一度、ごめんね、と言ってから、お疲れ様、と付け加えた。
結局のところ気が済まなかったウィルヴェは、街へ戻ってから全員に一杯ずつ酒を奢ったとか奢っていないとか。