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    それとこれとの相違性 窓の向こうにある東京は白くかすみ、視線を少しだけ上にやれば水性の絵の具をそっと流し込んだような、透ける青空が広がっている。先ほど流れていた天気予報によると、東京地方は乾ききった、雲ひとつない晴天の一日らしい。陽光は冷え切った大気を暖めることなく素通りして、アスファルトに反射し、すべてを眩しく輝かせている。
     年頭の東京は心なしが空気も澄み、安閑として佇んでいるようにも見える。実際、年が明けてから今日まで、警視庁管轄内において凶悪犯罪は発生しておらず、首都は文字通り平和そのものだ。
     今年一年この調子でいってくれればいいのに、とそんな夢物語を寝不足の頭で考えながら、淡い朝日が照らす隊長室で小さなあくびをかみ殺していると、後ろから「お疲れさま」と 不意に声を掛けられた。
     振り向くと、見慣れた同僚の笑顔がある。張りのない声の調子といい表情の読めない茫洋とした目といい、相変わらず爽やかな朝の雰囲気からはほど遠いそれは、しかしもう見馴れたものなので、しのぶも特に取り繕わないまま薄く笑顔を向けた。
    「おはよう。今日は早いわね」
    「道、空いてたから。コーヒー、入ってる?」
    「入ってるけど、もう煮詰まっちゃってるかも知れないわ」
    「じゃあ入れ直すよ。しのぶさんも飲むでしょ?」
     そういいながら後藤はサーバーに溜まっていたコーヒーを手早く処理し、慣れた手つきでコーヒーメーカーをセットしていく。後藤の入れるコーヒーは少し濃い目で、 最近調子が悪い胃にはやや重いかもしれないが、今日のような寝不足の朝には丁度よい味に感じられることだろう。程なくして、ドリップされたコーヒーの香ばしい香りが部屋に満ちてきた。
     その匂いを嗅ぐだけで、意識がくっきりとしてきた気がする。
    「今日、何時出だったの、結局」
    「六時前には現場よ、でも、七時過ぎには全部収拾出来ていたから、激務ってほどでもないわね」
     昨晩仮眠から叩き起こされたことを思い出すと、去りつつあったあくびがまた戻ってきそうになる。凶悪事件に見舞われてはいない東京だが、小さな事件は元旦からひっきりなしだ。
     長引く不況もあるのだろう、レイバーによるATM強盗事件は師走から増え始め、年を越した今も一向に減る気配が見えない。足で扉を蹴破りアームで機械を掴み、えっちらおっちら逃げていくレイバーの姿が珍しくなくなる前にどうにか手を打つことが、警視庁と特車二課の当面の課題だった。
     今日も第一小隊が一台の逃走レイバーを捕まえてきたばかりだ。
    「今のところ、うちに敵う性能を持ったものが市場に出回ってないから、ぎりぎり抑えられている、っていう感は否めないのだけど」
    「まあ、軍用でも出てこない限り、なんとかなると思うよ。前みたいにアスカとパイソンでまわしてるわけじゃないし、ピースメーカーはもちろんイングラムもそのへんのレイバーに比べればすごいもんだしさ。ミルクいる?」
    「頂くわ、ありがとう」
     手渡されたマグカップからはじっくりと炒られた豆のいい香りがして、しのぶは満足げにため息をついた。朝からインスタントではないコーヒーを味わうというのは、なかなかに贅沢だ。
     入れたポーションが描く白い渦を眺めながら、しのぶは今日の予定に思いを馳せた。会議などの予定もなく、溜まりがちの書類をまとめて決済するには丁度よい日だ、今のところは。今朝の出動が今日最後の大仕事だったらいいのに、と、先ほどの夢物語の続きを思い浮かべながらコーヒーに口をつければ、飲みなれているものよりも、幾分薄めの味がした。
     さりげなく目の前の男を見ると、視線に気が付いたのか、またさわやかからはほど遠い笑みを見せてくる。しのぶは刹那何かふさわしい言葉を捜したが、結局、別の話題を口にした。
    「ねえ、後藤さん」
    「なに?」
    「例のあれ、どうなってるかわかる?」
    「ああ、あれね。一応ああいう風にしてみたけど」
    「あら、そうなの。あのまま言ったらどうしようかと思ってたんだけど、そうなったのなら大丈夫ね」
    「そうでしょ?」
    「でも、もう一押ししたほうが、本当はいいのかもしれないけど」
     自分のそんな物言いに、しのぶは内心苦笑した。普段思っている以上に目の前の男から影響を受けていることを改めて実感してしまったのだ。後藤はそんなしのぶの内面を知ってか知らずかただにやりと口を上げて見せて、
    「まあ、そこも大丈夫だと思うよ」
    「……全く。さすが後藤さんですこと」
    「でしょ」
     しれっという後藤にしのぶはわざとらしく息を吐いて見せた。複雑ながらも色々なことを含めて了承した、というサインだ。こんなしぐさを身に付けたのも思えばここに来てからで、少し前の自分からは考えられないことだとしのぶは思う。
     まあ後藤のことだから必要以上に手を回していることはないだろう。自分の同僚がその辺りの塩梅をわきまえていることは、しのぶが恐らく誰よりも知っている。
     しばらくは互いに言葉も発しないまま、秒針の音だけがのんびりと部屋に響く。コーヒーもあと一口程度となったたりで、今度は後藤がしのぶに声を掛けた。
    「そういえばさ、あれはどんな感じ?」
    「あれね、まあ今年は波乱もなく終わるんじゃないかしら」
    「そっちのほうは決まってるの?」
    「大筋はね。本来は毎年同じことの繰り返しなんだからそれほどややこしいこともないし、今年は向こうからの打診もないし、さらにこちらからあれだけ念押しをした以上、さすがにもうあんなことしないでしょう」
     ああ、と後藤が遠い目をして頷いた。
    「去年でさすがに懲りたんだろうね。うちとしてはありがたいことだよ」
    「去年は本当にお疲れだったものね」
    「ほんと、あれは疲れたよなあ」
     思い起こされていくうちに本当に疲れが襲ってきたのか、後藤がぐったりと肩を落としたところで、扉をノックする音が聞こえた。
    「どうぞー」
     後藤がのんびりと応対すると、五味丘が「失礼します」と入ってくる。いつも通り後藤に几帳面に頭を下げた後、 いつも通りすぐに話に入ると思いきや、今日に限ってわずかの間だけ逡巡するような顔を見せた。闊達な彼にしては珍しいことで、しのぶはなにか重要な案件でも持ち上がったのだろうか、と心持居住まいを正す。が、五味丘はすぐにいつもの顔に戻り、
    「隊長。あの、例の件ですが」
    「例の件?」
     そう聞き返すと、五味丘はなぜか小さく息を飲み、それから、一瞬遅れて口を開いた。
    「――年頭視閲式の件ですが」
    「ああ、今年は一号機を出すことになってるわね」
    「はい、それなのですが、結城が去年のようにキャリーから起こすことはあるのか、と知りたがってまして」
    「それはないはずだわ。先ほど後藤隊長とも話していたのだけど、今年は例年通りと通達があったから」
    「了解しました。ただ、去年と同じ内容になる可能性が少しでもあるなら二号機の方がいいのではないか、と結城が言ってきましたもので。なので」
    「確かに万が一に備えて、その辺りも考慮しておくに越したことはないわね。こちらからもう一度確認を取ります。あとのことはミーティングで――ご苦労様」
     しのぶがそう労うと、五味丘は礼儀正しく頭を下げ、部屋を辞す。ただ珍しいことに、そのとき、なぜかちらりと後藤の方を見た、ような感じがした。
     確かに部下の指摘通り、直前になって現場のことなど気にもかけないお偉いさんが見映えだけを気にして、去年と同じようにレイバーを曲に合わせてきっちり行進させてくれ、という指示を出さないとも限らない。その場合、一号機よりも器用さが勝る二号機の方が向いているのは確かだ。
     去年は主に形貌の観点から。まだ96式改で頑張っていた第一小隊ではなくイングラムを有する第二小隊が参列することになり、二課一の腕前である泉が満場一致で推挙され、晴れてイングラムで行進することになった。のだが、機械と人間の間にある体格差などといったことを全く考慮していない隊列に組み込まれた結果、野明の腕をもってしても言葉に表せないほどのの苦労を強いられた という経緯があるのだ。
     視閲式は毎年、当日の深夜から早朝にかけてだけ各隊が練習するという、ぶっつけ本番の見本のように行われているものだ。いくら素晴らしい腕前があるとしても、初参加する人間とレイバーにとってどれほど高いハードルだったことか、想像するまでもない。なので五味丘の心配ももっともなことである。
     それにしても、しのぶは内心首を傾げた。彼が最初に見せたあのとまどいは、全く関係ない別のところから来ているようにも思えるのだが。
     と、しのぶは、今度は目の前の同僚が、また珍しい表情を浮かべていることに気が付いた。
     笑っている、だけではない。
     本人は取り繕っているつもりなのかもしれないが、明らかに浮かれているのだ。先ほどまでそんな気配は微塵もなかったというのに。
    「どうしたの、突然?」
    「へ? なに?」
    「なんか突然明るくなってるけど、なにを思い出したの?」
    「え、そう? 別に思い出しちゃいないんだけどなあ」
     そうすっとぼけながらも、後藤は目に見えて上機嫌だ。その手のテンションを時折冗談のように使うことはあっても、それでも普段は余り表に出さない男にしては珍しい。
     きっかけはまったくもって推し量れないが、大方競馬か何かでいい目にあったことが突然思い起こされたのだろう。そう結論つけて書類に目を落としたのと同時に、後藤が席を立つ音がした。朝のミーティングにはまだ早い。つられて顔を上げたしのぶに、後藤はマグカップを上げてみせた。
    「もう一杯、飲む?」
    「あ、はい、ええ、頂くわ」
     差し出したマグカップを受け取った後藤は、足取り軽くコーヒーメーカーへと向かっていく。本人は意識していないのかもしれないが、それこそミュージカルスターがステップを踏んでいるような風情だ。なにがそんなに彼を浮揚させているのか、しのぶには皆目見当もつかなかった。
     あえて言うなら、天気が素晴らしいから、だろうか。
     そんな詮無いことを考えてつい窓を見れば、東京はまだ長閑にまどろんでいるように見えた。
     冬の空は、どこまでも薄く、高い。
     
     そんな他愛無い、しかし長くどこかに引っかかっている疑問を酒のつまみとして口にしたあと、しのぶの目に飛び込んできたのは、目を丸くして「本当にわからないの?」とだけ聞き返してきた環生の顔だった。
     気の向くままに山ねこ、八重桜、種子島紫、と芋焼酎を三杯空け、更に四杯目に頼んだ鬼火のお湯割りも半分以上減っている。向こうも同じようなペースで飲み進めていて、互いにいい酔っ払いだ。
     視閲式が無事終わったことからの開放感と、二人とも次の日と、しのぶはさらに翌日の午前中まで非番――なにごともなければ、という注釈付きだが――なことも手伝い、いつもより少しだけ多めに飲んでいる。
     新宿の片隅に門を構えた、ざわめきが心地良い飲み屋で、気心知れた友人同士が胸のうちを明かしあい、というシチュエーションも手伝って、何気なく先日の出来事をつまみ代わりに披露したのだが、そんな反応が返ってくるとは思いもよらなかった。
    「わかる、ってなにが?」
     そう聞き返すと、環生はさらに目を丸くした後、ふ、と楽しげに目を細めてしのぶを見た。泡盛の入った器をくるくると回しながら、赤く染まった目のふちを優しく下げて口の端をにっと上げてみせる。酔いも手伝って、友人の疑問をあからさまに楽しんでいるのだ。
    「相変わらずねー、しのぶは」
    「なによ、その思わせぶりな言葉。後藤さんがなんでそうなったのかさもわかってるみたいに」
    「判ってるわよ、そりゃ。中から見て判らないもの、っていうのは、外から見たら一目瞭然ってことが多いわけだし」
    「だったら、答え、教えてくれてもいいじゃないの」
    「だーめ。こういうことは自分で気付かなくちゃ。ああ、でもしのぶやっぱりかわいいわ、そういうところ」
     褒められているのか揶揄されているのか判らない、としのぶはちょっと拗ねたフリをしてみせた。
    「大年増の女性にいう台詞じゃないわよ」
    「あら、いくつになっても有効な形容詞だと思うけど。……そうね、あと件の後藤さんもなんか微笑ましいわね」
    「ほほえましい? 最も似合わない形容詞のひとつよ、あの人に」
     そういいながら残っていた煮穴子の蓮根蒸しを口に運ぶ。ほどよく火が通った合鴨も味がよく染みたぶり大根も、十二分の味だった。今日の店は環生が見つけてきたのだが、なかなかな選択だとしのぶは思う。グルメを自認してなくても、美味しいものは大抵の人を幸せにするものだ。
     ところで、しのぶ、と環生は楽しそうに聞いてきた。
    「ねえ、その後藤さん、今度こそ飲めないかしら?」
    「なんで。前から会いたがってるわね、そういえば」
    「そりゃ、一緒に飲んだら面白そうだもの、やっぱり。で、どうなの、実際のところ」
    「どう、ってなにが」
    「そりゃ色々と含めて」
     女子高生のような口調で尋ねてくる友人に、しのぶは軽く肩をすくめて見せた。
    「さあ。彼は振り回されることも多いけど、いい同僚だと思う。でも、あとはノーコメント。特筆するようなことは特にないわよ」
    「そうなの? 聞けば聞くほど、意思の疎通もばっりちじゃないの」
    「そうね、認めたくない気がするけど。でも、それはそれ、これはこれ。お互いのプライベートは尊重するものよ」
    「へえ。お互い、ねえ」
     楽しげにそう繰り返す環生に「ほんとになによさっきから」と返したときに、不意にポケットに入れていた携帯が震えた。途端、しのぶは気を引き締める。仕事先からだとしたら、それが示すことはほぼ一つだからだ。
    「――はい。後藤さんなにかあったの?」
     そう問いかけるしのぶを見ながら、環生は簡単に荷物をまとめた。治安に関わる仕事をしているもの同士、職場からの不意の電話が意味するところは良くわかっている。
     しかし、しのぶの顔からはすぐに深刻さが消えた。代わりに素の彼女の表情が表れて、で、どうしたの、と電話の相手に気安い声で呼びかける。
    「……ああ、あれ? あれならそこかあそこに入れたはずよ? ……そう、それでそっちのほうはそちらに。そうそう、そこ。ついでにあちらにはあれがあるから。 じゃあ、後藤さんも早く帰ってあったまって……、だって切れてるんでしょ。ほらやっぱり。……ええ、ありがとう。では明日、よろしくね」
     日本人の遺伝子に従って、見えない相手に向かい頭を下げながら電話を切ったしのぶは、「ごめんなさい」と友人に謝った。
    「いいのよ。用件は済んだ?」
    「ええ。簡単なことだったから。……で、なに」
     絵に描いたようにニヤニヤとしている環生の顔を見て、思わずそう問いかけると、環生は「別にー」と愉快そうに答えてくる。
    「本当、いい同僚に恵まれてるのねー、って、そう思ったわけよ」
    「なによ、突然。確かに、後藤さんは癖は強いし性格はひねくれてるし顔はとぼけてるし言うことは芝居がかったりもするし行動は謎が多いし考えてることもよく理解できないけど」
    「でも、それはそれ、これはこれ、なんでしょ?」
     温かく笑いながらそう返された言葉に、しのぶはなぜか顔が赤くなる。しかし、それには故意に気付かなかったことにして、焼酎を飲んでから、一言だけこう返した。

    「そうよ、――それはそれ、これはこれ」

    いずみのかな Link Message Mute
    2022/06/26 17:23:40

    それとこれとの相違性

    #パトレイバー #ごとしの
    心を以て心を伝えうる

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