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    プリン! プリン! プリン! 自由業というものは、主婦、授業が無い日の大学生と並んで平日昼の時間を文字通り自由に使える立場であろう。家事を片付けるもよし、外に行くもよし、そしてテレビを見るもよし。
     最近のワイドショーは局によって特色があり話題も豊富で、日本の安全保障を論じた次の瞬間に犬のためのカフェを紹介したりする。その落差こそが現代日本を象徴している、と皮肉めいた言い方も出来るが、つまりはターゲット層である主婦達の興味の幅は深くは無くてもとても広い、ということだ。
     ワイドショーを見るのは主婦だけ、とは勿論限らない。番組内でご意見を募ったら、それに呼応するは主婦と、そして大学生がとても多い。その他退職したお父さんやら仕事が非番だったフリーターやら多種多様な人々が自分の意見を送ってくることだろう。だから、ワイドショーを主婦以外の人間が見ていて、それを元に行動を起こしても、それは別に可笑しなことではないわけだ。当たり前だが。
     ましてや好奇心の固まりで、そのときたまたま締め切りがなく、しかも何かに対する実行力に優れた自由業があなたの友人だったとしたら、その日のワイドショーで一体何を報じているのか、少しだけ気を配ったほうがいいかもしれない。

     最初に断っておくが、その日の夜夕陽丘に現れた助教授殿は、学校での煩雑なる業務に加え、ちょっとばかりややこしいフィールドワークまで抱えていて、とても疲れていた。大阪府警から有栖に「今日そっちに行ってもいいか?」とお伺いを立てたのが午後10時、森下刑事から電話を受けた午後1時半からそれまでの間、口にしたものといえば缶コーヒーと栄養補助食品が一箱のみという有様で、しかも昼休み中に食事をし損なっていたことを考慮すれば、健全な成人男子の取るべきカロリー量に全く届かないことは火を見るよりも明らかであった。
    「うわ、昨日までの俺より悲惨やん」
     とソファでぐでん、と横になり、そのまま起き上がりそうもない火村に、有栖はそれはそれは、といわんばかりに声を掛ける。
    「締め切り前のお前より酷いんだとしたら、俺は今死の淵に瀕しているらしいな」
    「それは言い過ぎやろ。大体俺はカロリーメイト一箱で一日過ごすなんてことはしない」
    「そりゃそうだろう、腹が減っては戦は出来ぬ、ってタイプだからな、センセイは」
    「失敬な。俺かて筆が乗ってくると食事の概念すら忘れて没頭することもある」
    「ふん、俺はお前と違って食事の概念は忘れないさ。面倒だと思うことはあっても、最低限の生存本能はあるからな」
     こいつ死んでも口だけは直らないに違いない。ああいえばこういう友人に溜息をつきながら、有栖は温めに入れた珈琲をテーブルに置く。湯気が見えないそれをすすったあと、火村はようやく表情を緩めた。
    「生き返るな」
    「ああ、そういう顔しとる」
    「お前も」
    「ん、今日は存分に寝たからな」
     有栖は血色の良い顔で頷いた。珀友社からの依頼だった短編は、締め切りを一週間過ぎた昨日に根性で脱稿し、担当作家と余りにも連絡が取れなかったために、そのまた前日、ついに大阪まで乗り込んできてそのまま居間で待機していた片桐が超特急で東京へと運んでいった。彼を玄関で見送って、そのまま倒れるようにベットに入り、目が覚めたのが本日の午後三時。お陰で睡眠不足は解消したが、火村から電話が来たときも夢の中にいたために、本日のフィールドワークにはついていけなかった。しかし、明日は朝から火村に同行することになっている。
    「何時間寝たんだ、一体」
    「んー、二十時間は確実」
    「うらやましい限りだな、それは。ぐっすり長く眠れるのはまだ若い証拠らしいぜ」
    「まあ、君の場合は、長く寝ようにも猫に起こされるしな」
    「そうなんだよ。三匹で腹減ったって鳴くんだぜ、あれはなかなかにきつい」
     火村はふわぁぁぁー、と見ている方が気が抜けそうな欠伸をした。手振りつきだったこともあり、正しい欠伸の標本みたいだ。
    「で、食事どうする? 食べてきたか?」
    「いや、食べたら睡魔に襲われそうだったからあえて空腹で来たんだが、だからといってこの家に食べ物があるとは思えないな」
    「なにを言う、といいたいところだがそれについては反論できん」
     本日、有栖のとても遅い昼食兼やや早めの夕食は、前から気になっていたコンビニの新作弁当であった。火村が来る、と事前に分かっていればスーパーにでも買出しに行ったのだが、と思ったところでもう遅い。ちなみに新作弁当は期待以上でも期待以下でもない出来だった。
    「だったら今日はもう寝ちまうか」
    「なに言うとるんや、途中で腹減りすぎて絶対目ぇ覚ますで? いいわ、ひとっぱしりコンビニ行ってくる。明日の朝飯もないし、ちょっと気になるものもあるしな」
    「気になるもの? どうせ食べ物だろ」
    「ほっとけ。まあそのとおりだけど、なかなか面白そうなもんやったし」
    「面白そうな食べ物ね、なんかろくなもんじゃなさそうだな。まあ買出しだったら俺も行くか」
     よっこいしょ、とオヤジの証明のような掛け声で立ち上がった火村を、有栖はそっとソファに押し戻した。
    「君は休んどけ。見るからにへろへろやで? 友達の好意や、黙って受け取っとき」
    「大阪人のただほど怖いものはないけどな」
    「君なあ、人の好意を……」
    「嘘だよ、純粋に悪いと思っただけだ」
    「知っとる」
     二人は揃って小さく笑った。
    「悪いな、今度返すよ」
    「おう、期待しとるで。なんかリクエストあるか?」
    「胃に優しいもんがいいな。うどんとか」
    「分かった。じゃ、いい子で待っとれよ」
    「お前こそ迷子になるなよ」
    「なるかい」
     楽しそうにカラカラと笑いながら有栖は出て行った。それを見送った火村は予備電源が切れたように、ソファに沈み込んだのであった。


     目が覚めると同時に、火村の胃が声を上げて空腹を訴えた。
     カーテンの隙間から見える空は雲一つなく、大阪の天気は上々だ。
     体調は悪くない。昨夜、疲れ果てて着の身着のままで眠り込んでいた自分を、買出しから帰って来た有栖が遠慮なく叩き起こし、冷凍きつねうどんを振舞ってくれたからだ。それを半分眠ったままの状態で食し、八割方の意識を飛ばしたままシャワーを借りたまでは辛うじて記憶が残っていた。恐らくそのあとばったりと眠り込んだのだろう。食欲を満たし、入浴により多少の疲労も取ったからか眠りは深く、昨日感じていた鈍さはどこかへと消えていた。
     これは有栖に感謝せねばなるまい。火村はまだ寝室の向こうにいるであろう友人に、心の中で深く頭を垂れた。実際に有栖に表す謝意はその半分程だ。我ながら捻くれているとは思うが、有栖も自分に対して同じようなものだし、なにより今日から心を入れ替えたところで気味悪がるに決まっているので特に変えるつもりはない。
     ぐーっ、と思い切り伸びをして、火村は勢いよくカーテンを開けた。
     現在時刻は朝七時過ぎ。宵っ張りの癖がついている作家先生にはまだまだ早い時間だ。現場には九時半頃に入ればいいから、あと小一時間は彼を寝かせて置けるだろう。
     とりあえずシャワーを借りてから、朝飯でも作ろうか、と台所にふらりと入った火村は、炊飯ジャーの電源が入っていることを確認した。
     確か昨日、飯は炊いていなかったはずだが、と火村はぼんやりとした記憶をしばし辿る。同時に観察者としての癖で無意識に周りを見渡せば、シンクの横に置いてあるレトルトカレーのパッケージが目に入って断片的にだが何があったかを思い出した。
     昨日火村の夕飯を仕入れにいった有栖は、自分も小腹が空いたから、とレトルトカレーと白飯をいっしょに買ってきたのだ。なんでカレーなのかといえば、先日テレビでフードコート特集を見て以来、食べたくてしょうがなかったとのことだった。
    「このカレーも、そのコートに入ってるカレー屋のレシピなんやて。ほら、ご当地名産桜肉カレー」
     と言いながら、うどんを啜る火村の前でもごもご口を動かしていたものだ。食べることは好きだがグルメではない火村にはわからないありがたみである。話のついでに「で、味はどうだ?」と聞いてみたら「カレーの味がする」と禅問答のような答えが返ってきた。
     他にもそのフードコートとやらについてあれこれ話した記憶があるのだが、カレー以外のものはとても曖昧である。頭に去来する単語はラーメンやらプリンやらロシンアルーレットやら餃子やらといった脈絡のないものばかりだ。
     ――ロシアンルーレット?
     まだ随分と殺伐とした単語が浮かんできたものだ。しかしどういった流れで出てきたのかは全く思い出せない。フィールドワークがらみの話題で出てきたのか、とも思ったが、今の事件にはロシアンルーレット的要素は全く絡んでこないから、その線はないだろう。すると有栖が口にしたと推測出来るが、しかしそこから先はさっぱりわからない。
     しかし夕べの話題から見てやっかいな話に絡んだものではないだろう。次の小説のアイデアかなにかに違いない。火村はそこで思考を止めて、勝手知ったるとばかりに風呂を借りるべく洗面所へと向かっていった。

     手早くシャワーを浴びて体を拭きながら出て行くと、殊勝なことに有栖が既に起きていた。行儀悪くパックから直接牛乳を飲みながら、火村に目だけで朝の挨拶をしてくる。
    「衛生面から考えても進められないぞ」
    「その場合犠牲になるのは俺だけやから、別にいいやん」
    「そして看病に担ぎ出されるのは十中八九俺なんだから、少しは気を使え」
    「ならそのときはお前のことは出来る限り頼らんようにするわ」
    「ほう、出来るものならやってみろ」
    どっちにしても看病に来るのは確かなんだけどな、と心の中で呟きながら、火村は冷蔵庫を覗き込む。
    「朝飯なにがいい?」
    「ん? 昨日買って来た米が余っとるから、おかずになりそうなもの適当に並べればええよ。確か梅干とごはんですよはあった」
    「味噌汁とかはいらないか?」
    「俺はいらん」
    「そうか」
     冷蔵庫の中には有栖の言った通り梅干と海苔の佃煮、それに味付け海苔とちりめんが入っていた。佃煮はともかく、他は賞味期限を深く気にしなくていいことがありがたい。棚の方には卵が五つ。何故か右端に二つ、反対側に残りと分けてあるが、恐らくは古いものと混ざらないように分けているのだろう。
     それらを出している間に有栖は有栖で常備してあるらしいふりかけを出してきた。ごま塩とのりたまとたらこが入っている寸胴のものだ。どの家でもそうであるように、ごま塩は極端に多くのりたまは順調に消費されているようだった。
    「今日何時に出るんやっけ」
    「九時前でギリギリだな」
    「なら、ちゃっちゃと食べるか」
     ジャーの中のご飯を半分ずつよそりながら有栖がいう。火村は「そうだな」と答えながら冷蔵庫から卵を出した。
     それを見て有栖があからさまに顔をゆがめる。
    「げ、生たま飯するつもりか」
    「お前にこのうまさがわからないのが残念だよ」
     さらに納豆を加えれば栄養面からも完璧に近い朝飯となるのだが、それをやったら暫くはこのマンションに出入り出来なくなるから止めておく。少し大目の醤油を入れて、勢い良く掻き込むのが火村は好きなのだ。
    「俺はそんなもんをうまいと言い切る感性が理解出来ん。蓼喰う虫も好き好きやな。……あ」
    「なんだよ」
    「君、その卵……っ」
    「卵がなんだ?」
     火村はそれを軽く振って見せてから、勢いも良く茶碗に叩きつける。
     しかし見るのもいやなのか、と思いながらも有栖の制止を聞く間もなく、器用に卵をご飯の上に割りいれた。

     ボタ。

     普通、卵はボタ、とは落ちない。

    「……あぁっ、やっぱりー!!」

     有栖が堪らず悲鳴をあげる。
     等の本人といえば、出てきたものを見て固まっていた。
     ご飯茶碗の中、白米の上に乗っかっているのは照りのあるクリーム色の物体。少し柔らかいらしく、一部が崩壊しているが形状はほぼ卵型だ。
    「……おい、なんだこれ」
    「……君、この卵右側のか? 左側のか?」
    「は? ……確か右側のだ」
    「うわ、間違いないわ」
    「で、なんなんだ、これは」

    「……プリンや」

    「へ? プリンってあのプリンか?」
    「そう、今話題の卵プリン。卵を割ればあら不思議、しかしその製法は企業秘密。見た目のインパクトもさるものながら味も保証付き。ワイドショーで見たんですが面白いものがあるですね、って前電話で話したら、片桐さんが差し入れに、って」
    「差し入れか」
    「……そうや。って昨日言ったやないか。こんなんが手に入ったからロシアンルーレットでもしようって」
    「ろしあん……」
     ロシアンルーレットの出所は判明したが、それに付随していた会話は全く思い出せない。
    「まあ君、昨日呆けてたしな。覚えてないのも無理な……、ぷっ」
     有栖はそこで言葉を切った。正確に言えば吹き出したのだ。
    「なんだお前」
    「い、いやすまん。でも、ご飯の上にプリンやで? しかも真ん中にでん、と。こんなシュールな場面そう滅多にお目にかかれんと思ったら……、駄目や、我慢出来ん」
     次の瞬間、有栖は大声で笑い始めた。「わはは……やて、……なんか新喜劇のコントみたいやんか……、なんかそれでなければ、悪食バンザイ、とかそんなん? なんていうのかな……ベタってゆうか」
    「……お前、笑うか話すかどちらかにしろ」
    「まあ、……ロシアンルーレットで負けたのは火村やってことで、結局計画どおりなわけで……くくく」
    「計画?」
    「それよりも、この飯どうするんや」
     急に現実が話題になって、火村はぐっ、と声を詰らせた。
     どうしようもなにも、プリン丼を食べるつもりは一切ない。
    「現場までに調達するさ」
    「なんや、食べ物を無駄にする気か」
    「もうなってるだろ」
    「まだ判らんで。ほら、醤油」
    「……アリス」
     火村は思い切り目の前の友人を睨みつけた。こいつ人の不幸と思って思い切り楽しんでやがる。いや、立場が逆だったら同じような反応をしていただろうが。
     今のままでは「せっかくや試してみ」とか言いながら醤油を掛けて来そうな勢いの有栖から、火村は茶碗を出来るだけ遠ざけた。
    「なんで? うに丼になるかもしれんのに」
    「掛けてもいい、プリンに醤油が掛かった味しかしない」
    「ならどうするんや。本当に無駄にする気か?」
    「――別々に食べるしかないだろ」
     火村はとりあえず上に乗っているプリンを、箸で器用にひとかけ掬った。
    「で、どうや」
    「プリンとしては美味い」
     控えめな甘さと口一杯に広がるカスタードの香りが絶妙に組み合わさったそれは、とても美味しかった。
     ただ、ご飯のおかずとしては最低だ。
     せめてこれが卵豆腐だったらまだ救われるのに。そんなどうにもならないことを考えながら火村はプリンを食べていった。プリン自体は大方片付いたのだがやはり細かいものはご飯の間に挟まっていて、その風情がまたこの切ない気持ちを増長させてくれる。
     意を決してその部分を食べてみると、予想通りの味がした。
     切ない、本当にしみじみと。
     その間も有栖は日頃の行いだ、と火村をからかったり、逆に「死にはせんから」と見当違いに励ましたりしながら、のりまたの消費にいそがしい。
     窓の外から見える大阪の空は今日も快晴。
     ――そんなもんくそくらえだ。
     心の中で意味もなく悪態を付いて少しだけ気を晴らしてから、火村は大きくため息をついた。

     

       *         *         *

     

     夕方から広がりだした雲は、いまや空全体を覆っていた。雨にはならないというが、厚く垂れこめた雲はどこか気分を憂鬱とさせる。
     有栖はパソコンの前で大きく伸びをしながら、明日には晴れるだろうか、と窓の向こうを見上げていた。
     地方紙から突然舞い込んだエッセイの仕事は粗方片付いている。急な話ときつきつなスケジュールには戸惑ったが、なんとか今日中に脱稿出来るだろう。
     明日は、火村の助手として同行することになっている。この仕事が舞い込んでこなかったら今日の午後、電話が来たときに一緒に神戸へと向かっていただろう。
     そういえば彼と会うのは、先日フィールドワークに同行して以来だ。
     有栖はそれと同時に、十日前火村を襲った不運を同時に思い出して、思わずまた笑ってしまった。あのあと火村は一日中不機嫌で(当たり前といえば当たり前だ)、事件が解決するとその足で京都へと帰っていったのだ。多分ここに来たら、また火村曰く「日本人としてのアイデンティティを破壊されたような味」を思い出しそうで怖かったのだろう。
     まずいもののパワーの真の恐ろしさは、その持続性にある。
     食べてその場で終わるまずさならまだいい。真に舌に合わないものは、後々までその記憶が舌にはっきりと蘇ってくるものなのだ。
     有栖もそのようなトラウマを抱えているので良くわかる。火村も早くその味を忘れられればいい。
     しかし、それとはべつのところで、どうしても笑ってしまうのだ。シュールというものがもつ力は恐ろしい。
     うだうだと考えながらまた作業に戻ろうとしたところで、玄関のベルが鳴らされた。
    「はーい」
     聞こえないと判っていても習性で返事をしながら、有栖は文章を保存し、パソコンを閉じた。時刻は午後九時過ぎ。夕方から集中して書いていたから気に留めなかったが、昼から何も食べていない。彼も食べていないなら、これから遅い夕飯を求めて外出してもいいだろう。
     ドアを開けるといつものごとくよれよれの白いジャケットを着こなした火村が、「よっ」と言いながら冷たい空気とともに部屋に入り込んできた。
    「やっぱ暖房が効いてる部屋っていうのはいいな」
    「現場、外なんか?」
    「外どころか吹きさらしだぜ。明日は相当着込んで行ったほうがいい」
    「うわー、それ辛そうやな。お疲れさん」
    「ああ、全くだよ。珈琲をもらえるか?」
     そう言いながら火村は有栖に一つの紙袋を差し出した。
    「これは宿代と急な仕事でアイデアをひねり出すのにてんてこ舞いな作家先生に」
    「てんてこ舞いとはなんや。それにもう終わる」
    「お前の終わるは当てにならねえからな」
    「失礼な。それに今回は本当やって」
    「今回は、ね。判ってるじゃねえか」
     本当に毎度ながら口が減らない、と自分のことは棚に上げて。有栖は袋を覗き込んだ。
    「……プリンやな?」
    「ああ、今日帰り三宮で見かけてな」
     中には四角いアルミの型に入ったプリンがふたつ、入っていた。滑らかな表面が「さあ食べて」といっているように思える。
     どうやら火村はプリンのトラウマを克服したらしい。結構なことだ。
    「じゃあ、冷蔵庫入れとくわ。ありがとな。で、飯はどうする」
    「今日は大して食べてないんだ。だからしっかりと食べれるとことがいい」
    「またか? もうちょっと労わらんと、そのうち倒れるで」
    「お前が思っている以上にタフさ。じゃ、珈琲は後にして出るか」
     火村は脱ぎかけていたコートをもう一度身につけると玄関に向かう。有栖もそれを追いながら、今日は食後のデザートまであるしな、と考えていた。

     近所の遅くまで開いているとんかつ屋で、二人ともロース定食を腹に収めて改めてマンションに帰って来たころには、時計の針は一時間ほど進んでいた。
     自分と火村のために珈琲を入れるべく台所にたった有栖を横目に、火村はまず居間に行きテレビをつける。
    「マスコミ沙汰になるほどの事件なのか?」
    「遠巻きにカメラが何台かいたんだ。ひょっとしたらなにか映してるかもしれないだろ」
     画面の向こうには一日に一回は原稿を噛む女性アナウンサーが、真剣な面持ちで東京で起こった連続コンビニ強盗を報じている。犯人グループは何発か発砲したらしい。安全大国なんて看板にあぐらをかいているうちに、この国も随分と物騒になったものだ。
     次に霞ヶ関を舞台にした汚職疑惑の話題となったあたりで、やかんが湯が沸いたことを甲高い音で知らせてきた。
    「ミルク持ってくるか?」
    「ブラックでいい。しかし胃に凭れるもんだな。ヒレにしとけばよかった」
    「先生、それは年を取った証拠やな」
     今日はたまたまだという抗弁をはいはいと聞き流しながら有栖は席を立った。二人分の珈琲を入れ、さらに冷蔵庫を開ける。
     アルミの器に入っているものだが、せっかくだからとそれを皿に載せてもっていった。男二人別に飾り立てる必要もないだろうが、こういうものは気分である。しかも火村の買って来たプリンは結構高級な雰囲気をもっていた。ちょっと格式ばって食べるぐらいが丁度良い感じがしたのだ。
    「ほれ」
    「お、サンキュー」
    「あと君の土産も食べてまおう思うんやけど、食べるやろ?」
    「ああ。それとも独り占めしておいて、後で修羅場の供にとでも思ったか?」
    「んー、修羅場ん時にはそんな余裕ないしな」
     言いながら席につくと、火村がちらりと有栖のほうをみてから珈琲を口にした。そのとき見せた目の光に有栖はちょっと引っかかる。
    「あち」
    「やろうな。俺には丁度ええ」
    「ところで、この前の卵なんだが」
     有栖は珈琲をテーブルに戻して火村を見た。
    「……なんや」
    「本当に偶然なんだが、先日片桐さんから連絡があってな」
    「なんでや」
    「ちょっと前、締め切り前に逃走を謀った売れない推理作家の居場所を訊ねてきたことがあってな、今回はその詫びだそうだ」
    「……それは悪かった」
    「片桐さんに言え」
    「今度もう一回詫びを入れてくるわ。今回かなりてんぱっててな、ほんま片桐さんにも迷惑掛けてもうたなあ」
    「反省は確実に次に生かせよ、全く片桐氏の胃の調子を考えると心底同情するね」
    「本当、心底反省しとるんや。で、この話はそれだけか。どうせまた口説かれたんやろ」
     片桐はもう相当前から火村になにかを書かせようとあれやこれやと手を打っているのだ。
    「それもあるけどそれはお前には関係ないだろ。それよりもだ、片桐さんがいうには『先日プリンを持っていた時には絶好調だって言われてたんですけどねえ。大体一ヶ月ほど前ですが』」
    「……」
    「片桐さんの差し入れにしちゃ、鮮度は大変良かったよなあ」
     口調を真似しながら静かに笑う火村に有栖は少しだけだが戦慄を覚えた。
     彼はまだ、トラウマを乗り越えられてないらしい。これはちょっとヤバい、かもしれない。
    「……君が来る前に用事があって梅田に出て、そのとき阪神の地下で買ったんや。ほら、君甘いもの好きやろ」
    「確か俺がここに来る、と連絡を入れたときには、阪神は閉まってる時間だと思ったが」
    「いや、ふと最近会っとらん親友殿の顔が浮かんでな、なら土産持参で京都にでもいこうかなー、なんて」
    「じゃ、なんで片桐さんからの差し入れだなんていったんだよ」
    「言っとらん」
    「言ったね。少なくとも肯定はしただろ。お前、なにかしょうもないこと企んでただろ」
    「そ、そんなことはない」
     せいぜい『目玉焼きロシアンルーレット』とかそんなことを考えていただけで。
    「へえ、じゃあわざわざパッケージから出して普通の卵と並べて置いておいた意図とやらを教えて貰おうじゃねえか」
    「……ちょっとは企んでました」
     ギロリと睨まれて、有栖はあっけなく白旗を揚げた。
     片桐から貰ったあの変り種プリンが阪神デパートで取り扱っている、とテレビで見たのが締め切り明けのあの日。梅田に本当に用事があったのと、締め切り明けのハイな気持ちが重なって、火村にも食べさせようと購入してあったこと、そしてその友人から電話を貰った途端に、ちょっとだけ火村にいたずらを仕掛けられるかも、と思ってしまったのだ。
    「で、でもご飯の上にとか、そんな非道なことは想定してなかったんや、って……」
    「そうか。判った」
     余りの物分りのよさに、逆に怖くなった有栖がそっと相手の様子を窺うと、――口調通り落ち着いた様子の火村がそこにいた。少なくとも目は怒ってない。
    「そうかって、ほんまに?」
    「嘘ついてどうするよ。ただはっきりさせておきたかっただけだ」
     そうはっきり言い切られると、本当に他に他意がないようにも思える。しかし本当に裏はないのだろうか、と訝っているうちに、当の火村は「そろそろ飲めそうだな」とのんびり珈琲を飲んだりしている。
     どうやら本当に気にしていないようだ。ようやっと人心地ついた有栖はとりあえず、、湯気が消えて久しい珈琲を口にした。
    「じゃあ、とりあえずプリンでもいただくかな。温くなってそうやけど」
    「夏場じゃないんだから、平気だろ」
    「せやな」
     それではいただきます、と手を合わせてからいそいそと皿を持ち上げる。そしてプリンを掬って――、
    「なんや君、食べんのか?」
    「いや、食べるさ」
     火村はなぜかにやにやしながら有栖のことを見ていた。目の奥にある光は先ほどと同じだ。怒っている、ではなく、観察している。いや、楽しんでいる。そんな印象を受ける。
     まあどんな光りが宿ってようが、見詰められるのはぞっとしない。
    「……なんや、気持ち悪いな」
    「いや、やっぱ差し入れに対して人がどういう反応するかっていうのは楽しいだろ?」
    「じゃ、そういうことにしとくわ。ではあらためて」
     と掬っていた中身を口に運んだとき思ったのだ。

     なんでこのプリン、買ってきたばかりなのに妙に粘ってるように見えるな、と――。

    「…………うぎゃああああー-----!」
    「もうすぐ深夜だぜ、アリス」

    「き、きみ、きみ、こ、これ、この、なかにはいってる、ちゃいろいまめまめしいやつはい、いったい」
    「片桐さんがそのとき教えてくれたんだけどな、件の番組じゃ山のように変り種プリンを紹介してたそうじゃねえか。ただでかいのやら鍋焼き風やら大福やら。有栖川さんが細かく教えてくれましてねえ、ってな。そこで紹介してたって言ってたぜ、これ」
    「だ、だからって、関西人に腐った豆を食わせてええと思ってるのか!」
    「わかんねえんだよな、納豆は腐ったっていってチーズやヨーグルトは平気なあたりが。それに納豆は総合栄養食なんだぜ?」
    「総合だろうがなんだろうが、納豆なんて人間の食う物やないやないか!」
    「へぇ、関東人には立派な食べ物だね。……なら、食べ物を無駄にするのか?」
     にやりと笑って聞かれ、有栖は思わず言葉に詰った。
     そうだこいつは火村なのだ。根に持ってないわけないのだ。なんでそのことをまず念頭に置いておかなかったのか――。
     思わず頭を抱えた有栖は。ふと火村の前の皿を見た。
     買ってきたプリンは二つ。
     目の前に置かれたそれを火村は、「しかしそんなにまずいもんなのか?」となんのてらいもなく口にする。
    「んー、キャラメル味で悪くないと思うが。まあ話のネタだな」
     自分の分の納豆プリンをいそいそと食べる火村を、有栖はついつい見てしまう。
     そう、プリンは初めから二つあった。
    「……アリス、そんなに駄目なら……」
    「――食う」
     こいつはこうだから判りにくいのだ。
     さっきは十何年ぶりに納豆を口にしてしまった(ちなみにこの前口にしたのは、大学の時にサークルの罰ゲームで科せられた一パック一気食いという苦行であった)というショックから大して味わってもいないのだが、今度はプリンということだけを意識して口に運んでみる。
    「で、どうだ」
    「そんなに、まずくない」
     納豆だけど。
    「そうか、それはよかった」
    「うん」
     これでこの豆が克服できるわけはないのだけれど。

     そんなわけで、あなたの友人が頭の回転が速くちょっと意地が悪くて、情報主集能力に長けているようだったら、いたずらをしたときには、そのあとの用心をしたほうがいいのかもしれない。

    「で、最後まで食べてどうだ?」
    「……やっぱり納豆は好かん」
     有栖が苦々しくそう言うと、火村は「ブラックでいいだろ?」と笑いながら席を立った。

     結局、お互いに許せる範囲内で物事は動いていくのである。
    いずみのかな Link Message Mute
    2022/06/26 17:28:05

    プリン! プリン! プリン!

    #有栖川有栖 #作家編
    健全コメディ おやつにプリン(プリン)

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