星詠君④-3 大アルカナたちの寸劇 我が輩は猫である。猫としての名前はまだない。なぁんて、嘘。南の優しいお医者さん先生のフィガロ先生だよ。
なんで猫なのかって?それはね。さっきまで魔法舎の屋上でなかなか面白いゲームをやっていてね。観客になるには、猫になる必要があったからさ。ムルについでに頼んだら、戻れなくなっちゃって。それで、魔法舎のバーのカウンター席に座るファウストにだっこされてるわけ。
うらやましい?そうだね。なかなかに居心地はいいよ。
ムルのやつ、自分は猫になっても言葉をしゃべっていたのに、俺は声を発してもにゃーという鳴き声しかでないんだよ。ひどいと思わない?
え?屋上でなにがあったのか教えてほしいの?え~?どうしようかな。優しいフィガロ先生、お願いって言ってみて?そうしたら教えてあげたくなっちゃうかも。
「このバーは、ヒト専用ですよ。・・・・・・と言ったらどうします?」
シャイロックがにっこり俺に微笑んだ。
こんなにかわいい猫ちゃんなんだから、もうちょっとかわいがってくれてもいいのにね。
かわりにファウストが背中をなでてくれる。うん。気持ちいいね、それ。うっかりねちゃいそう。猫だけに。
「これの相手をしなくても問題ないよ、シャイロック。頼みがあるんだけどいいだろうか。・・・・・・あぁ、その前にいたずらをしよう」
「ファウストがいたずらを? さて、・・・・・・っ!」
楽しそうに言葉を続けようとしたシャイロックの左胸に、突然、炎が灯った。シャイロックの《大いなる厄災》の傷、シャイロックの心臓が燃えだしたからだ。うわぁ、痛そうだな。まぁ、綺麗なんだけどね。凄絶味があってさ。
一方のファウストは平静を保ったまま、ケープの内側からハート型の赤い宝石を取り出して、シャイロックの心臓を燃やす炎をかすめ、魔法で引き寄せた小さなフライパンの上に宝石を転がした。
手品のように、シャイロックの炎は消えて、フライパンの上の宝石が燃えている。
「・・・・・・これは?」
残念なことに、美しくゆがめられていた顔をいつものすました顔に戻して、興味深げにシャイロックがファウストに尋ねた。
薄暗いバーの中でケープを羽織り黒い帽子にサングラスをしていたら、いくらなんでもファウストの表情は下からでもまったくわからない。さっきの平静を保って、というのも、雰囲気の話だ。
「ファウスト。二人きりの時は?」
シャイロックも同じように思ったらしい。やれやれと腰に手を当てて、あきれた様子でファウストに問いかけた。
「・・・・・・あぁ。すまない」
そんなシャイロックの言葉に、あっさりファウストが帽子とサングラスを取り、羽織っていたケープを空いている席にたたんで置く。
え?うそ。俺だって、かなり、あの3点セットを取り除くには苦労するのに。ずるいよ、ファウスト。・・・・・・と、文句を言っても、にゃーという声しかでないんだけどね。
俺の鳴き声に反応して、優しい表情でファウストが絶妙な案配で俺をなでてくる。そうじゃないってば。
「ふふ。それで、いたずらというのはこれですか?」
シャイロックが、いつの間にか手にしたキセルで、コンコンとフライパンのふちを叩いた。つられたようにファウストも上品に笑う。二人が笑うとさながらお花畑だ。
「そうなんだ。僕が用意したのはトランプだったんだが、ムルがね。なぜか大アルカナを横に置いて、カインがこっちも引いていいのかって聞くからいいよって言ったら、これだよ」
ファウストがかわいく笑いながら、ケープからムルから預かっているカードの束を取り出して、5枚不規則に並べた。
《女帝》、その上に《節制》、その上に《運命の輪》。その横に、《星》、《隠者》といった具合に。
「今夜の配役だよ。《運命の輪》がそのハート型の大きな人工ルビーを《女帝》に渡しながら、《星》に言ったんだ。この配役なら、《節制》に灯った炎を、《星》がこれにかすめ取ることができるかもしれないね、と。そうしたら、いろいろ手伝ってくれるかも?なんて言ってね。それを聞いた《女帝》が、《星》にこれを渡しながら言うんだ。なら、俺がもらっても意味ないだろう。《星》が届けてやれよ。じゃあ、舞手の手配を頼むな、と」
「おやまぁ、何を勝手になさっているのだか。そこで健気に丸まっている《隠者》の役割が気になるところですけれど、それで、カインは、トランプを何枚引いたんですか?」
健気な俺は2回鳴いてあげた。《隠者》のカードに割り振られた意味は分からないけど、猫の姿ではやれることなんてあんまりないしね。
「象徴としてわかりやすいからと言って、クローバーとスペードのエースを選んだよ。僕たちの中では舞踊と剣戟の象徴になる・・・・・・のかな?」
シャイロックは、僕たち・・・・・・と口の中で反芻して、にっこりとファウストに会釈をして笑いかけた。
「あなたが、かの星詠みの君ですか。まさしく《星》ですね。お初にお目にかかります」
シャイロックの言葉に、ファウストはきょとんとして、なんだかかわいらしく首を傾げた。
「星詠みの君?なんだそれ」
まぁ、あながち間違ってもいない。今日は星から何かを読み取っている素振りは見えなかったけれど、この子はたしかに星の声を聴くファウストだ。俺としては、実はいくつかあるファウストの人格の中でも中枢にいるんじゃないかと思っているけどどうだろうね。
「あぁ、今夜は星が綺麗に見えた。そうすると水面に映る星も鮮明なんじゃないかな。水面に映った星々は、星のすべてを映しているわけではないが、星ではないかと言えば、たしかに星の姿を映している。いつもよりはっきりとね」
「なるほど。そうですか。ところで、あなたのお願いに対してこのいたずらは、あなたが用意した報酬とは言えないのではないですか?」
さわり、と、軽くファウストが俺の背をなでた。
「・・・・・・シャイロックには、僕に具体的な要求がありそうだな」
そうですね、とシャイロックは華やかに微笑んで、ずい、と身を乗り出した。そして秘め事を明かすように囁いてくる。
「マダム・シャルロー、彼女の踊りが見たい」
聞いたことがあるようなないような名前だった。それでいて妙に懐かしい響きを持った名前だ。
「マダム・シャルロー。懐かしいな。彼女は西の、・・・・・・神酒の歓楽街で骨を埋めたのか。彼女からは、宮廷マナーをいろいろ教えて貰ったよ」
「おや。ダンスを伝授されたのではないのですか?」
あ。なんとなく思い出してきたかも。なんかもう色気のあるご婦人だった気がする。中央の国の結構大きな町の端っこにあった高級酒場でピアノを弾いていた。
ファウストはしっかり覚えているようで、思い出し笑いをしながら、ぽんぽんと俺を軽く叩いてくる。
「あぁ。田舎騎士に宮廷マナーを教えてやるから、僕らが馬鹿にしている酒場女のダンスを再現しろと持ちかけてきた。僕は、酒場で働く女性だからって馬鹿にしたつもりはなかったけど、部下たちが何か失礼をしたんだろうね。すごい剣幕だったよ」
「再現、できたのですか?」
興味津々の体で、シャイロックが尋ねた。
「宮廷マナーを教えて貰ったからね。まぁ、しかし、悪いがあれは、グランドピアノと弾き手がいないとできないな」
用意できるのかと暗にファウストが聞くと、上機嫌にシャイロックが応じる。
「私が、用意します。衣装もすべて。その、カインの方の衣装も手配しますよ。様式を教えてくださるのであれば、ですが」
呆れたようにファウストが嘆息した。
いや、俺も、あれは一見の価値ありだと思うな。一度しか見せて貰ったことはないけど、目線や指先の角度とかやたら細かい指定に辟易としているように見せて、実際に踊ったときは、シャーロットがピアノ椅子から立ち上がってスタンディングオベーションしたもん。あ。シャーロット・シャルローね。したたかで美人な、未亡人マダムだったよ。たしか。
「・・・・・・観客は認めない」
「弾き手と衣装係の2人では?」
「あなたは、本当に物好きだな。・・・・・・まぁ、いいだろう」
「ふふ。それでは、交渉成立ですね。ところで、依頼の儀式の見学をしても差し支えないでしょうか」
「鳥か何かに化けるのであれば、いいんじゃないか?」
なんだか、投げ遣りにファウストが言った。
・・・・・・あ。あれ?2人ってことは、俺、はいってないな。
「フィガロ様は、だめだからな」
うそ~。なんで?俺だってもう一度見たいよ。ファウスト~。
「にゃ~にゃ~言っても、何言ってるのかわからない」
絶対わかってるよね。絶対わかってるよね?
「はぁ。なんでこんなことに・・・・・・。また、レノに、借りを作ってしまうじゃないか」
ちょっと、待ってくれよ。ファウスト。俺の話を聞いて~。
ちなみに猫化の魔法は、次の日の昼ぐらいまで続いた。