星詠君⑤-1己に課された役目とは シャイロックはご満悦だった。
ファウストがいつかの礼にとつい先程まで魔法舎のバーで例のダンスを披露してくれたのだ。
例のダンスといっても過日の神聖な舞ではない。西の国で言うならば、一見さんお断り紹介制のバーラウンジで披露されるような色っぽい方のダンスショーである。
観客は衣装担当のクロエのみ。グランドピアノを玉突き台の替わりに設置して、シャイロックが弾いたつつましやかなものだったが、披露されたものはクロエが顔を真っ赤にして言葉を失うほど素晴らしいものだった。
それでいて3曲を踊りきったファウストに、きらきらした瞳で両手をそっと握り、また衣装を制作したら踊ってほしいとお願いして、ファウストを頷かせたのだから大したものである。もちろんシャイロックのピアノ演奏も絶賛しお願いするのも忘れない。クロエは、繊細な感性を持ちつつちゃっかりしている、とても可愛らしい西の魔法使いである。
そのクロエも創作意欲を刺激されたのか、シャイロックに丁寧に御礼を言って自室にこもってしまったので、今、シャイロックは店を閉めたまま、独り楽しい余韻に浸っていた。・・・・・・浸っていたかった。
「ねぇ。シャイロック、天命ってなんだと思う?」
この声はいつもシャイロックの気分を台無しにする。ムルの次に。
だからといって無碍にもできない。彼は長老格の魔法使いといっても差し支えない人物だ。・・・・・・まぁ、西の魔法使いとしては、無碍にしてもなんら困るわけでもないが。
「困った人。ですが、興味深い問いかけですね」
その大魔法使い、今は南の力の弱い魔法使いと名乗るフィガロが、いつもの矜持はどこへ行ったのか、随分と酒に酔った状態でバーの入り口に寄りかかってなんとか立っている。非常に珍しい状態と言えた。彼は、相手に自分がどう映っているのかをとても気にする人だから。
だからだろうか。
「あなたのために店を開けますよ。どうぞ。お掛けになって」
シャイロックは、フィガロを店の中に招き入れた。
「ありがとう。シャイロック」
だが、シャイロックが出すものは酒ではない。フィガロの生まれ故郷である北の国の地下水脈から削り取ってきたとっておきの氷と地下水である。
「うわ。おいしいね。さすが、シャイロック」
「でしょう? フィガロさまだから特別ですよ」
「うまいなぁ。きみは」
ふふ、と微笑んで、シャイロックはフィガロの次の行動を待った。
「俺はさぁ、アレクが中央の国の王になったのは天命だと思うんだよ。でもだからって、ファウストが俺の所に来たのは天命じゃないのかって言ったら、天命だったと思うんだよね」
二杯目も水にしようかと考えていたシャイロックは、フィガロの定番に切り替えてそっと差し出す。
「ありがと。ほらぁ、あるじゃん。それになるべき者が行動を起こすと奇跡のようなタイミングで次々に人や者や事が集まって、あっという間に昇り詰めちゃう。もう、本人がどうとかという問題じゃなくてさ。本人の意思がそこになくても絡め取られるかんじの見るも無惨なやつ」
「見るも無惨・・・・・・ですか」
フィガロは肩肘をついて、グラスをくりくりと傾けながらその様子をただ眺めている。
「ファウストの天命ってなんだろう」
フィガロは手の中にあるグラスを一気にあおった。かんっ、とテーブルに空になったグラスを置く。
「俺がファウストに天命を感じてすべてを教えたのは間違っちゃいない。でも、ファウストに対する中央の国の仕打ちはひどいじゃないか。アレクが生死を曖昧にしてファウストを中央の国から逃がしたのもわかる。俺でもそうする。アレクは死んでも中央の国から逃れることはできない。それが天命だから」
シャイロックにはただその独白を聞いた。
意味を考えると興味深い話だ。まるで国に意志があり、それに絡め取られたら逃れることができない。それが天命と言うものなのだとフィガロは言っているのか。それでは、フィガロがファウストに感じた天命とは何なのか。中央の国からファウストを逃がした、とはどういう意味なのか。ムルがここにいたらどういう反応をするだろう。
けれども、シャイロックがフィガロに問い返すことはしない。フィガロは客で、本来は門前払いするほど大変に酔った状態だ。ここで、この独白に茶々を入れるような真似は、シャイロックの矜持が許さなかった。
「ファウストは、なんにでも愛されちゃうからなぁ。困ったもんだよね。本人気づいてないし。あの子は、なんだろう・・・・・・。不思議。だってさ〜。アレクを王にすることがファウストの天命? 違うよね。もしかしたらアレクではなくてあの子が玉座に座ることもありえたんだよ。なんだかんだなんでもできちゃうんだよねぇ、あの子」
「・・・・・・それを逃がしたと、おっしゃられていましたね」
つい、口が滑った。ひやりと背筋が凍る。
「あれ? 俺、そんなこと言った? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。ごめん、シャイロック。あれ頂戴。ミチルには内緒で」
シャイロックは、ほっと息を付くとともに、相当キてるな、と思わず苦笑いした。
「かしこまりました」
差し出したのはいわゆる青汁というやつである。
シャイロックの特別製で、二日酔い症状などに覿面よく効くだめなおじさん向けのものなので、おじさんと思われたくないのか、フィガロは大抵ミチルには内緒で、と前置く代物だった。しかもバーで飲むには酔い覚ましがあっという間なので、無粋すぎるものでもあった。
「ファウストの先程のダンスはご覧になられました?」
その青汁を最後まで飲みきったのを見届けて、シャイロックが尋ねる。
「見るわけないじゃん。嫌われたくないもん。だからずっと飲んでたし。貰い物の酒だったけど結構おいしくってさぁ」
フィガロはグラスを抱えて突っ伏した。
「おや。私にはお裾分けしてくださらないんですか?」
「ごめ〜ん。飲んじゃった」
「おや、まぁ」
肩をすくめてみせるシャイロックに、ゆっくり頬杖をついて顔は伏せたままフィガロが問いかけた。
「あのダンスさ、あんなに際どいチラリズムの極致なのに、観客からは絶対下着とか局部は見えないんだって。シャイロックからは見えるの?」
ダンサーの相方となるピアノ奏者をこなしたシャイロックは、思い返す素振りを見せながらさらりと答えた。
「・・・・・・かなり」
「え。うそ。どんな下着付けて踊ってんの?! あの子」
がばっと起きあがったフィガロに、シャイロックはそれはそれは妖艶ににっこりと微笑みかけた。
「それは内緒です。どうです? フィガロさまもピアノを練習なさってみては?」
シャイロックだって、観客になりたい。それほどのものだったのだ。ファウストが再現したダンスは。
「えー・・・・・・。俺、弦楽器はそこそこやるけど、鍵盤叩くやつはいまいちなんだよね・・・・・・。大体さぁ、そこは独占したいって思うところじゃない? なんだったら、観客視点なら魔法でどうにかできるじゃない」
今度、息をのむのはシャイロックの方だった。
「フィガロさまに指摘されるとは・・・・・・」
「え。ちょっと、それってひど」
「フィガロ! お届け物〜」
と、その時、場違いな明るい声がバーの空間を一変させた。
ムルが亜麻色の長毛種の猫をぶらりとゆらしながら、フィガロに突進したのだ。
「え。なに」
思わず受け取り、赤子のように腕に抱いた途端、ムルはまた一直線に出口に向かって駆け抜けてしまった。
「・・・・・・どうしてこうなったの? ファウスト」
「にゃあん」
どこか眠そうに紫紺の瞳を瞬かせて、猫がぺしぺしとフィガロの手の甲を叩く。
「いや、きみの艶姿は見てないからね?」
「にゃぁう」
「本当に」
「みぅ」
どうやらムルに魔法で猫にされたのは気配で分かったが、それ以外はフィガロの言い分を信じたことぐらいしかわからなかった。
なんとなく惰性で猫姿のファウストの腹をフィガロがなでてやると、ファウストらしい猫は、半ばうとうとしながら無意識にフィガロの手の平を抱え込む。
「か〜わい」
うっとりと目を細めてフィガロが呟いた時だった。また、今度は幼い声が、バー全体にこだました。
「フィガロ先生! こんなところにいた! 僕、捜したんですよっ」
「うわ。今度はミチル?」
「おやおや。お迎えがいらしては、今日はここまでですね」
・・・・・・いつもならミチルがそのままフィガロの手を引いて、自室に戻って終いのはずではあった。
しかし、今夜は何かが違った。
何かしらの予感がシャイロックの胸を満たす。良くない気配がする。同時に刺激的でもあった。
ミチルの機嫌が悪かったのか。運悪くムルに猫の姿にされたファウストがフィガロの腕の中に収まっていたのが気配で分かったのか。シャイロックの余裕のある態度が癪に障ったのか。ミチルは可愛らしくぷりぷり怒る矛先をフィガロ以外に向けた。
「シャイロックさん。フィガロ先生は禁酒宣言をされたんですよ。どうしてお酒を飲ませちゃうんですか?」
「おや、そうですか。それは大変なことですね? フィガロ先生」
「あー・・・・・・。そうだっけ?」
「フィガロ先生! フィガロ先生がそんなだから、フィガロ先生やレノックスさんがファウストさんにひどく当たられるんですよ!?」
フィガロの腕の中にいる猫がぴくんと反応した。
「あー。いや、ファウストはちがう。ちょっとした誤解だよ」
「だって。フィガロ先生は悪くないじゃないですか。それなのにいつもファウストさんは・・・・・・」
その時、折り悪く、ぽんっと小気味の良い音がして、バーカウンターに腰掛ける形で、猫の姿からいつもの姿に戻ったファウストが現れた。どこか眠そうに小さくあくびをしてから、帽子とサングラスに隠れた顔をさらにうつむかせ、所在なげに足をぷらぷらと揺らす。
「え?! ファウストさん」
「ファウスト、誤解、誤解だから・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・。僕は、陰険で性格の悪い魔法使いだよ。ひきこもりだし」
いや、誰もそんなことは言っていない。その場にいた誰もがそう思った。
「僕が先生なんて本当に道理じゃない。ミチル、きみの言うとおり、図々しくも僕がきみの大切なフィガロ先生やレノックスさんに接するのはどうかと思う」
いや、ミチルはそんなことは言っていない。ファウスト以外の3人は心の中でつっこんだ。
「僕のような魔法使いは本来ここにいるべきではな・・・・・・」
「《インヴィーベル》」
シャイロックの囁くようなスペルが響くのと同時に、ファウストのいた場所に煙が現れ、ファウストの替わりに亜麻色の長毛種の猫がシャイロックの腕に収まった。
シャイロックはにこりと妖艶に微笑む。
「ファウストは寝ぼけていたようです。お開きにしましょう。お帰りください」
シャイロックが猫を腕に抱えたまま、フィガロとミチルに向かって慇懃無礼に会釈した。
「シャイロック」
「ファウストには私の夜伽をお願いしますので、渡しません」
「いや、でもさ。というか、シャイロック、こわいよ?」
「お帰りください」
けんもほろろなシャイロックの様子に、フィガロとミチルは退散するしかなかった。
案の定、その後一悶着あるのだが、それはまたの機会に語ることになるのだろう。
「本当に、仕様のない人たち」
南の魔法使いたちの後ろ姿を見送ってから、腕の中で再びうとうとしている猫に向かって、シャイロックは囁くように呟いた。
「あなたは、ほんとうに休み方を知らない。起きたらお説教ですよ、ファウスト。・・・・・・おやすみなさい」