狭間の夢の出来事 気づけば薄暗いところに立っていた。
なんとはなしに左右を見回すと、自分の背丈くらいの高さの、横に長い堤防のような台があり、その台の上に昇るための階段が目の前にあった。
ほかに進めるところもなさそうなのでとりあえず昇ってみる。
「そこで止まって」
あと一歩で台の上に乗る段階で男の声が聞こえた。
声のした右側に顔を向けると、ガス灯の傍らにあるベンチに灰色がかった青色の髪の男が興味深げにこちらをみている。
「・・・・・・・・・・・・」
「うん。声は出さない方がいい。なんでかきみの言いたいことはわかるからさ」
そう言いながら、彼は左側を指さした。
階段を中心として左側をみると、薄暗闇の中にフードを目深くかぶった3人の女性の姿がある。
「声を出してはいけない。わかった?」
声を出したら気づかれるということなのだろうか。しかたなく大きく頷いて見せると嬉しそうに男は笑った。
「いい子だね。ジャーダちゃん? ううん。み、ど、り・・・・・・かな。随分と名前が隠れてるな。・・・・・・まぁ、いいや。仮にジャーダちゃん。お願いがあるんだけど、いいかな? その階段を降りたところに小机が多分あるんだけど、そこに冊子と飲み物の瓶があったらそこから投げてくれる?」
言われるまま階段を下りると、先ほどは気づかなかったが簡素なつくりの机があり、本当に分厚い日記帳のような冊子とワインボトル1本が机の上にあった。
手に取ってみれば、その分厚い本の表紙に几帳面な字で『この本を拾うことがあれば、フィガロに届けて欲しい』と書いてある。
フィガロ。その名前の魔法使いを一人だけ知っている。・・・・・・数百年前に石になったと聞いた。大魔法使いの名前だ。
「おーい。ジャーダちゃん(仮)。そうそう、それ。それ、俺。俺がそのフィガロさまだから。それ頂戴。あ、階段は昇りきらないで。きみ、まだ生きてるから」
思わず、階段を昇る動作が止まった。
「うん、そう。ここは生と死の狭間の場所。汽車ってしってる? 西の国では発達してるんでしょ? それがここに停まったらそれに乗り込んで死者の国に行くらしいけど、俺は・・・・・・。ねぇ、ジャーダちゃん(仮)、落ち着いて? 大丈夫。俺、優しいお医者さん先生なんだよ。噂と全然ちがうでしょ。あと、暇なんだよね」
フィガロさまはぽんぽんと自分のお膝を叩いて見せた。
よく見ると膝から下が岩のように変質していてそこから動けないようだ。
「そう。ちょっと人を待つつもりで魔法を使ったらそれで打ち止めだったみたいで失敗しちゃった。とりあえず、手に持ってるそれ、階段の上に置いてくれる?」
否と言えるわけもない。言われるまま、そっと本とワインの瓶を階段上に置いた。
それらはふよふよと宙を泳いでフィガロ様の膝元に届いたようだ。
フィガロさまは本の表紙の文字をなぞって、切ないお顔をされた。
「これね。俺のたったひとりの弟子が、生前、俺宛に綴ってくれた日記みたいなものなんだよ。書き終わったら燃やすんだって。そうするとさ、さっきのところに届くみたいなんだけど、ここのところしばらく人が来なくてさ」
・・・・・・生前?
「気づいた? ちょっと前に、汽車の中から声をかけてくれたんだけど、この足だし。背中向けてたからあんまり見えなかったんだけど、彼、先に行っちゃったみたい」
え〜?
「いや、だってさ。俺、ジャーダちゃん(仮)のほうから来るものだとばっかり思ってたんだもん」
だもんとか言われても。
・・・・・・フィガロさまは、苦笑しながらこちらを見られた。
も、申し訳ありませんんん。
「きみ、面白い子だね」
滅相もありませんんん。
「ちょっと、ファウストと再会したときの賢者さまと似てるかもしれないな。あんまり覚えてないんだけど」
その時、遠くの方から汽笛の音が聞こえた気がした。
「あ。今回は停まるのかな」
・・・・・・と、言いますと?
と尋ねる間もなく、突然、その汽車は姿を現した。
「ジャーダちゃん(仮)、動かないで。そこにいれば大丈夫だから」
どうしようもなくどうしたらよいのかわからない内に、目の前の車両の扉に車掌とおぼしき物体が汽車の後方からやってきて、その扉を開いた。
そこには全身黒ずくめのすらりとした人物が立っていた。帽子にサングラスをしているので顔はわからないが、ダークブロンドの髪はゆるやかにカーブしていて、おそらくフィガロさまに負けないくらいの美形の気配がする。
「え。それって・・・・・・」
「ありがとう。すぐ戻るから、扉は開けておいてくれていいよ」
カッカッカッと、靴音を響かせてその人物はフィガロさまの正面に立った。
「え。うそ。ファウスト? 本物? だってきみ、結構前に・・・・・・」
「《サティルクナート・ムルクリード》」
呪文のあと、フィガロさまの足を捕らえていた岩のようなものが霧散して、フィガロさまの靴先が見えたような気がした。
「立てるか?」
「え。あ。えっと、だめみたい」
その黒ずくめの人物は、深く深く嘆息した。
「しかたないな」
普通なら横抱きがセオリーだと思うが、その方は大きな荷物を右肩に担ぐように、本とワインを抱えたままのフィガロさまを持ち上げる。
「ちょ。え。そうだよ。ジャーダちゃん(仮)が言うように、お姫さまだっこでしょ、ここは。俺はお姫さまだっこがいい」
「黙れ。そうすると扉で引っかかるだろ。精々、頭をぶつけないようにするんだな」
・・・・・・たしかに。
思わず、お気に入りの棒をくわえたわんこが、扉に阻まれて入れない図を思い浮かべてしまった。
「ふふ。きみ、面白い子だね。気をつけて帰りなさい。それと、フィガロの相手をしてくれてありがとう」
黒ずくめの人がこちらに向かって笑ってくれた。そのお顔はよく見えないはずなのに、ついうっかりぼんやりしてしまうくらい美人だった。
その方はそのまま汽車に乗り込むため背を向けてしまったが、フィガロさまと今度は目があった。とてもうれしそうで、よろこびが押さえきれず溢れ出ている。
「うれしいよ。だって、待ってた。待ってたんだよ、俺、ずっと」
よかったですね。
「うん。ジャーダちゃん(仮)も元気で。長生きしてね」
こちらに手を振るフィガロさまが車両の扉をくぐったのを見届けて、車掌とおぼしき物体が扉を閉めた。
気づけば汽車はいなくなり、明るい野原に立っている。
後ろを見ると隧道がみえた。そのまま導かれるように隧道を抜け・・・・・・、その後のことはよく覚えていない。
なんとなく、フィガロさまとあの黒ずくめの美形のキスが見たかったな、なんてことを思って目を覚ました。