星詠小咄②どうでもよい日は特別な日 今日は何の日かしってる? いや、俺にとってはなんでもない日だけど、ファウストにとってはどうかな。今日は、雲のない星のよく見える日だった。でも、魔法舎の屋上には誰もいなかったし。
俺は、魔法舎のファウストの部屋をノックした。
「ファウスト、ちょっといいかな。入るよ」
まだ眠る時間でもないし、どうせ鍵はかかっていない。そういうところがファウストらしくて結構好きなんだけど。
「うわ」
返事を待たずにファウストの部屋の扉を開くと、薄暗い部屋の中をトランプが強風にあおられたように乱舞していた。え。どういう状況なの。これ。
俺は、後ろ手に扉を閉めて、1枚だけカードの大きさの違う舞い踊るカードをとっさに手に取った。途端、部屋の中のつむじ風は収まり、カードを見ると《星》と書いてある。タロットカードかな? 床に散らばったカードはどれもトランプだ。
「ファウス・・・・・・。え!? ちょっとちょっとちょっと。だめだよ、ファウスト・・・・・・! きみ、ファウストの中でとにかく酒に弱い子でしょー!?」
俺は、ファウストに駆け寄って、立ち上がったまま片手で酒瓶をあおるその手を引き上げた。
とろんとした目で、ファウストは俺を見上げて、頭上高く上がった酒瓶を傾けようとする。
「ちょっ・・・・・・! もう駄目。それは俺に頂戴。いい子だから。ね?」
俺の言葉が、時間差で届いたのか届かないのか、ファウストは首をこてんと傾けて、じっと無垢なかんじで俺を見てくる。
「・・・・・・ふぃがろさま?」
「はいは~い。フィガロ様ですよ~。ほら、ぎゅ~ってしてあげるから、これは机に置いて」
俺の言葉に、どんっと重力に任せて酒瓶をテーブルに置き、ファウストは両手を広げた。すかさず、俺はファウストの体を両手で抱きしめて、ファウストが座っていたであろう椅子に腰掛ける。
「・・・・・・ん、・・・・・・ふぃがろさまぁ・・・・・・」
うわ~。もうべろんべろんじゃん。この子。
なんだか脱力しつつ、横座りのファウストの上半身は少し強めに抱きしめながら、顔上げるとムルと目があった。
珍しく窓が全開で、星空を遮るようにムルがのぞき込んでいる。
「お邪魔してもいい? だめ? これからいいところ?」
「いいけど、扉から・・・・・・」
ぐにゃんぐにゃんになりつつも、こだわりがあるらしいファウストがそんなことを言った。
《エアニュー・ランブル》
ムルは呪文を唱えて、窓を扉に変えコンコンとノックする。
「ファウスト、いい?」
「・・・・・・鍵は、かかってないんだろ。・・・・・・どうぞ。机や椅子は踏まないように・・・・・・」
「はぁい」
ムルは、比較的お行儀よく宙を歩き、俺たちの後ろにあるベッドに腰掛け足を組んだ。
「で、どうしてはちゃめちゃなの? 俺にも教えて?」
あー・・・・・・。俺にもわかるようでわからない。ただ、この酒にひたすら弱いこの子は、とにかくぎゅ~っとされるのが好きなのだ。この子だけはそれを許してくれるというか、求めてくる。酒に酔ったときだけだけど。さらに言うなら、この子が酒を飲むシュチュエーションが稀なんだけどね。普段は星の見えるところにいて、なんだか星とおしゃべりしているようだから。
「ふぃがろさま、もっとちゃんとして」
「あ~、はいはい」
腕の力を緩めると途端に文句を言ってくる。かわいいけど、面倒くさい。けど、やっぱりかわいい。
「きょうは、ともだちがしんだひ」
再びしっかりだっこされて、満足したのか俺の背中越しにムルに答えるファウスト。なんか、頬を俺の肩にぐりぐりしてくる。
そしてやっぱりそうかと、心の中で何かが垂直に落下した。史実の通りなら、今日は中央の国の初代国王、アレク・グランヴェルが崩御した日のはずだ。
「ふうん。それでファウストは不機嫌なんだ? どうして? 哀しいじゃないの?」
ファウストが不機嫌?
顔を見ようとしたが、もぞもぞと居心地悪そうに動いたファウストの手が、俺の首に両方絡みついてきた。どうやっても俺から顔が見えなくなってしまう。
「ふぃがろさまは、ふぃがろさまにとって、こういうどうでもいいひはおぼえてる。でも、ぼくたちにとってだいじなひはおぼえてない。ひどい。ふぃがろさまはひどい。ひどいだろ? ぽんこつ。とうへんぼく。あんぽんたん!」
あはは。ムルが大ウケして、多分、ベッドに倒れ込んだ。
さすがの俺もむっとする。
「ファウスト。きみね。・・・・・・悪いファウストにはお仕置きが必要かな?」
抱きしめる腕をゆるめて、ちょっとおどしてやるつもりだったが、腹に力が入らないのかそのまま俺の膝から落ちそうになって、俺の方が慌てる羽目になった。当のファウストはそんな甲斐甲斐しい俺の頬を手を伸ばしてむいーっとひっぱってくる。まるで子供のようだ。
「ファ・ウ・ス・ト?」
「ぼくをおとしてでていけばいい」
その言葉がなぜか心に響いて、はっとしてファウストを見ると、どこか泣きそうなファウストがいた。
俺は、心の中で両手を挙げた。降参だ。どうにもこの子には勝てない。 不思議なことに、今日はこの子の心の大半を占めているであろうアレクのことなんてどうでもよくなっている自分がいる。それよりも気になることができた。
「ねぇ。俺たちの大事な日って?」
ぷいっとファウストが横を向いてしまう。
「ねぇ、お願い。教えてファウスト」
「俺も聞きた~い」
またしっかりファウストを抱きしめてやると、健気にファウストの方も俺の首にしっかり手を回してくる。あぁ、なんというか、かわいい。
「はじめておあいしたひとぐんをさったひはおなじひ」
「え!? うそ。そうだっけ。たしかにこんな季節だった気がするけど・・・・・・」
ふよふよとテーブルに置いてあったはずの酒瓶が漂ってくるのをもぎとって、俺は片手でファウストをしっかり抱きしめながら、ムルに酒瓶を回した。
「・・・・・・・・・・・・。ムルはとくべつなひはあるの?」
俺の背中越しに酒瓶に手を伸ばしつつ、ファウストが聞いた。
「へぇ。結構、度数あるんだね。これ。のんでもいい?」
「・・・・・・いいけど」
今度は、グラスが宙を漂って、ムルの方に流れていった。小気味よくグラスに注がれる音が背中からする。俺ものみたいけど、駄目だろうなぁ。こっそりのんじゃおうかな。
「・・・・・・なるほどね。ええとね。俺はよく特別な日についてシャイロックとゲームするっ」
「ふふ。どんな?」
ちょっと機嫌が直ったのか両足をゆらゆらしながらファウストが聞いた。
「ん~。時々、シャイロックが聞いてくる。何とかの日を覚えていますか?とか、何とかということがありましたね。とか」
「うん。それで?」
「まず、日にちについて言っているのか、場所について言っているのか、出来事についてなのかを推理する」
「へぇ?」
ファウストが俺の首に回した手に力を入れてやや身を乗り出す。
「シャイロックの特別なものに添うことができたら、俺にしか見られないシャイロックが見られる」
俺にはのろけにしか聞こえないけど、ファウストは何か違うことを感じたのだろうか。俺の首の後ろをなにやらなでていてくすぐったい。
「それはあなたの、・・・・・・愛かもしれない、というやつ、なのか?」
「・・・・・・は?」
思わず、俺の口から間抜けな声が漏れ出てしまった。ファウストが、愛だって?
「ははぁ。ファウストは愛だと思う? 愛ってなんだと思う? 特別な日? なんでもない日の出来事?」
「・・・・・・ちがうのか。ぼくにはわからない」
だらんとファウストが全身から力を抜いた。逆に俺はほっとした。愛とか言うファウストは、俺にとって解釈違いだったみたいだ。
「ぼくものみたい」
ぽつり、とファウストが言った。
「だぁめ。ファウストのお酒は今日はおしまい」
「ふぃがろさま」
「あー、はいはい。ぎゅっとしますよ~。何なら、ファウストが俺にのませてよ」
「いいよ」
あっさり肯定されて、なぜか焦ってしまった俺を横目に、いつの間にか酒が注がれたグラスで口元をぐいぐい押されてる。
そうですよね~。何を焦ったんだろ。俺。
「ははっ。ねぇ。トランプでゲームしない?」
魔法で床に散らばったトランプを集めてムルが言った。
今夜はまだまだ終わりそうもない。