星詠君④-5 踊りの妖精の話 魔法舎の外郭の外周にはちょっとした広場といってよい空間がある。
レノックスは鎚矛の頭の部分を地面に置いて、寄りかかるようにカインを待っていた。といっても、カインと合流しても、さらにファウストを待っている。
「すまん。レノックス」
実は、カインには中央の国の国王から下賜された魔道具の長剣ではなく、訓練用の長剣を持ってくるように言ってあったのだが、うっかりいつもの装いで現れたカインが、レノックスの手にしている鎚矛を見て慌てて部屋まで取りに戻っていたのだ。
鎚矛なんかが剣に当たれば、剣などすぐに傷物になり使い物にならなくなる。最近、賢者様に教えて貰ったじゃんけんのぐーにちょきが負けるようなものだ。
「鎚矛を使うやつなんて、初めて見たよ。ほんとに使うのか? それ」
「使うのは久し振りだ。戦鎚のほうがよかったか? 」
カインは、う~んと人差し指を唇付近に持っていき、屈託なく笑った。
「鎚矛のほうが覚悟ができていいかも。というか、戦鎚で襲われる方がなんだか絵面がこわい」
「・・・・・・どちらも振り回して当たれば、致命傷だけどな」
「そうだけど、鎚矛はよく聖職者が儀式で捧げ持ってたりするだろ。王都だと割と目にするというか・・・・・・。武器に見えないというか・・・・・・。とりあえず、持ってみていいか?」
「いいぞ」
鎚矛の柄の部分を傾けて渡すと、カインはよろけながら持ち上げて、重いなぁなどとはしゃいでいる。
「で、ファウストは?」
「そろそろ戻られる頃合いだとは思うが、栄光の街にご用があるとかで、まだ戻られていない」
「なんだそれ。昨日、俺も街には行ったけど・・・・・・。あ、ファウスト、フェアリー・ファラの会えるかもしれないな。俺はいつも会えないんだけどな」
「フェアリー・ファラ?」
耳慣れない名称にレノックスが聞けば、カインは本当は内緒なんだけどなと口が滑ったことに苦笑しながら教えてくれた。
栄光の街では常に民衆が集まって踊っている中央広場という所がある。 そこに年に1~3回くらい、踊りの巧い魔法使いが現れるという。
その魔法使いが現れる前日に、広場に設置してある魔法の鈴が鳴り、出現を民衆が知るそうなのだが、昨日、その鈴が鳴ったとカインが知人から聞いたというのだ。
「一時期、フェアリー・ファラが死んだかもって騒がれててさ。結構、歳いってて4百歳ぐらいらしいから、寿命かもってすんごい沈んでたのに、おおはしゃぎしてて。・・・・・・俺も見に行けばよかったかな」
いくつかの単語から、レノックスの脳裏にある人物が浮かんだ。本日、予告の通りに栄光の街に出掛けている尊い方だ。
「カインは会ったことはないのか」
「ん? あるぞ。まだガキの頃だけど。でも、不思議と髪の色とか瞳の色とかが見る人によって違うんだよな。きれいな人だった・・・・・・ような気がする。髪の毛はくせっ毛だった。あ、ほんと、これ、みんなには内緒な。栄光の街の住人の秘密なんだ」
「秘密?」
カインは、苦笑いを浮かべて頬を掻く。
「あ~。なんか、百年か2百年か前に、あなたは聖ファウストでしょうとフェアリー・ファラに言った子供がいたらしくてさ。それっきり、フェアリー・ファラが来なくなったことがあって、その子供の一家が村八分みたいになりかけた時に、中央広場で踊る者たちの正体を暴かないことを条件にまた来てくれるようになったっていう伝説があってさ。栄光の街の中央広場では、魔法使いでも、人間でも、旅人でも、大人でも、子供でも、誰でも踊れるけど、何人も正体は伏せるっていうルールがあるんだ。聖ファウストかどうかなんて栄光の街ではどうでもよくて、とにかく街にとってはあの人は特別でさ。ファラさんて呼ぶことになってるんだけど、一緒に踊ってくれたり、踊りを教え合ったり、医者が匙を投げた怪我や病気を治したり、まるで妖精みたいな人だから、街のみんなはあの人のことをフェアリー・ファラって呼んでる」
その話を聞いて、長い放浪など必要ではなかったのかもしれないことに気づき、レノックスは愕然とした。
が、捜し物が見つかった後に、それまでの穴を埋めるような情報が耳に入ってくることもよくあることだと思い直す。
今は、お側にいることができる幸運を、レノックスは噛みしめた。
「お。帰ってきたんじゃないか? なんかでっかい板が見える。・・・・・・鏡かな? あれ」
カインの声に魔法舎の正門に続く道の先を見やると、人の背丈ほどもある大きな鏡の板を束ねて空に浮かせているフィガロのうしろを、不機嫌な様子で歩く、帽子にケープ姿のファウストが見えた。
お~い。と、カインが手を振ると、気づいたファウストが先行するフィガロに一言二言何かを言って、こちらに向かって歩いてくる。
「待たせてすまなかったな。あと、これ。中央広場の顔役から」
《大いなる厄災》の傷で、触れないと相対する人物を視認できないカインの二の腕をポンと軽く触れてから、ファウストはなにやら気まずそうに手紙を差し出した。カインはきょとんとした顔で受け取りさっさと封を切って中身を確認する。
「ふんふん。・・・・・・え? ファウストの知り合いの踊り手って、フェアリー・ファラか!? 知り合いなのか。すごいな」
「は? フェアリー・ファラ? なんだそれ」
「あ、いや。中央広場のファラさん」
ファウストは帽子のふちに指をかけて引き下げた。
「・・・・・・悪いか。知り合いで」
「いや、悪くはないけど、すごくはあるだろ? いや、すごいことだと思うぞ。俺は」
「・・・・・・・・・・・・そう」
レノックスの存在を意識しての仕草だと思うが、なんとなくカインから手渡された手紙にそのまま目を通していて、ファウストの気まずそうな様子にレノックスが気づくことはなかった。
ちなみに、手紙には、ファラさんにくれぐれもくれぐれも粗相のないようにということと、明日、中央広場に顔を出せと繰り返し繰り返し言葉を尽くして書かれていた。というか、内容としては概ねその2点しか書かれていなかった。
「・・・・・・明日は栄光の街にいかなきゃならないのか。まぁ、いいけど。どうせなら、今日、行っておけばよかったかな・・・・・・」
「いや、それは・・・・・・」
やめて差し上げてくれ。と、レノックスは心の中で続ける。
なぜ、レノックスがそんな反応をするのか、というカインとファウストの視線が痛かった。
***
仕切り直して。各々の武器を構えて、カインとレノックスは対峙していた。すでに5回戦目にはなる。
初めて相対する武器使いの力で蹂躙するような攻撃に、最初はカインの方が劣勢気味だったが、さすがに5回目ともなると動きを読んで隙間を突くように反撃に出られるようにはなってきた。
ファウストに言われている手前、双方共に手加減はしていないので、何度か致命傷に至るような攻撃を食らわせてはいるが、ファウストの不思議な力によって、武器が当たっても波紋のような空気のゆがみが生じるだけで、実際には全くダメージはない。
当のファウストは、少し離れたところでじっと二人を観察している。
「うわっ」
この魔法も教えて欲しいな、などとカインが思った途端、鎚矛ではなく、レノックスの蹴りがカインの腹に入り、痛みは全くないが衝撃で後ろに吹っ飛ばされてしまった。
「そこまで」
受け身をとって、跳ねるように起きあがったものの、よく通るファウストの声が短くこの試合の終わりを告げた。
「カイン」
「はいっ」
ファウストの静かな声に、カインは思わず背筋を伸ばす。
教官の評価を待つ気分だった。
「さすがに騎士団長を務めただけはあるな。順応力もあり、反応もよい。ただ・・・・・・」
レノックスが両手で、刃渡り20cm程度の短剣をファウストに差し出した。
ファウストは横目でそれを手に取り、自然な動作で短剣を鞘から引き抜いて切っ先をカインの喉元に向ける。
その2~3秒の動作をカインはただ眺めていた。
「暗殺に遭遇した経験は?」
「・・・・・・ナイ、デス」
「そうだろうな」
溜息とともに、ファウストは短剣を鞘に収めて、腰のベルトに挟み込み、そっとカインの両側の鎖骨に手を添えた。
「殺気がなくても人は殺せる。この服装であれば、人の気配がしたらまずここから上を警戒しろ。きみは特に喉元ががら空きだ。わかったな。生き残れよ」
「あぁ、もちろんだ」
ファウストの心配が嬉しくてカインは、ファウストに笑顔を向ける。
「まったく、暢気なものだな。しっかりしてくれ」
ぺちっとファウストは、カインの頭を軽くはたいた。
レノックスはその様子を微笑ましく見守る。それは、ファウストが仲間に見せる、親愛を示す仕草のようなものだった。
「レノックスもありがとう。お陰で、カインの動きがよくわかったよ」
「それはよかったです。俺も楽しめました」
「そうか」
ふふっとファウストが笑った。レノックスの視界からは帽子しか見えなかったが、その様にレノックスの心は満たされる。
「あぁ、そうだ。祝詞もカインが読み上げるんだろう?」
「そうだが」
《サティルクナート・ムルクリード》
ファウストが呪文を唱えると、ファウストの手に1冊の本が出現した。
「あれ? それ、聖なる書のレプリカか?」
「レプリカ? まぁ、どうでもいいけど。手順が変わっているかもしれないから、これの中に書かれている通りに進行して欲しい。それと、カイン。まず読んでみてくれないか。不自然にならない程度になるべく仰々しくゆっくりで頼む」
そこからの指導の方が、カインにとってはきつかった。
実際、先程の武器を使った試合よりも時間がかかった。
やっとのことで及第点を貰ったカインは、ファウストより手渡された書物を胸に抱えてうなだれて魔法舎に帰って行ったほどだった。
後にカインは、ファウストの教え子にあたるシノの気持ちがよくわかったと、この時のことを思い出しては語ることになる。
「・・・・・・そんなに厳しかったか?」
「さぁ。どうでしょう」
「・・・・・・。レノ。防刃布をカインの衣装の首元に足すことはできるかな。飾り風のプレートも付けられれば尚よい。僕も久し振りだ。うっかり刃が入ったとあっては目も当てられない」
魔法舎に戻るカインの後ろ姿を見ながら、ファウストが言った。
「あなたも少なくとも胸当てに手甲と具足、腰に1双の短剣は装備してください」
「短剣はいらないよ」
「防具になりますので」
「・・・・・・手癖で抜いたらどうするんだ。いらないよ」
「あなたのお体を守るものです。つけてください」
ファウストは、じとっとレノックスを見上げる。
「つけていただきます」
その視線をものともせず、レノックスは、はっきりと言い切った。
「・・・・・・・・・・・・。わかったよ。レノックスに任せる」
折れたのは、いつもながらにファウストのほうだった。
「ありがとうございます」
「それで、カインの防具の件も任せていいのか? 衣装は多分、シャイロック経由でクロエに話がいっていると思う。匿名で」
「なるほど。お任せください」
ファウストとレノックスの間をさわやかな風が、ざぁ、と吹き抜けた。
「すまないな。こんなことに巻き込んで」
「いえ。俺が望んだことですから。今、あなたのお役に立てることが嬉しいのです。・・・・・・お疑いになりますか?」
「いや。きみの気持ちだろ? そんなの僕が疑うまでもないことだけど、お前は自分自身の力で幸せになれる男なんだから、僕のことなんて・・・・・・」
「あなたのお側にいられることが、何よりも嬉しいです」
ぽん。とファウストの手が、レノックスの黒い髪を軽く叩く。
「相変わらず人の言うことを聞かないな。きみは」
「そこは譲れないので」
「僕も譲らないぞ。・・・・・・はぁ。僕たちも帰るか」
「そうですね。戻ったらお茶をお淹れします」
「そういうところをまずやめなさい」
ははっと思わずレノックスが笑うとファウストもつられるように笑った。
***
「あれって、やっぱりファウスト用の衣装で合ってるよね。サイズが、特にウエストのサイズを中心にすると全体のバランスがファウストじゃないと着られないというか・・・・・・。いや、ガウンはウエストサイズとはあんまり関係ないんだけど、こう、インナーがねっ!? というかレースとか使っていいかな。差し色入れたりとか。なんていうかシンプルすぎるんだもん。あと、これ。一体何の用途でついてるひらひらなの!? なんというかもっと盛りたいんだけど」
レノックスがクロエの部屋を尋ねると、すごい勢いでクロエがまくし立ててきた。
思わず両手を挙げて降参のポーズをとったレノックスは、記憶を呼び覚まして、とつとつと儀式の流れをクロエに説明することになった。
「え!? お葬式なんだ。そっかー。そうすると、あんまり・・・・・・。でもここが広がるんでしょ? あと、カインのも作っていいんだよね。対になるデザインにしたいじゃない。それで、え~と、ここは?これはどういう・・・・・・。え。生着替え。違う? 早着替えもするから? え~・・・・・・。あ、でも、よかったぁ。レノックスが来てくれて。やっと意味がわかったかも」
それからも、クロエの質問責めは終わる気配を見せなかった。
儀式自体は、命日から後の満月の日にまとめて行われる習わしになっている。あまり日は残されていなかった。