優しい水 フィガロは優しい男だ、・・・・・・と思う。
気づけば近くにいて、どこかしら微笑を浮かべながらずっとしゃべっているが、とても繊細でとても図太い。
慎重で情深いのは親しい者なら身をもって知っている、・・・・・・と思う。
後に大きな災厄となる芽を見つけ、自らが当事者でなければその者に摘み取ることを進言するが、フィガロは必ず当事者の判断を尊重する。大抵の相手は力の強い魔法使いたちだから、むしろ奮起して事に当たるが、それもフィガロに指摘されたから最善を尽くせるというのを本人だけが気づかないまま、未来に起こるであろう失われる痛みに傷ついている、・・・・・・ように思う。
「なぁに? オズ。俺の話、つまらなかった?」
思わず口から出てしまった溜息に、今日もいつの間にか側にいて何か話していたらしいフィガロが、微笑みをたたえたまま顔をゆがませた。
北の国の最果てにある古城。現在のオズの居城は、太古の人たちによって建てられ、何らかの理由で遠い昔に打ち捨てられた。長く人の住まなかった城は、本来なら荒れ果てて崩れ落ちていても不思議ではなかったが、ほぼ通年氷点下を保つ環境が強固な守りとなって外観を保持していた。
「この城は・・・・・・」
「ん?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言葉が浮かばなかった。
「ん〜。まぁ、よくこんなところに建てたとは思うけど、結局、誰が建てたのかわからなかったかな。この城自体が小さな村みたいと言えなくもないけど、結構、大改装したんだよ? オズ、ありがとうは?」
「・・・・・・・・・・・・。感謝する」
「うん」
世界を支配下に置くことを決め、行動を開始した頃にこの城を偶然見つけた。その時も、フィガロがいつの間にか横にいて、オズの進む方向をそれとなく指し示し、オズの大きな足跡が崩れないように何か手を入れていたように思う。
「まるで雨のようだった」
「ん? 雨? なに?」
フィガロはきょとんとして、ソファにだらしなく寝そべっていた身を起き上がらせた。
「私が、石を狩っていた時」
「うん」
「お前は、文字が書かれたものを集めていた」
特に責めたつもりはないが、フィガロはばつが悪そうに苦笑しながらあらぬ方に視線を動かす。
「あー。まぁ、ね。別にいいじゃない。オズは強い魔法使いの石を食べまくってぼんやりしてたし、力の強い魔法使いの書いたものとか蔵書は、結構マニアックでさ。そのまま朽ちらせるのも勿体ないし。この城にも北のコレクション詰め込んでるからさ。いい暇つぶしになったでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・」
フィガロは、各国の拠点に、それぞれの国の魔法使いの根城にあった書物を片っ端から詰め込んで一カ所にまとめた。多くの拠点で忠誠を誓った魔法使いを管理人に指名したが、一番最初に見つけたこの城だけは、誰にも所在さえ教えることをせず、侵攻の合間に、「オズ、これ、あそこに運び込みたいからさ。魔法で扉作ってよ」だの、「今日は俺、あそこにいるから、夕方になったら迎えに来て」だの、頻繁に入り浸っては、現在のような城の姿に変えていった。
「お〜い。オズ、目を開けたまま寝ないでよ」
「寝ていない」
「そう? ごめんね?」
そう。この城に一番注力したのはフィガロだった。
そんな中、師匠筋にあたる北の魔法使いの双子が、浅はかな理由で殺し合いをして、片割れのホワイトが死んだ。オズは何も考えられず真っ白になり、立ち止まってしまった。世界征服をやめるとフィガロに告げたとき、この男は大きなため息をひとつついて「じゃあさ、オズ。あそこにいくといいよ」と短く言って、立ち去った。
「この城は、お前のものとは言わないのか」
「ん? なんで? この城はオズの城でしょ。俺は遊びに来るだけでいいの。気楽にね」
・・・・・・本当にこの男は、水たまりのようにふいに現れては、地中を流れてどこかに行ってしまう水のように、一所にじっとしていることはない。
「今日のオズは、風みたいだね。どこを飛んでいるのかわからない」
「お前は水みたいだ」
「なにか考えてるなぁと思ったけど、そんなこと考えてたの? にしても水かぁ。この酒も水だね」
フィガロはテーブルの上にあった嵩の減った酒瓶を掴んで、私の膝に横向きに座ってきた。
「ねぇ、オズ。俺のこと、すき? この酒とどっちがすき?」
「・・・・・・優しい水」
「ははっ。なんだそれ。優しくするのはオズだろ?」
フィガロはなぜだか照れたように笑って私の首にぶら下がるように手を回すので、私はフィガロを抱きしめて口づけを交わした。