【緑高】校庭 この場所に来るのも十年振りか。
そんな事を思いながら俺は懐かしいグラウンドを見回した。
春休みに入っている三月末、通常の学校であれば生徒の姿も殆どないであろうその場所には部活動に勤しむ後輩達の姿があった。
「若人は元気だなー」
思わず口をついて出た言葉に斜め上から溜息交じりの声が降ってくる。
「発言が年寄り臭いのだよ」
「だって俺達もう三十手前だぜー? あの頃みたいに外周二十週とか言われても絶対無理っしょ」
ちらりと視線を投げれば、溜息をついた本人も「むう……」と考え込んでいる。
長年の習慣と体力維持の為に今でも朝なり夜なり時間を見つけて軽い走りこみはしているけれど、高校生の頃と同じ位運動出来るかと問われればさすがの緑間でも返答を渋るしかないだろう。
当時は強豪校のスタメンとして、それなりに全国にまで名を馳せた俺達だけどとうに競技バスケからは引退し、今ではただの会社員とひよっこ外科医だ。
そんな俺達が懐かしの体育館ではなくこんな校庭の隅っこにいるのはそもそもの目的がOBとして後輩を激励に、などと言う事ではないからだ。
いや、ここに来るまでにちゃんと当時お世話になった中谷監督にも挨拶に行ったし体育館の後輩にも声をかけてきたけど。
「さて、やるか」
何の気負いもない様子でそう言う緑間の手には本日の蟹座のラッキーアイテムの潮干狩りセット。
「ほんとにやんの~? もう錆びてたりなくなってたりするんじゃね?」
気乗りしない俺にその潮干狩りセットの中に一緒に突っ込まれていた蠍座のラッキーアイテムであるガーデニング用スコップを手渡して緑間は傍らの大きな銀杏の木の下にしゃがみこむ。
「グダグダ言わずにさっさと掘るのだよ。そもそも最初はお前が言い出した事だろう」
「そうなんだけどさ~……」
緑間は渋る俺など意にも介さず、潮干狩りセットの中から熊手を取り出してザクザクと銀杏の根元を掘り返し始めた。
そう、確かに事の発端は十年も前に俺が言い出した事だった。
タイムカプセルを埋めよう。
卒業式を間近に控えた二月の終わり、そう言い出した俺を緑間は呆れたような顔で見つめ返した。
「なぜそんな物を埋める必要があるのだよ」
「別に深い意味はないけどさー、卒業記念みたいな?普通だと思い出の品とか未来の自分への手紙とか入れるんだろうけどさ、せっかくなら未来のお互いへの手紙とか入れちゃわない?」
軽いノリで語る俺の話を聞いて、最初のうちは余り気乗りのしない様子だった緑間が少し興味を示しだした。
「ふむ……」
「そんでさ、十年後位に一緒に掘り出すってどうよ。何かちょっと楽しそうじゃん」
「十年後……か。よし、乗ってやっても良いのだよ。ただし、自分から書くと言ったからにはきちんと真面目に未来の俺への手紙を書くのだよ」
「はいはいりょーかい! へへーアラサー真ちゃんに何て書いちゃおっかなー」
浮かれる俺の様子を見て、緑間も少し口元を上げて笑っていた。
その数日後の卒業式前日、二人で持ち寄った封をした手紙を緑間が持ってきた紅茶の空き缶に入れてテープで口をぐるぐる巻きにした物をこの場所に埋めた。
まだ肌寒い、初春の夕暮れの事だった。
俺がそんな過去の記憶を振り返っている間にも、緑間は順調に掘り進めていたらしく熊手によって掻き出された土が小山を作っている。
「サボってないでさっさと掘るのだよ」
「へ~い……」
ここまで一緒に来ておいて『だが断る』とか言える筈も無く、俺は渋々小さなスコップを土に突き立てる。
出て来なければ良い、出て来たとしてもボロボロで中身の判別なんてつかなくなっていれば良い、そう念じながら。
そもそも俺は、こうして一緒に掘り返す事なんて想定していなかったのだ。
大切なバスケの相棒に対して相棒以上の感情を抱いてしまっている自分に気づいていたから、大学に入ったら少しずつ距離を置いて疎遠になって、関西とか九州とか物理的に遠い場所に就職してしまおうと画策していたのだから。
そんな俺の思惑は最初のうちは上手く行っていた。
二人とも都内の大学に進学はしたけれど、俺は一人暮らし、緑間は自宅から通学だったから以前より住んでいる場所が離れた。
今までとは全然違う大学生活に慣れるのに必死で、わざわざ連絡を疎遠になんて考える必要も無く緑間との連絡頻度は減っていった。
この辺りは緑間が用事がある時以外は自分から連絡をよこさないと言う性格なのも幸いしていたんだと思う。
大学生活に慣れた頃には俺はもうバイトを始めていて、用事があって緑間が連絡を寄越した時にも嘘などつかなくても都合がつかない場合も多くなっていた。
半年が経ち一年が経ち、もう半年が過ぎても俺の緑間への気持ちは全然変わらなかったけれど、連絡頻度は一月一度あるかないかまで落ちていて、俺の計画は思った以上に順調に進んでるな、なんて寂しいながらも悦に浸っていたりした。
ところが、である。
俺の誕生日の少し前くらいに、緑間が突然俺の住むアパートにやってきた。
もう秋も深まってきたと言うのに、深夜にびしょ濡れで。
それまでも何度か遊びに来た事はあったけど、それも数回程度で、皆でストバスした帰りにとかそんな物だった。
日付も変わろうかと言う時に鳴ったチャイムに、不信感を募らせ居留守を使おうかと思った矢先、薄いドアの向こうから「高尾」と声が聞こえた時はマジでびびった。
しかも慌ててドアを開ければ濡れ鼠の大男が立ってるし。
どうしたのかと聞けば、この近くで飲み会があって連れて行かれたんだけど雨に降られたらしい。
確かに全然気づいてなかったけれど、いつの間にか雨が降り出している。
「タオル持ってくるからとにかく中入って! そのままじゃ風邪引いちまう」
「済まない」
そんな会話を交わして風呂に入らせ泊まらせて、今振り返ってみれば多分あそこから俺の計画は狂いだしたのだ。
その日を境に、緑間はちょくちょくうちにやってくるようになった。
実験だの実習だので帰りが遅くなって自宅まで帰るのが億劫だという理由で。
億劫って言ったって俺のアパートと自宅なら電車の方向は違うがせいぜい十分程度しか差は無いだろうにやってくる。
バイトを増やしてやり過ごそうとしても、帰宅すると俺の部屋の前でしゃがんで待っていたりする。
二メートル近い大男が! 体育座りで!
俺から見たら惚れた弱みも手伝って「真ちゃん可愛い!!」ってなもんだけど、一般の感覚から行けばこれはかなり怖いだろう。
そんな事が何度も続いて、隣近所の人が大家さんに苦情を入れるのではないかと戦々恐々となってしまった俺が仕方なく合鍵を渡すと緑間がやってくる頻度は更に増した。
それまでの疎遠さ具合は何だったんだと言いたい位に日々やって来て、ふと気づけば俺の部屋には緑間のコップ、緑間の茶碗、緑間の歯ブラシ緑間の着替え……と緑間用品が増えて行き、年を跨いで新春初ストバスなんて皆でやった後うちに本を借りに寄った黒子に「ついに緑間君と同棲を始めたんですか」と言われる程になっていた。
そんな訳無いじゃんと訂正しようとする俺に「ふむ、それは良い考えだ。一緒に暮らすか、高尾」と緑間がさも良い案を頂いたみたいな顔をしてとんでもない事を言い出して、必死に拒否する俺を飛び越えて自分の両親と俺の両親に話をつけてしまったのがその年の春の事。
「緑間君と一緒だったら安心だからね~」
と笑顔で言う母親を、俺の心は全然休まらないよかーさんなんて思いながら見つめたのも今はもう昔の話。
そんなこんなで俺の真ちゃんから離れよう大作戦は就職時期にも不発に終わり、結局卒業から十年経った今でも一緒に暮らしている、どころか何かうやむやのうちに流されるままキスして触りっこしてエッチして……どう考えても今の俺達は恋人同士です、何だコレ俺の思い描いてた十年後と真逆なんですけど。
そんな事を考えながらも手を動かしていると、深さ三十センチ位掘り進めたところでガツンとスコップの先に手ごたえがあった。
「む」
「げっ!」
音を聞くと同時に緑間は熊手を置いて素手で土を除け始め、俺は怖い物でも出たかのように手を引っ込めた。
だって実際、この下には俺にとっては人目になど一生ついて欲しくない、とてつもなく恐ろしい物が眠っている。
「あったのだよ」
出てくるな、石だ石この下に埋まってるのは石!
そんな俺の祈りも空しく緑間は懐かしい紅茶の缶を掘り出した。
出てきた缶は土にまみれ随分と錆が浮いてはいるものの、ぱっと見た限り穴が開いているような様子も無い。
この様子では中身も無事である可能性が高い。
「あ、俺が開けるわ」
そう声をかける俺を無視して緑間がバリバリと封をしていたテープを剥がしていく。
剥がしていくと言うかもう随分と痛んでいたようで、緑間がちょっと力を入れて引っ張ったらベロベロと勝手に剥がれたと言う方が正しいかもしれない。
「真ちゃんそれ貸してって!」
半ば強引に缶を奪い取ろうとする俺に、緑間はすっくと立ち上がって両手を上に挙げる。
そんな事をされてしまっては俺の身長ではジャンプしても絶対に届かない。何だこの野郎、俺に対する嫌がらせか。
「断るのだよ。お前の手紙を読んだら、その後で渡してやる」
「良いから渡せって!!」
揉み合いになっても体格差の所為で緑間はビクともせず、二通の手紙を取り出した缶だけを俺に投げてくる。
緑の封筒と橙の封筒。判りやすいようにとそれぞれ別の色の封筒に入れたそれの、橙の方を緑間は器用に開けて中身の便箋を取り出す。
「ちょ! 読むなって!! 返せよ!!」
もはや抱きつかんばかりの勢いで詰め寄る俺を物ともせずに、緑間は伸ばした手の先にある便箋の文字を真面目な顔で追っている。
一緒に掘り返す事なんて想定していなかったそれには、卒業して封印する筈だった俺の緑間への想いが綴ってある。
当時の俺の、思いつく限りの緑間への気持ち全てがそこには書いてあるのだ。
真っ白な便箋の上に気持ちを全部吐き出して葬るつもりで緑間と一緒に埋めて、緑間への気持ちの墓を作るつもりだったのだ。
こんな風に目の前で読まれる事なんて、一切考えてなどいなかった。
正直恥ずかしすぎて居た堪れない。今こそこいつの目の前から逃げて消えてしまいたい。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、全て読み終えてしまったらしい緑間は口元を上げて
「随分と熱烈なラブレターだな」
と満足そうに微笑んだ。
「もうホント勘弁して……」
恥ずかしさの余り俯いて消え入りそうな声でそう言う俺に、緑間は緑色の封筒を差し出してくる。
「ほら、お前の物だ」
素直に受け取って封に手をかける。
シールで止めてあるだけだったそれは簡単にぺらりと口を開き、中に入っている薄い緑色の便箋が覗く。
引っ張り出して開いてみると、そこには簡潔に数行の文が並んでいた。
『十年後の高尾へ。そろそろ観念して指輪のサイズでも教えると良いのだよ。 緑間真太郎』
その文章を目で追って、思わず便箋と目の前にいる緑間を見比べる。
「え、何これ。真ちゃん手紙摩り替えたの!?」
確かに最近緑間はパートナーシップ制度がどうのと話をしてきていた。
その流れから考えれば婚約指輪だか結婚指輪だかは知らないけれど渡したがってるのかな~って空気は感じられていた。
どうしても踏ん切りがつかなくて気づかない振りをしていたけれど。
「摩り替えなどするものか。それは正真正銘、十年前に書いた物なのだよ」
「え、真ちゃんまさか赤司以上の予知能力が……」
予想外の内容にぽかんとしたまま尋ねると「そんな訳が無いだろう」と否定された。
「お前はどうにも面倒くさい奴だが、この俺が本気で十年追い続ければその程度の仲にはなっているだろうと予測して書いたまでなのだよ。……間違っていなかっただろう?」
ドヤ顔でそう言ってくる緑間が、一体いつから俺の事をそんな気持ちで思っていたんだろう。
こんな手紙を書くと言う事は二人並んでこのグラウンドをぐるぐる周回し、体育館でボールを追い掛け回していたあの頃なのは間違いない。
そう思うとただただ苦しく辛かったグラウンド外周すら懐かしく愛おしい物に思えてきて、目の前の校庭をぐるりと見回す。
バスケ部はもうランニングを終えて体育館に戻ってしまっていたけれど、野球部の賑やかな掛け声がそこには響いていた。