気付き===================
君の答え 私の答え
どちらが先に
真理へ至る?
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街の広場を通りがかったとき、歌声が聞こえてきた。流しの吟遊詩人が訪れているようで、曲目はどうやら「賢者ナハトムジーク」のようだ。謎かけが飛び交う面白い歌で、子供から大人まで幅広く知られている。
少年とも少女ともつかない吟遊詩人の歌声に何人かが足を止め聞き入っている。警ら中でなければ聞いていくところだが、周囲の人々に異常がないかだけ軽く確認してから次の場所へ向かった。
……その日も街は平和で、何事もなく警らは終わった。
「ミス・ノイマン。お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
騎士団宿舎に戻り、門衛のところにある名簿に名前を書いている最中に声をかけられて顔を上げる。視界に入る紫紺になぜか安心した。その眼差しは柔らかで、戦場における頼もしさとは印象が異なる。
「街の様子はどうでしたか」
「変わりなかったよ」
「それはよいことです」
彼……アルジャーノンは真面目で模範的な騎士だ。彼の剣に背後を守られたことは一度だけではないし、普段の生活態度も申し分ない。……入団当時を思い返せば、随分立派になったと思う。彼との付き合いももう随分長い。
私も女の中ではそれなりに長身とはいえ彼には到底及ばない。視線を合わせるためには見上げなければならず、片手にペンを持ったまま上目使いに様子をうかがうと軽く笑いかけられた。
……最近、彼の目になにか違う色を見出だしそうになることがある。その色の名を私は知らず、知りたいような知りたくないような気持ちで言葉が出なくなってしまう。昏く穏やかな紫が、私をざわつかせる。
再び手元に視線を落としてペンを動かし、元の場所へ戻そうとしたところうっかり取り落としてしまった。慌てて拾おうとした私の手と彼の手が重なる。時間にすれば一瞬の出来事だったが、その一瞬、彼が少し手に力を入れたような気がした。
「すみません」
「ああ、いや」
すぐに離れた手の感触は反芻する間もなく消える。身の内でざわついていたものはいつの間にか落ち着いていて、不快感はない。ペンを戻しながら横目に彼を見ると、じっと己の手を見ているようだった。
彼に倣って自分の手を見てみる。ごつごつとした武器を握る手だ。女らしさとは縁遠いと思っていたが、先程重なった彼の手に比べれば小さく思える。彼もそう感じたのだろうか。
「……ん?」
思わず声が出た。怪訝そうにこちらを見た彼に、なんでもない、と頭を振る。……抱き続けていた違和感に名前がつく予感があったのだが、すぐにその予感が消えてしまったのだ。
追求するべきか目を瞑るべきかわからないまま、私は彼と別れその場を後にした。
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湖を渡る騎士よ
水底に沈む星を掬い上げて
その腕に抱かれた星は
あなたのためにだけ輝く
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休日に街へ出てみると、また広場で吟遊詩人が歌っていた。この間と同じ詩人のようだった。今回の曲目は「星持つ娘のオルトリンデ」。湖に住まう乙女が騎士と恋に落ちる物語で、華々しい戦の描写や情熱的な恋の展開から若者たちに人気がある。
今は自由時間であるため、少し聞いていこうと近くのベンチに腰かけた。先程買ったデーツをひとつ、口に運ぶ。
「こんにちは」
不意に降ってきた声。……ここまで近くに来られるまで気付かなかったとなると相手は限られる。案の定、見上げた先にあったのは見慣れた顔である。
「アルジャーノンか。お前も休みか?」
「ええ、まあ。……隣、良いですか?」
断る理由もない。少し横にずれて彼の座るスペースを確保すると礼を言われた。彼のこういうところが好ましいと思う。
「お散歩ですか」
「あれを聞いていたんだ、なかなかよく歌う」
吟遊詩人を示すと彼は納得したように頷き、少しだけ首を傾げるようにして歌を聞いている。長い髪が揺れた。
「……? なにか?」
なんとなく横顔を眺めているのに気付いたらしく、不意に紫紺がこちらを見た。何故だか一瞬息が止まる。それから「なんとなく」ではない理由を適当に口にした。
「いや……随分背が大きくなったなと思ってな。さすがに追い抜けなかった」
「それは……そうでしょう、男と女ですから」
「ニールの奴はすぐに追い抜いてやったんだがなあ」
同期のある騎士の名を出した時、彼が少しだけ目を細めたような気がしたが一瞬のことだったので見間違いかもしれない。僅かに居心地の悪さを感じて黙った私に、彼はいつものように笑いかける。
「あの方は小柄ですからね。たしか同期でしたか、やはり仲が良いんですね」
「悪くはないが……あいつに負けるのは少し癪だからな」
「なるほど」
彼が笑ったことで居心地の悪さが消えたことに安堵し、無造作にベンチへ片手を置く。と、何かを思いきり下敷きにしてしまい驚いて確認すると彼の手がそこにあった。一瞬、ほんの一瞬だけ動きを止めた私の隣で彼が小さく息を吸ったから、我に返って手を引いた。
「すまない、痛かったか?」
「いえ、大丈夫です」
……ついこの間のことを思い出した。ざわ、と何かが波立つ。が、彼と目が合った瞬間すうっとその波が引いた。ざわざわと心臓を撫でていたものは消え、代わりに柔らかくて軽やかであたたかなものがすとんと胸の底におさまる。
――これは、この感覚は、多分。
まだ確証こそないものの、「そう」だと仮定すれば辻褄があう。彼の眼差しが不快でないのも、彼の声で名前を呼ばれると安心するのも、そういうことだったのだ。
吟遊詩人の歌は中盤、乙女が騎士を想い湖畔で歌うくだりに差し掛かろうとしていた。