星詠君⑤-2.1予約付きのかくれんぼ前編 その日、シノはいつものように日の落ちた魔法舎の外へ赴こうとしていた。
が、玄関ホールに至る直前に、甘く芳ばしい匂いと、その匂いとはあまり似つかわしくない人物の姿を目に留めて、首を傾げて歩みを止める。
「シャイロックか。なんだ」
「ちょうど、焼き上がったところなんです。あなたのお口に合うかはわかりませんが」
思わせぶりな返答だ、とシノは思った。
しかし、果物を用いたパイはシノの好物ではある。
「林檎パイか。食べる」
シャイロックはにっこり微笑んで、バーにシノをいざなった。
バーに入ると、カウチソファでまるで猫のようにごろごろしていたムルが、当然のようにシノの隣の席に腰掛けじゃれついてきた。
「あれ? シノ、珍しいね。シャイロックがパイを焼くのも珍しいけど。俺にもちょうだい。俺、シャイロックのパイすき〜」
ネロ曰く、魔法舎の二大美食家のムルがすきというなら、奥様やネロのレモンパイには劣るかもしれないが、かなりのものだろう。
実際、勧められるまま食べてみると、できたてというのもあるかもしれないが、甘すぎずスパイシーすぎず、繊細で上品すぎるきらいもあるものの、なかなかにおいしい。
「ん。うまいな」
素直に褒めると、シャイロックはなんだかうれしそうに微笑んだ。
そうして舌鼓を打っていると、傍らのムルが囁くようにつぶやいてくるのだった。
「ねぇ。今日は、雲のないきれいな星空がみえる夜だよ」
それが唯のつぶやきではないことを強調するように、シャイロックがそれを拾い上げて続ける。
「そうですね。こんな夜は魔法舎の屋上で、ファウストだけれどもすこし風変わりなファウストが、星を眺めていることがあるそうですよ」
シノは林檎パイを口いっぱいに頬張りながら、首を傾げた。
「風変わりなファウストってなんだ?」
シノの問いに顔を見合わせる二人。
「どんなだと思う?」
「会ってみればわかりますよ」
どうやら、これがシノを引き留めた理由のようだが、シノにはまだその意図がなんだかよくわからない。
「なんだ。何が言いたい」
単刀直入にシノが問えば、ムルはにこやかなまま。シャイロックは視線をシノから外して、そっと小さくため息を付くように困惑した素振りを見せた。
「・・・・・・南の小さな子の声を拾って、皆の総意としてしまう。思わずこぼしてしまった子どもすらも傷つける、危険な行為だと思いませんか?」
「南の・・・・・・。ミチルか? ルチルとミチルが昼間、ファウストを捜していた」
そういえばその時も思ったが、ここ2、3日、ファウストの姿を見ていない。
「責任感の強い子ですから、魔法舎にはいますよ」
「え〜? なになに〜? それっておもしろいこと? かくれんぼでもしてるの? 俺もやる?」
ムルの言葉に、今度こそはっきりと、シャイロックがため息をついた。
「きっかけは、おそらくこれです」
「にゃ〜ん」
よくわからないが、シャイロックの言いたいことはなんとなくわかった。シノから見てもちぐはぐなムルは、それでいてなにか、突拍子もなく、計算高いことをするときがある。
一方のシャイロックは、なにかしらの出来事の、最終的な破綻を免れたいのだろう。善意で何かを促している。だが、起こってしまったことならば、過程は楽しみたい。そんな思惑が透けて見える。
・・・・・・ヒースクリフがもしそういう行動を取ったなら、かっこいいと思うし喜んで協力するだろう。つまるところ、貴族っぽい。
だから、シノは、シャイロックの思惑に乗ってやることにした。
「会ってくればいいんだろ。なぁ、シャイロック。林檎パイ、うまかった。また食べたい」
話に乗ってやる。そう言ってやったとき、シャイロックはにっこり笑って言った。
「はい。ファウストの授業のあった日にでも用意しましょうね」
そうして、シノの今日の鍛錬は、魔法舎の屋上の散歩に変わったのだった。
***
一度外にでて、箒で空高く飛んでみると、話に聞いたとおり魔法舎の屋上に人影があった。
シノは静かに屋上に降り立って、足音を立てずにその人影に近づく。
星明かりが強くて、その髪型や体型から誰だかすぐにわかった。
いつものように帽子やサングラスは掛けていない。ケープのかわりに大きなショールを羽織って、元からあったのか魔法で移動させたのか、長椅子にゆったり腰掛け、小さなテーブルに大きな本を開いて眺めて・・・・・・、いや、何かを書き込んでいるようだ。
「なに? 僕になにか用事?」
問いかけはファウストの方からだったが、視線を上げてシノの方を確認することはなかった。
「あんたに会ってこいと言われた」
用件だけ言うと、やっと視線を上げてシノを見た。ファウストにしては珍しく、足を組んで頬杖をついて。
「ミチルは悪くないよ」
「何があったのかは俺はしらない」
その回答にファウストは驚いたようだった。そうして、少しの間星空を眺めて、ファウストはひっそりと笑う。
「あのふたりはいじわるだな」
そう言って、今度は長椅子の座っていた位置を少しずらして、ぽんぽんと叩いた。
「おいで。シノ」
招かれるままに長椅子に腰掛けると、開かれた本の文字がよく見えた。
誰かに宛てた手紙のような感じがする。日記帳のようなものなのかもしれないなと思い当たり、内容が気にならないわけではなかったが、シノには先に確認したいことがあった。
「今までどこにいた?」
「魔法舎の中に」
その返答で自分の部屋にはいなかったんだなとシノは思った。
「それ、今度の授業に使うのか?」
次に興味がわいた事柄への質問。
「使わないよ。次の授業はブラッドリー先生の授業だからね」
「なんで!?」
さらりと言い放たれた言葉に、思わず素っ頓狂な声がでた。
「昨日、カードでもぎとったから」
「は? 聞きたいのはそういう事じゃない」
思わず立ち上がったシノに、ファウストは着席を促してくる。
しんしんと降る星空のように静かな瞳だった。すっ・・・・・・と頭に昇った熱が霧散してしまい、シノはゆっくりと椅子に腰掛け、ファウストの言葉を待った。
「僕は呪い屋だ。先生なんて道理じゃない。きみやヒースクリフの立場からしたらそうだろう? ・・・・・・あの城の人間はちょっとおかしい、いや、なにか勘違いをしているんだと思うけど」
「旦那様と奥様を悪く言うな」
むっとしてファウストを睨むと、彼は今まで何やら書き込んでいたやたら大きな本をとんとんと指で叩いた。
「これは、ヒースの両親から送られてきたものだ。2冊ある。東の国の貴族の間で流行っているらしい。本当かどうかは知らないけど、こういったものが普及しているのは確かなようだ」
「? 魔法がかかっているのか?」
「そう。表紙に決められた言葉を書き込むと開くようになっている。それでこうして記入すると・・・・・・、こちらとあちらの本に文字が現れる。間者とのやりとりで使えば情報はすぐに共有できるのだろうが、これより小さくはできない代物で、相当高価なものらしい。僕がきみたちの授業料を固辞したら、これが送られてきた。週に2回、なにやら書く羽目になっている」
シノは小首を傾げてちょっと考えた。・・・・・・さっぱりわからなかった。
「なんで?」
「僕が知りたいよ。きみたちの様子を知りたいのかと思ったが、違うようだし。まぁ、名前や立場を伏せてのやりとりなら応じると、僕が言ったんだけど」
その時、ふわりと焼き菓子のような香りがした。じっとファウストのふところに目をやると、彼は苦笑しながら巾着のようなものを取り出してシノに手渡してくれる。
流れるような動作で、シノは巾着の中にあったクッキーを口に頬張った。
「うまい。ファウストの家で食べた味と同じだ」
「魔法舎の地下に小さな厨房と窯があったんだよ。非常食のつもりだったんだけど、作りすぎた」
「足りない。もっとくれ。なぁ、ブラッドリーの立場は俺たちの先生として、相応しいのか?」
ファウストはきょとんとして、それからつぼにはまったようにころころと笑った。
「きみに好物を与えると頭が回るのか。ふふ。違うよ。ブラッドリーから得た権利は授業3回分だけだよ。それ以降はお断り、だそうだ。だから、シノ、僕を捜してみない?」
今度、きょとんとさせられたのはシノの方だった。
「これは僕の個人的な願いだけど。道理ではなく、いま、この時、僕たちがきみたちの先生なのだとわからせてほしい」
いたずらを仕掛けるように笑いながら、ファウストは懐から巾着を新たに取り出し、クッキーをシノの口に差し込んだ。
ぼりぼりとかみ砕き、飲み込んでから、シノはにやりと笑う。
「いいぜ。ファウストは俺たちの先生だからな。わからせてやる」
そして、あ〜んと口を開き、催促すると、また窯焼きクッキーが差し込まれた。素朴な味わいのサクサク感がやっぱりおいしい。
「なぁ。次の授業はブラッドリーだって、何かに書いてくれよ。ヒースに見せる」
「いいよ。書こう」
「俺と、ヒースの分が欲しい。俺のは今がいい」
「・・・・・・・・・・・・」
ファウストは何も言わずに便箋を取り出して何かを記し、封筒に入れてシノに手渡した。
シノが封筒をポケットにしまい込んだ後、息をのむような音が聞こえて、ファウストが驚いた風に声をかけてくる。
「シノ・・・・・・? どうしてここに?」
「聞いたぞ。次はブラッドリーが授業をするんだろ」
「え? あぁ、そうだけど」
「ヒースに見せるから、そこの便箋でもなんでもいいから書いてくれよ」
「・・・・・・? いいけど・・・・・・」
手元に便箋が広がっているのを不思議そうに眺めて、ファウストはもう一度、何かを便箋に記し封筒にいれてシノに手渡した。
「あとそのクッキーくれたら、ここにいたことは黙っててやるよ」
「は? まぁ、いいけど。なんなんだ・・・・・・」
いまいち今の状況に混乱している様子のファウストを余所に、無事にクッキーをせしめてシノは魔法舎の屋上を後にした。
***
「本当だ。ずれがない」
翌朝、2通の手紙を重ね合わせて太陽光にかざし、ヒースクリフが感嘆の声を上げた。
それもそのはず。昨夜、シノがファウストに書かせた文書の本文部分がぴたりと重なっているのだ。同一人物が書いたにしても、タイプライターでもないのに不思議な現象だった。
「あ、でも、シノ宛の方には追伸が書いてあるね。成功したら、クッキーを食べさせてあげるよ・・・・・・?」
「あぁ。だから、ヒース。俺たちはやるぞ」
「えっと、もう少し説明してくれる?」
東の国の幼い主従の作戦会議が始まった。