輝ける碧「よう、大将。俺っちは薬研藤四郎。兄弟ともどもよろしく頼むぜ」
そう自然と声を発しながら目覚めて初めて俺が見たものは、美しい碧色の光だった。
「目が覚めたか」
「現世ってのは明るいんだな」
大将との挨拶を終えた後、翡翠の瞳が俺をみつめた。大将の傍らにそっと寄り添い、最初は柄にずっと手をやっていたが、俺が口を開いたらその手がスッと下げられたのが印象的だった青年の姿だ。気配で、人間ではないことだけがわかっていたが、同じ主に仕える身なのだろう。
「今は昼間だ。太陽が昇っているからな。主が言うには本当の太陽ではないとのことだが、よくわからん」
「ふうん。で、アンタは誰なんだ」
「俺は、山姥切国広。ここの初期刀だ。今この本丸には、俺とアンタしかいない。不便をかけるだろうが、よろしく頼む。主から部屋の案内をするようにと言われている。行くぞ」
「お、おお」
全身を覆っている白いボロ布の下から見えた美しい翡翠がすぐに隠されて翻った。慌てて追いかけようとして足がもつれる。
「うわっ」
「おい、大丈夫か」
素早い動きで俺の身体を片手で支える。その手の平はひんやりとしているのが、服越しにも伝わってきた。
「人の身体ってのは動かすのも大変なんだな」
「慣れだそうだ。足元に気をつけろ。各部屋の出入り口には小さいが段差がある」
「ふうん」
少し離れていた先ほどと違い、下から覗き見えた顔の美しさに思わず息を飲んだ。
一点の曇りのない白いが健康そうな肌に、肌のキメにも劣らない見たことのない金色の髪。黄金と白布に隠されるようにして鋭く強い翡翠色がこちらを見ていた。
「なんだ? 写しの顔がそんなに珍しいか?」
不快そうな表情を隠すこともなく、先程とは違い棘のある声が俺の耳に入り込む。その声すらも落ち着きのある心地の良い響きを持って身体に届いていることに気付いた。
「写し? だからなにっていうのは、悪いがよくわからんが、アンタがいい刀だってことはハッキリとわかった」
「は?」
「そんなに綺麗なら、大事にされてきたんだろう。違うのか」
「……」
布が引きずり降ろされ、表情が隠された。
「無駄話をしてないで、いくぞ」
「無駄じゃねーって」
先ほどよりも少しだけ遅くなった足取りに、やはり山姥切という刀はいい奴なんだろうという確信だけが募った。
*
自分たち二振りと審神者以外いないここで初めての夜を迎えた。
試しに出陣もしてみたものの、刀装を付け忘れたとのことで主が慌てて呼び戻すという失態もあり、もう今日はお開きとなったのだ。
まあ、お開きといっても、結局は同じ面子で顔を付き合わせて初めての食事作りに四苦八苦してようやく食事を終えたところだ。
風呂の準備をしてくるといって大将が出て行き、俺と国広は食事の後片付けを託された。人間はこんな七面倒臭いことを毎日やってると聞いてため息が出そうだ。さっき大将がやっていた皿洗いを、見よう見まねで二振で取り組む。
「あ、割れた」
「す、すまん」
国広、とは大将が呼んでいたので、俺もそう倣うことにした。少し微妙そうな顔をされたが、「山姥切」と呼ぶよりも自然な表情になるので、それがいいと判断した。人間の身体がついているとこんなにも表情というのがわかりやすいのだと知った。
国広が洗ったものを、俺が布巾という布で拭いていたが、先ほど自分たちが使った茶碗が割れている。国広がスポンジと呼ばれたフワフワした見た目の食器を洗う専用の布よりチクチクしたやつをグルリと茶碗に付けて泡だらけにして汚れを取るというが、その時に力を入れすぎたようだ。
血が出ていないか確認したら、サッと手を振り払われた。大丈夫ということらしい。
「どんな馬鹿力だ」
「お前も本気を出したら出来るだろ」
「本当か? アンタが打刀だからじゃなくて?」
「関係ないだろ。アンタも刀なんだし」
それから先ほど割った茶碗を更に割れるか二振で試していたら、戻ってきた大将に怒られた。確かになにも考えずに指に力を入れたら茶碗は割れた。
風呂も大将に手取り足取り教えられながら入ったが、正直入る前の国広を脱がすほうが大変だった。湯に浸かったらどうなるのか、錆びないのかと全身冗談抜きに震えてる国広はそれはそれで面白かったが、大将の全裸による説得で気を取られている間に布を引っぺがした。
一日中、初めてのことだらけで、気持ちは昂ぶっているのに、全身が重たいように感じる。布団を敷いて大の字になっていたら、揃いの浴衣の上から布を被っている国広が俺を見下ろして立っていた。その表情はよくわからない。ハッキリと顔は下から見えているが、その意味するところがわからなかった。
「大丈夫か?」
「んあ? なにがだ?」
「アンタは童の姿だ。身体が小さいと体力や力が低くなる傾向になると聞いた」
「おいおい、まだ今日はなにもしてないじゃないか。明日は戦場に行くんだろ。まさか置いていくとか言わないよな」
「行きたくないと言われても困る。戦うために呼んだんだ」
「そうさ。戦うために呼ばれたんだ。お供するぜ、初期刀さんよ」
「それくらい勝気なら助かる」
そうして、ふっと緩ませた口元が形作る顔の秀麗さは、今日見た中でも一番だった。
「国広」
「なんだ」
もう寝る体勢になった国広に向かって声を投げかける。自分も布団を身体に掛けながら潜り込む。
刀の時には想像したこともなかった。人の身を得て、初めて自分の声を聞いた。これほど低いとは思っていなかったし、この腕も足も細くて頼りない。大将よりも薄くて細いのだ。国広や大将が心配する理由もなんとなくわかる。先ほど風呂に入った時に初めて自分の肉体を認識して、これほどとは思わなかった。
それでもわかるのだ。こうして、ここにいるということは、求められたということを。信じたいのだ、自分を呼んだ審神者を。刀である自分の力を。
「明日から、よろしくな。
大将は必ず守ってみせるぜ」
見開いた国広の瞳は、灯りを消された室内でもハッキリとわかる輝きがあった。星の瞬きのような、一瞬の光だったけれど。
この瞳の輝きがあるうちはきっと自分はこの刀とうまくやっていけるだろう。いや、うまくやっていきたいという想いが増した。その理由は、よくわからないけれど、人の身というのはそういうものらしい。大将がメシの時に色々と話してくれた。理由がわからないが「なんとなく」というのがあるのだそうだ。
再び細められた翡翠色が少し滲んだように見えた。
「ああ。最後に主を守るのは、懐刀であるお前だ。任せる」
「おう。任せられた」
「さっき、主から寝る前の挨拶を聞いた」
「なんていうんだ?」
「おやすみ、というそうだ」
「ふうん。じゃあ、おやすみ、国広」
「おやすみ、薬研」
その声に導かれるようにして、初めての夜を俺たちは迎えた。
初めてこの名を呼ばれたことに気付いたのは、翌朝目覚めて「おはよう」という挨拶を知ってからだった。
*
この本丸の初期刀は山姥切国広。
俺は、初鍛刀として顕現した薬研藤四郎。
俺は二振目に顕現した。
その日以降、山姥切国広の、理解者となり、相棒となり、そしてその背中を追い続ける。
その始まりは、全てこの日が始まりだったと今なお思い出すことがある。
今も変わらず「おはよう」「おやすみ」と言葉を交わす。その始まりの日を、俺は決して忘れない。