包丁と一緒セレクション【霊力フェス‼】秘密の味
「あ! なーにやってんだ!」
まさにもう寝る寸前という表情をしていたはずなのに、ソハヤを見つけるとすごい勢いで包丁が駆け寄ってきた。
「うわ、お前身体もうポカポカじゃん……。寝ろよ……」
「寝るよ! ソハヤがなに作ってんの確かめたら!」
「くそ……。もう寝たものだとばかり……」
「ふふん、短刀の偵察舐めるなよな!」
二人は同じ遠征部隊で先程帰ってきたばかりだ。
包丁は今回唯一の極短刀で帰った途端に一期一振が粟田口部屋に連れて行った。残された他の連中とあくびを交わしながら自室に戻ると先程の一期ほどではないが、こちらを気にかけてくれていたらしい大典太が夜食を用意してくれていた。丼に控えめに盛られた米の上に白身の魚、不恰好に千切られた海苔と三つ葉、揚げ玉がパラパラと。一緒に並んでいた安物の普段使いしている急須に湯を注ぎ少し濃いめの緑茶を丼にかける。
白身がその名の通り白く染まっていくのをぼんやりと見ていたら「溢れるぞ」と声がして、ハッとして手の傾きを戻した。
「あっぶね……」
「先に風呂のが良かったんじゃないか?」
寝ていた大典太に気を使い淡い常夜灯の光だけ付けていたが、それではソハヤの顔がよく見えなかったようでパチパチと目を瞬いていたが、諦めて再度仰向けになった。
「いや、美味そうな夜食見たら我慢しきれなかった」
そう言ってガツガツと味わってるとは思えない食べ方であっても大典太の顔が、少しだけ陰影が変わったので、微笑んだのだと気付いたのだった。
小腹も満たされて落ち着いたと思ってザッとシャワーだけで上がったら、今度は逆にしっかり目が覚めた。こんなことなら湯船に浸かれば良かった。
腹が膨れたと思ったが、茶漬けは茶漬けでしかない。よく動いた後で米を食ったら、甘味がほしくなる。
足が自然と厨に向いた。そこでまさかの邂逅である。
「で、これなに?」
厨にある夜食をよく食う奴らがここで食べられるようにと四人くらいが座れるダイニングテーブルに両腕をついてパタパタと足を鳴らす包丁にふんと鼻を鳴らす。
「出来てからのお楽しみ」
そういってガチャガチャと乱雑にフォークで混ぜていたマグカップにゆるりとラップをしてレンジにかける。
「もう出来る?」
「ま〜だ」
チン、と夜中なのに軽快な音が響き、見た目よりも強い力が必要な扉を開けてカップを取り出すと、首にかけていたタオルでそのマグカップを包んだ。
「はい、タイマー。三分な」
「え、お、おう」
ぽちぽちと冷蔵庫に付いているキッチンタイマーを包丁がセットする。
まるで鳥の卵を温めているみたいな格好でテーブルの上でそのタオルとマグカップを抱え込んだソハヤを不思議そうに包丁が見つめた。
「スプーン二つな。俺は温めるのに忙しい」
「嘘つけ! タオル巻いてるだけだろ」
しかし作ってくれているのは事実なので口を尖らせながら小さな果物スプーンを持ってきた。
タイミング良くピピピピ! とうるさい音が鳴って慌ててそれを短刀が止まる間にソハヤはそろりとラップを外す。熱気が顔にかかって思わず「うわ」と声をあげたら隣で包丁がクスクスと笑った。
「これ、プリン?!」
「そう、プリン。なんちゃってプリン」
いつだか手軽に甘いものが食いたいウィークが続いた時、よく厨にたむろする連中とレシピを漁って色々作った時の記憶の名残りだ。目分量で材料をいれ、本当は濾したり、カラメルも作るが今回は完全にすっ飛ばしている。歌仙や小豆が愛情込めて作ってくれるあの酢が入らないように丁寧に準備して蒸して作られるものとは雲泥の差である。
膝に包丁を乗せて、二人で一口ずつ口に入れた。
やり過ぎたか? と思う硬さになってしまったが、包丁は「プリンだ!」と喜色満面の声を上げた。
「すげーなソハヤ!」
「そうかぁ? 小豆の作ったやつのが美味いだろ……。もうちょっと砂糖入れて良かったな……いや、カラメルあればこれくらいでいいのか……」
「俺、コレ好き!」
下から覗き込みながら嬉しそうに包丁がそういうので思わずぐっと言葉に詰まった。
そりゃあ、おそらく吊り橋効果ならぬ、夜食だからこその美味というものだ。
しかし、それを口にはしなかった。
珍しい包丁の素直な賛辞を有り難く頂くことにして、ソハヤは自分の口に運ぶはずだったプリンの欠片を包丁の口に突っ込んだ。
次の朝、一期一振にはしっかりと夜食に甘味を食わせるな、と怒られるところまでが包丁との夜食のワンセットである。
それでもやめようとは思わない。
いつだって一緒
短刀は高いところからよく飛ぶ。大太刀に投げ飛ばされて屋根に乗り、高い木に駆け登っては遠くまで見通し、銃兵と共に乱戦のど真ん中に落ちてくる。それ自体は日常茶飯事だ。
けれど不意なのは当たり前だが慣れていない。
グッと足を踏み込んだ足にかかった力の行き場がなくて地面に向かって加速したその瞬間、「包丁!」と自らを呼ぶ兄と仲間の声が聞こえた。
ハッキリと見えた自分を掴んだ手は白い手袋ではなかった。
目を覚ます。落ち葉や草が貯まったポイントだったようでこれなら酷いケガにはなっていないだろう。自らは打ち身のようなものはあっても、骨が折れているような感じはない。
そこでようやく自分が葉の上だけではなく、厚みのある暖かな何かの上に乗っていることに気付いた。
「ソハヤ!」
慌ててその身の上からどいて全身を確認する。骨は折れてるかもしれないが、外傷や出血は見当たらない。念のため頭は揺らさないように何度か頬を叩く。幾度かのペチペチという音が包丁の心臓の音よりも大きく響いてソハヤの紅い瞳と目が合った。
「わり、意識無かったか……」
「立てる? どっかケガしてないか?」
「随分殊勝な態度だな」
そう笑うソハヤはいつも通りだが、なにかが変だ。
「ソハヤ、立って」
即、バレれたか、という表情で肩をすくめた。無理矢理立とうとするのを肩を抑えてそのまま座らせた。
「足? どっち?」
「右。問題ない歩ける」
「バカ! どこ? 足首? 大腿骨なら動かさないほうがいいって薬研が言ってた……」
「包丁」
しゃがんだまま、今度はソハヤが包丁の肩を掴む。
「お前だけで一期たちを探しに行け。お前ならこの暗い森の中でも走れる。助けを呼びに行くんだ」
「はあ? ソハヤはどうするんだよ!」
「三日も四日もここにいるわけじゃない。上半身はなんの問題もない。刀は振れる。遡行軍が追ってきても戦える」
「ヤダよ! 俺だけ行くなんて!」
「あのな、向こうには堀川と浦島がいる。合流さえできれば俺だって助かる可能性は上がる。そうだろう?」
「絶対、行かない」
ソハヤが思わず「この、強情……」と言いかけたところで、包丁がソハヤに頭突きをかました。「いってえ!」と顔面を抑えるソハヤを見て「ふん」と鼻を鳴らした。
「本当に最善だと思ったらお前は自分の足を斬ってでも俺を行かせる!
そこまでしないってことはそれは選択に迷いがあるからだ! 俺は行かない! お前といる!」
「包丁」
「俺だって刀剣男士だぞ! 修行だって行ったんだ!」
「でも! お前はまだ錬度が低いだろ! お前に何かあったら傷つく奴だっているんだぞ」
「そんなのソハヤだって同じじゃないか! 大典太さんも、物吉も、蜻蛉切も、後藤だって俺だってイヤだ!
絶対に、ソハヤと一緒に帰る!」
そういって、包丁が立ち上がり、自らを構えた。その動きにソハヤが慌てて追随する。
二人の周囲を遡行軍が伺っていた。数は多くはないのが救いだ。向こうもこちらを追うのと、本隊とで分断したのかもしれない。
「ったく、このわからずやが」
「ソハヤのほうこそ!
一緒に再録の『人妻は見た』見るって約束しただろ!」
「今それ言う!?」
包丁がソハヤの目前に来た遡行軍の刃を弾いた。
「ホテルのデザートビュッフェだって一緒に行って奢ってくれるって言ったじゃん!」
「言ってねえわ! 行ってもいいとは言ったけど、奢ってやるとは言ってねえ!」
包丁の上から降りてきた刃はソハヤが立ち上がり受け止めると、腹を包丁が分断した。すぐに敵の身体が闇に溶ける。
「ロマンポルノだってまだ全部見終わってない!」
「お前まだ見るつもりかよ!? 一期がいると見れねえっていうから場所貸してやってただけで人を完全に撒き込み事故にすんな!」
「まだ続きソハヤの押入れの中に入ってるからな!」
「いつの間に!?」
へっへー、と最後の敵を踏んづけてソハヤに向かって包丁がピースする。
「少しは元気出た? 俺と一緒に帰ろうって気になっただろ?」
「ああ、全くだ。立ち上がる気力もねえぜ」
そういって、今度は思いっきり落ちた葉の上にごろんと寝転がった。包丁がそっと右足を検分するとすぐに膝の当たりが左と比べて腫れ上がっているのがわかる。
補強する添木を探そうと周囲に目をやる。ジャケットを脱ぎ、袖をちぎっていたソハヤに包丁が声をかけた。
「またさ」
「うん?」
「一緒にホットケーキ作って、プリン食べて、手巻きずし食べて……」
「食ってばっかじゃねーか」
「まだ俺流しそうめんやったことないし」
「あれやるの大変なんだよ。去年鶴丸が本丸の中でやってからまだ禁止令出てんじゃねえのか」
「俺は、みんなソハヤと一緒にやるから」
ギュッとソハヤの足の応急処置を、なかなか様になっている様子を見て、ソハヤの口から長い溜息が出た。
「平気だよ。これくらい。手入れに入ったらすぐだ」
「知ってるよ! 俺は、絶対に、お前を置いて行かないからな!」
「わかった。悪かったって」
ポンポンと丸い頭を撫でると、遠くから声が聞こえた。
「ソハヤさーん」
「包丁~」
バッと身体を起こすと、包丁が大声を出した。
「堀川たちだ!」
「うっるせ! 耳元で騒ぐな!」
「ここだよ~~~~!」
「今行きますね~!」
どすん、と今度は安心したからか、包丁がソハヤの身体の上に飛び乗った。「ぐえ」っと全身を潰されて変な声が出たのを無邪気な声が笑った。
*
自分がここにいる時、入れ替わり立ち代わりで弟たちが来るので、きっと彼の兄弟もここに来るタイミングを見計らっていることだろう。兄弟二人きりを邪魔するのはさすがに申し訳ないのでやはり目が覚めるのを待たせてもらおうと一期が手入れ部屋に入ると、ソハヤがすでに目を覚まして待っていた。
「お、起こしてしまいましたか?」
「いや、あんなに部屋の前で逡巡されちゃあ、何か用でもあんのかなって……」
「申し訳ない……」
ソハヤのために持ってきた水差しとグラスを枕元に置くと素直に喜ばれた。
「ちょうど喉が渇いていた。助かる」
「それはよかった」
「で、本題はそれじゃあねえだろう」
軽く一口水を飲むと、すぐにこちらに向き直る。そういうところが好感が持てる。
「病み上がりに申し訳ない」
「大したケガじゃない。軽傷だ」
「この度は、包丁を護って頂き、本当にありがとうございました」
そういって畳に額をつけると、反射的に出た「おい!」というソハヤの慌てた声が響いて、今度は思いっきりひそめて一期に「やめろ!」と言っている。
のろのろと身体を起こすと、仏頂面が目の前にいた。
「そんなつもりじゃない。たまたまあの時、一番近くにいたのが俺で、俺のほうが早かった。それだけだろ」
「いいえ、違いますね」
「は?」
「本当は、私を慮ってのことでしょう? さすが、頭の回る御仁だ」
一期が姿勢を正し、そういうと、仏頂面から一瞬表情が消えたが、すぐに苦笑する。
「買い被りだ」
「まさか。まだ修行から戻って錬度の低い私と、短刀としては後半に修行に行った包丁。共に経験は不足している。
私は当然夜間は役には立たない。包丁はきっと私を護ろうとする。実力を越えた範囲まで。
まだ錬度の高くないあの子を護れない私は自信を失うでしょう。どちらにとっても、良くない傾向です」
「思っていたより自己評価が低いな」
「まさか。昼であればこの身を使って必ずや弟たちを守り切ってみせますよ」
にっこりと笑顔を作り力こぶを作ってやるとわかりやすくお互い噴き出した。
「ま、どう思われようとかまわんが、俺は俺のやりたいようにやっているだけだ。変に期待されても、感謝されても返してやれるものがねえ」
「結構です。こちらも思ったように動いているだけですので」
「そういうとこだぞ、一期一振」
そこで突然、ソハヤが表情を一変させた。まるで、いいことを思いついたとばかりに。
「なあ、それなら一つ頼みがある」
「はあ、なんでしょうか」
「兄弟にも、上手いこと言ってくれよ。毎回こうやって手入れ部屋に入るとあとの説教が怖いんだ」
「それは、私にも身に覚えがあることですね……」
「兄弟? 誰かいるのか?」
「大典太殿」
そう声をあげると、静かに手入れ部屋の入り口が開いた。まさに噂をしていた兄弟その人である。
「こんな遅くに……」
「申し訳ありません、大典太殿。こちらがなんとしても礼を早く伝えたく押しかけたのです」
「いや、兄弟がまた無理をしたのだろう。変に気に病むことはない。いつものことだ」
そしてソハヤのほうに向き直る。お、これが噂の説教か? と思ったところで、身体が自然に動いた。
「本当に! 申し訳ございません!」
大典太に向かって土下座をし、夜中の大声の謝罪が部屋に響く。本館とはいえ、外れのほうに手入れ部屋はあり個人の居住地とは離れているので大丈夫だろうが、言われた大典太が固まっていた。隣のソハヤが必死に表情を堪えているらしき気配だけがわかる。そんな態度をしていたらご兄弟にバレてしまうではないか。
「大切なご兄弟を手入れ部屋送りにし、大典太殿へのご挨拶も遅れ大変失礼いたしました。今後、包丁には、いえ、我が弟たちにもしっかりと修行を終えたからといって軽率な行動をせぬよう身を慎ませ、同部隊に入る方々への配慮は元よりこのような事態、決して起こさせぬよう私も一層気を引き締めてまいる所存です!」
「いや、なにも、そこまで……」
「前田や平野も最近は大典太殿への甘えがすぎることでしょう。時々寝落ちては粟田口部屋に運んで頂いているようですし、しっかりと言い聞かせて参ります」
「あ、それは、その、俺が好きでやっているから……」
「寝かしつけるの好きなんだよな、兄弟」
「え!? そうなのですか?!」
「兄弟!!」
「信濃もいっつも大典太殿の懐を狙ってますし……」
「冬場は暖かくて助かっている……」
「では夏場はお困りということでしょうか」
即座に言い返されるが、モゴモゴと口を開けては閉めてを繰り返し、俯いてから小さい声で反論した。
「なにも、困ってなどいない」
「本当でしょうか?」
迫真の「兄」からの真実への問いを発する。
しっかりと、薄暗い部屋で太刀三振り、きっと誰もお互いの顔がちゃんと見えていないだろうに、この時の大典太の顔の決意はハッキリと見えた。
「お前の兄弟たちは、どの刀も、どこに出しても恥ずかしくないものたちばかりだ。なにも、変える必要などない」
それは、本当に一期にとってもありがたい言葉だった。口下手な大典太から、そういって貰えるのは、本当に、そう思ってくれているからだろうという重さがあった。
「ありがとうございます。
私も、三池のご兄弟について全く同じように思います」
「「は?」」
「御二方とも、いつも弟たちと対等に接して下さり、本当に常日頃より感謝致しているのは事実。
昼戦においても短刀が出陣することが増えましたが、皆お二人との出陣はいつも楽しみにしております。今回包丁も馴染みの深いソハヤ殿と一緒で私と一緒よりも喜んでいるのではないかと疑うくらいで……」
「そりゃねえだろ」
「ものの例えですよ。いえ、嘘ではありませんぞ。
おかげでこのようなご迷惑をおかけしてしまいましたが……」
そこでチラリと大典太を見る。長い溜息をついて、大典太が立ち上がった。
「全く、変な口裏合わせをして……」
「いえいえ、そんなことは……」
「許したわけではないからな、ソハヤ。
包丁と、その兄に免じて今回は見逃してやる。ゆっくり休め。また明日の朝にな」
そして、本当に少しだけ微笑んで帰って行った。粟田口にもあまり表情の動かない者がいるからわかる。骨喰が怒ったり悲しんだりしている時、顔は動いていなくても感情は当然動いている。その機微は兄弟でもわからないことがある。それでも一緒によくいる鯰尾や兄である一期はその心情を慮れる。
普段感情の動きが読めない大典太だが、前田やソハヤは当たり前に会話をし、感情を読んでいる。
一期は、初めてその感情を読み解けた気がした。兄弟を思う兄として。
「くくっ」
身体を半分に折り曲げ震わせたと思うと、大声で笑い出す。
「わはははははは! めちゃくちゃじゃねーか、一期! 見直したぜ!」
「そうですか? ご意向に添えたのならなによりです」
思わず、一期も足を崩して胡座をかき、頭に触れた。時々言われる。無意識に頭をかくのは、薬研とも鯰尾とも一緒だと。
「はあ〜、めっちゃ面白。なんだよ、今回は見逃してやるって……。悪役のセリフじゃん……」
ゲラゲラと涙を流して笑うソハヤに苦笑して、一期もいよいよ座を辞すことにする。
「さあ、私も本当に戻りますから。
明日、包丁に会ったらいつも通りにしてあげてください」
「ああ、気にしてたか? 俺にはなにも謝罪しなかったから、我慢してたんだと思うけど」
「でしょうね。なので、いつも通りで、どうか」
「もちろんだ。アイツは、かわいい弟分だからな」
ソハヤに布団に戻るように促し、掛け布団をかけてやる。
「一期」
「はい」
「ありがとな。わざわざ」
「いえ」
「おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
今度は、大典太のほうにもフォローを入れておこう。
同じ兄としての邂逅は、近いかもしれない。
弾けるレモン
この本丸に顕現してから自然と兄弟を探す生活をしている。同室なので大体は一緒に朝食を摂るがその後はそれぞれ予定があるのでそれほど一緒にいることは少ない。それぞれ前田家由来や徳川伝来の刀たちといることも多く、寝る前まで会わないこともこの人数も増え、広くなった本丸では普通のことだった。
なのでつい視線が兄弟を探しているのだ。予定を確認しに食堂横の掲示板を確認しに行く。今日は畑当番らしい。そういえば、畑のほうから賑やかな声がする。
とりあえず弟の分と一緒に当番に入っているらしい包丁の使われていなかった麦わら帽子を持ってそちらに向かう。
「大典太殿」
呼ばれて振り向くが、誰もいない。
「こちらです」
「一期」
ガチャリと厨の勝手口が開いて一期一振が出てくる。こっちに来いとのことなのでついて行くと、中でグラスが沢山並べられており、飲み物を用意していたようだった。
「畑に行かれるのでしょう? 畑に今当番以外にも手伝いで弟たちがほとんど揃っているので差し入れを作っているのです。私も先程まで一緒に作業をしていたのですが、こうも暑いと外に出ずっぱりはしんどくて……」
「まあ、ここも十分暑いがな」
「ええ」
「手伝えということか」
「帽子だけを持っていくより、格好がつくと思いますよ」
全く、逃す気など、初めからないくせに。
作業台の上には、レモンの輪切りが途中で放置されていた。再び一期が果物ナイフを手に取って作業を再開する。
「……で、俺はなにをすればいいんだ?」
椅子に麦わら帽子を置き、流しで手を洗い、一期にそう声をかけた。
「ありがとうございます! では、このレモンをグラスに一つずつ。それとはちみつを大さじ一ずつ、グラスにお願いします」
「わかった」
はちみつレモンか。風邪を引くとソハヤが所望するので大典太も作り方くらいはわかる。そういえば風呂上がりに時々物吉と飲んでいるのを見たことがあったと思い出す。
「はちみつレモン、包丁が好きなんですよ」
「包丁が?」
「ソハヤ殿が、作ってくれたんです。最初に」
「そうなのか?」
「私がいない時に、鯰尾も骨喰も、頼りにしている薬研もいなくて、心細かったのでしょうな、風邪を引いて寝ていなくてはならないのに、ウロウロしていたらしくそこをこっぴどく叱られたと本刃が言っていました」
「かなり昔の話だな」
「ええ。それでもその時にソハヤ殿がこれを作ってくれて、それから何度も私も作らされました。
あの子は、ソハヤ殿にはあんなに屈託のない顔を見せる。私の前では気が張っているのか、甘えてますけど、少し固いんですよね」
「ふふ」
思わず笑ってしまった。一期がキョトンとしている。
「あんたの前では、格好つけたいだけだろう。一端の粟田口ならばな」
「そうでしょうか」
「そうだ」
近すぎると、わからないものだ。それも、なんだかわかる話なのだが。
全てのグラスにレモンとはちみつを入れ終わり、気付けば一期もナイフとまな板を洗っていた。
「次はどうするんだ」
「この湯を少しだけ注いでください。かき混ぜてはちみつが溶けたら、冷水を注ぎます」
「わかった」
今度は大典太が、すでに用意してあった薬缶から湯を入れると一期がグラスの中を混ぜ合わせていく。連携作業も様になる頃、今度は一期が不意に笑った。
「……なんだ」
「ふふ、いえ、失礼。前田の言う通りだったな、と」
「前田?」
「ええ。大典太殿は、とてもお優しい、と。そう、秋田も言っていました。私、こう見えても弟たちの話をよく聞くので本丸内の噂には詳しいのですよ」
「はあ……」
「ったく、なんなんだ」
「帽子、私は気付いていませんでした。いつもなら真っ先に言うんですけど作業に白熱してしまって」
「そういう時もある」
「そういうところですよ」
湯を入れ終わったので、これもすでに一期が用意していたらしき氷入りの冷水を入れていく。
レモンがグラスの中に浮く。少しだけ果汁が舞って、ドロリとしたはちみつの跡が見える。
レモンもはちみつも、明るい黄色はあの二人に似合う。自分たちを照らす光のような明るさを持っているあの二人に。
「は~。ありがとうございます! 手伝っていただいたおかげで、かなり早く終わりました」
「下準備は全部あんただろう。俺は少しやっただけだ」
「いえいえ、いつもお世話になっております」
そういって深々と頭を下げた一期に以前の夜のやりとりを思い出した。
「おい、やめろ。俺のほうが前田や平野の世話になっている」
「それが、あの子たちの生き甲斐ですから」
そこでふと一期の瞳もまた、はちみつのような輝きだと気付いた。
「やりたいようにやらせてもらって、前田たちも、包丁も、ありがたいことです。
あの子たちが、笑顔でいてくれることが、今の私の生き甲斐ですから」
そういって微笑んだ一期の笑顔に、なんの躊躇いもないことが、それを真実だと語っていた。
わかる。その気持ちは、痛いほど。
アイツが、兄弟が、ここで、楽しそうに過ごしてくれていれば、自分もまた心穏やかにいられる。それでよかったと、それがよかったと、それが観れたことだけでもここに顕現した意味があると思っているくらいには。
しかし、また、懸念も尽きないものである。
「アイツも、そんな風に思ってくれていればいいのだがな」
「はい? そりゃあ、そうじゃないんですか?」
グラスを二つの盆にタオルを引いたその上に載せている途中の独り言の呟きを一期が拾った。
「……アイツは、俺の前ではそれこそ包丁に対するような態度は取らないからな。
同じ銘が入っていない俺たちを、兄弟と呼んだのはアイツだが、それが本心かもわからない。厄介な男だ」
思わず零した愚痴に、一期が朗らかに笑った。
「何をおっしゃいますやら、大典太殿」
「それこそ、貴方の前では、恰好付けたいのでしょう。同じ、三池の者として、恥ずかしくないように」
それを聞いてキョトンとする。
「もとよりアイツは、恰好付けたがりだが……。そうか。その可能性もあるのか」
「それに、先ほど話したじゃないですか。我々は、それぞれ『兄』と『弟』の顔しか見れないのですよ。複雑ですね」
「なるほど。そうだ。確かに」
「でも」
押し付けられた片方の盆を持つ前に右手に麦わら帽子も掴む。これを渡すのが本来の目的だ。
「その顔は、我々だけの、特権なのですよ」
「そうだな」
自分を見た瞬間に切り替わるあの顔は、確かに、特権そのものだ。
*
「みんな! 飲み物を持ってきたよ、休憩にしよう!」
「ソハヤ!」
一期の呼びかけにわ~ッと短刀たちが寄ってくる。すでに半分休憩のようなものだったようで、包丁とソハヤはずぶ濡れだった。厚や薬研が本館に戻っていくので、タオルを取ってくるようだ。
「わーい! いち兄ありがとう! はちみつレモンだ!」
「兄弟までどうした。サンキューな」
「お前たちに帽子を持って行こうとしたら一期に掴まってな。これだけの熱気だ。帽子はきちんとかぶれ」
ぼすんぼすんと二人の頭に被せると一瞬帽子に隠れた表情は割れるような笑顔を見せた。
ああ、これが、兄弟だけの特権か、と納得する。
しかし、ニヤリと笑ったソハヤに気付いたのはその直後だった。
「兄弟! 隙あり!」
ガシッとソハヤに羽交い絞めにされなにかと思うと包丁にホースを向けられた。なるほど。顔面から上半身までびしょびしょである。
「これ! 包丁!」
慌てた一期の声よりも走って逃げていく包丁の笑い声が響く。水は適度に冷たくて厨での作業でそれなりに身体が火照っていたのだと気付いた。
「ソハヤ」
「ん?」
一瞬でソハヤと位置を入れ替わり、包丁が落としていったホースを拾った。
「ぎゃー! 待て、待てって兄弟!」
「悪い弟にはお仕置きが必要だな」
「ぎゃーーー!」
首元から思いっきり水を放射してやる。ゲラゲラと笑いながら大典太を跳ねのけ逃げ出したソハヤの笑顔は水に濡れても陰ることがない。
明るくて、ヤンチャで、恰好付けたがりの、可愛い弟分そのものだ。
「パンツまでびしょ濡れじゃねーか!」
「俺もだ」
「水も滴るいい男だぜ、兄弟」
「全く、ひっかけといてよく言う……」
しかし本当にその通り水が滴る髪をかき上げ、絞る。ソハヤも同じように髪をかき上げている。
大典太光世の兄弟は、水も滴るいい男だ。