HOME3「スティーブンさんへのプレゼント?」
「誕生日近いんだよね」
注文した食料品のチェックをするギルベルトの後ろで、手伝いに来てくれたレオに水希が相談していた。
ふむ。書類にサインしながら、脳内でカレンダーをめくる。水希の言う通り、主の親友である男の誕生日はもうすぐだ。
「なるほど」
レオも納得したように頷く。その傍らで、食料がずっしり詰まった箱が、一人でに浮いては次々と荷台に乗せられていく。荷台があっても、老体には一つ一つを台に乗せたり、すべて乗せたそれを押すのはやや堪える。見た目にそぐわぬ怪力(という名の念動力)を持つ彼女は、こういった力仕事を率先的に手伝ってくれるし、レオも己は戦闘では役に立てないからと何かと雑事に協力的だ。
「ちょっと若いけど、お父さんにあげるようなものとか良いんじゃないか? 俺は無難にネクタイとかあげてたよ」
「ネクタイ……」
「スティーブンさんセンスいいし、ちょっとハードル高いか……」
参ったように首を捻る若者たちを、ギルベルトは微笑ましく見守る。
スティーブンは、水希が選んだものなら何でも喜ぶだろう。水希がこうしてプレゼントに頭を悩ませるほど慕っているという事実だけで、感慨深いものがある。誕生日当日まで、このことを彼に伏せなければならないのが惜しいぐらいだ。
「去年は何あげたんだ?」
「それが、誕生日を知らなかったんだよね。知ってても、買おうって発想なかったと思うけど」
「本人に聞くってのも味気ないしなあ」
「パパのプレゼントなんて、弟に任せてたし」
「水希、弟いるんだ?」
ギルベルトは既知の事実だが、少し驚かされた。水希が自ら家族の話をするのは、珍しいからだ。
「いるよ。双子だから、あんまり弟って感じじゃないけど」
「双子かあ。似てる?」
「よく一卵性双生児って間違えられるぐらいに」
「へー、写真とかないの」
水希は首を振る。
「三年前、ここが崩壊したときに、全部なくなっちゃった」
HLとして再構築された後、紐育時代のものが残されている所もある一方で、霧の中に消えてしまったものも少なくない。
水希の家や、所有物もそれらに含まれる。大崩落するまでの十三年間、彼女が与えられたもの、得てきたものすべてを、彼女は失ってしまった。その中にはきっと、水希が親からもらった誕生日プレゼントもある。
「……はぐれたの?」
そう問いかけるレオの声は優しい。
物は「なくした」と過去形で言っても、弟は「いる」と断言した。それを彼は敏感に聞き分けている。途方もない視力とはまた別に、人をよく見る少年だ。だから水希も弟の話をしているのだろう。
紐育大崩落で、行方知れずとなった市民は数知れない。今もなお生存している確率は絶望的に低い。
しかし、水希は不可思議な力を持っている。離れた場所にいる実父が死んだ瞬間すら感知してみせた少女が、「弟は生きている」と言っているのだ。だからギルベルトたち大人も、そのつもりでいる。
再会できる保証は、誰にもできないが。
「うん。……離れなきゃ、よかったんだけど」
最後の一箱が乗せられる。気持ちを切り替えるように、少女はギルベルトへ振り返った。
「ギルベルトさん、これで全部?」
「ええ。助かります」
ところで、と微笑みかける。
「明日、茶葉を選びに出かけるのですが、ご一緒しませんか。スターフェイズ様へのプレゼントは、お店を回りながら探してみてはどうでしょう」
「いいの?」
「もちろんですとも」
ラインヘルツ家三男坊の専属執事でありながら、ライブラの一員であるギルベルトには、スティーブンも大変世話になっている。事故で背骨が折れただけでも大変な大怪我だったが、加えて人界より派遣されてきたフィリップを助ける際に致命傷まで負わされ、とうとう入院してしまった。その間は彼の一等美味しいコーヒーが味わえず、彼が担っていたライブラの職務も動ける者たちに割り振らねばならない。クラウスはもちろん、スティーブンもあらためてギルベルトがいるありがたさを痛感していた。
「スティーブン、まだ残っていたのかね」
日付が変わる少し前。執務室に入ったクラウスが、驚きの声を上げる。
「おいおい、それはお互い様だろ、クラウス」
しかし、さすがに疲れてきている。タブレットから視線を外し、伸びをした。
「その……」
「何だ?」
歯切れの悪い切り出し方に、クラウスを見る。
「ギルベルトから聞いたのだが……今日は君の誕生日のはずだ」
「ん? ああ、そうか……そういえば、そうだったな」
スティーブンももう三十路だ。己の誕生日など、そう頓着しなくなった。
首を捻る。クラウスとは長年の付き合いがある。今さらギルベルトが言わずとも、スティーブンの誕生日はクラウスもよく知っているはずだ。
「だから、その……こんな時間まで帰らなくていいのかね、スティーブン」
こんな時間もなにも。もっと遅くまで残ることはあるし、誕生日だからと言ってゆっくり休みたいともならない。寂しい誕生日だ、なんて嘆く若さじゃない。同居人の水希には、今日も遅くなるという連絡も忘れずにしている。
……水希?
「あっ」
スティーブンはスマホを取り出し、メッセージアプリを見返す。
――残念、今日はヴェデッドさんのローストビーフの日なのに。冷蔵庫に入れておくね。
これは、帰りが遅くなると、水希に一報入れたときの返信だ。別に珍しいことではない。似たようなやり取りはしょっちゅうだ。今日もそのつもりだった。
「あ、ああ~……」
顔に手を当て、うなだれる。
「もしかして、水希が待ってたのか」
「おそらく……」
華の独身だし、恋人もいないから、今日を特別に扱ってくれる存在がいることを失念していた。なにせ、去年はそもそも水希がスティーブンの誕生日を知らなかったし、あの頃はまだお互い他人行儀だった。今年はきっと祝ってくれるだなんて、考えもしなかったのだ。
無駄なことではあるが、時計を見る。今から交通違反覚悟で飛ばしたとしても、家に帰りつくころにはとっくに誕生日は終わっている。水希だって眠ってるだろう。
それでも仕事を続ける気にはならなかった。溜息を吐き、立ち上がる。
「もう間に合わないが、帰ることにするよ、クラウス」
「うむ、そうした方がいい」
*
玄関もダイニングも消灯済み。案の定、水希は先に就寝したようだ。
だよなあと肩を落とし、冷蔵庫を開ける。ほのかな明かりがスティーブンの顔を照らす。
水希の言った通り、そこにはローストビーフが鎮座していた。その隣には、ケーキまである。きっと、ヴェデッドと一緒に作ってくれたのだろう。
冷蔵庫を閉め、足音を忍ばせて階上へ行く。水希を起こさないよう、静かに寝室へ入った。
水希はドアと反対側を向いて寝ていた。音を立ててないとはいえ、近寄っても起きる気配はない。よく眠っている。
今日――すでに0時を過ぎているので昨日だ――がスティーブンではなく、水希の誕生日だったら決して忘れなかった。スティーブンがうっかり忘れかけたところで、K・Kが釘を刺してくれただろう。HLが現れなければ、家族で過ごしていたはずの特別な日に、寂しい思いをさせてはいけないと。
去年を思い出す。情報提供者である女性たちが満足するプレゼントならいくらでも候補を思いつくが、水希はスティーブンが普段接する女性たちより年齢層が低い。悩んだが何も用意しないわけにもいかず、とりあえずHLで評判の店で、少々値が張るケーキを予約していた。当日は緊急の仕事が入り、店が閉まってしまうから代わりにケーキを受け取りに行ってくれと、その場にいたチェインに公私混同なお願いをする羽目になってしまった。
けっきょく帰りは少し遅くなってしまったが、ケーキを片手に帰ってきたスティーブンに、水希は驚いていた。ケーキとスティーブンを交互に見た、戸惑った表情をよく覚えている。
今年だったら。次の誕生日は、もう少し素直に受け取ってくれるかもしれない。先の未来を想像し、笑みが漏れる。
そっと髪を梳く。スティーブンと違って癖のない髪は指通りが良く、滑らかだ。動きやすいからと短くしているが、伸ばせばさぞ美しい髪になるだろう。
「明日……いや、今日か。一緒に食べような」
眠っている彼女に聞こえやしないが、小さく呟き、寝室を後にした。