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    Hello,shining!9【完】 カメラをオンにした瞬間、水希はつい口に出した。
     どうした、と。
    「なに死にそうな顔してんの」
     まるでこれから葬式に行くような。HLでその例えはマジっぽくなってしまうので、言わないが。
     これで職場の誰かが亡くなったと言われたらどう返せばいいのやら。
     仕事で頭を打ち病院に担ぎ込まれたと聞いているが、レオナルド以外に重症者でもいたのだろうか。
    『ミシェーラが結婚するって……』
    「は」
     ミシェーラMichela結婚marriage
     二つのワードを、何度か頭の中で繰り返す。
    「妹、いくつだっけ…?」
     車椅子に乗った、溌溂とした金髪の少女を思い出す。特別話したことはないが、車椅子という特徴は目立つ。自然と覚えていた。
     レオが水希と同じ十九歳なのだから、それより下なのは間違いない。
    『十六歳』
     ギリギリじゃんか。
     水希はしばし言葉を失う。
     彼氏できました報告ならまだわかる。が、それをすっ飛ばして結婚報告とは……えぐい。水希も弟にいきなり「結婚するね!」なんて言われたらと思うと笑えない。彼女できました報告なら、ハイスクール時代にされたことがある。少々しょっぱい気持ちになった。
     まあレオナルドの場合、ろくに連絡をしていなかったから、交際報告が端折られたのだろうけど。
    「えーっと、あー……おめでとう……?」
    『ありがとう……』
    「ちなみに相手はいくつなの」
    『いやそれが……色々聞く前にミシェーラが……そう、そう!』
     レオナルドがぐわっとカメラに顔を近づける。物理的距離は一切変わらないのはわかっているが、あまりの勢いに、水希は反射的にカメラから遠ざかる。
    『聞いてくれよ水希!』
    「あ、うん。聞くけど」
     レオナルドの剣幕に圧され、頷く。
    『ミシェーラが来月、婚約者と一緒に来るって!』
    「来る? 来るってまさか──」
     水希は今度こそ絶句する。
     まさか、危険が日常の異常都市に来訪するとは言わないだろうな。
    『HLに……』
     そのまさかだった。
     片手で顔を覆う。
    「いや止めなよそれは」
     長年訓練を受けて戦場を経験している軍人だって、ぷちっと蠅のように死んでしまう街に、自力で歩けない女の子が来るなんて。
     いや、五体満足だったとしても、身内がこんな街に来るのを歓迎なんてできない。少なくとも、水希なら大反対する。
    『それが聞き入れてくれなくって』
    「職場に相談は?」
    『護衛つけてもらえることになった』
    「それならまあ……大丈夫か」
     絶対とは言えないけど。HLだから。
     レオナルドははーっと溜息を吐いて、突っ伏す。水希の画面には、癖の強い茶髪とつむじしか映らない。
     最強の護衛がつくとはいえ、心労は尽きないだろう。歩けず、目も見えなくなった可愛い妹が、どこぞの誰かと結婚なんて。自分だったらと置き換えて想像するだけで、胃がキリキリしそうだ。
     レオナルドは妹から人並の幸せを奪ってしまったと思っている。ところがどうだ、妹は遠い故郷で、兄の手など借りず自力で幸せを掴み取った。
     ちゃんと目が見えてたら、必ず幸せになれるわけじゃない。苦しんでいる奴は、ごまんといる。水希やレオナルドのように。
     足がなくても。目が見えなくても。彼女はきっと、不幸になど思ってないのだろう。まったく知らない赤の他人だが、婚約者殿はそんな彼女に魅力を感じたのではと想像する。
    『大丈夫かなあ』
    「HLだからって、必ずなにか起きるわけでもあるまいし」
     レオナルドのトラブル吸引体質を思うと、むしろ起きそうでならないが。それを口にしない分別はある。
     しばらく、無気力にうーうーと唸って。
     やがて、ぽつりと切り出した。
    『俺、自分一人の命だってままならないのに』
     溜息。
    『ライブラの人に、相談したことあるんだけど』
    「うん」
    『場合によっちゃあさ、どうしても逃げれないことってあんじゃん。そういうとき、他になにができるんだろうって』
     水希の超能力と違って、レオナルドの視力に特化した能力は戦いに向いていない。戦場において、彼は非力だ。
    「そりゃ、その眼を使って逃げる隙でも作るしかないんじゃないの」
     それが通じない相手だったらお手上げだが。
    『でも、それすらできないときってあるだろ? 例えば、ほら……前に、水希に助けられたときみたいな』
    「まあね」
     あの事件はレオナルドにとって頼みの綱であるライブラですら、どうにもできなかった。あんな事態そうそう起こりえないと思うが、実際一度起きている。二度目がないとは誰も言えない。
     ライブラに助けを求めることすらできない危機的状況が。
    「もし──」
     レオナルドが少しだけ顔を上げて、こちらを見やる。
    「もし、こないだみたいに、本当にどうしようもなくなったらさ」
     指を立て、こめかみのあたりをつつく。
    ここで、思いっきりアタシのこと呼んでみてよ」
     弟と実験をしたことがある。どれだけの距離までなら、水希に〝声〟が届くのかを。
    「HLの端っことか、永遠の虚のど真ん中にでもいない限り、アタシには聴こえるだろうからさ」
     血界の眷属。
     HLが出現して早三年。いまさら、吸血鬼が実在すると聞いても、驚くことはない。
     遥か昔から存在したであろう彼らだが、HLでも話題に上がるようになったのは、今年に入ってからだという。水希がHLに移住してから半年経ったぐらいか。地下鉄に現れ、多くの人が亡くなったとニュースで報道されていた。その吸血鬼は退治されたと聞くが、いったいどこの誰がどうやって、という詳細は語られず。
     詳細は不明だが、ライブラがどうにかしたということを、水希は知っている。それにレオナルドが関わっていることも。
     だから、たぶん。妹が来HLしているという今日に限って暴れ回った血界の眷属も、ライブラが対処してるんだろうな、と。ニュースを目にして、水希は想像する。
     せっかく妹が会いに来たのに、仕事が入るとは運がない。
     同情しつつ、スマホをベッドに放り、そろそろ夕飯の支度をしないとと立ち上がる。
    (水希)
     冷蔵庫を開ける手を止めた。隙間から、ひんやりと冷気が漂う。
     まるで悪い予感のように、それは水希の指先を冷やしていく。
    「レオナルド?」
     当たり前だが、口に出したところで返事をする奴はこの家にいない。
     心臓の鼓動が早くなる。
     今、レオナルドに呼ばれた気がした。
     思い違いだろうか? そう思ったが、すぐに違うと否定する。
     色々と厄介な力だけど、自分の超感覚的知覚だけは絶対に疑わないと決めている。
     間違いない。今のは、レオナルドの〝声〟だった。
     レオナルドが水希を呼んでいる。
    (水希)
     冷蔵庫のドアを乱暴に閉め、スマホとバイクのキーを引っ掴んで外に出る。
     アパートの階段を駆け下りながら、スマホで先ほど見ていたニュースの記事を開く。
     ラリントンパーク53街道。
    (10-33)
     バイクに跨り、発進する。
     血界の眷属のニュースはまだ新しい。現場にまだ誰かいるかもしれない。いなかったら、事務所の場所は知っているから、そこへ直行する。
    「10、ハイフン、33」
     頭に響いた文字列を、反芻する。水希はその意味を知らないが、ライブラの人間になら伝わるものなのだろう。
    (水希)
     水希は以前、窮地に立たされたレオナルドに力を貸して、あわや死にそうな目に遭った。撃たれた脇腹の傷は塞がったが、痕が残っている。レオナルドはそのことを、ひどく気にしていた。口ではもちろん、心の中でも何度も詫びていた。「僕なんかのために」なんて言われたのを思い出すと、今でも腹が立つ。
     そのレオナルドが再び、部外者の水希に助けを求めている。
     ただ事ではない。
     思いつくことと言えば、妹の来訪。
     たぶん、自分の命に関わることだけだったら、レオナルドは水希を呼ばないと思う。彼の意思ではなかったとはいえ、結果的に妹の視力が奪われてしまった罪悪感で、どこか自分を軽く見ているところがあるから。
     生憎、水希は妹の宿泊先を知らない。だから向かう先は、ライブラだ。
    (水希)
    「聴こえてるよ」
     このとき初めて、受信しかできない自分の力を呪った。
     レオナルドには、自分の〝声〟が水希に届いているのか、わからないのだ。
     バイクを加速する。
     レオナルドの〝声〟を拾うことに集中しつつ、周囲の〝声〟も探って、比較的混んでいない道を選んで目的地へ急ぐ。
     途中、なにかにぶつかりそうになれば、念力を駆使してやり過ごす。普段なら絶対にやらない、危険運転だ。
    「──いた」
     目的地に着く前に、強い〝声〟をキャッチした。常人とは比べ物にならないほど強い精神力。水希はよく覚えてる。
     ライブラのリーダーが、近くにいる。

       *

     レオナルド・ウォッチは、特殊な視力を持つ故か、はたまた性分か、人を見ることに長けた青年だ。
     人をよく観察し、細かなことにもよく気づく。そんな彼が、一言も声をかけずに現場を去るのには、違和感がある。
     その違和感に傾けていた思考は、突如車体にかかった急ブレーキに引き戻された。
    「申し訳ございません。車が勝手に──」
     執事兼、クラウスの運転手を務めるギルベルトが、後部座席に座る主とスティーブンに怪我はないか確認する。
     車の前には、なにかがあるわけではなく。衝突を避けるために急ブレーキをかけたのではない。後続の車が、クラクションを鳴らしながら横を走り抜けていく。
    「いったい、なにが──」
     乱暴に窓が叩かれる。
     見ると、見覚えのある少女だった。
     身体中に緊張が走る。
     秘密結社たるライブラと相性の悪い彼女は、関わりを避けている。その彼女が、自らクラウスたちに会いに来た。おそらく今の急ブレーキは、彼女が念力で無理やり停止させたに違いない。
     彼女──水希が、どんな理由なら、ライブラに接触を図るのか。
     考えられることはただ一つ。
    「レオナルドになにかあったか」
     窓を開け、同じ推測に至ったスティーブンが問いかける。
    「10ハイフン33」
     息を呑む。
    「アイツからの伝言だ」
     10-33。
     ライブラ内で決められた、救難信号だ。
     ──レオナルドが危ない!
     激情が胸中でどっと膨れ上がった。
     スティーブンが仰け反り、水希が怯んだように顎を引いたが、気遣う猶予はない。
    「スティーブン! 緊急事態だ!」
    「ああ」
     即座にスマホでレオの番号を呼び出すが、応答なし。スティーブンが確認したレオのGPSも、反応がない。
     ライブラの全構成員に緊急連絡するスティーブンを横目に、水希に問う。
    「君はどうする?」
    「行く」
     震える声で、しかし水希は即答した。

       *

     スマホのGPSは機能していなくても、レオの行き先は想像できる。
     タイミングがあまりにも合致している。おそらく、妹が宿泊するホテルだろう。ザップの隣で並走している超能力者も、レオの思考はそちらの方向から聴こえると言っている。
     横目で彼女をうかがう。今にも獲物の喉元に喰いつく寸前の野犬のように、鋭い眼光を発している。
     通信手段を断たれてしまったため、ザップたちにレオの安全を確認する術はない。だが、彼女はまだレオの呼びかけが聴こえるらしい。つまり、それが彼女に届く限りは、レオは生きている。
     不意に。
     水希が手で目元を覆い、ぎゃあと悲鳴をあげた。
     当然、彼女が運転していたバイクはあらぬ方向へ走ろうとする。
    「オイ!!」
     慌てて血糸を伸ばしてバイクを絡めとり、どこにもぶつからないよう停車させた。
    「どうした!」
     すぐ後ろを走っていたクラウスたちの車も停まり、車内からスティーブンが叫ぶ。
    「目が……熱い……溶ける!」
    「見せろ」
     骨張った手を無理やり引きはがす。
     青い目からはぼろぼろと涙がこぼれるだけで、異常は見られない。
    「ザップ! 彼女に運転は無理だ、後ろに乗せてやれ!」
    「なんスか、どうしたって言うんですかコイツ」
     問いつつ、目の痛みを訴え続ける女をバイクから引きずり下ろす。
     水希のバイクは乗り捨てることになるが、後で他の構成員が回収しに来るよう指示が出るはずだ。
    「おそらくそれは少年の痛覚だ。五感まで感応できる距離まで近づいている」
    「どういうことっスか!」
    「レオナルドは義眼を使いすぎると目のあたりが焼けるだろう。その痛みを、彼女も共有している」
     レオが義眼の熱に苦しむところは、何度も見ている。ザップの攻撃は火を扱うものだが、目が焼けたことはない。その痛みを想像すると、怖気が走る。
     心が読めるんだったら、気になったオンナのメアドも知りたい放題じゃねーか──なんてザップは思っていたが、案外使いどころが難しいらしい。
     レオの思考を追うのをやめてしまえば、その痛みは止むのだろう。けれどそれではレオの生死がわからなくなる。彼女には耐えてもらうしかない。
    「急ごう。レオが戦っている」
     後部座席に水希を乗せ、血糸を腰に回して落ちないよう固定する。
     見てるだけでも細いとは思っていたが、血糸で胴体をぐるっと締めると、よけいその細さを実感した。こんな弱っちそうな成りの女にはっ倒されたのかと思うと、不思議な気分だ。
    「悪いが、もうちっと我慢しろよ」
     ロビーに現れた死体。重軽傷者三名。HLと言えど、ミシェーラたちが選んだのは安全性の高さが売りの、高級ホテルだ。こんなトラブルが起きることは滅多にないのだろう。ホテルマンたちが慌ただしく駆け回り、他の宿泊客たちが不安がらないようフォローに努めている。
     ギルベルトが呼んだライゼズの救急隊員がレオたちを搬送するのを見届けて、クラウスたちは戦いの場となった客室からロビーへ降りた。自分たちも病院へ向かうために。
     ロビーには、戦闘員ではないギルベルトとチェインだけでなく、水希も待機させていた。
     彼女は驚異的な力を持っているが、戦闘に慣れているわけではない。加えて、レオの痛覚をずっと共有していたことで、激しく消耗している。ホテルマンの頭からミシェーラたちの客室番号を読み取ってもらった後は、ギルベルトたちに任せていた。
    「ギルベルト。ライゼズへ──」
    「ミスタークラウス」
     休憩スペースで水希を休ませていたチェインが、顔を上げる。ソファに腰掛ける水希は、目元を覆ったまま俯いていた。
    「彼女の目が……」
    「どうしたかね」
     レオを保護した後に、彼の安否は伝えてある。病院へ搬送されているところなのだから、もう彼の痛みは感知していないはずだ。
     膝をつき、水希と目線を合わせる。彼女はゆっくりと手をどけた。
     青い双眸。白目が充血している以外に、なにかしら異常があるようには──否。
     焦点が合っていない。目の前にいるクラウスを見ているようで、ややずれている。
    「見えないのかね?」
     彼女は小さく頷いた。

       *

    「ああ、彼女、精神感応力者なのね」
     人間、異界人の治療に長けたルシアナ医師曰く。
     精神感応力者特有の症状らしい。他人の痛覚を共有した際、脳が自身の怪我だと誤解してしまう。近くにいる人間の腕が切断され、その痛みを感知すると、自分の腕が切り落とされたかのように動かせなくなった……なんて症例があるんだとか。とは言っても完全に機能しなくなるのは稀で、だいたいは一時的な症状に過ぎない。水希も今までに似たようなことは経験済みだったようで、取り乱すことはなかった。
     神々の義眼は傷つき、罅が入ったとしても、勝手に修復される。けれど人間の眼球は別だ。水希の脳は、目に酷い火傷を負ったと誤認してしまい、視力が著しく低下した、というわけだ。
    「検査結果も異状はないし、長くても二、三日で回復するはずですよ」
     この診察結果に、クラウスたちは胸を撫で下ろした。
     さすが、種別に拘わらず治療を行う病院と言ったところか。思念さえも遮断する病室が用意されていて、水希は視力が回復するまでそこで入院することになった。病院嫌いの彼女であっても、たった二、三日と言えどまったく目が見えない状態で過ごすのは厳しいと判断し、大人しく従った。
     ちなみに、このことは別の病室で入院しているレオには伏せられている。水希が言わないでほしいと希望したからだ。
    「訊いてもいいかね」
     レオの見舞いを終えた後、クラウスは一人、彼女の病室を訪れた。
     ルシアナの診察通り、水希の視力は時間の経過とともに回復を見せた。最初はまったく見えない状態だったが、一日も経てばそこに人が立っているかどうか程度は見分けられるようになった。
    「君の家族関係は、おそらく我々が想像している通りだと思う」
     クラウスの思考を読みながら話を聞いているのだろう。ベッドの上で、彼女は頷く。
     彼女にとって不幸なことだったが。両親が、危険な力を持って生まれた娘を受け止めきれなかったのは、残念ながら無理のないことだ。一般的な家庭では、荷が重すぎる。真剣に取り合おうにも、どうすればいいかなど見当もつかなかっただろう。
    「君にとって、君の弟は唯一の理解者だ。彼と一緒に生きようとは思わなかったのだろうか」
     水希の弟は、橋を隔てた隣の街にいる。会おうと思えば会える距離だ。
     だが、わざわざそんなことをしなくても、水希がHLではなく弟と同じ街で住む選択肢だってあったはずだ。両親や祖母はともかく、弟は姉を拒絶などしない。
    「最初はそういう約束だった」
     過去を思い出すように。青い瞳が静かに揺れる。
    「アタシがずっと独りだったから。ハイスクールを卒業したら、二人とも家を出て、一緒に暮らそうって。でも」
     ふう、と嘆息。
    「アタシがその約束を破った」
    「なぜ?」
     数秒、沈黙して。薄く開けた唇が、空気を少し吸い込み。押し出すように答えた。
    「レオナルドの、心を読んだ。あの、義眼を植えつけられた後の」
     そう大きくない町の、近所に住む少年一家に起きた悲劇は、彼女に筒抜けだったようだ。
    「アイツがHLに行くことを知って……思ったんだ。あそこなら、外の世界より窮屈な思いをしなくていいんじゃないかって」
    「実際、どうだったかね」
    「楽になった。本当に」
     まさか、レオは想像だにしてなかっただろう。
     自身を卑怯者と責める、あの出来事が。妹の代わりに一歩を踏み出せなかった、絶望と後悔が。無関係だった少女の人生に影響を与えたなど。
    「後悔は」
    「どうだろう。弟には、悪いことしたなって思うし、ちょっと会いづらくなったけど。でも……うん」
     ぴたり、と視線がクラウスに合う。
     その瞳は、凪いだ海のように穏やかな色をしている。
    「ないかな」
     昨日、目の診察を終えた水希が言っていたことを思い出す。
     ──妹のことだってあるのに、一時的にとはいえ、赤の他人の目が見えなくなっただなんて。必要以上に重く考えちゃうでしょ。
     彼女は赤の他人という言葉を使っていたが。
     神々の義眼と超能力。まったく異なる力だけれど、他人には知覚できないものを感知できる点は共通している。彼女はレオにシンパシーのようなものを感じているのではないだろうか。
     ただ一人、彼女だけが異質だった田舎町で。もう一人、特異な少年が現れた。
     それは彼女にどれほどの衝撃をもたらしたのか。
     ──あのお嬢さんが覚悟を決めるのも、時間の問題だろう。
     スティーブンは言っていた。彼女はいつか首を縦に振ると。
     クラウスもそう思う。
     HLでの生活は、彼女に安寧を与えたと言うが。それでも彼女が本当に欲しているものを得れたかというと、きっと足りない。
     ライブラ。クラウスの大切で、愛する仲間たちがいるこの組織なら。彼女が望むものを補えると思う。
     水希はこの街で、賭博で己の力を利用することによって稼ぐという、強かな生き方を見つけた。今までこの力で散々苦労してきたんだから、ちょっとぐらい楽したっていいじゃん。彼女は悪びれる様子もなく言いのけた。そういった考えや生き方もあるだろう。
     けれど、別の生き方だってある。
     賭博でこ狡いことをすることよりも、遥かに危険の伴う生き方だ。肉体的苦痛を何度も味わうことになる。しかし一考する価値はあると、クラウスは自信をもって彼女に勧められる。
    「先日、私が言ったことを考えてくれただろうか」
     水希は瞬きで応じただけだが、忘れてなどいないだろう。
    「答えを聞かせてほしい」

       *

     目元を覆う包帯など、義眼の力をもってすれば視界を妨げるものではない。けれどまだ傷は癒えていないので、レオは大人しく包帯に視界を遮断されたまま入院生活を送っている。
     傷つき消耗した身体は休みを欲して、気絶するように何度も眠りについては、少しの間だけ覚醒して。目が見えないのもあって、時間の感覚が狂いそうだ。
     意識の断絶を繰り返して、何日経っただろうか。
    「ああ、待って! あなたの声、どこかで聞いたことあるわ……最近じゃない、どこだったかしら……」
     ミシェーラの声に、レオは目を覚ました。
     時刻、不明。包帯越しに薄っすら明るさを感じるので、夜中ではないだろう。光源が日によるものなのか、病室の照明によるものなのかは、いまいち判別できない。
    「あんまり話したことないから。わからないと思う」
     ミシェーラに返す、想像していなかった声に驚いた。
     この、男にしては高くて、女にしては低い声。ここ最近、電話でしか聞いていないが、今のは間違いなく肉声だ。
    「水希?」
     喉が渇いていたせいで、レオの声は掠れてほとんど音にならなかった。
     それでも外の騒々しさとは無縁の病室だ。レオの目覚めに、ミシェーラたちは気づいた。
    「お兄ちゃん!」
     足音からして、トビーだろう。ベッドに歩み寄り、レオに水をくれた。
     飲み干して、もう一度呼ぶ。
    「水希? 水希だよな?」
    「うん」
     肯定。
     接触禁止令が出されている水希が来てくれるなんて。クラウスたちが、特別に許可でもくれたのだろうか?
    「水希さん? ──ああ!」
     ぽん、と手を打つ音。
    「ご近所さんの? お久しぶりね!」
    「そう……。久しぶり」
     心なしか、水希の声が硬い。
     話下手というわけではないが、水希は幼い頃からの生き方のせいか、人見知りの傾向がある。おまけに、ミシェーラは言ってしまえば外の世界の住民だ。当然、超能力のことだって知らない。身構えてしまうのだろう。
    「お兄ちゃんのお見舞いに来てくれたのね? どうぞ、中へ!」
    「いや、その、顔見に来ただけだから──」
    「水希」
     手で、ベッドわきの椅子があるあたりを示す。
    「おいでよ」
     ミシェーラは、レオの自慢の妹だ。怖がることはない。
     数秒の無言。見えないけど、水希が戸惑ったように視線をうろつかせている姿が目に浮かぶ。
    「お兄ちゃん、水希さん。私たち、これからお昼ご飯に行ってくるわね」
     今は正午ぐらいの時間だったらしい。水希のことだ、そのタイミングを狙ってきたのかもしれない。
    「どうぞ、ごゆっくり」
     ミシェーラとトビーが病室を後にし、ドアが閉まる。
     そこでやっと、水希がベッドの傍らまで来た。ギ、と椅子がきしむ音がする。
    「一緒にいた彼が、例の婚約者?」
     やはり、ミシェーラたち相手に緊張していたようだ。声の硬さがやや軟化した。
    「そう。トビーさん」
     続けて、レオはなにか言おうと口を開いた。けれど言いたいことがたくさんあり過ぎて、逆につっかえてしまう。
    「具合は」
     その間に、水希の方が先に問いかけてきた。
    「だいぶ良くなったよ」
     ああ、と続ける。一番最初に言うべき言葉があった。ミシェーラがいる場では、口にはできない。けれど、大切なこと。
    「ありがとう、水希。助けを呼んでくれて」
     レオの危機を察知しライブラに知らせてくれたのは水希だと、クラウスたちから聞いている。
    「ギリギリだったみたいだけど……うん、まあ、良かったよ。間に合って」
     きっと、届いてくれると思った。
     それでもレオには確かめる術がなく、不安は常に腹の底に渦巻いていた。しかし水希は、聞き届けてくれた。
    「なにかあった?」
    「なにかって?」
    「良いこと」
    「久々にミシェーラに会えたし?」
    「そうじゃなくて。なんか……スッキリした感じがする」
     ミシェーラに会った以外で。スッキリするような良いこと。
     昨夜、クラウスと話したことを思い出す。
     レオとミシェーラの眼について、現状変わらず。彼女の眼を治す方法は見つからないまま、何の手がかりもなし。
     一ヶ月前は、そのことに酷く落ち込んでいた。けれどクラウスの言葉で、また前を向く気力が沸いた。
     事態はなにも好転していない。それでも諦めるつもりはない。
    「良いことっていうか……うん、まあ、そうかなあ。クラウスさんと、色々話してね」
    「アンタのボスか。変わった人だよね」
    「そうだね」
     ライブラは奇人変人の集まりと言えるが、彼らを束ねるクラウスはダントツだ。
     第三者の水希から見ても、変わっているらしい。
    「心を読まれてるってわかってるのにあんなに堂々としてる人、初めて見た」
    「クラウスさんらしいや」
     と言うか、読んだのか。あのクラウスさんの心を。
    「クラウスさんと言えば……その、大丈夫なのか? ここ来ちゃって。いや、俺はもちろん嬉しいんだけど」
     お礼言わなきゃって思ってたし。言うなら、電話より対面の方が良いし。
     実はこっそり来てました、なんて言われた日には、共犯者になるしかないと腹を括る。……隠し通せる気がしないから、一緒に怒られる覚悟をした方が良いか。
    「それは平気。サインしたから」
    「なにに?」
     誓約書的ななにか? レオナルド・ウォッチの心は読まないと誓います、みたいな。
    「雇用契約書」
    「こよう」
     レオはしばし、言葉を忘れる。
     それは、つまり。
    「ライブラに入ることにした」
     だから接触禁止令は解禁ってわけ。
     呟くように言う彼女に、レオはただただ唖然と口を開けていた。
    「ンだよ、これっぽっちしかねーのか!? アアン!?」
     悲しいかな、カツアゲにはもう慣れた。慣れたくなんかなかったけど。
     故郷で過ごしていた頃だって、ラグビー部の主将とその取り巻きに因縁をつけられることがあった。たぶん、レオはそういう体質なのだろう。
     レオの頭よりも大きい手に、胸ぐらを掴まれ揺さぶられつつ。頼むから服や靴に隠した金には気づいてくれるなよと、ひっそり祈るのみ。
     例え気絶するほどぶん殴られようと、こんなことから逃げるために義眼を使うつもりはない。どうにか逃げる隙でもあちらから作ってくれないかな、なんてささやかな望みを抱くも、相手は二人。レオを掴む異界人と、路地裏から大通りに出る道を塞ぐように立つもう一人。どちらもレオより遥かに上背があり、全力でタックルかましたところで、よろめかせることすらできないだろう。
     これじゃ、待ち合わせ遅れちゃうな。というかもう遅れてる。すぐそこなのに。
    「チッ、なら内臓もちょいと頂いて──」
     ぞおっと冷たいものが背筋を駆け抜ける。それは勘弁いただきたい。
     やむを得まい。気は進まないが、さすがに義眼を使うべきか……。
     腹を決め、固く閉じた瞼の力を抜こうとすると。
     道を塞いでいた異界人が、レオを締め上げる異界人をぶん殴った。
     胸ぐらを掴んでいた手が緩み、レオは尻を強かに打つ。
    「なにすんだコラァ!」
    「しっ、知らねえよ! 手が勝手に──」
     息苦しさに咳き込みつつ、指先までじぃんと痺れた足腰に鞭打って、レオは走り出す。なんで急に仲間割れしたのかなんて、考える余裕はない。考えるのはただ一つ、なにがなんでもこの場から逃げ出すこと。異界人同士の喧嘩が勃発して、狭い路地裏の壁を反射する殴打音を背に、足を止めずにただ走る。
     薄暗い路地から明るい大通りに出て、息をつく。もう一度だけ、咳が出た。
    「カツアゲホイホイか」
     呆れた声に、顔を上げる。
     水希に見下ろされていた。
    「今のって、水希?」
    「そ。二人で仲良く殴り合いでもしてれば良いさ」
     手が勝手に動いたと狼狽えていた異界人を思い出す。たぶん、念力で動かしたのだろう。
    「時間になっても来ないと思ったら」
    「ごめん、待たせた」
     今日は水希のライブラ初出勤日だ。
     事務所に行くのは初めてではないけど、緊張するだろうと思って、待ち合わせていた。
     今日から同僚だね、ちょっとだけ先輩だからなにかあったら頼ってね、というつもりだったのだが。
    「なんか情けないなあ、俺、いつも助けられちゃって」
     ザップをはじめとした、ライブラの仲間たちにも常に守られているが。同い年の、見た目ならレオより弱そうな女の子にまで、お世話になっちゃうなんて。
    「あだっ」
     額にビシッと一発。
     水希にデコピンされた。
    「事務所に案内してくれるんでしょ。行こう」
    「あ、うん」
     これまた情けないというか悲しい話だが、水希とレオは足のコンパスの長さが違う。サッと歩きだした水希を慌てて追う。駆け足気味に並ぶと、水希の足の速さが緩んだ。気を使ってくれるのは嬉しいが、辛い。
    「あのさ、水希」
    「なに」
    「俺、戦えないけどさ。それでも、水希になにかあったら、力になるから。絶対言ってくれよ」
     水希がライブラに勧誘されたとき、レオは真っ先に心配した。
     彼女は確かに強い。だがレオみたいにライブラと協力関係になるような事情があるわけじゃない。ライブラの活動は危険なものが多い。そんな命を削るようなこと。
     ライブラに正式に加わったと聞いたときだって、同じことを思った。
     でも水希は決めたからの一点張り。
     最初は断っていたのに。なにかしら心境の変化があったのだと思う。いつか、レオに教えてくれるだろうか。
     人の心は勝手に覗いてくるくせに、自分が考えてることは中々口にしてくれない。そのうち、もうちょっと打ち解けたら、絶対一度は文句を言ってやる。
    「なにも起きないことを祈るね」
    「そりゃそれが一番だけど」
     どれだけ祈ろうと、なにかが起きるのがHLだ。
     ライブラへ通じる入り口は複数ある。今日はチャイナタウン裏から。
     四方をドアで囲まれた、どこでもエレベーター。内一つのドアを開けると、事務所への通路が続く。奥の扉の先にあるのが、本部の事務所だ。
     あちらこちらに飾られた幾多もの観葉植物。壁に並ぶ大きな窓からは、霧に阻まれながらも射しこむ陽光が、室内を淡く照らす。
     奥の鎮座するデスクで、クラウスが待っていた。
    「ようこそ、ライブラへ」
    ティウス(夢用) Link Message Mute
    2022/12/10 0:00:00

    Hello,shining!9【完】

    レオ夢
    義眼押し付けられた少年と、超能力少女のお話
    これにて最終回です
    ※オリ主/名前変換なし
    #夢界戦線 #オリ主 #夢小説

    https://wavebox.me/wave/4h47ay7v4ke4g4z6/
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    ちなみにこちらで再録本(書き下ろしあり)を頒布してます
    https://tiuspicc.booth.pm/items/3715845

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