【サンプル】Hello,shining!【完売】夢主が危機に陥る話
慌ただしく事務所に駆け込む足音に、スティーブンがデスクから顔を上げると、頬が真っ赤に腫れたレオが飛び込んできた。もはや驚くことはない。ああ今日もか、大変だなあと思うだけだ。
呆れながらも顔を顰める水希はまだ律儀な方である。
「どうした、帰ったんじゃなかったか?」
今日は給料日。さっそく妹へ仕送りに行くと、彼は帰宅したはずだったが。数分足らずで戻ってきたところから察するに、大切な活動費をカツアゲされそうになって逃げ帰ってきたのだろう。
「ちょっと絡まれちゃって……」
苦笑いを浮かべる余裕はあるようだが、片手は腹を抑えたまま。水希との打ち合わせはまだ終わってないが、「手当てしてやれ」と促してやる。一瞬躊躇する様子を見せたが、レオへの心配を隠しきれていなかった彼女は大人しく救急箱を取りに行く。水希がレオの手当てをする光景は、ライブラの日常になりつつあった。
「自分でやれるって」
「うるさい、さっさと脱いで」
水希は容赦なく服を引っ張る。レオは抵抗を見せたが、スティーブンがわかりやすく生暖かい視線を送ると大人しくなった。
殴られたらしい腹には大きな痣。毒々しい色に水希が舌打ちする。
「水希、手当上手くなったな」
「どっかの誰かさんがしょっちゅう怪我するからね、いい加減慣れたよ」
レオより断然前線向きな水希の方が、怪我の頻度が高くなるはずだが、実際病院のお世話になることが多いのはレオだ。ESPとPKの両方を使い分ける彼女は、レオよりずっと器用にこの街を生き延びている。
水希がライブラに加入したての頃は、ギルベルトに教わりながら慣れない手つきで包帯を巻いたりしていたものだが、もう彼のレクチャーを必要としていない。いつなにが起きるかわからない職場だから、応急処置の一つや二つ、覚えておいて損はない。彼女の成長に、ギルベルトも微笑ましそうに目を細めている。
「財布は無事?」
「そっちはなんとか死守した。ミシェーラの仕送りもあるし」
活動費を受け取った直後にカツアゲに遭うとは、レオの不運体質も大したものだ。
水希と違って、レオは滅多に義眼を使うことはしない。焦れる水希の気持ちもわかるが、〝神々の義眼〟に殺傷能力はない。必ず危機を脱せるものではなく、悪戯に使えば第三者に義眼の存在を知られることになる。その可能性を考慮すると、無力な一般人に徹する方がリスクが低い。
しかし、パトリックが勧めるように、武器の一つぐらいは帯刀しても良いとは思うのだが。丸腰でも戦える水希ですら、パトリックに押し切られる形で、小型の電子銃を携帯している。レオはもう少し器用にこの街を生きれないものか。
「レオナルドさんも災難でしたな」
淹れたてのコーヒーをテーブルに並べるギルベルトに、しかめっ面だった水希の表情が和らぐ。ギルベルトのコーヒーは、彼女も一等気に入っている。
「……ありがとうございます」
彼女も随分とライブラに馴染んできた。最初は必要以上に喋らなかったが、事務所でもレオと軽口を交わす姿を見せるようになり、他の構成員とも話す頻度が増えた。
スマホが着信を告げる。出ると、HLPDからの緊急要請だった。
「血界の眷属だ」
事務所の空気が引き締まる。他の血法使いたちに緊急連絡を送りつつ、レオたちに駐車場へ行くよう促す。
「お嬢さん。奴らと応戦するときの君の役割は?」
「対象の攻撃が届かない位置から後方支援。絶対近づかない」
「よし」
水希が加入してから、ライブラがBBと応戦するのは初めてになるが、接近禁止については常より口を酸っぱくして言い聞かせていた。
クラウスたち血法使いと違って、彼女は超能力者。あの細い体躯に流れる血は奴らにとって餌であり、うっかり吸われようものなら〝転化〟してしまう。仲間であっても、転化してしまったら殺さなければならなくなる。作戦に加わるとしても、前線からは外れて、一定以上距離を保っての後方支援だ。
<中略>
コンコン。ノックの音を立てて、スティーブンが顔を出した。
「ツェッド。まだ起きているかい」
電子書籍を読んでいたツェッドは、タブレットから顔を上げる。出動要請やお使いではないらしい。水槽から出なくていいと、歩み寄ってきた。ツェッドも水槽の底に沈んで、目線を合わせる。
「さっき、少年とお嬢さんが戻ってきたんだがね」
「なにか忘れ物ですか?」
己を庇ったリーダーの負傷で目に見えて消沈した水希と、彼女を心配し「家まで送る」と付き添っていったレオの背中を思い返す。
言ってはなんだが、水希と初めて戦ったときの方が被害は大きかった。あのときツェッドやスティーブンの怪我と比べれば、クラウスの傷はそこまで酷いものではないし、仲間があれ以上に深く傷つく姿を彼女だって何度か目にしているだろう。そこまで気負うものではないとツェッドは思うが、ショックを受けた彼女を前にすると上手くフォローできなかった。あの血の気の引いた頬の白さを思い出すと、居たたまれない気持ちになる。
「いや。彼女が厄介事に巻き込まれた可能性があってね」
「レオくんではなく」
「ああ」
何かしら事件に巻き込まれるのは大抵レオだ。能力故か、危険を察知する勘がおそろしく鋭い彼女が、珍しい。
「人界の、超能力を研究している団体の一つが、彼女に目をつけたらしい。彼女の家族に探りを入れに来た」
最近、任務で一緒に組むことが増えた水希だが、ツェッドは彼女の家族のことをあまり知らない。定期的に隣の都市に住む弟に会いに行っていることぐらいで、両親のことは聞いたこともない。
「ご家族は、普通の人なんですよね」
「ああ。彼女だけが超能力者だ。おそらく、彼女へもコンタクトを図ってくると思う」
超能力は遺伝で受け継ぐことが多いらしい。遺伝と関係なく能力を持って生まれた彼女はレアケースだ。ツェッドと違い、師として仰ぐ人間や、悩みを共有する同胞はいない。唯一種であるツェッドとはまた異なる孤独を抱えた少女だ。
「危険な研究組織なんですか」
純粋に学問として研究している団体なら問題ない。しかし、中には軍事利用を目的としたところもあると聞く。本人の意思で付き従うのならともかく、強引に研究の協力をさせるところもあるだろう。
魔術や超常現象が蔓延るこの街において、超能力者自体はそんなに珍しいものではない。ツェッドたちが扱う血法だって、似たようなものだ。しかし水希の持つ精神感応力は、かなり稀有である。異界存在も含めれば脳の中の情報を得る能力や技術はあるが、水希ほど素早く確実に、かつ広範囲で読み取れる者は極めて少ない。何が何でも手に入れたい、とそう思う人間はいるはずだ。
「それはこれから調査する。だが、どうもきな臭い」
「と言うと」
「家族には、超能力を取り除く治療を進めていると説明したらしい。彼女みたいに自分の力を持て余している人間からすれば、魅力的な話だ」
「水希くんは乗り気なんですか?」
「いいや。でもHLに移住する前だったら、考えていたかもしれないと言っていた」
ちらりとスティーブンの目が背後のドアを見やる。おそらく、ドアの向こうの執務室に水希がいるのだろう。
「では研究の協力は断ると」
「それで大人しく引き下がってくれる相手なら良いんだがね。そうでなければ、こちらも対処する必要がある」
苦い記憶が蘇る。
足の悪い妹を庇い、脅威と対峙していた小さな背中。大切な仲間の危機に、ツェッドは気づけなかった。あれだけ傍にいたのに。
ツェッドの初めての後輩になる少女も、大切な仲間の一人だ。もう二度とあんなことは繰り返さない。未然に防げる脅威であるなら、全力を持って迎え撃つ。
「さっきも言ったが、近いうちに彼女に接触してくるだろう。相手の素性を調べ上げるまで、君はザップとレオと交代で彼女の護衛に当たってくれ。相手は超能力者の扱いには慣れているはずだ。万が一もあり得る」
<中略>
何の前触れもなく銃弾が降り注ぐ。HLではありふれたことで、最中は巻き込まれないように住民たちが避難して閑散としても、止んでしまえば何事もなかったかのようにすぐに雑踏は元通りになる。通行人にぶつからないよう、それでも急いで、レオは現場に到着した。
ゴーグルで隠した義眼は、歩道に残る水希のオーラを捉えた。
そこには人が倒れている。女性だ。K・Kに撃たれ、事切れていた。右手がなくなっている。搬送されてしまう前に、レオは女性のオーラも義眼に焼き付ける。
水希の姿はない。水希の腕を掴んでいた女性の右手と一緒に、消えてしまったとK・Kは言っていた。
状況から、おそらく瞬間移動。
唾を呑み込む。
水希が拉致られた。
彼女以外の、超能力者に。
「どうだ、レオ」
すぐ横にランブレッタが停車し、鼻先を葉巻の匂いが擽る。ザップも修羅場を終えて、ほぼ同時に到着したのだ。
唇を噛み締め、レオは正直に答える。
「ダメです。オーラが……途切れてます」
神々の義眼であっても、これではオーラを追うことができない。
「そうか」
通話でクラウスたちに報告するザップの傍らで、何か一つでも水希を見つけるための痕跡はないか、注視し続ける。しかし少し前まで彼女がいたという証のオーラしか、見て取ることができない。
ほんの少し前。レオは水希と一緒にいたのに。
呼吸がしづらい。心臓が痛いほどに脈打っている。
「よし、乗れ。急ぐぞ」
ヘルメットを押し付けられ、急いで後部座席に跨る。
「ザップさん、どこへ?」
「二重関門橋だ。奴らが水希を連れてあの橋を渡る前に、追いつくぞ」